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武満徹と映画音楽  ~没後20年を迎えて

武満徹と映画音楽
 ~没後20年を迎えて
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 没後20年を迎えた今年、武満芸術を多角的に検証する活動が、演奏会での再演の企画とは別に進行している。日本音楽史上、創作活動そのものが世界同時進行で注目されたはじめての才能だろう。そして、雪渓を彼方にもつ泉のように湧き出した作品の総量はとてつもない拡がりをみせた。
 尺八と琵琶による協奏が管弦楽のうえでたなびく『ノヴェンバー・ステップス』、雅楽アンサンブル『秋庭歌一員』辺りを頂点とする純音楽だけでなく、その作曲活動は拡張・肥大しつづけ、なかでもシナリオを改編させるほどの批評性をもった映画音楽への傾斜は瞠目すべきものがある。100本近い映画に関与し、さらにテレビ・ラジオ、演劇への劇伴音楽まで広がる。今年、没後記念企画として映画音楽も含んだ『全集 』も発売された。
 武満が関わった映画のDVD化はさほど進んでいないだろうし、ビデオ時代にも黙殺された映画も多いはずだ。映画を観れば武満音楽と映像との関わりはわかるが、映画は秀作・佳作と呼べる 作品ばかりでないのでそうもいかない。現実問題として、いまは音楽だけしか聴けない。筆者自身の体験では、小林正樹監督の記録映画『東京裁判』(1981)での武満音楽との出会いの記憶は生々しい。それから武満が関わった映画、『東京裁判』以前のたとえば『砂の女』『怪談』『切腹』等々、それは戦後日本映画名作史ともなるではないか? それまで、黒澤明監督の映画を通して、佐藤勝さんの音楽に親近感を抱いていた筆者に、もうひとつの鉱脈をみせてくれるものだった。
 武満は映画という媒体を通してジャズ、ロック、邦楽全般、各地の民族音楽への尽きない狩猟者となった、武満はあらゆる大衆音楽を書ける稀有な作曲家であった。必要とあらば演歌すら書いただろう。時代を超越し、人間社会の各層を描く映画の要請に応じ武満はあらゆる実験をしたのだ。数秒、一音で悲恋の悲しみに添えろ、という破天荒な注文にどう応えるなかで、武満は純音楽への昇華へ導かれていったのだ。
 武満芸術を批評する海外の批評家は多い。現に今日もっとも体系的に武満音楽を語ったと労作として知られるのはピータ・バードの『武満徹の音楽』(音楽之友社)だが、ここに 映画音楽への取組みはない。日本人であっても旧作映画へのアクセスが難しい状況の中、海外の批評家がそれを試みるのは至難の業なのだ。こうしてみると武満という高峰への登攀はいまやっと麓にやって来たという段階なのだ。
 多い年には300本の映画を観たという武満、それは古今東西の映画にも精通し、映画音楽を通して映画批評も展開し、その批評性はあまたの映画評論家を超える。秋山邦晴との「対談」でもそれはよく了解できる。そして、常々思うのだが、あれだけの多忙な日々のなかにあって、何時、映画を見ているのだろうか、という時間の消費活動の卓抜さ。おそらく、それも今後の研究事項なるかも知れない。著作も実に多く、なかにはレシピまである。そう、武満はまごうことなく超人なのだ。あの小さな 痩身のどこにダイナモが隠されていたのか摩訶不思議。 その不思議のいったんが没後20年して、やっと武満映画音楽への本格的なアプローチがはじまった。
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明治の青春を音楽を通して描く~  映画『わが愛の譜 滝廉太郎物語』

明治の青春を音楽を通して描く~  映画『わが愛の譜 滝廉太郎物語』 澤井信一郎監督

 つづけて映画を媒体に外国人作曲家のことばかり書いてきたので、口直しではないが、やはり日本の才能を愛でたくなる。
 西洋音階が日本の歴史に登場するのは16世紀、カトリック宣教とともに九州の一角で根付いた宗教音楽を除けば、本格的な導入は明治まで待たなければならなかった日本。映画の主人公となるべき人材は残念ながら少ないし、興行面でいえばそれなりの著名人でなければならないという制約を考慮すれば、けっきょく、この人・滝廉太郎ということになってしまうのだろう。
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 戦後日本の映画史におけるクラシック音楽素材の作品といえば群馬交響楽団の創設から県民への浸透へという歳月を描いた『ここに泉あり』(今井正監督・1955年)が嚆矢ということになる。山田筰作が本人役で登場して台詞もいえば指揮する貴重な映像とか、欧州留学前の室井摩耶子のチャイコフスキーのピアノ・コンチェルトの一部が聴けるという音楽ファンにとっては資料価値のある映画で、音楽監督が団伊玖麿が担当しておりスタッフは強力だが、今井流の善意の押し売りが目立つ作品として労作という程度の評価だと思う。なにより音楽演奏シーンのほとんどがまるでウソという映画だ。けれど、日本における地方交響楽団の第一号として群響を描いたということではクラシック音楽素材の映画として巻頭にくるだろう。厳密にいえば、黒澤明監督の『素晴らしき日曜日』(1947年)の後半で描かれたシューベルトの『未完成交響曲』をエアー指揮する有名なシーンを取り上げるべきだろうが、そこに音楽家のモデルはないので、ここでは割愛。

 日本映画界はながいこと“国民的作曲家”滝廉太郎を描くことはなかった。23年余という短い生涯でありながら、その凝縮された夭折の物語を描くことにしり込みしていた。評伝ということに囚われ過ぎるとそういうことになるのだと思う。
 『わが愛の譜』は、滝廉太郎の生涯に沿って象徴的な虚構を織り交ぜた映画となるだろう。
 滝廉太郎(風間トオル)に心を傾ける中野ユキ(鷲尾いさ子)は実在しない女性だし、モデルとなったのは幸田露伴の妹・幸だが、彼女はヴァイオリストであって、映画にあるようなピアノ巡る挿話はすべて創作である。しかし、幸の姉・幸田延(壇ふみ)は史実に触発されたかたちで描かれている。山田なども証言しているのだが、当時の東京音楽学校では女帝のように振る舞っていたというが、そういう傲慢さを壇さんはよく演じていると思う。おそらく、女優としての壇さんは、それまでお嬢様といった役柄が多かったと思うが、この映画で新境地を拓いたと思える。
 よくできた映画だから、なんとなく史実として受け入れてしまうような気がするが、鵜呑みにしてはいけない。本作の後、『カルテット』とか『さよならドビュッシー』などクラシック素材の映画が制作されているが、本作を超える映画はまだ出ていない。

 東京音楽学校の学生たちは自発的な運動としてはじめた、芸術性のある新しい子どもの歌づくりのエピソードが描かれる。滝の一連の歌曲を象徴するため、名作『花』を巡る話を挿入する。映画のなかでは厳選して「音楽」を選ぶという制約があるから、この曲を選び、女声二部合唱で披露するシーンを描いたのは見識である。なりより、21歳の滝が、「日本的情緒を初めて西洋的芸術歌曲形式の鋳型に注入し、その方式に学びつつ、しかもただ日本人にしてのみ可能な変容をも試みつつ、はやくも質的にも最高の日本近代歌曲を創造した奇蹟」(海老澤敏)の作品であるからだ。もう一曲完唱されるのは『荒城の月』だが、これをソプラノの佐藤しのぶさんに和服姿で詠わせている。しかし、この映画が音楽解釈でなりより品位と、音楽性を高めているのは創作された滝とユキがドイツ貴族の館で、ヴェートーベンのピアノ・ソナタ「熱情」の練習を通して、その音楽解釈を語り、弾奏するという真摯な熱気をおびたシーンだろう。本作のなかで音楽シーンは、滝作品ではなくヴェートーベンがもっとも長く描かれているのだ。凡庸なシナリオなら滝作品にこだわってしまうところだろうが、映画は、ドイツ音楽の歴史の重厚さの前にたじろぐ滝の姿とともにそれは描かれる。そこでは、明治の若き才能が維新政府の下、欧州諸国に留学を命じられ、国家のためになにごとかを吸収し、お国のために尽くさなければいけないという重みに耐える青年の象徴が「音楽」を通して描かれていいるのだ。
 また、留学前の挿話に、結核で療養中の滝のために女中奉公する娘が登場する。その娘はやがて貧しさ故、妾奉公に出される。そうして、社会の下層に沈んでゆく。ピアノ一台で家が買えるという明治の市井も描かれている。貧富の格差はとてつもなく大きく、学生身分と女中奉公の娘の暮しには雲泥の差がある。そういう明治の青春の諸相が周到に描かれていることによって、この虚構の物語はリアリティーをもって迎えられた。

 滝の遺作『憾(うらみ)』も描かれているが、この映画はその遺作に縁取られている。冒頭、タイトルの背景に映し出されるのは『憾』の楽譜である。志半ばどころか、音楽家・滝にとっては助走にすぎない若さで病いに侵された。残念至極という思いが、そのピアノ曲に込められている。映画では、ユキに捧げた愛の献呈曲と語られているが、むろん、それは違う。23年の短い時間しか与えてくれなかった神への怒りさえそこに感じる。滝はその曲をピアノにいっさい触れることなく書き上げた。明治という疾風怒濤の時代、多くの才能ある若者を憤死させたが、滝もまたその一人であったと思う。しかし、そういう緊張とヒロイズムのなかで活動したことによって、滝の幾多の名作が生まれたことも事実である。そういうことを教えてくれる良質な映画だ。

作曲家ヴェーベルンの横死と映画『第三の男』

作曲家ヴェーベルンの横死と映画『第三の男』
第三の男

 今更、1940年代の映画『第三の男』、ほぼ映画史において不動の位置を占める作品について書いても、いったいどれくらいの人が関心をもつのか心もとないが、再見すると言いたいことが出てくる。
 サスペンス映画の名作ともいわれるが、それには異論がある。サスペンス様式にのって描かれた人間存在の不可思議を光と影のコントラスのなかで描いた作品というのが正しい観方だろう。
 撮影は1949年、戦塵いまだくすぶっているような古都ウィーン。物語の設定は終戦からさほど月日をおいていない連合国分割支配下。ヒトラー・ドイツと運命をともにしたウィーン市民の生活は敗戦直後の日本の都市生活者の苦難に匹敵しただろう。ただし、当時の中東欧諸国は冷酷な国際政治に翻弄され、心ならずソ連の横暴を受け入れる。ソ連が、日本占領に関与しなかったのは不幸中の幸いであった。

 映画は、分割統治下という権力の中枢を失ったウィーンの無法状況、混乱に乗じて蔓延る犯罪を指弾する、という側面がある。当時、貴重品であったペニシリンを不法に仕入れ、水で薄めて売りさばき暴利をむさぼっていた男ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)の悪徳が、かつて親友であった作家ホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)の目で暴かれていくという筋書きだ。この二人のあいだに、偽造パスポートでウィーンに寄留している美女アンナ(アリダ・ヴァリ)が立つ。ハリーの犯罪は、粗悪なペニシリンのために死ぬ者、生涯、病床に横たわることになる多くの犠牲者を出した。ハリーはそれを知ってなお、罪を犯すことを止めなかった。しかし、そうしたハリーの心の闇をどれだけ映画は抉っているかといえば、それはまったく皮相的だ。それだけみるなら駄作である。
 戦争によって価値観が転倒し、価値紊乱者になったものは確かに少なくない。生命が軽んじられる時代をその真っ只中で生きた人間に起きる病いでもある。映画ではなにも暗示されていないが(その点でも本作は凡庸である)、ハリーは時代の病者だろう。そんな“極悪人”の男を愛しているアンナに、マーチンスも心を奪われてしまう。最後のアノ墓地のシーン、映画史上でも記録的な長まわしは、死んだハリーへのアンナの思いの強さ、そんなアンナをまだ諦めきれないマーチンスの片思いを雄弁な無言劇として象徴する。理屈では動けない人間精神の不可思議さがウィーンの冬色のなかに描かれる。
 ハリーは自分の犯罪を隠すのでなく、自分のなかに宿ってしまったニヒリズムを、「ボルジア家支配のイタリアでの30年間は戦争、テロ、殺人、流血に満ちていたが、結局はミケランジェロ、ダヴィンチ、ルネサンスを生んだ。スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義はいったい何をもたらした? 鳩時計だよ」と吐き出す。これはシナリオになかった台詞でオーソン・ウェルズの撮影現場での提案であったという。この台詞が、モノクローム映画のお手本といわれた卓抜なライティングで作り出された光と影の極美に生きた。若くして、『第三の男』以上の秀作『市民ケーン』を監督・主演した後の才能が語る台詞にふさわしい。オーソン・ウェルズは『第三の男』への主演以来を当初、断ったという。シナリオを一読した彼が、行間に深みのないドラマにやる気を覚えなかったと思えるが、結果として主演して映画に深さをもたらした。

 墓地の回廊でフェールドアウトした映画のその後・・・マーチンスは米国に帰国して、大衆娯楽小説を書きつづけて凡庸に暮しただろう。しかし、偽造パスポートで生活するアンナの行く道は平坦ではありえない。すでに、中東欧諸国の政治はソ連支配の基盤づくりが着々と進み、政治的粛正がはじまっていた。独裁体制をきらう人たちは越境をはじめていた。アンナはハンガリーからの出てきた難民らしい、と映画でも暗示される。映画の批評ではそのあたりはまったく無視するが、意識的な亡命者が権力の空白地帯の大都市の闇に隠れようとするのは生き延びる知恵だ。そんな、よるべきなき女がハリーと終戦のどさくさで出逢った。それも説明されないが、そこにひとつの詩があっただろう。
 
 映画『第三の男』を有名にした要素にアントン・カラスのツィターがあった。親しみやすいメロディと心地よい響きは映画から自立してヒットし、いまでは懐かしの映画音楽の定番となった。その音楽については少し書いておきたい。
 占領軍から流れる闇物資で稼ぐやくざ稼業は日本でも行なわれた。医薬品はどこでも高値で闇取引された。ハリーはそんな闇取引の主導的役割をになっていた確信犯であったから、連合軍各国の憲兵たちに追及されていた。
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 1945年9月15日夜、戦後音楽におおきな影響を与えた新ウィーン楽派のアントン・ヴェーベルンが闇取引を取り締まるために出動した米兵によって射殺されてしまう。たまさか警戒地域に住んでいたウェーベルが、一服しようと家の玄関前でタバコに火を点けた、その火が闇取り引きの合図と誤解され標的となった。まったくの犬死だ。
 ウェーベルンはナチズムによって「退廃音楽」と烙印を捺され、ナチ占領下のオーストリアにあって、出版社の校閲などしてやっと食いつないでいた。そんな生活から解放されると、作曲家に笑顔を戻りかけた 、その直後に殺されたのだ。
 『第三の男』が撮影された頃、ウェーベルンの死はウィーンでは周知の事実であったから、もし監督のキャロル・リードに現代音楽に対する理解があれば、アントン・カラスのチターより、ウェーベルンの弦楽曲を採用したと思う。廃墟の闇にはチターの爪弾きより、はるかに効果的であったし、より時代を象徴させることはできたに違いない。そのカラスの家系はハンガリーにある。当時、ウィーンの居酒屋の演奏家として活動しているときにキャロル・リード監督に抜擢されたのだ。カラスではすでにウィーンで妻子を養っている生活人としてオーストリア国籍をもっていたわけだが、ハプスブルグ家の領土ではハンガリーは引き裂かれるようにソ連圏に呑み込まれた。アンナとカラスの位置は対比的であって、その明度がカラスのツィターを軽やかにしている。でも、この映画の悲劇にカラスのツィターはふさわしかったか、筆者ははなはだ疑問をおぼえる。
 *1986年、ドイツで誤殺シーンからはじまる映画『アントン・ヴェーベルンの死』が制作されていることを追記しておきた。

映画『エイミー  AMY』ピーター・バラカン監督

映画『エイミー  AMY』ピーター・バラカン監督 
                  *7月16日公開。
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 音楽を“発見”するという喜びがある。それは理屈抜き、ある日、突然、やってくる。いや、襲われた、といってよいほどの衝撃かも知れない。筆者にとってエミー・ワインハウスというユダヤ系英国人のジャズ・シンガーの存在を認識したことは、そういうものだった。
 クラッシック音楽以外ではラテン音楽を集中して聴いている、聴かなければならない筆者にとって英語圏のフォローに割く時間は少ない。だからエイミーの歌も見過してきた。こんな凄い歌手がいたのかと筆者は正直、感服した。魂で歌うほんものの歌手であった。映画『エイミー』はステージ、録音時におけるにパフォーマンスと、実生活の貴重なプライベート・フィルムで構成される。それが見事ぐらい相乗効果をあげているフィルムだ。つまり、エイミーにとっての歌は生活であり、歌うこと、それ自体が自身を語る手段であった。そして、映画は愛の物語、より正確にいえば、愛の不条理を問うた切ない物語であった。否、それが主題ともいえる。

 27歳で夭折したエイミー。その濃密な生き様、そして歌の圧倒的な訴求力は、やはり夭折したブルース歌手ジャニス・ジョプリンを思い出させる。筆者にとって英語圏で見出したジャニス以来の才能だった。

 ヒップポップ全盛の英国にあってジャズというジャンルを自己表現手段とした10代の少女、という存在自体、稀有なことだろう。そのジャズのフィーリングで若者たちの胸倉を鷲づかみにした圧倒的なパフォーマンスというものは、創作できない。個性、本能的に歌に仮託した心の在りようから生じる発露そのものだ。

 生前、たった2枚のアルバムしか遺さなかった。ほとんど自前の曲・・・という言い方はエイミーの歌には安易な表現だろう。愛の喜び、あるいは恋に破れ、その切ない心を吐き出す手段としての歌、ダメ男に執着してしまう自分、アルコールとドラッグに溺れてしまうのも、ダメ男の悪癖としりつつ、その行為に共感することこそ愛の行為だ、と・・・詩はそんな自分を客観的に見つめてもいる。それでも刑務所に収監されてしまうような男を忘れられない、男の不在はエイミーを絶望させる。
 愛の不条理を歌い尽くして、自死するように自分の存在を消してしまった歌手エイミー。流星のように出現し、永遠に去ってしまった脅威的な才能を、愛の悲劇として描いた映画だ。それが、つい数年前に英国であった現実というのが辛い。

 言いたくはないが、「女は男次第」という下世話な言い方がある。エイミーの愛とはそんな感じだ。しかし、その愛の顛末から素晴らしい歌が生まれる。エイミーに愛された若い男は、まだどこかで生きているのであろう。画面ではエイミーに銀蝿のつきまとう様子も描かれている。マスコミ関係者にも疎まれていたようで、写真の邪魔だ、「あんた離れてくれ」と言われる場面もある。エイミーにとっては心に取り付いた病巣のようなものだが、そんな男との愛のカタチがすばらしい歌を生んでしまう不条理。
 その男、いまは娑婆にでてきて相変わらず酒とドラックに溺れながら、エイミーに替わる女の尻を追っているのかも知れない。その男は、エイミーの歌の琴線に触れることなく、たぶん、エイミーの遺作にも目もくれないのだろう。

 

映画「スネーク・ダンス」とピアニスト菅野潤の極上の音

テロ被害を受けた国から届いた人間社会の「進歩」について考える映像
  ~日本・ベルギー国交150周年記念

 今年、ベルギーと日本は国交樹立150周年を迎えた。両国で様ざまな記念行事が開催されているが、この祝祭に棹差したのが今年3月に首都ブリュセルで起きた連続テロ。死者32人、重軽傷者300人を超える大惨事であったことはまだ記憶に生々しい。
 この事件で動揺した国内の社会不安が沈静化したのだろう。同国のシャルル・ミシェル首相は5月11日から14日まで対日関係の政治・経済、文化交流などを強化しようと初来日した。この日程は昨年に決まっていたようで、無事、日程がこなされたことでベルギー社会の平穏化も推察できる。
 17日にはベルギー大使館の後援でベルギー映画『スネーク・ダンス』(マニュ・リッシュ監督*2012)の上映と、同映画で音楽を担当したピアニスト菅野潤さんの演奏会が同国大使も参加して東京代々木八幡のハクジュ・ホールで開催、筆者も招待を受けて参加した。国交記念イベントの一環だ。
 映画『スネーク・ダンス』は同国の思想家アビ・ヴァールブルクに示唆を受けて制作された、人間と〈核〉を巡る思索的な作品だ。ヒロシマ・ナガサキに投下された原子爆弾の原料となったアフリカ・コンゴのウラン鉱跡、米国ネバダ州の核実験場後、そして、3・11後、原発事故によって放射能汚染された福島の地を経巡りながら科学の「進歩」の罪について考えた作品だった。コンゴは、1908年から60年の独立までベルギーの圧政を受けてきた植民地であった。アフリカでももっとも苛烈な支配としてベルギーは国際批判に晒されてきた。ウラン鉱の開発は労働者の放射能汚染といった処置も行なわず、植民地時代だからできた非人道的な事業であった。

 ヴァールブルグは芸術における「進歩」という概念に疑念を表明し、人類の根元の希望とは何かと人間の美術表現の歴史を通して問いつづけた思想家だ。テロに襲われた国から、こうした映画で人間社会の「進歩」に疑念を表する映画が出てきた意味は重い。映画はドイツにヒトラーのナチ党が政権が握った後、欧州を後にしたユダヤ人科学者たちが米国で核爆弾の開発に携わった事実を痛切に語る。映画の音楽は、ヒロシマに投下された核爆弾のウランの量を決定したユダヤ人物理学者オットー・フリゥシュが、実験の日々を送るなかで自らピアノを弾いていた曲だけで構成されているという。映画ではヒロシマ・ナガサキへの原爆投下は対日戦の文脈では不要であったと断言し、戦後の対ソ連対策として必要であったと主張している。しかし、映画そのものは籠められた思いの強さは了解できても散漫な印象をうける。タイトルの「スネーク・ダンス」は米国のネイティブ・アメリカ、ホビ族の舞踊だが、これをヴァールブルグはで、「生の恐怖」を克服するために没我の領域まで踊りつづける意味を問う著作を書く。映画はこれを象徴化する強さは残念ながらもっていない。
菅野潤

 映画のピアノ演奏は、フランスを中心に活躍する日本人ピアニスト菅野潤さんが担当し、17日の上映後に菅野さんの小コンサートとなった。菅野さんのピアノを聴くのは筆者にとって二度目である。菅野さんの力強く鮮明な音はホールにただよう空気に活性を与える明瞭なものだ。それはバロックからロマン派、現代音楽までに変わらない菅野ピアニズムである。当日は映画の上映後、休息の時間もなく明るさを取り戻したホールのなかに、スカルラッテイのソナタニ短調が映画鑑賞後の余韻を不用意に醒まさないような平穏さで弾き、ベートーヴェンのソナタ「悲愴」へと繋いだ。人間実存そのものの不可思議さを問いかけたベートーヴェンの思索の旅の初期、若い時期の清新なソナタだが、菅野さんは、俗にいう「青春の哀切感」より、戦争期に仕事のもっとも充実期を迎えてしまったユダヤ人物理学者の心、自分が開発にたずさった「新兵器」がもたらす破壊の大きさを推測しうる苦悩から逃れるように弾いたかも知れないピアノを想像しながら弾いているような共感と親密さがあふれた楽想であった。私にはとってはえがたい「悲愴」体験であったことを記しておきたい。 菅野さんはおそらく演奏生活のなかでも現在、もっとも充実期にある演奏家だと思う。菅野さんの特異領域であるドビュッシをまた聴いてみたい。

トロイメライへのスタンス*3つのクララ・シューマン映画

 過日、クララ・シューマンを『花もつ女たち』で取り上げた際、クララの評伝(とは名ばかりだが)映画を再見した。いずれも、「事実に基づくフィクション」と見るべきだが、映画が作られた当時の時代思潮がわかるという点で、やたらと音楽好きな人たちからは不評ではあっても、観衆としての真実はあるのだ。厳密な評伝など、映画という短尺のなかで語られるわけはない。それは映画における評伝へのアプローチの限界である。象徴的な批評しかできない。だから、映画の誠実さを比較する方法としてシューマンの珠玉の一編「トロイメライ」へのアプローチでみようと思う。

 これまで、クララ・シューマンを描いた映画が3本ある。いうまでもなくロバート・シューマンの妻にして同時代における前衛ともいうべき立場にあったピアニスト〉というのが今日的な評価だろう。ほとんど演奏する機会は失なわれているがピアノ曲も作曲している。
 演奏家や指揮者の生涯というのは死去すると急速に歴史の帳りのなかに押しやられ、再び光を浴びるのは大作曲家の生涯によりそって描かれる助演者の位置でしかない。現在なお語られることが多いフルトヴェングラーは例外だが、彼が語れるのはベルリン・フィルの指揮者としてナチズムとどう対峙したのかという政治と音楽(芸術)との関わりが特異であったからという事情が作用している。復刻CD化されているフルトヴェングラー指揮による作品は多くあるけれど、それもある種の郷愁、批評的な聴かれ方であって、世代交代をつづける音楽ファンによって忘却されるのかも知れない。発明されたばかりのLP録音のなかの音は今日のクリアなデジタル録音でそだった世代はそうそう愛好するとは思えないからだ。聴衆の好みはいさかかも停滞せず流れる。
 メンデルスゾーン、マーラー、あるい は大戦後のバースタインなどもまず指揮者として名を上げ、その功績によって生活が潤うのだが、今日では、指揮者活動などについて語るのは評伝作家ぐらいなもので一般の聴衆には作曲家としての興味しかないだろう。バースタインの活動の記憶がまだ鮮明だから指揮者としてのイメージがつよいが早晩、「ウエストサイド物語」の作曲者として評価が落ち着いてゆくはずだ。演奏家となるとさらに早く忘却される。演奏活動を停止した途端、世間は次々と現われる新進気鋭の才能に目を奪われてゆく。死後、まだ批評家のあいだで記憶を喚起させられる演奏家といえばグレン・グールドを除けば、そう多くあるまい。という意味では、クララ・シューマンの演奏も歴史に霧のなかでおぼろげな記憶しか与えられない位置 であるはずだった、すくなくとも一般的な音楽愛好家にとっては・・・。しかし、彼女はむろん、大変なピアニストではあったが、それも夭折したシューマンの妻であり、彼との恋愛、結婚、悲劇的な別れという文学的ドラマの渦中にあったことによって特別な位置があたえられたのだ。

 19世紀に生きたピアニストの生涯が映画に繰り返し描かれるのはクララを除いては存在しない。しかし、クララの”力”でそれが実現しているわけではない。そこにはやはりシューマンの存在がある。生前は作曲作品の豊穣に比べれば、時代に先行しすぎたため概して不遇であり、クララの名声の風下にたっていたシューマンだったといえるだろう。が、その先駆性のあった作品が、やがて時代を超えて評価されるようになったことで、そのシューマンの評伝を彩るかけがえのない存在としてのク ララが注目されたのだ。そして、映画として描かれるときシューマンを描くより、美少女の天才ピアニストであったクララを描き、恋愛映画としたほうが大衆的支持が高いのに決まっている。映画のヒットはやがてクララの名声がひとり歩きをはじめる土壌をつくる。
愛の調べ

 映画史上、はじめてクララを演じたのはキャサリン・ヘップバーンであった。その映画を『愛の調べ』という。1947年の作品で、当時まだ史実性はさして問題にされていなかった時代だ。つづいてクララを描いたのが、当時人気の頂点にあったナスターシャ・キンスキー主演、1981年、ドイツで制作された『哀愁のトロイメライ』だった。その2作でシューマンを演じた男優のことは映画史の索引に埋もれてしまった。最近作は2008年、ドイツのヘ ルマン・サンダース=ブラームス監督が撮った『クララ・シューマン』である。クララ役には知名度より演技力を重視してドイツのマルティナ・ケデックが演じた。この3作目で、クララの映画は女優より、監督の名が克った芸術作品としてはじめて提出された。前2作における監督の位置は低い。
 
 『愛の調べ』ではいい加減にせよ、というぐらい「トロイメライ」が流れる。それでウソっぽい。すでに演技派の大女優であったキャサリン・ヘップバーンが主演したということで、クララは大観衆の前でリストのピアノ協奏曲を演奏するシーンからはじまる。実際の演奏は名手ルービンシュタインだが、映画はヘップバーンの運指を大写しする。両手だけの吹き替えなしだ。そうとう練習したものと思われるが、これはなかなか潔い女優魂といえるかも知れないが、臆面もなく、ともいえそうだ。そうまだ映画に真実を切実にもとめていない40年代の作品だ。リストの難曲を弾き終えた後、当初の予定であったリストの小曲「カンパネラ」ではなく、シューマンの「トロイメライ」を弾く。ここで最初の「トロイメライ」が登場し、シューマンが精神病院で最後に弾くピアノが「トロイメライ」となる。そのあいだにも幾度も弾かれる。「トロイメライ」がかくも世界で愛聴されるようになったのは、このハリウッド版クララ映画に発しているのではないかと思う。
 キンスキー
キンスキー主演映画は、日本では『哀愁のトロイメライ』となっているが、「トロイメライ」は一回しか登場しない。ブラームス監督作品だと、シューマンが手慰みに弾いているのを聴いたひとりの男がふと、正確な台詞は忘れたが、「うん女こどもむけにはうけるだろう」とつぶやくというシーンに繋がるところで流れるに過ぎない。
 実際、シューマンがクララの類い稀な技量を知悉したうえで贈呈した作品は、「コンチェルト・アレグロ」作品134あたりであろう。
 ヘップバーンのクララは最晩年、シューマン亡き後、自分の力で亡父の形見であった子どもたちを育て上げ、亡父の作品を世に知らしめるために粉骨砕身、努力してきて満足している。きょうがその最後の演奏会というシーンで終わる。
 キンスキー主演映画は、クララの父に結婚を反対され、裁判も起こされた二人がなんとか結婚に漕ぎ付けたという二人を描いて終わる。そのふたりの表情がすこしも晴れやかではないというのが最大の批評行為として受け取れる映画だ。子沢山になった家庭、その家庭を維持するために意に沿わない仕事も引き受けざるえない日々、創作の葛藤のなかで心が病み、やがて夭折するシューマン、クララ一人に圧し掛かる家計・・・といった後半生を予感させるシーンで終わる。その意味では、もっとも美しかったキンスキーが演じたクララ映画はわたしにはもっとも暗いイメージがある。
映画 クララ 2
 ブラームス監督のクララは気丈である。逆境に抗して生きた女、というメッセージが伝わってくる。そんな映画に“哀愁のトロイメライ”など不要とばかりの扱いを意図的に施されている。第一、シューマンが弾き、たまさかそこにいた男が、そんなつぶやきを漏らしたということは監督の想像にすぎない。この映画、最初からシューマンとの結婚生活に重点を当てて描いている。けれど、この映画に対する印象はもっとも薄い。共感するところが少なかった、ということだろう。

映画『レス・ポールの伝説』  ~電気の20世紀の音色    ジョン・ポールソン監督

映画『レス・ポールの伝説』
     ジョン・ポールソン監督
レス

 20世紀の大衆音楽は間違いなくギターが主導した。厳密にいえば電気仕掛けのエレキ・ギターが登場したことによって表現領域は宇宙大に拡大した。いまでもアコーステック・ギターが雄弁なクラシック音楽、フラメンコ、ボサノバ、一群のカリブ音楽……けれど、ステージの弦の妙音が聴衆に感動を与えられるのもマイクという電気増幅器のおかげだし、CDの制作から再生も電気を通して”芸”となる。
 昔、ボブ・デュランがフォーク・ギターからエレキに持ち替えた時、多くのファンの怒号を浴びた。一時的にファンを失ったといわれるが、それも昔話になってしまった。エレキ・ギターはすでに日常的な光景である。
 本作は、そのエレキ・ギターを創案・発明したギターリスト、レス・ポールの評伝的記録映画。
 筆者がS盤アワーなどを聴きはじめた中学生時代、レス・ポールの名をはじめて知った。エレキを発明したアーティストとは知らず、なんとも穏やかな少々古めかしい音色だな、と思った。すでにベンチャーズが活躍しはじめていたし、レス・ポールの流れを汲むアル・カイオアの音の方に新しさを感じていた。そして、いつしかレス・ポールの名は忘れた。けれど、CD時代になって復刻される往年のヒット曲集にレス・ポール作品が散見され、聴くともなく聞いていたというのが、この映画の出会いまでの状況ということになる。
 レス・ポールがエレキ・ギターを発明し、それを弾きながら妻メリー・フォードとのデュオで次々とヒット曲を飛ばす。それ以前、彼が名うてのアコーステックの名手であったことを映画で知った。いや、名手であったからこそ表現の拡大を目指し、手先の器用さも手伝って“世紀”の発明が生まれたのだ。映画では、先行者として幾多の創意工夫があったことも語られるが、刻苦勉励といった暗さはない。向日性の発明譚であって、すぐ“道”的に語りがちな日本的湿度とは無縁である。
 映画はエレキ以前のレス・ポールもきちんと描いている。
 20世紀は映像の世紀でもあり、映画を世界的な産業にした米国に多くの記録映像が残っているのは必然である。
 若き日のレス・ポールが目指したギターリストはジャンゴ・ラインハルト。ジャンゴの正確無比な演奏技術とロマンチシズムは一世を風靡した。ラインハルトの功績は、先年、ウディ・アレン監督、ショー・ペン主演の映画『ギター弾きの恋』でも〈当代随一のギターリスト〉と称揚されていた。本作では、そのラインハルトの演奏光景まで収録されているのは貴重。そのジャンゴやレス・ポールのアコーステックなサウンドを聴きながら、ロス・インディオス・タバハラスの音色を思い出した。
 日本で民放テレビが開局して間もない時期の人気音楽番組に『シャボン玉ホリディー』があった。そのエンディングは「スターダスト」。タバハラスのヒット曲として当時知られていた名曲。しかし、そのギター曲は、メキシコ・トリオ音楽の活況期にも関わらず、おなじメキシコのギターでもずいぶん違うという印象をもったものだ。それは今まで何となく隠れていた〈疑問〉だった。この映画をみて、タバハラスのギターはジャンゴ・ラインハルトの系譜に属する音色であったと合点がいった。そんなことを私的に感慨深く読み取りながら観たのだったが、映画の主眼は、ローリング・ストーンズのキース・リチャードがいみじくも言った「レス・ポールは俺たちに最高のオモチャをくれた」という評 言をインスパイヤーするものだ。
 エレキを弾きはじめたレス・ポールだが、その基本的な曲想は自身のアコースティック時代の延長である。しかし、それを聴いていた若いギター小僧たちは思い思いのアイディアを注ぎ込んでいった。その流れはいまだに世界各地でつづいている。その源流に立つレス・ポールは現在93歳だが、いまも毎週月曜、N・Yのイリジウム・ジャズ・クラブでライブを行なっているというから驚きだ。  
 *2008年8月記。

映画「よりよき人生」セドリック・カーン監督

フランス映画「よりよき人生」セドリック・カーン監督
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 アメリカイズムの美点を、誰でも同じようなチャンスが与えられるという平等「神話」で飾ってきた。
 タレント性豊かな者には通用するだろう、チャンスがあれば。チャンスとは稀少の機会をいうものだ。めったにナイ、ということだ。だいたい貧しい者は出発からして大きなハンディがある。在りえない平等だから「神話」なのだ。
 世界に伝播した米国流ネオリベラリズムは、その不公平さを露呈させた。本作はフランスにおける厳しさを、レバノン移民の母子と、失業中のフランス男でシェフを目指すヤン青年(ギョーム・カネ)を主人公にして描く。
 失業して金のないヤンと、レバノン移民で低賃金のウェイトレスとして働くシングルマザーのナディア(レイク・ベクティ)が知り合い恋に落ちれば、そこにドラマが生まれるのは必然というものだ。そのあたりは予定調和なのだが、フランス社会の厳しさはふたりを国外まで追い詰めてしまう。
 ヤンは偶然、発見した森の中の廃屋を小さなレストランに改造し、みずからオーナー兼シェフとして働くことを決意。ヤン35歳の一か八かの賭け。自己資金はゼロ。複数の銀行から金を借りリボリング払いにした。しかし、店の改装などでたちまち資金が尽き、返済に追わサラ金に手を出し、はては多重債務となった。生活の歯車は完全に狂った。もがけばもがくほど追い詰められる。やがて、ナディアはカナダに職を求めて消える。移民の立場はヤンより弱い。やがて、ヤンも逃げ出すように祖国を後にして、ナディアを追う。
 本作では経済難民とは途上国だけの問題ではなく、いまや先進国の貧困層も襲いはじめている現実だと、教
えている。カナダにはフランス語圏のケベック州があるから同化も容易だし、かつての植民地帝国のなごりで世界各地にフランス語社会がある。こうしたフランス語圏を指してフランコフォニーといったか。
 日本だって多くの若者が貧困に喘ぎ、彼らの労働環境は劣悪な状況にあるはずだ。けれど、海外に日本語圏と呼べような地域はない。外になかなか出られない分、前途に悲観する若者の自殺が多い、ということになるのだろう……と思う。

映画『ジャマイカ 楽園の真実』ステファニー・ブラック監督

映画『ジャマイカ 楽園の真実』ステファニー・ブラック監督
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 カリブ海のジャマイカといえば太陽の輝きだ。レゲェの発祥地である。ブルーマンティンの芳香、ラム酒の濃密……。それが外国人観光客が呼吸する西インド諸島の輝き。太陽の輝きが烈しければ、影はより濃いはずだ。その影に映画のカメラは焦点を合わせる。
 ジャマイカ北西部の観光都市モンテゴベイの空港に米国のノー天気な観光客の集団がざわざわと降り立つシーンからはじまる。
 モンテゴベイはほんとうに綺麗な港町だ。カリブ諸国で多くの港をみてきたが、そのなかでも飛びきりの美港だと思う。熱帯雨林が生い茂る細い半島が海を内陸に引き込み、天然の良港をつくった。港は、空、樹木、そして海と三つの自然美のなかに溶け込んでいる。その港からしばらく走ると、道はT字路になっていて、観光客を乗せたバスは左に折れてリゾートホテルに向かい、港湾ではたらくジャマイカ人の大半は右におれて市街地にむかう。
 客船や旅客機から吐き出される観光客は、ジャマイカ人にとってはモノ言うドルの札束に過ぎない。飛行機や船から吐き出されたモノ言う紙幣に過ぎない。しかし、彼ら観光客は善人である。家庭では良きパパでありママであるはずだ。実直に働く労働者であるだろし、その日常はけっして華やいだものではないだろう。だから、一年に一回、いや数年の一度のことかも知れないが、大枚はたいてカリブの太陽を愛(め)でにやってくる。しかし、その米国人のつかの間の、そして悪意のない放埓な行動は、本作のなかでぶざまな狂言回しを演じることになった。
 筆者も一度、モンテゴベイにスノッブな客船の船客として物見遊山な停泊行をしている。港からさほど遠くないところ、けれど観光客がけっして望見できない場所に関税特区があって、そのなかに外資の縫製工場がある。そこで働くジャマイカ人労働者たちは団結権もなければ、労働基準法の恩恵もなく、まったく無権利のまま劣悪な状況で働いている。経済特区はいま途上国のそこかしこにあるが、そこはかつて、そう中国・上海にあった「租界」のようなモノで、中国であって中国の施政権のおよばない植民地である。治外法権の地だ。それを知る者にはまことに居心地の悪い停泊行であった。湿度の濃い大気は、貧富の格差がもたらす瘴気(しょうき)を含んでいた。
 モンテゴベイの市街地は総じて軒低く貧しい。冷房の効いたスーパーマーケットに逃げ込み、そこで商品棚を眺めれば輸入品の小規模見本市であることを知る。熱帯性のフルーツや香辛料が詰まった缶詰さえ輸入品であったりする。それがこの国の矛盾、貧困の大きな理由である。
 「私の政治生活のなかでもっとも禍根を残すのは、国際通貨基金(IMF)から融資を受けたことだ」と映画のなかで語るのはマイケル・マンレイ前首相(故人)。レゲェの故ボブ・マーリィが支持した穏健な社会主義者である。
 独立以来、借金財政をつづけていたジャマイカはIMFが課す構造調整プログラムにしぶしぶ妥協し、融資を受けることができた。前首相は祖国の経済破綻を一時的に糊塗するため選択の余地なくIMFに従った。しかし、強いられたプログラムは外資の流入を促し、農産物の関税も強制的に撤廃され、同国の貧しい農民が生産する新鮮な農産物より、輸入作物の方が廉価になるという歪んだ現象が生まれた。それは経済規模の小さな農業国にとって壊滅的な事態を引き起こした。今日、同国の負債は45億ドル以上に及び、その元金を返すどころか金利を払うだけで精いっぱいの状況に陥った。そのため一般賃金は抑えられ、公共部門は人員削減を余儀なくされ社会福祉政策はとことん後退した。
 ジャマイカが舞台の映画だから必然、レゲェが流れる。しかし、それは憂鬱なものだ。ボブ・マーリィやピーター・トッシュが歌で訴えた矛盾、社会正義の希求はいまだ達成されていない。それどころか、「正義」も「希望」もはるか彼方の水平線に後退した。外国人観光客にとっては「楽園」だが、「楽園」を演出するために働くジャマイカ人たちの生活はあまりにも深刻だ。そうしたことが諄々と説かれる映画だ。
*余談だが、米国映画ではボブ・マーリィのレゲェが流れることが少ない。彼の社会的メッセージ性が毛嫌いされるのかも知れないし、いっかんしてレゲェに対して冷ややかだった米国のポップス界の性癖を反映しているのかも知れない。……主演作はたいていメガヒットするといわれるウィル・スミスの映画に、『アイ・アム・レジェンド』(2007年)があった。行き過ぎた遺伝子操作がもたらした汚染によって人類がほぼ死に絶えるようかという状況のなかで、独りぼっちの医学者役のスミスが免疫を求めて孤軍奮闘するストーリーだが、彼が空閑となった部屋のなかで慰安をもとめる音として登場してくる)。

 手前味噌になるが、拙著『南のポリティカ』で、「ジャマイカ現代史を生きたレゲェ」、「国際通貨基金は、合法的サラ金か」を収載してある。その二編はそのまま映画の解説に採用できる。是非、読んで欲しい。読みながら暗澹たるイメージ、IMFへの怒りが形象化できたら、それがこの映画のコアである。
 本作の原題は〈生活と負債〉。転じて、「ジャマイカ民衆とIMF」となる。IMFは米国の影響が突出して強い国際機関だ。つまり米国流のグローバリズムを途上国に浸透させる溶剤として機能している。自然とともにいきるジャマイカの賢者であるラスタたちはグローバリズムを「バビロン・システム」と語る。「悪徳のシステム」と。

映画『敬愛なるベートーヴェン』アニエスカ・ホランド監督

映画『敬愛なるベートーヴェン』アニエスカ・ホランド監督
*2006年公開の映画だが、師走の風物詩「第9」にちなんで。公開時、某雑に書いたものだが、埃を払い意味で取り出した。

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 師走である。教師もあたふたと走りまわるこの季節。コンサート・ホールは連日、第9が鳴り響く。言わずもながベートーヴェンの最終交響曲。この成立余話が興味深く描かれた映画だが、主題ではない。第9を奏でて師弟愛を描く。
 映画では時どき師弟愛モノの傑作が生まれている。彫刻家ロダンと女弟子カミーユ・クローデの煉獄もあれば、閨秀画家・上村松園の師との不義に迫る『序の舞』等々……。芸術の苦難の道をゆく同志的な愛ではなく、なまみの男女が感情をぶつけ合う恋愛になってしまうからややこしい。成功し名声を得た芸術家と美貌の若い女弟子との交情などは見方を変えれば体のよいセクハラなのだが、そう言ってしまうとドラマにならない。男女の機微を裁く司法の言葉は虚(うつ)ろだ。
 しかし、本作、珍しく師弟愛に徹して昇華する。それが象徴的に演じられる場が第9の初演なのだ。ほとんど聴力を失ったベートーヴェン(エド・ハリス)は若い女弟子アンナ・ホルツ(ダイアン・クルーガー)に総譜を渡し、演奏者のあいだに座らせ、師のタクトを誘導する。つまり音楽学校の生徒だったアンナは作曲家の意図を理解しつくしていた、と描かれる。しかし、この挿話はよく練り上げられたフィクションである。『アマデウス』のモーツァルト、サリエリ像を同じでさもありなんという巧みの創作である。「第9」成立の伝説がこのような映画を生み出した、ということだ。
 余談だが、筆者の好きな第9にリストの天才的なインスピレーションが紡いだ2台のピアノによる編曲がある。全楽章、すべて2台のピアノで歌い切った作品だ。現在、演奏会のプログラムにあがることはほとんどないが、名曲だと確信している。車を運転する際、オーケストラ版は重い。しかし、リスト版は聴ける。リストはピアノ曲に置き換えることによって第9の流布に貢献したのだ。レコードのない時代、リストの編曲版は家庭のなかで響きわたる最良の第9であった。正直、筆者が繰り返し聴いて飽きないリストはこの第9編曲集だけである。作曲家リストには申し訳ないが。
 しかし、映画は第9のエピソードでは終わらない。第9で勝ち得た名誉も、未来を見据えて書いた先駆的な「弦楽四重奏曲〈大フーガ〉」の不評まで描く。それも泰然自若と「未来が判定」すると意に介さない。が聴衆の拍手もなく人気の消えた会場でベートーヴェンは意識を失う。闘争しつづけた芸術家の晩年である。先駆者の不遇は芸術家の宿命というキーワードはここでも使われる。
 だいたい、音楽家の生涯を描いた映画は〈初演〉の感動、あるいは失敗を描きたがるものである。もう一つの常套手段は、出来上がったばかりホカホカの新曲、それはやがて名曲と知られてゆくものだが、それを愛する者にはじめて聴かせるという手法だ。本作はそうした音楽物の良き要素が嫌味なく伝統的な手法で描きこまれている。
 アンナは決してベートーヴェンのミューズではあらず、優れた弟子、一時期の芸術的同行者に過ぎない、と見据えたホランド監督の醒めた演出がよい。
 それにしてもざんばら髪の楽聖を演じたエド・ハリスの神がかり的な同化。髪の薄さがトレードマークのような彼が、小鳥の巣のような頭髪の繁みを吼え立たせ、初老の音楽家を演じ切った。ピアノ、ヴァイオリン演奏もハリスなら、第9の総譜にペンを走らせる手も彼のものだ。むろん、指揮も。これまでアクション・ペインティングの巨匠ポロックや、中米を米国に隷属させようとした弁護士ウォーカーなどアクの強い歴史上の人物を熱演してきたが、また1行、輝かしい履歴を刻み込んだ。アンナを演じたダイアン・クルーガーの演技も完璧だ。これまでベートーヴェンの生涯は幾度も映画化されたがホランド監督の演出は二人の名演に支えらて重厚ながら爽やかな師弟愛を造形した。
プロフィール

上野清士

Author:上野清士
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