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映画 『サラエヴォの銃声』  ダニス・タノヴィッチ監督

映画 サラエヴォの銃声  ダニス・タノヴィッチ監督
ポスター
 監督は、デビュー作『ノー・マンズ・ランド』(2001)でボスニア紛争を一方の勢力に組みしない視点で真摯に今日のあるがままの人間の問題として描いた。当時の国際社会は、旧ユーゴスラビアの解体とともにはじまったボスニア紛争をもっとも深刻な悲劇として注視していた。スロベニア、クロアチア、コソボ、さらにマケドニアまで飛び火し、それらの紛争のいずれにもセルビアが関与した。西側からの視点でいえばセルビア民族主義は悪の権化のごとく見られていた。そういう時勢のなかで『ノー・マンズ・ランド』、オスカーの外国語映画賞をはじめ多くの国際映画祭で賞賛された。
 
 余談だが、東日本大震災でヨーロッパにあって、もっとも早く慈善活動をはじめ義捐金をあつめたのはセルビアの人たちであったことは記しておきたい。

 すでに3年前のことになるが、クロアチアのアドリア海沿岸のスピリッツ空港でレンタカーを借りてボスニアに入国する個人旅行をしたことがある。サラエヴォや、激戦地となった地方都市にも足を延ばした。ここで、その旅の詳細は書けないが、本作の舞台となった場所にもいっている。
 サラエヴォの街を歩き、ドライブしながら思ったことを正直に書けば、復興が驚くほど早い、というものだった。中米にながく暮らした私は内戦で疲弊したニカラグア、エル・サルバドル、グァテマラで辺境部まで足を延ばしているが、その尺度から言えば、クロアチアも含め、復興の速度はやはりヨーロッパの国である、という当たり前だが今更ながらに思い知らされた。基本的に国民の教養度、政治家たちの文化度、内戦以前の国全体のポテンシャルの高さは、そのまま内戦後の復興事業を後押しすることになったものと思った。
 第一次世界大戦の引き金となったサラエヴォ事件は、小さな川に掛かるプリンツィア橋を渡った市街地の切れ目で起きた。セルビア青年がオーストリア皇太子を暗殺した事件だ。その場所はいまもそのまま保存され、近くの建物の壁にはプレートや事件当時の写真や新聞コピーを掲げている。橋の片側は公園となっていて、なかなか感じのよい界隈で、その公園の北側に広がる坂の多い市街地のなかに日本大使館がある。そのあたりはサラエヴォの旧市街でいまでもイスラム系ボスニア人、正教徒のセルビア人、そしてユダヤ人などが行きかう。紛争中は、この界隈にも砲弾が打ち込まれ、現在でも焼け跡がくろぐろとしたオベリスクとなって取り残されている。しかし、サラエヴォは中米基準でいえば外観 はすっかり復興しているといって良いだろう。
 映画のほぼ9割の撮影場所となったホテル・ヨーロッパは紛争中、おおきな被害を受けたところで、それでも外国記者が取材のベースを置いていた。そのホテルも再興され本作をみていれば良くわかるが、傷跡ひとつ見出せない感じだ。
 現在のボスニア=ヘルチェゴビナは一見、静穏である。しかし、ほんとうは危うい平和が保たれているといってよいだろう。この国は首都サラエヴォだけでなく、みえない国境線が引かれている。映画ではそれは語られていないが、現在のこの国はセルビア人が主たる住人とするスルプスカ共和国が存在している。世界地図には図像化されることはないが、この見えない国には国旗もあれば国章もある。2つに分断されているのだ。平和と危機は背中合わせに存在し、サラエヴォ事件の成否もまた否定と肯定が共存している。そうした複雑・錯綜した状況のなかで日々、生きてゆく市民にもそうした矛盾はなんかの影を落とす。それは表面化することもあれば、沈降したままでいることもある。映画は、サラエヴォ事件から100周年を迎えた式典を主題にした戯曲を、さらに増幅させて群像サスペンスにしたものだ。カメラがたえず俳優たちの背を追うように揺れる画面はドキュメントのリズムを与え、現実感を与えている。
 この映画をみているとボスニアに生きる人たちは現在もなお「平和」のなかで居心地の悪さを味わっているような気がしてならない。舞台となったホテルから車で15分ほどのところにサラエヴォ冬季オリンピックのメイン会場となったスタジアムがあるが、内戦中、市街戦で犠牲となった人たちの臨時の墓場となった。いまは近くの墓地に移されているが、その墓石の建立がほぼ同年ということの悲劇性がサラエヴォを覆っているように思えてならない。そういう重苦しさを映画をみているあいだ、私はずっと感じていた。
 タノヴィッチ監督は、結論なんて指し示さない。問題提起の監督である。現在社会を真摯に考えようとする人たちへ素材を提供する創作家である。
 *3月25日、東京地区公開予定。
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映画『アイヒマンの後継者』マイケル・アルメレイダ監

映画『アイヒマンの後継者』マイケル・アルメレイダ監督
アイヒマンアイヒマン・・・いうまでもなく大戦中、ユダヤ人を強制収容所に送り込んだ元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマン。戦後、南米アルゼンチンに逃亡、イスラエルの諜報機関によって発見、拘束後、密かにイスラエルに連行され裁判に掛けられた。その裁判の模様は世界中に配信された。1961年のことだ。
 そして、表題の「後継者」とは誰だ、ということになるが、それは「あなた」であり、親兄弟姉妹でもあり、上司でもあり部下でもある・・・つまり、誰でもアイヒマンになりうる可能性があることを科学的に実証した実験「ミルグラム」の実録ドラマだ。
 映画はほとんど大学構内の限られたスペースで展開する。密室劇といっていいぐらい閉鎖的、動きのない地味な作品だ。しかし、その実験はおそろしい結果を出す。被験者たちの心の波動は「悪の凡庸さ」の象徴するものだった。

 アイヒマン裁判とほぼ歩調を合わせるように米国イェール大学でおこなわれた瞠目すべき人体実験。ユダヤ系米国人の社会心理学者スタンレー・ミルグラムは、「何故、ホロコーストが起きたのか、人間は何故、権威に服従してしまうのか」という人間存在の基層に潜む謎の解明に向け、「電気ショック」を用いての実験を繰り返す。この実験方法は、被験者の精神そのものに傷を負わせる疑義があるとして学会から名指しで批判されたものだ。おそらく民主国家であれば、このような実験は今後、許されないだろう。1960年代、大戦の傷痕が癒えない時代であり、冷戦の真っ只中という時勢が実験を許容したのだと思う。この実験は、発案者の名をとって現在、「ミルグラム実験」という固有名詞を与えられている。

 ミルグラムはさまざまな立場の市民、男女問わず、実験の意味を問うことなく、偽の「電気ショック」機械を使って実行した。その機械は実際に機能しないのだが、被験者は機会が作動していると信じて参加する。実験の前に、謝礼が払われるリアリティーが被験者に「義務」を負わせるのだろう。わずかな金でも人を強いるものになるという実験であるかも知れない。クイズ形式で、解答をまちがった者、つまり悪意のない人に向かって、元来、遊びの要素でしかないクイズとは知りながら、段階的に「電気ショック」の強さを増していくボタンを押しつづける。なかには、こんなにショックを与えつづけると大変なことになると拒否する者も出る。しかし、そんな人はごくごく少数派で、自らに嫌悪感を抱きながらもボタンを押しつづける。
 実験終了後、ミルグラムは被験者に、「なぜ電気ショックを与えつづけたのですか」と問いかける。被験者はたいてい、「俺は途中でやめたかったが。つづけろと言われたから」と答える。他の被験者もみな、自分は抵抗して、自らの意思ではしていない、と強調した。それは裁判で自己弁明したアイヒマンの答えと同じものであった。
 実験で示されたデータは、「一定の条件下では、誰であろうと残虐行為に手を染める可能性は大きい」というものだ。むろん、それでアイヒマン裁判の審理に影響を与えたわけではない。ただ、ナチズムの犯罪の過半は、ハンナ・アーレントが主張した「悪の凡庸さ」を示したことになる。
 ミルグラムを演じたピーター・サースガード、彼の恋人役にはウィノナ・ライダーが配されいる。助演陣には演技派の名優たちが据えられ、小さな空間のなかの心理劇に奥行きを与えている。サイコキックなサスペンス映画をみるより実録の劇化として本作は恐ろしい。
*2月下旬、東京・大阪で公開。

私憤から公憤へ ~映画『ラビング ~愛という名前のふたり』ジェフ・コリンズ監督

私憤から公憤へ 映画『ラビング ~愛という名前のふたり』ジェフ・コリンズ監督
ラビング
 愛はときとして人を強靭にする。愛の力によって市井の人が控えめに歴史の一ページを開いてしまうことすらある。それはおそらく宝くじに当たるより稀なことだろうが、大金を確かに手にする人がいるように、平凡な幸せをもとめた愛が歴史の戸を叩き、開くことはある。そんな、“至高の愛”はまたごくごく平凡な営みであったりする。そういう奇跡をおだやかに綴って深い感動を誘う映画が『ラビング』だ。

 1958年というから、小生が小学生になって間もないころとなるが、米国南部州、つまり南北戦争で破れた州では異人種間の通婚を禁じる法が生きていた。むろん、異人種とは、そこではアフロ系市民、黒人を指していた。白人は黒人と結婚してはならぬ、ではなく、黒人は白人と結婚を禁じる、望むなというニュアンスだろう。そして、それは1967年まで生きた法として存続していた。ビートルズが史上初の国際衛星放送で「愛こそはすべて」と歌った、その年の6月まで処罰のされている恋人たちがいたということだ。現在、南部ジョージア州の州歌はレイ・チャールズの「わが心のジョージア」だが、そのレイ自身、同州の黒人差別法を批判し、公演を拒否したため生まれ故郷から追放され、それが解除されたのは1979年のことだった。そうした時代背景を少し頭の片隅において本作を観るのはひとつの見識であろう。

 バージニア州の寒村で暮らす白人大工のリチャード・ラビング(ジョエル・エドガートン)は黒人の恋人ミルドレッド(ルース・ネッガ)から妊娠を告げられ、即座に結婚を申し込む。ラビングにとって、それはごくごく自然の成り行きであって、ミルドレッドと生涯をともにしようと決意する。けれど、排他的な風土の南部州に生まれ住む二人にとって、その決意がどれほど白眼視されるかも熟知している。だから、異人種間の結婚がみとめられている北部州に赴き、ささやかな結婚式をあげる。そして、地元に帰り、つつましい生活を営みはじめる。しかし、悪法もまた法、ふたりは地元の保安官に逮捕されてしまう。裁判で結婚を解消できないならバージニア州に住むことはできないと北部州へ転居する。しかし、ラビングは 町の暮しは合わなかった。そこから自然とバージニア州法に疑問を抱き裁判を起こす。同じ国のなかで法律が違うのはおかしいし、なにより異人種が結婚できないというのは神の意思に反している・・・素朴だが人間存在の根源的な問題だ。
 
 今日の米国映画の大きな特徴は「裁判」である。訴訟社会といわれるほど弁護士の数が多い米国の反映である。そうした映画は法廷を舞台にするため雄弁な台詞の応酬劇ともなっている。本作も一種の裁判劇である。しかし、なんと台詞の少ない映画だろう。 ラビングが朴訥した田舎の青年で、言葉を能弁に修飾することなど無縁な人柄。妻のミルドレッドはそんな夫ラビングを好ましく重い寄り添うことで平安を得ようという女。だからミルドレッドも夫以上に寡黙というひと。
 裁判は、最高裁まで争われ、すべての異人種間結婚禁止法は違憲として、原告のラビングの勝訴となる。その裁判の席にもラビングもミルドレッドはいなかった。米国にとって歴史的な日となった、その日もラビング夫妻は静かな田舎で平穏に働いているだけだ。スポットライトを浴びることなど、自分たちには似合わない、と。

 怒りを抑えた「私憤」が、やがて歴史を動かす「公憤」へと上昇してゆく劇なのだが、映画はその高揚感すら、ふたりの静かな愛の営みの日々をささやかに彩るおだやかな旋律に変えてみせてくれる。
 観る者に静謐だが、たしかな温もりを与えてくれる作品だ。
 こんな映画が、人種差別、民族差別、宗教差別、さらに性差別まで繰り返したトランプ氏が大統領の座を射止めた2016年に米国で制作された。
 *3月公開予定。

映画『ザ・コンサルタント』ベン・アフレック主演

 2 コンサルタント
ふだん、ここで紹介する映画の見出しの横には、ほぼ監督の名を表記しているが、本作では主演の会計士を演じたベン・アフレックの名を上げた。筆者がハリウッドのなかで注目している映画人だからだ。
 マスコミ用試写での上映作品は自分の空いた時間と試写室の場所によって制約されているから、新年早々、こんなの観たくなかったという作品に当たる年も多い。アート系映画ではなく、ドラマの部分もしっかりとしたアクション映画であったから128分、実に軽快にほぼ脳内を空洞化させて過ごさせてもらった。そして、見終えた後、最初の感想は主役をベン・アフレックでいけるならシリーズ化できるな、と思った次第。
 ベン・アフレック、私にとっては2012年、イスラム革命渦中、在テヘラン米国大使館がテヘラン市民に占拠されるなか、かろうじてカナダ大使館に逃げ込んだ6人の大使館職員を周到な計画で国外脱出させた米CIAエージェントの活動の実話を描いたドラマ『アルゴ』(2012)の監督してしられる才人だ。監督、俳優、脚本、プロデュサーとしていずれの仕事でも一流の仕上げで大向こうをうらなしている。クリント・イーストウッドの正当な後継者だろう。『アルゴ』はアカデミーの作品賞を受賞したから観ている方も多いだろう。フェイクで映画を撮るとしてテヘラン入りしたCIAのスタテックな活動ぶりと思い切りの良さを芝居がからずに描いていた。
 『ザ・コンサルタント』の公開前に、アフレックの監督旧作『アルゴ』をレンタルビデオで見てもらいたいとも思いもあって、書いている。
 
 ・・・ここからしばし余談を書く・・・割愛して次の段落に進んでもらっても良い・・・大使館や領事館、そこは治外法権のエリアとしてウィーン条約で不可侵の領域として保障されている・・・はずだが、武力を伴った政変によって時として、いやしばしば侵されてきた。ホメイン師を指導者とするイランの宗教革命でも米国大使館は侵犯され、カナダ大使館も被害にあっている。カンボジアのクメールルージュのプノンペン占拠でも起きたし、中米グァテマラでもスペイン大使館が政府軍の砲撃で全焼するという事件も起きている。アフリカでも起きている。そういうことが現実に起こりうる国際社会という現実を確認するためにも『アルゴ』には時代を視る、というリエリティがあるはずだ。最近の映画は、「事実に基づく」というコピーが巻頭に入ることが多い。実話が映画化されるという企画の段階で、脚本はすべて「事実に基づく」になる。現在、韓国のソウルの日本大使館前で、釜山の領事館前でも“侵犯”が実際に起きている。プラカードや立て看といった撤去の容易なものではなく、建造物としての「慰安婦」少女像が鎮座させられているのは、明らかにウィーン条約違反だろう。それは政治的な立場を超え、民主国家として許容してはいけない行動であるはずだ。あの像の表現そのものにも疑義がある。あの愛らしい少女像で「慰安婦」を表現しようとするのは、殊更、対日本印象に憎悪の仕掛けとなっているものだ。こんないたいいけない少女まで「慰安婦」に狩り出した日本軍国主義の残虐性・・・と主張しているのだろう。

 話は横道にそれた。
 世間をあざむく姿は切れる会計士。数字に滅法強く、重税負担に苦悩する正当な顧客にはその立場にたって周到で合法的に減税指南もする。企業の不正な会計監査も驚異的なスピードで暴く天才的な数学力、そして怜悧な判断力(とこの辺りは映画として、とりあえず受け入れる)・・・が地味なスーツに隠した肉体はインドネシアのなんとかという伝統武闘術の奥義を極めたファイター、そして射撃の名手でもあるというスーパーマンなのだ。会計士と冷酷な殺し屋の同居である。
 アクション映画は、世は歌につれ歌は世につれ・・・ではないが、社会状況の変化と科学技術の進歩をそれこそ日進月歩と取り込んで、したたかに観客にカタルシスを与えてくれるわけだ。
 この会計士クリスチャン・ウルフという役名を与えられているが、ふと「パナマ文書」にヒントを得て、国境を股に掛けて、グレードアップした続篇が作られないものかと密かな期待を、厳寒の神谷町の舗道で思った次第。トランプ・タワーならぬ、WB試写室のトランスタワーを出て手袋を装着しながらの感想であった。
 *1月21日より都内公開予定。
 

映画 『シュコラ』 ロシュディ・ゼム監督  ~キューバ出身の黒人ボードビリアンの生涯

映画 『シュコラ』 ロシュディ・ゼム監督
 ~キューバ出身の黒人ボードビリアンの生涯

 ショコラ

 20世紀前半の幾年月、パリの夜を掌中に収めた“褐色のヴィーナス”ジョセフィン・ベーカーの毀誉褒貶に満ちた波乱万丈の物語ならたいていの人はしっている。敗戦直後に日本の孤児の養母となった話も忘れがたい。欧州のショービジネス界で最初に成功したアフロ系女性(出身は米国)であった。だったら、最初のアフロ系男性がいるはずだ、とは何故か思わなかった。そういうことは指摘されてはじめて気づいたりするものだ。「最初の」と冠詞をつけるには斯くも相応しい成功の挿話が幾つもないと献呈されはしないし、伝説化もしない。

 本作は、その男性芸人の存在を評伝的にではなくエンターティーメントのけっこうのなかできちんと教えてくれた。
 ほろ苦くも、湿度の低い、じめじめしたところのない心地よい作劇であった。その男の芸名が「ショコラ」、その皮膚の色からチョコレートと比喩されたのだろう。本名はただ「ラファエル」、苗字はない。1865~68年頃、まだスペイン領であったキューバのハバナで奴隷の子として生まれた、と言われる。年齢も不詳ということになる。ラファエルとはおそらく奴隷主が便宜的につけたものだろう。そのラファエルが欧州に渡ったのもスペイン商人に買われ、バスク地方の農場の家内労働者として送り込まれたからだ。その農場から逃げ出し国境を越えてフランスの零細サーカス団に雇わ れた、というのがその前半生となるが、その出自にも確証があるわけではない。本人がそう語っただけだ。そのあいまいな分だけ、映画は興行的にも受けそうな挿話を適宜、加味することができる。そのショコラをいまやアフロ系フランス男優として声価をゆるぎないものにしつつあるオマール・シーが演じた。
 ジョセフィン・ベーカーもスペイン男性とアフロ系女性とのあいだに生まれたという出自を知るとき、ともに「スペイン」がひとつのキーワードとなっているが、その辺りをラテン風オタク的に語るのは控えた方がいいだろう。
 ベーカーもショコラもステージで自らのアイディンティティを創造し磨き上げ名声を高めた努力の才能であり、そこに国籍も出自も超越した輝きがあった。
 奴隷の子として育ったラファエルには当然、正規の教育の機会などあるはずがなかった。世間そのものが社会教育の場であった。蔑まれ、下積み労働に汗しながら生きるためフランス語を覚えたのだろう。外国語を早く身に付けようと思えば、恋愛か飢餓がもっとも近道だ。
 ラファエル・・・たまたま入った、というより拾われたのだと思うが、サーカス団での役どころはめぐまれた体躯がアフリカの野生とか獰猛といったものを象徴する、として客引きに使われていただけだ。意味のない野卑な〝音”の連なりを発しながら吠え叫び、サーカスの観客のメインである子どもたちをいっとき安全な恐怖というカタルシスを与えればそれで充分という役回りだった。
 そんなラファエルの前に、聴衆に飽きられ、なんとか打開しなければと焦る落ち目の芸人フティットが現われる。この役をチャーリー・チャップリンの孫ジェームス・ティエレが演じる。場末のうらぶれた芸人の悲哀も、かつて絶頂を極めた時代の残り香もそこはことかぐわせ、あたりを睥睨する威厳もその小さな身体で演じ切る演技力は、やはり祖父の血筋かと思ってしまう。

 ラファエルもよるべきなき世界を生き延びてゆくためには、このままではダメだと知っている。先は分からないが、どうせ身ひとつ、係累もない自分には賭けそのものが人生のようなもの、芸人として辛酸を嘗めたフテットについていくのも時の流れだとコンビを組むことになる。そして、シロクロ、デコボココンビは新手のボードビリアンとして逞しくのし上がってゆく。

 音楽家でも俳優でも、あるいは政治家でも企業家でも成り上がりの物語は映画の大きな要素である。そんな現実にはなかなか起こりようもない成功譚、しかし稀に確かに起こりうる話に惹かれるのだ。当たるはずがないと思いながら、ついつい買ってしまう宝くじに夢をみるようなことだろう。
 時に観客の下種な優越感をくすぐりつつ拍手喝さいをうけながらラファエルははからずもアフロ系市民の地位向上に貢献することにもなった。ジョセフィン・ベーカーもそうだった。米国の公民権運動のなかで、たとえばアフロ系の盲目の歌手レイ・チャールズ、あるいは俳優のシドニー・ポワチエが果たしたような位置だ。
 ラファエルを演じたオマール・シーの主演作といえば、『最強のふたり』があり、『サンバ』があった。ともに、現代のフランス社会を揺さぶっているアフリカからの不法移民を演じ、したたかで、教養はないが、まっとうな正義感はもっているという底辺労働者の役を演じきた。その逞しさ後姿に不法越境路の困難、苦行をみせながら演じた好演を思い出す。それは、本作の演技にも深みを与えているように思う。
 *1月中旬公開予定。

トランプ次期米国大統領の“金言”とCNN、そして湾岸戦争  映画『ライブ・フロム・バグダッド』 2002年 ミック・ジャクソン監督

トランプ次期米国大統領の“金言”とCNN、そして湾岸戦争
 映画『ライブ・フロム・バグダッド』 2002年 ミック・ジャクソン監督
yjimage (1)日韓共催のFIFA・W杯で湧いた2002年に米国の有料TV局から全世界に配信された映画。サダム・フセイン独裁下のイランで活動したCNNバグダッド特派員チームを描いた作品。タイトルがそれを集約しているわけだが、その活動に相応しく最初からTV用映画として制作された。サブタイトルは「湾岸戦争最前線」。

 日本ではインターネット上でCNNのニュース記事は見、読めるが、TVでは日本語放送がないため一般的な認知度は低い。筆者がグァテマラ・メキシコに滞在していた当時、湾岸戦争における報道競争で一躍、勇名を馳せ、そ の後の飛躍を促し今日の地位を築いたわけだが、そのエポックメーキングな事件を扱っている映画だ。
 CNNは英語とスペイン語局の二局で24時間ニュースを放送しつづけている。その影響力というのは凄い。極端な例でいうのではなく今日的な常識的な光景として書くのだが、CNNスペイン語放送によって、たとえばグァテマラの山奥のマヤ系先住民の家庭が、東京のウォータフロントの高級マンションに住む日本人家庭より世界情勢をより適確に把握している、ということが現実に起きている。日本語という"特殊言語”の壁は大きいわけで、その壁を破る力があるのは、日本ではNHKしかないわけで、これから時代を考えれば娯楽番組は民放に任せて、CNN級の報道機関になれといいたい。ドバイ(カタール)に本局のあるアルジャジーラの予算規模はNHKの何百分の1、それ以下だろう。しかし、その世界的な影響力は世界大でNHKなど足もとに及ばない。そういうことを虚心に考える時代に入っていると思う。
 
 1990年8 月、サダム・フセインのイラク軍がクェート併呑を武力で敢行しようとして開始された湾岸戦争だが、米国主導で結成された有志連合軍によるイラク攻撃で節目が変わる。この一連の報道で世界の主要メディアは凌ぎを削りあう。すでに活字メディアの退潮は著しく、報道のあり方の潮目が替わったのが1989年、冷戦の終結を象徴する「ベルリンの壁崩壊」であったとすれば、それを決定づけたのは湾岸戦争の報道だった。そして、ここで主役を演じたのが新興勢力CNNであった。

 1991年1月17日、CNNバクダッド特派員チームは当夜、予告なく始まった有志連合によるバクダッド空爆を市内のホテルから生中継し、爆風で室内が破壊されるなかで、それこそ身を挺して翌朝まで ライブ中継をつづけた。その映像は既存のTV局もCNNからの配信を受ける形で、(つまり全面的にCNNの軍門に下って)放送をつづけた。本作は、1月17日夜の空爆ライブをクライマックスとして、同特派員チームのリーダーであったロバート・ウィーナーの視点から描かれる。

 いま、何故、こんな旧作を取り上げるかといえば、トランプ時期大統領の“金言”が冒頭部で印象深く語られていたからだ。ウィーナーは志願してバクダッドにCNNの拠点を作るために入国、バグダッド空港に降り立った冒頭部の一シーンでそれは登場する。しかも、イラク政府の職員の口から語られる。それは1987年に刊行され、ミリオンセラーになった『トランプ自伝』にあるもので、曰く「金は王である」。当時、サダム・フセイン独裁下のイ ラクでも『自伝』の読者が相当数いたということになるが、その自伝は昨年6月、トランプが次期大統領候補として共和党から立つための準備を開始した頃、ひとりのジャーナリストが「あの『自伝』はわたしがゴーストライターとして書き下ろしたものだ」と告白した。その人の名をトニー・シュウォルツという。
 映画はウィーナーの原作を彼自身がシナリオ化したものだが、そのウィーナー役をヒット・シリーズ『バッドマン』を演じたマイケル・キートンが演じている。 (2016・12・26記)

TV『戦争と平和』からトルストイ閑話 *映画『執着駅』など

TV『戦争と平和』からトルストイ閑話 *映画『執着駅』など

  NHKで連続ドラマ『戦争と平和』を放映している。
 英国BBCが制作したTV用の大河ドラマだが、少し観てとても耐えられないと、視聴を止めた。その否定的な感情は人気絶頂期のオードリー・ヘプバーンがナターシャ役を演じた映画『戦争と平和』を観たときの感想と大同小異のものだ。オードリーの主演映画は『戦争と平和』と表題を与えるべきものではなく、『ナターシャ』とすべきアイドル映画。そのハリウッド映画を観せられたロシア映画人たちは国辱とも感じ、発奮し、あの大作『戦争と平和』を巨費と歳月を掛けて6時間半を超す大作を制作する機縁としたのだ。BBC制作のそれはロシア正教のスラブ魂を無視し、世界標準と勘違いしているプロテスタントの合理性が生み出した理解だ。
 それと同じことを先年、映画『終着駅』を観たときにも感じた。
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ジェイ・パリーニの同名の原作が非常に興味深いものだったので映画を観たわけだが、原作では妻ソフィア他、トルストイの晩年に親しく文豪に接した人びとがそれぞれ思い思いの立場からトルストイの人となりを語りながら晩年の文豪を描出するという多面的な批評小説といえるものだが、映画では妻ソフィア(ヘレン・ミレン)の演技が目立つ、というより彼女が主人公といってよい内容だった。オスカーに主演女優賞としてノミネートされたように、トルストイ役(クリストファー・プラマー)が主役ではなく、伯爵夫人としての気品、遺産に固執する俗物性がアラベスク模様のように織り成す演技力は説得力のあるものだった。
 原作は米国人作家だが、これをロシア語の脚本にしてロシアの地で撮影して欲しいと思った。映画はロシアでは“黄金の秋”といわれる自然が豊かに描き出されているのだが、しかし、そこに憂愁というものがない。BBCの映像にも憂愁がない。たとえばソ連邦末期、ニキータ・ミハルコフ監督は、19世紀のロシア貴族たちの黄昏を“黄金の秋”の憂愁と同化させて見事に映像化していた。秋がもっとも美しい国は、筆者が実感したなかでは、わがさまざまな色彩感を堪能できる日本、そして白い一色になってしまう前のいっときの至福を人に与えるスラブの“黄金”だと思う。ラフマニノフが米国へ亡命した後、創作活動に生彩を欠いてしまったのは、ロシアの憂愁の秋から切りはなされた民族性の毀損だと思う。
 しかし、トルストイのひ孫(ビクトリア・トルストイ)がスゥエーデンスでジャズ・シンガーとして成功する時代を迎え、19世紀のトルストイを憂愁を映像化することもロシアでも至難になっているのかも知れない。
 トルストイ……唐突にいま思い出したことがある。それは20世紀最大の環境破壊といわれたカザフスタンとウズベキスタンにまたがる大湖アラル海が枯渇しつつある現場を取材した際、干上がって、塩の塊が露出した元湖底に打ち捨てられた漁船の腹に「レフ・トルストイ」号を大書されていたことだ。ソビエト・ロシア人は周辺の小国の自然や人的資源を食い荒らし、連邦崩壊後、バルト三国、ジョージア(グルジア)、ウクライナ等々・・・多くの民族国家を敵対国家に変えてしまった。

『原爆下のアメリカ』 (原題Invasion,U.S.A) アルフレッド・E・グリーン監督

『原爆下のアメリカ』 (原題Invasion,U.S.A) アルフレッド・E・グリーン監督
 原爆下のアメリカ
 レンタルビデオ屋さん供給用にと、倉庫払底作業のなかから発掘されたようなB級SF映画。邦題、原題もまた、なんとも工夫のない直裁なものだが、そこに冷戦時代の“熱戦”が象徴されているとみてよいのかも知れない。
 全米を魔女狩りの恐怖で覆った非米活動委員会が本格的にはじまった1953年制作の作品ということでも見落とせないし、そんな状況下ではじめて「核戦争」を主題とした映画として制作された。核実験で地層が変化し蘇生した原始怪獣が日本列島を襲う映画『ゴジラ』が制作されるのは、その翌年だ。
 シベリア経由でアラスカに侵攻した国を映画では特定していないが、ソ連に決まっているわけだが、その軍人たちの制服や仕草・動作、居ずまいは間違いなくナチドイツ軍から援用されている。“鉄のカーテン”で遮蔽された向こうの現実は当時、隆盛期のナチズムと対置しうる恐怖感が米国にあった、とみるべきか。非米活動委員会の存在は、その裏返しのようなものであるわけだ。
 映画は「近未来」モノとなるが、近未来の「映像」はすべてアーカイブ映像の流用という安易さ。
 ニューヨークのとあるバーで語り合う男女6人の井戸端会議的な時局談義の最中、店内のテレビが「アラスカが軍事侵略された」と臨時ニュースを流す。以降、米国各都市が次々に原爆が投下されてゆく。ニューヨークすらも。しかし、映画での「原爆」は通常兵器の巨大版という扱いで放射能がもたらす被害などまったく考慮されていない。つまり、この時期、米国映画界はヒロシマ・ナガサキの核被害の実態はまったく共有されていなかった時期で、政府自身が隠していた。この時代を諷刺したパロディ映画『アトミック・カフェ』が後年制作されるが、権力犯罪の一端を例証できる映画のサンプルともいえるのが本作だ。
 冷戦下、米国では繰り返される核実験によって多くの兵士が放射能被害にあっている。兵士自身もそれに気づかず退役後、多くの兵士が深刻な後遺症のなかで苦しんだ。政府に責任を問うのでもなく沈黙のなかで死んでいった。民衆の無知は、こうした映画からも生み出されるということだ。
 日本でも1954年に公開されているということだが、当時、どんな批評が出ていたのか興味を抱く。B級映画として無視されたのだろうか。

旅、精神の拡張 映画『奇跡の2000マイル』  

映画『奇跡の2000マイル』 ジョン・カラン監督*オーストラリア映画 
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 旅を精神の拡張、といったのは誰だったか。
 私自身、おそらく地球を何周分もまわる旅をしてきた。それは私にとってハートの底に貯蔵された貴重な財産だ。今となっては計算しようもないが旅に費やした費用は大変なものだったはずだ。流した汗(冷や汗も含め)の量も溺死するようなものだったかも知れない。貧乏家庭の長男に生まれた団塊世代の尻尾に位置する自分が、これだけの旅をよくまぁしてきたものだと今更ながらに感心する。
 旅がいきなり長足の態をなすようになったのは中米グァテマラに活動の拠点を移してからだが、その前章がある。
 ソ連邦崩壊直前、ゴルバチョフ書記長時代にモスクワに仕事で滞在することが決まっていた。当時、五反田にあったノーボスチ通信社のアジア総局を通して、すでにモスクワでの住居すら決まっていたのだ。後は、モスクワから受け入れ態勢が整った、という知らせを待つばかりであった。しかし、そうならなかった・・・・・。
 当時、ソ連邦は末期的症状を晒し、ふだんでも官僚主義的な事務処理の停滞はさらに拍車をかけていた。むろん、それは折り込み済みで悠然と待機していたつもりだった。周囲には隠密の行動であった。モスクワ行きに反対されることは明らかだったからだ。いま、行ったら混乱に巻き込まれて、居場所もなくなるのでないのか、という声はむろん、近しい人間のあいだにあった。「その混乱をなかからみたいのだ」という私の思惑を理解してくれそうな人は少数だった。モスクワ行きは大幅な収入減となるものだったが、それに換えられない崩壊の臨場感を味わいたかった。
 そして、モスクワ行きはいきなり頓挫した。ソ連邦の崩壊は予想より早く、そして、五反田の担当者は雲霞と消えてしまったのだ。自分自身は、こんなことが自分の身に起こりえるのか、とかと白日夢のなかに浮遊している時間すら生じた。
 そうして、私は切れてしまった。
 当時、勤めていた職場での仕事はつつながく済ませての隠密行動であったから、失職するわけでなく、何食わぬ顔で通っていれば社会部部長という地位は安泰だったのだ。しかし、やる気は漸減していき、やがて消滅した。その暮れから正月を中国南部をバックパッカーで旅してからますます日常を取り戻すことができなくなった。その旅は、なにものからの精神の解放であったし、数ヶ月後、北の大国とは真反対の南の小国を旅することになった。メキシコ入り、グァテマラやエル・サルバドルを巡る旅は私にとって、精神を入れ替えるような再生、と思うような旅となった。
 そして、退職した。爾来、今日までフリーランスの身分となった。
 グァテマラに在住することになってから、旅は日常になってしまった。

 本作は2013年、日本公開は15年夏。オーストラリア映画。実話である。〈旅〉を主題とした映画はいつも気に掛かってしまう。一言触れないとなんとなく気持ちが悪いので、少し触れておきたくなった。初見は小さなマスコミ用試写室であったが、砂漠の広がりをきっかり感じさせてくれた。
 ベストセラーになったロビン・デヴィッドソンの旅の回顧録が原作。オーストラリア西部の砂漠2000マイル(約3000キロ!)を数頭のラクダと歩いて横断した女性の記録だ。ロビン(ミア・ワシコウスカ)は人生の行き詰まりを感じ……その内実は了解できないが、ワシコウスカの微妙な表情になんとなく感じる。所詮、内面の行き詰まりなど、その内実は他人には窺い知れない。
 自ら困難を引き受けるドラマティックな旅をしたい、しかし、挫折することなく成功させるために綿密な計画を練る。そんな彼女の姿を思いながら、ぺロストロイカの激流のなかでモスクワ行きを模索しはじめた自分を思い出したのだ。
 
 1977年、ロビンは砂漠の旅の足となるラクダの習性、調教を学ぶことからはじめる。映画を通じて、はじめて知ったのだが、現在、ラクダがもっとも暮らす国はオーストラリアであった。なんと100万頭が生息しているという。サハラ、中央アジア、シルクロードの陸の小船ではないのだ。
 大英帝国の遺産というべきか、アラビアのロレンスの子孫たちは北アフリカ地域からオーストラリアに運び、砂漠の足として使いはじめ、やがて、人の手から離れたラクダは各地で野生化し自然増を招いたということだ。映画にも野生化したラクダが登場し、ロビンの旅を脅かしたりする。
 旅にはそれなりの資金が必要だ。ラクダの調教中にロビンはそれを思い知る。そこで、旅の途上を数回、取材させるという条件でナショナル・ジオグラフィックの支援を受けることになる。孤行のロマンは現在ではなかなかゆるされないのだ。
 ロビンはとても個性的な女性だ。個性的な情熱の持ち主とでもいおうか、3000キロの砂漠を走破しようと計画するだけでも特異な個性となるが、旅の途上でも、いわゆるサファリ・ルックといった冒険行のアンティムをまったく無視し、おしゃれなロングドレス、避寒地の浜に似合いそうなイデ立ちで砂漠の灼熱のなかを進むのだ。
 旅そのもにおおきなドラマがあるわけではない。容赦なくふりそそぐ太陽はロビンの肌を焼く。乾き、孤独・・・・・・自ら熱望した旅だが、旅の意味に疑問が生じる。そういうことは快適な長旅でもしばしば自らを問い詰めることがある。取材に来た男と淡い恋心を抱き、一夜をともにするというエピソードがたまにあるくらいだ。しかし、その恋心も淡ければ旅の阻害にならない。あっさり、男を無視し、ロビンは進む。・・・そんな旅が白熱した光景のなかで綴られる映画だ。
 
 旅は貫徹され、やがて一冊の本に結晶しベストセラーになる。旅の収支決算はプラスとでるわけだが、人生の旅はつづく。いま、ロビンははたして、どのような日常を送っているのだろうか?旅で精神の拡張作業が終われば、また旅心が頭をもたげてくるはずだが。

映画『ディストラクションベイビーズ』真利子哲也監督 荒ぶる衝動を制御しなければ

映画『ディストラクションベイビーズ』真利子哲也監督
柳楽

 かいなでの倫理観など怖気づく映画だ。
 世界の現実はとめどない「暴力」に溢れ、無数の殺人が横行している。同種族を生命維持という“志向”の目的以外で殺すのは人間だけだ。映画という娯楽の最大の魅力は「暴力」そのものなのかも知れない。それは、人間によって人間のために描かれる最良の人間の「慰安」なのかも知れない。だからとめどもなく「暴力」が描かれる。そして、その行為にはそれぞれ意味、理由がたいてい存在することになっている。その意味、理由といったものが、昔の左翼用語でいうなら止揚=アウフェへーベンされてしまったら、暴力も殺人も底なしの輝きをもってしまうのかも知れない。ふと、そんなことを考えさせられる映画だ。
 
 新作映画はたいていマスコミ試写室でみてしまうが、そういうところでみると観映後、ロビーに出ると宣伝会社の人が待ちかまえていて、まだ未分化でかたちにならない批評めいた感想を求められたりする。いつも呼び止められないように気をつけて擦り抜けるようにしている。本作ほどなかなか文節がうまく繋がらない映画も珍しかった。カタチならない苛立たしさを覚えたのは稀有な体験だ。それだけ本作には突き抜けた孤高性があると思った。
 主題は荒ぶる少年の暴力そのものである。その暴力が日常空間のなかで描かれる。地域社会に根を張った暴力団の抗争ではない。ひとりの少年のまったく不条理なストリートファイティグの日々が描かれてゆく。それは自傷行為と紙一重なのだが、少年の生活実感は暴力に埋没してゆくなかで華となる。
 暴力少年を演じるのは柳楽優弥。『誰も知らない』(是枝裕和監督)でカンヌ国際映画祭で日本史上最年少で主演男優賞を受賞した才能だが、本作のかかわりでいえば『包帯クラブ』(堤幸彦監督)で演じた高校生役につながる作品だろう。その高校生は他人の痛みが理解するために、自らその被体験者となって、いつもどこかを怪我をしている、といった少年だ。現実ばなれした存在であるが、柳楽が演じると、さもありなんと思わせるオーラが生じる。そのオーラが拡大肥大し最後まで増殖しつづける恐さを演じたのが本作の柳楽だ。

 1981年生まれ、本作が初の商業映画となった真理子監督の高揚感が柳楽の身体を通して、奔放に解き放たれる。監督の異能ぶりはこれからの作品への期待を十分、予測させるものだ。
 本作をみて、現在、日本各地で現実に生起する少年たちの暴力行為と連動させて批評するむきもあろうが、それは回路が違うと思う。愛媛県に実在したとされる男をモデルとしているとのことだが、映画で造形された少年の暴力はいわば浄化されたもので、犯罪行為によって得られる“利益”という充足性はまったくないのだ。といって反省もないし、悔恨もない。暴力によって自分が負け犬となり、そこで命を落としても慫慂と受け入れ、相手を怨むわけではないだろう。「死」、それもまた自ら招いた結果、あるいは“成果”だと受け入れる度量のようなものがあるのだろう、そういう地平に立っている暴力だ。ここまで粉飾を捨て去って感傷性をすこしも帯びない監督の演出力、そして柳楽の解釈に敬服 する。
 観たからといってタメになるような映画では全然ないし、やくざ映画を観終わった後のアノ名状しがたい爽快もあるわけではない。しかし、不快ではない。その意味ではまったく新しい映像が発現したこと、それを同時代に立ち会えた共生感を持つことが出来たという自分自身・・・・・・その、まだまだしなやかであるらいしいオレ自身の感性への信頼を見出せたことへのの充足感でもあった。
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上野清士

Author:上野清士
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