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公開講演会「問いつづけた原子力ー雑誌『技術と人間』が残したもの

公開講演会「問いつづけた原子力ー雑誌『技術と人間』が残したもの

 1972年の創刊以来、一貫して原子力開発に反対の論陣を張ってきた雑誌『技術と人間』。
2005年に終刊を迎えるまで同誌に掲載された原発関連の論文は750編。そのなかから厳選された論文36編を集めた「『技術と人間』論文選~問いつづけた原子力」が刊行された。
その編集に携わった天笠啓祐さん(市民バイオテクロノロジー情報室代表)と西尾漠さん(原子力資料情報室共同代表)の発言者とする講演会が9月15日、東京・池袋の立教大学で行なわれた。

 天笠さんは『技術と人間』が創刊される前の「0号」から編集に携わり終刊まで見届けた同誌の“生き字引”のような存在。アグネという企業から多くの広告収入を得ていた技術系出版社から発刊された。
しかし、技術の発展と人間社会の関わりを問うという編集方針を貫いたため、企業告発型の記事がならび、やがて広告が集まらなくなった。そのため雑誌の刊行を維持するために出版社から独立、困難な経営にも関わらず33年間も続いた。天笠さんは経営の苦しさを語りながら、手弁当で協力してくれた多くの執筆者のことを紹介してくれた。
 「建設途上の福島第一原発の取材もした」と今では破壊され、見る影もなくなった原発内部の写真を紹介した。スライドに映し出された写真はすべて同誌に掲載されたものだ。
「スリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故を詳細に検証してきたし、チェルノブイリの事故が起きた4月には毎年関連論文を掲載してきたが、フクシマを体験した現在、原発事故とは実際、体験してみないと、どういうものか分からないことを知った」と自戒を込めるように語ったのが印象的だった。
 「結局、外国の事故は対岸の火事のようなもので、本当の痛みは分からなかった。いま、定期的に福島の二本松市で母親たちの健康相談に立ち会っているが、子を持つ母親の立場と、自分の畑で採れる野菜を“新鮮”だ、と食べさせようとする祖父母世代との意識のかい離など、そういうことまで雑誌で考慮されたことはなかった。自治体がまるごと疎開することがどういうことなのか事故が起きてはじめて知り、この先、どうなっていくのかも見当もつかない、ということを知った」
 創刊と同時に熱心な読者となりやがて寄稿者となり、反原発活動の市民的な拠点となった原子力資料情報室へ参加、『はんげんぱつ新聞』編集長などを歴任した西尾漠さんは、
 「『技術と人間』が創刊された当時、一般の原発に対する認識は非常に小さなものだった。危険性を具体的に示すメディアもなかった。その意味でも同誌の存在は貴重なものだった。創刊された1972年、日本の原発は5基しかなかったが現在は50基。発電能力でいえば25倍に達した。その数の増加という事実だけみれば、われわれは負け戦してきたのかも知れない。けれど、それらの原発はみな雑誌の創刊前に計画されたものだ。創刊以後に浮上した原発建設は21カ所もあるが、すべて阻止されている。建設予定地の住民の運動が功を奏したものだが、反対運動に対し、『技術と人間』が科学的な根拠を与えた意味は大きかったと思う。しかし、それでもフクシマは起きた」
 講演後の質疑応答の場では、現在、被災地で起きている除洗問題が取り上げられ、会場からの質問に答えるかたちで天笠さんは、「“除洗”ではなく“移洗”すぎない。道路を洗った水は排水溝に流され、その放射能まみれの水は川に注ぎ、川を汚しながら、海に出てまた汚しつづける。山の汚染はさらに深刻だ。山ごと“除洗”することなどできない。葉を汚染した放射能が、落ち葉から腐葉土となっても生き残る。そして根に浸透し、また新しい葉を汚す。そういう連鎖に入っている」と語った他、会場からは“除洗”事業をめぐって醜い利権争いまで生じていることが指摘された。
 西尾さんはまた、「現在、大飯原発を除いてみな稼働していない。廃炉を政策に盛り込めという運動は無論、継続するが、再稼働を認めない、この状態を続けさせる方が運動としては効率が良く、賢い。再稼働反対は現在、国民の声になっている。この状態を持続させるために知恵を働かすべきだと私は思う」と語った。長い間、困難な市民活動に携わってきた活動家の発言だと思った。
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映画『カリーナの林檎 ~チェルノブイリの森』今関あきよし監督との談話

映画『カリーナの林檎 ~チェルノブイリの森』をベラルーシで撮った
  今関あきよし監督との談話
 カリーナの林檎


 今年、チェルノブイリ原発事故から二五周年を迎えた。
同原発事故後、多くのドキュメンタリー映画が撮られたが、ドラマはなかった。11月、原発事故の放射能に冒された少女を主人公にした劇映画『カリーナの林檎~チェルノブイリの森』が公開される。
ベラルーシの首都ミンスクと、その郊外、そしてチェルノブイリで撮られた。全編ロシア語、日本人が登場しない日本映画だ。撮影から8年を経て、やっと一般公開されることになった。多忙のなか、今関あきよし監督に貴重な時間を取っていただいた。
               
 映画は2003年に撮影され、いったん完成されています。公開が遅れた理由を。
 「チェルノブイリ体験の風化でしょう。公開の目途が経たないまま歳月が過ぎましたが今年、事故から25年を迎えるということで採算を無視しても公開しようと思い昨秋、チェルノブイリの現状を見なければと取材し、それから再編集に入りました。その作業中、というより編集が終わった当日、仕事中に3・11に遭遇しました。何かの因縁を感じますね」
 映画は甲状腺ガンに冒され8歳で死ぬベラルーシの少女の日常を描く。実話を脚色したドラマだ。いまもウクライナやベラルーシ、ロシアの病院に幼い子どもたちが運び込まれている。
 「映画にはセシウムとかシーベルトといった専門用語、放射能汚染を数値化する数字などはいっさい登場しません。カリーナの視点から原発の恐ろしさを描きたいと思ったからです。親子で観てもらいという思いもあった。カリーナのふだんの生活を写すなかで日本の子どもも同じ視点を獲得できるはずで、その少女が日々、体内に取り込んでしまった放射能が原因で日々、確実に冒されていく。死への過程であることを描こうと思ったのです。そういう怖さを描きたいと思ったのですね」
 カリーナは原発を『毒を撒き散らす悪魔のお城』と語る。
 福島第一原発も「悪魔のお城」になった。映画の撮影はベラルーシ。チェルノブイリはウクライナにあるが北へ吹いた風に乗って隣国ベラルーシの大地がもっとも激しく汚染された。
 「ミンスクに行って俳優探しをしているときに、地元で原発事故をテーマにさまざまな視点、角度から演劇活動をつづけているセミプロの演劇集団が存在していることを知り、その俳優さんたち、スタッフの協力を得ることができたんです。幸運だった。撮影しながら俳優さんたちに土地の習慣・風俗などを教えられ、その都度、演出を替えました。おかげでシナリオ以上のできばえになったはずです」 
 昨年、公開を前提にチェルノブイリに捕捉取材をしていますが、現状はどのようなものですか?
 「ガイガーカウンターを購入して入りました。針が振り切れるほどの汚染現場にも。でもいちばん驚いたのは廃炉にむけた作業員を中心にいまも三千人が働いていること、その作業員たちが住む町が新たに建てられ駅までできていることでした」
 監督は3・11以降、幾度か福島入りした。今後も持続的な取材をするという。
 「チェルノブイリの取材のために購入したガイガーカウンターが日本で役に立つとは思っていなかった。どういうかたちになるかわかりませんが」いずれ映画にしたいと語る。
 いま『カリーナの林檎』の公開要請が全国から寄せられている。「沖縄の離島からも…」が監督は率直に喜べない。「福島の原発事故が深刻であればあるほど、私の映画は注目されてしまうわけですからね。そんな、つもりで制作した映画ではなかったのですが……」。映画は三・一一以後、独り歩きをはじめた。
 
 ▼ドイツの反核映画3本
 ドイツには現在、17基の原発が稼働しているが福島第1原発事故後、国民の反原発運動に呼応し政府は二〇〇二年まで全廃することを決定した。そんなドイツの反原発運動に連動して制作された近作映画が日本にやってきた。いずれも秀作なので紹介しておきたい。
 イエローケーキ
『イエロー・ケーキ』(ヨアヒム・チルナー監督)がもっとも注目される。原発の稼働に欠かせないウランの発掘現場の歴史・現状を求めてアフリカのナンビア、オーストラリア、カナダなどを取材した記録。環境汚染、労働者を蝕む実態などを克明に描いたものだ。先進国の原発もウラン鉱で働く労働者の犠牲、ふたたび戻ることのない自然破壊を犠牲にして成り立っていることを告発する。『第4の革命』(カールA・フェヒナー監督)は再生可能なエネルギーを求め、原発に替わるプロジェクトを紹介し、『アンダー・コントロール』(フォルカー・ザッテル監督)は原発内部にカメラを持ち込み、その実態を冷徹に見つめた作品。いかなる労働現場もその「社会」独特の権力機構があるものだ。そうした背景まで踏み込んだ映画だ。
 3作の予告編など詳しい情報は、http://kokucheese.com/event/index/17316/ 。

書評『ピーター・ラビットの自然はもう戻らない』 セラフィールド各使用済み燃料再処理工場

書評『ピーター・ラビットの自然はもう戻らない』 マリリン・ロビンソン著
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 サブタイトルを「イギリス国家と再処理工場」という。
 「再処理工場」とは核廃棄物(使用済み核燃料)を再処理してプルトニウムを取り出している英国政府100%出資の英国核燃料公社のセラフィールドのことだ。
 アイリュシュ海に面したカンブリア地方にあって、この地は「ピーター・ラビット」の舞台となった湖水地方として良く知られているところで、毎年、多くの観光客を惹き寄せている。
 美しい自然を背景に描かれた「ピーター・ラビット」の物語だが、作者のベアトリス・ポッターはその世界的なベストセラーになった作品の印税で、物語の自然を保護しようと私財をなげうって周辺の家や土地を買った。
 その後、しばらくして英国政府はここに核処理工場を建設、爾来(じらい)とめどもなく放射能汚染をつづけいる。危険な地域だから、そこは僻地、過疎地として残り、みためだけ「美しい自然」が「保全」され、英国人だけでなく日本人も含めて諸外国のファンが訪問する、ということになってしまった。
 日本では湖水地方の美しさを謳った写真集や画集、観光案内書が幾種類も出ている。そうした本の制作者はどこまでカンブリア地方の実態を知ってそうした本を出しているのだろうか? 
 実はその「美しい自然」は英国で一番、放射能汚染の深刻なとんでもない場所である。EU諸国のなかでもっとも放射能に犯された「美しい自然」なのである。この汚染のひどさは見た目に分からない。それを数字、ガンの発生率などで可視化したのが本書なのだ。
 たぶん労作といえる内容だが、一般にはなかなか受け入れにくい構成で、作者はこうしたセラフィールドが野放しになっている歴史的背景を解くために全体の2分の1以上を、英国の社会保障制度について言及し、特に英国独特の「救貧法」の実態について詳細に語る。その原作者の方法論には少々、異論があるが原作者は必携と考えたらしく、その記述は執拗だ。
 その原作者の主旨を、結論から先にいえば、貧窮するひとびとを永遠に低賃金労働に固定化するための政策的な階級温存の制度であって、人権のかけらもないことを主張する。そして、その貧窮する労働者たちの無知などを利用して放射能汚染だらけのセラフィールドの操業が成り立っていることを告発する。
 西欧諸国の他政府機関はみなセラフィールドの実態を知っている。知っているが英国を批判できない。西欧諸国がセラフィールドに出資をしているという事実もあるが、なにより自分たちの核廃棄物を受け入れくれプルトニウムを抽出してくれている機関だからだ。自分たちではなかなか踏み込めない“汚い仕事”を請け負ってくれている英国に感謝はすれど批判はできない。天に唾する行為だからだ。日本もその恩恵を預かっている。
 「救貧法」に関する記述を削ぎ落とし、セラフィードの現状を知らしめる告発型の構成をとれば本書はもっと多くの読者を獲得し、そして「ピーター・ラビットの自然」を訪ねようというバカなことは見直されるだろうと思う。
 1992年に初刷りだけで絶版になったと思われ、価格当時の価格で2500円だから、おそらく少部数出版だ。千部も市場に出ていないのだろう。当時、手にした読者はわずかだろうし、さらに作者の意図通り、きちんと読解した人はそのまた半分という感じだろう。 もし本書が出版社が意図した通り、読者に迎えられていれば本書の後も引きも切らず無責任きわまりないピーター・ラビットの自然「観光案内書」も出版されるはずはない。
 この私(上野)の拙い文章を読んで、「セラフィールド」という固有名詞が気にとまったら、どうかご自身で調べて欲しいと思う。正直にいえば筆者自身、今回の福島第一原発事故を受け、積んだままになっていた本書を手にした次第だ。
 かつて学校でならった「社会主義者」ロバート・オーエンが労働者に配慮した経営する工場の改善の実践などが出てくる第一部などは、核問題から離れて興味深く読める。たとえば、オーウェンの実践は、すこし経費が負担になっても改善したほうが作業効率が上がり利潤を上げる、という資本家の視点でしかなかったという指摘など傍線を入れたいところが多々あるのだが、ピーター・ラビットの読者には少し辛い記述の連続だと思う。
 だから、その第1部をバサッと割愛して、第2部の「セラフィールド・地球規模の核攻撃」から読んでも十分、理解できる内容だ。むしろ、この時期、それのほうが良いかも知れない。
 今更、英国近代経済・社会史など勉強しようと思わない読者は2部から入って十分。ともかく貴重な本、労作といっても良い内容なので、ここに掲げた。
 ……しかし、英国の情報隠蔽政策はかつてのクレムリン以上。わが民主党政権はなんと素朴なんだろうと思えるぐらいだ。英国は女王陛下ご一家揃って、大英帝国ご繁栄のため一族郎党セラフィールドを擁護、隠蔽しているようだ。
 エリザベス女王陛下の夫君エジンバラ公は世界自然保護基金(WWF)の総裁を務めている。その足下で英国でもっとも美しいといわれるカンブリア地方が放射能汚染の濃度をためていることに手を貸している。もともと英国皇室は陰惨な闇の権謀から出てきたからすこぶる政治的な存在である。もうけのために環境汚染もいとわない政策もエレガントに英国紳士らしく手を汚さずに実行する。全面閉鎖された炭坑労働者や幾多の失業者、そうした低賃金労働者の無知につけ込んで使用済み核燃料は再処理されているのだ。
▼新宿書房刊・鮎川ゆりか・訳。

黒澤の核認識、原発批判を知る映画『生きものの記録』

黒澤の核認識、原発批判を知る
映画『生きものの記録』(1955年) 黒澤明監督
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 誇大妄想狂というのは想像力の極北というものだろう。
 全盛期の俳優というのは難役をかくも柔軟に克服するものだとつくづく思う。三十五歳の三船敏郎が70歳の老人役で主役を張った映画だ。
 冷戦下、核実験が繰り返されている。いつ核戦争が起きてもおかしくない状況。実際にこの映画の6年後、核戦争の瀬戸際までいったことが歴史的検証を通して明らかになっている「キューバ危機」を迎えている。こうした時代に鋳物工場の社長であり、家族の長たる中島喜一(三船敏郎)は核戦争の恐れのない南米のブラジルに工場を処分して一族郎党、移民しようと家族に持ちかける。これに“常識的”に反対する家族一同の反発をかう。そして、とんでもない誇大妄想狂として準禁治産者とするよう家族は家庭裁判所に申し立てをする。その調停員の歯科医(志村喬)が語り部となり、監督の黒子的に中島像を批評するという役割を演じる。
 映画は戦後10年という時点で撮られている。まだまだ戦災の傷跡が克服されたわけではないし、当時の日本人の多くが戦渦というものを皮膚感覚でおぼえている時代だ。しかし、ここは日本人として誇らしく思うところだが、勤勉な日本人はかくまで復興させたといいうるほど目覚ましい。それが昭和30年という年である。
中島の経営する鋳物工場にしても戦時中にB29によって一度、破壊されたことだろう。それでも見事に再興させ、中小規模の工場のひとつとして日本の戦後経済を下支えしているのだ。筆者は鋳物の町・川口で生まれ育ったから、中島の工場の雰囲気をとても懐かしく感じながらみた。こういう感じの工場はもう日本には存在しない。   
 中島はおそらく一代で工場を興し、家族を育て守り、幾十人かの工員さんとその家族の暮らしも支えている。その責任感は叩き上げの苦労人として人一倍強いだろう。そんな老人がいままで地球のどこに位置するかも考えてもみなかったブラジルへ突然、移転しようとする。その発想は、心に準備にない家族はとまどうのは当然だ。
家族は、核戦争が起これば地球のどこに行こうが放射能の汚染を免れるわけはないのだから、ブラジル行きなど無駄だ、と説得したりする。それは諦観というもので、中島の心根はたぶん、そういうところにあるのではないだろう。たぶん放射能の汚染は拡大するばかりだということも認識されているのだ。すでに絶望の橋を渡ってしまっているのだ。だから“常識”的で健全な精神を保つ家族は中島を誇大妄想狂と謗(そし)る。
その家族の位置は当時、この映画を見る日本人のものだろうし、いま現在もたぶんそうに違いない。黒澤はそうした“常識”に挑んだ、ということになるだろうし、想像力の効用を反核、平和というものに応用しようというメッセージだと思う。
 この映画が公開された前年の1954年、当時の改進党に属していた中曽根康弘など3議員が国会に提出した原子力研究開発予算が国会を通過した。そして映画が公開された55年12月、「原子力基本法」が成立した。黒澤監督がこの映画を構想した当時、国会でのそうした動きは十分、把握されていたものと思う。映画は原子力発電所についてはいっさい発言されているわけではないが、時代はそういうものだった。
 『生きものの記録』から35年後、黒澤は『夢』(1990)の「赤富士」編で、悲惨な原発事故で逃げ惑う人たちの姿を地獄絵図のように描いている。
 黒澤 夢
黒澤はチェルノブイリ事故をみた後で『夢』を制作したわけだが、そこには日本列島の各所で稼働する原発の存在、そして推進される原子力依存のエネルギー政策をどう考えたかが反映されている。いま、福島第1事故を知るなら黒澤はどのような批評をおこなっただろうか?

『ナターシャ  チェルノブイリの歌姫』

『ナターシャ  チェルノブイリの歌姫』 手島悠介
 ナターシャ新

http://www.youtube.com/watch?v=6JiOQ1UBkzU&feature=related

〈3・11〉以降、本ブログのカテゴリーのひとつになってしまった観のある「チェルノブイリ」関係書紹介。そのほとんどが絶版なので、こうした発掘作業にも少しは役立つだろうと思い、手をつけている。
もっとも、つづけにはそれなりの意志が必要なわけで、その最大の理由は、現在も放射能汚染源として存在しているチェルノブイリ原発の存在であり、福島第一原発事故のまったく不安定な状況があるからだ。特に、報道機関は政府の操作があるのか、あるいは大スポンサーであるところの東電をはじめとする電力各社の立場を慮るためか、福島原発事故の解決への道筋、とくに被災自治体で憂慮される放射能汚染を考慮する指針、参考資料としてチェルノブイリ原発事故の教訓が絶対的な資料なのだ。人体実験が行なえないことを不幸にも大量の臨床資料を作りだしてしまったのがチェルノブイリであったはずだ。これは活用されなければ、ウクライナやベラルーシの死者は浮かばれない。
米国のスリーマイル島原発事故以降、日本でも関係書がそれなりに出版された。スリーマイル島の事故は不幸中の幸いとなるが周辺に住む人びとの共同体を根こそぎ破壊し、人命を損ない、地域の歴史・文化を破壊することはなかった。しかし、チェルノブイリではそれが起きた。避難民13・5万人、被害者総数は本書が出版された2001年の段階で約10万人が死去したと推測されている。いまも被害は拡大し、最終的には100万人近い人がガンに侵されるという推測すらある。そんな数字は今現在の日本のテレビや新聞は報道しない。福島の事故はメルトダウンより深刻なメルトスールの段階に入っているとも推測されているが、それも公開されていない。
いまの日本の状況とはそういうものだ。
私がチェルノブイリ原発事故をめぐる絶版書を考慮したいと思ったのは、そのほとんどが「人間」の物語としてあるからだ。スリーマイル島の事故とはまったく違う。チェルノブイリは人の死の各相が無数の事例として記され、告発され、いまもつづき、先のみえない未来までその被害がつづく災厄として提出されている。どんな小さな本にも、そこには幼い死があり、不当・残酷な死が横たわっている。
本書は小学校の高学年から中学生あたりの読者を想定して書かれたものだと思う。散文詩のかたちで書かれている。悲劇にふさわしい形式だ。
ウクライナのプリピャチ市郊外に住んでいた当時6歳だったナターシャことナターリア・グジーは被爆した。チェルノブイリ原発から3・5キロの地点にあった家で被爆した。むろんいまも後遺症に悩む。公演中に倒れることもある。本書は被爆者ナターシャを語り、ウクライナの民族楽器バンドゥーラを爪弾きながら民謡とともにチェルノブイリの悲劇を語る吟遊詩人として活動するいまを追いながら、終わりの見えない原発事故の実態を語ったものだ。
チェルノブイリの「悲劇」そのものを詳細に知ろうと思えば、類書はある。という意味ではチェルノブイリ事故を同時代的に知りえなかった若い世代に語るには良い本だと思うし、リズムをもった散文詩形式の語りは読みやすい。はっきり言ってチェルノブイリ事故をそれなりに知る人には特に目新し発見があるわけではないが、一点、私がメモした箇所がある。
それはチェルノブイリ原発事故の最終報告というものを作成したヴァレリ・レガソフ博士が二年後、首を吊って自死したという事実。同博士はソ連時代の原子力計画の創始者の人として死ぬ間際まで第一線で働いてきた科学者だ。IAEA(国際原子力機関)への最終報告を提出した責任者でもあった。その報告書はいまでは虚偽にみちた、事故をできるだけ小さくみせようと企図されたものだったことは周知の事実となっている。しかし、ソ連崩壊とともにいまだ訂正されずに「資料」となって生きている。博士はその道義的な責任に悩んだ末、自死というかたちで自ら作成に加わった報告書そのものを指弾して果てた。
そのレガソフ博士が事故後、友人に語ったという言葉が記されている。
「わが国がほこりにしていた科学技術は
ガガーリンの宇宙飛行とともに、終わったのだ。
わが国の科学技術は、トルストイや、ドストエフスキー
そしてチェーホフたちの
偉大な文学精神にやしなわれた人びとによって
つくりだされたものだった。

他人にたいする態度のなかに、人間にたいする態度のなかに
自分の義務にたいする態度のなかに
そして、科学技術にたいする態度のなかに
美しい文学の精神が見られた。
科学技術は、わたしたちのうちなる道徳を表現するための
ひとつの手段にすぎなかった。
それから長いあいだ、わたしたちは
道徳の役割を、わたしたちの文化を
歴史を、無視してきたのではないか」

……と。
いま、レガソフ博士の遺言をそのまま現在の日本の科学者に贈りたいと思う。いまだ原発推進派の科学者しか「解説」に登場させない報道番組を制作するスタッフにもそのまま贈り、良心を問いたい。報道と異なる意見を紹介する義務もあるはずだ。
日本の古典文学はむろんのこと、現代の短歌、俳句の世界もまた美しい自然のいとなみを詠ってやまない。自然美、季節の移り変わりのグラデーションをよく愛でて文学精神としてきた日本人の科学が経済効率主義に足かせ手かせされば荒廃するのは当然だろう。いまほど美しい文学の水脈を汚す、科学のありよう、バーバリズムそのものがいまほど問われている時季はないだろう。


絵本『生きていたい! チェルノブイリの子どもたちの叫び』

12年後の福島は?
 絵本『生きていたい! チェルノブイリの子どもたちの叫び』を手にする
生きていたい! 新


 子どものキラキラした瞳は〈未来〉の輝き。子どもの好奇心の輝き、まだ何ものかを成さんとする渇望のエネルギーでもある。
 しかし、醜い現実社会はふいに子どもたちの瞳から輝きを奪ってしまう。光輝が失われた瞳に、絶望が宿るのに時間は掛からない。その絶望もまた生きている証しである。死は絶望からの解放である。絶望は生きようとする本能の意思の虚弱をあらわすものだ。子どもたちの瞳に、その絶望が宿るとき、そこには年不相応の思慮が宿り、社会をみつめる冷徹さまで加わってくる。そして、幼い子どもたちが、そのいたいけない瞳でなにを捉えていたのか、ということも知らされず、何ものかも成さなかった子どもたちは、ただ数として歴史の闇に消えてしまう。
 私たちは20世紀の災厄として、たとえばアウシュビッツ強制収容所で消却された無数の子どもたちの存在を知っている。そんな子どもたちが殺される前に描きとめた、生のつぶやきとしての「絵」が奇跡的に遺されたことを知る。その絵を通じて、子どもたちが最後に観た現実を知ることになる。描いた子どもたちに、その絵がやがて社会的有用性をもつことになるとは思っていない。ただ、いまその時の気もち心情、あるいは単なる好奇心を描き留めたものだろう。そこに、戦争の不条理を訴える力とか、平和を希求する幼な心とかいうものを見出すのは後知恵のようなものだ。
 そして、いわゆる平和主義者がアウシュビッツの子どもたちの絵を流用してプロバカンダしても、たちまち政治の不条理が無惨至極に善意など蹴散らしてしまう。
 あらたな悲劇が子どもたちを襲う。アウシュビッツを生き延びた子どもたちが長じて、パレスチナの子どもたちに銃口をむけ、老いた人の背を突き強制立ち退きを命じる。シオニストの手先……。それが人間社会の醜い現実社会なのだ。
 ここにウクライナ・チェルノブイリ原発事故で被害にあった75人の子どもたちが絵と詩でつづった生命の記録そのものとしての絵本がある。表紙の紅色の下地は子どもたちの健康な血潮とも思える。しかし、その血の健やかさを損なうものとしての原発が放出した放射能がある。事故で大気におびただしく流出した放射能は彼彼女たちをむしばみ、いまも悲惨を再生産している。
 チェルノブイリ原発事故の後遺症によって自らの生命の危機を予感した子どもたち。その絵には、すでに透徹した達観があらわれる。ことわっておくが、この絵本の企画・発行は事故の直後とか数年後というものではない。事故後、12年後の現実なのだ。
 子どもたちは天性の色彩主義者だ。悲劇を色彩で和らげようとする無意識の意思が宿っているように思う。単色淡彩の絵も少しある。そこには絶望しかない。取り返しのつかない永遠の沈黙。人気なく沈黙する村。生活の情景の寸断。置き去りにされた犬や猫。人間生活が突然、凍てつく光景には色相はあっても色彩はない。
 しかし、過酷な現実を批評し、原発事故の無惨を問いかけようとする子どもの強い意思もある。筆に訴求力の熱を注入しようと、色彩のエネルギーを借りる子どももいる。色相も豊かで、色彩感覚にあふれている絵もまた多い。
 絵本のなかでもっとも傷ましいと思うのは、「病気とのたたかい」と題された章におさめられた肖像画の“ギャラリー!”だ。自画像であり、友人や家族を描いたものだろう。甲状腺ガンに犯された子どもたちが多い。現在も子どもたちを襲っている。のどにメスを入れられる。無惨な傷後が残る。その傷跡を描きとめた自画像。なかにはネックレスとともに描き込むしゃれっ気をみせる子どももいるが、いくらけなげに笑い飛ばそうともガンの再発を抑えるために一生、薬を飲んでいかなければいけない。それが現実だ。
 約12年前、私はキューバの首都ハバナ郊外にある海浜学校を訪れた。そこにチェルノブイリの被災児童たちが治療を受けていた。手術痕のある子どもたちもいた。それから12年後、福島の原発事故でハバナのチェルノブイリの被災児童たちのことを思い出した。その後、確認事項は先に本ブログにも書いたので重複はさけよう。関心のある方は検索して欲しい。

 絵本という形式を執り、被災した子どもたちの医療費に役立てようという目的意識をもった「商品」でもあるから、そこには鑑賞に耐えるだけの力をもつ作品が選ばれる。当然だ。だから、みな年不相応ともいえる達者な技術をもっている。そして、ソ連時代の児童教育の水準の高さというものも感じられる。そういうものとして絵本を眺めていれば、それは率直に素晴らしいものだ。素晴らしく力強く「残酷」な絵本なのだ。
 この絵本は1998年4月に邦訳出版された。すでに絶版になって久しい。それから13年を経た現実としていま福島の子どもたちを襲いつつある、ということに慄然とする。 12歳のウクライナの少女オルガの詩「母なる大地のうめき」の結句は、
 
 放射能よ。いったい、おまえはどこへ行こうとするの?
  いったい、おまえはいつ歩みを止めてくれるの?

 ……と。チェルノブイリ原発はいまだ放射能を吹き出させている。そして、福島原発の終息はまだ何も分かっていない。放射能は、彼ら自身の意思として大気に彷徨う。彼ら自身には罪はない。彼らの力を制御できると思った人間の奢りが災厄を招いた。
 12年後の福島はいったいどうなっているだろうか?

映画『チャイナ・シンドローム』 原発事故を本格的に描いた最初の劇映画

小さいが無数にある人間の我欲を誰が「制御」できる
  映画『チャイナ・シンドローム』 ジェームズ・ブリュジス監督

チャイナ・シンドローム
 事実は小説より奇なり、というが、ここでは事実は映画より奇なり、ということになろうか。
原発事故を本格的に描いた最初の劇映画として知られる本作の公開は1979年3月16日、そして最初の深刻な原発事故として科学史に永久に汚点を残すことになった米国ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で事故が起きたのは3月28日だった。創作はたった12日後に、不幸にも事実をもって現実となり、原発事故の恐怖は人類社会を揺さぶった。当然、現実の事故が映画の興行を後押して世界的なヒット作となり、日本でも大きな興行成績をあげた。
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大震災で福島第一原発が被災し、深刻な事態を招いたことを知った映画ファンなら誰しも本作のことを想い出しただろう。
 表題は、映画の舞台となった原発が事故を起こし炉心溶解(メルトダウン)の懸念が生じたとき、某科学者のジョークとして語られる高濃度・高温の放射性燃料棒集合体が「地球を突き抜けて中国に至る」という台詞からとられたものだ。現在、あらゆる社会的現象を便宜的に比喩する形容として「シンドローム」が使われるが、そのきっかけをつくったのが本作のタイトルであり、それに決定的な確証を与えたのがスルーマイル島原発事故となる。
 映画の事故の原因は人の過失であった。“人災”だ。
原発に資材を納入する業者が法で義務づけされている厳密な検査を実施していれば時間と経費がかかることから手抜きをする。業者の言い分は、「長年の慣習でそれですんでいた」、今更なにをという姿勢である。その検査をたまさか素通りしてしまった資材のなかに不良品が潜んでいた。それが劣化して重大な事故に結びついた、というのが映画の主眼。いったん事故がおきれば取り返しのつかない悲劇となる原発はおびただしいパーツの巨大な集合体だ。それをすべて人間は完璧にコントロールできるのか、と問うている映画でもある。先に本ブログで紹介した映画『シルクウッド』も企業の営利活動から派生した不正を告発したものだった。
幾重にもセーフティガードがかかっているから安全だ、というのが日本の原発行政だった。しかし、“想定外”の津波によって福島県のいくつもの自治体そのものが消滅しようとしている。おそらく、そうなるだろう。
 元来、“想定外”も想定しなければいけない超危険物の原発だが、天下りした顧問には大した仕事もないのに膨大な報酬を払い、すべきことを怠っていたということでは“人災”である。顧問たちへの報酬はたとえば“想定外”の津波を予測して防波堤を嵩あげることはできた、ということが事実として指摘できる限りにおいて今回の原発事故は“人災”なのだ。その後の対応のまずさも含めて甚大な“人災”なのだ。
 本作は原発とはいえ儲けを生み出す商品に過ぎないという冷めた目がある。だから、資材の検査を怠る資本の論理、その資本がスポンサーとなっているTV会社の立場といったサブテーマもしっかり押さえられた話となっていて説得力がある。反原発を訴えてテレビの出演を降ろされた、と伝え聞く俳優の山本太郎さんのことが思い出される。
 主役は明確にモノ言う社会派女優として、父ヘンリー・フォンダの意思を引き継いだジェーン・フォンダ。TV会社の雇員として、ニュース番組のなかで日常雑事的な取材しかさせてもらえない女性レポーターのうっ屈を体現するが、そんな日々のなかで遭遇した原発事故の究明に乗り出すことによって、仕事への意欲を、社会性のある仕事への誇りといったことまで描きだす。おそらく、ニュース番組のなかで女性の進出を促す契機ともなった映画であったと思う。そのジェーンの補佐役として登場するカメラマンを映画進出間もないマイケ・ダグラスが演じている。ヘンリー・フォンダと同時代の名優カーク・ダグラスの子息。本作はいっせいを風靡した名優の二代目がそろって競演するという話題性もあった。しかし、本作で最大の評価を獲得したのは実直な技術者を演じた喜劇俳優ジャック・レモンだった。原発の仕事に誇りをもっていた一技術者の誇りが、業者の不正を暴き、身を呈して原発事故を予測する。仕事への誇りが死をまねくほどにずたずたに引き裂かれる葛藤を演じて秀逸だった。
 いま、再上映されるべき映画の筆頭であると思う。

プルトニウムと企業倫理*映画『シルクウッド』

映画『シルクウッド』 マイケル・コリンズ監督
シルクウッド

 福島の原発事故は自然の猛威のまえに人智も空しい、とあらためて思い知らされる災厄である。
 3・11以来、幾度も「想定外」という言葉を聞かされた。言うも方便だ。自然災害は予知はできても予測できない。考えてもみよ、南太平洋洋上で発生した台風が北上し日本列島にさしかかるまで逐一、予報され上陸する。進路はほぼあっている。その進路予測の精度は高い。けれど毎年のように犠牲者を出している。進路は予測できても集中豪雨の場所の精査はまだ不可能だ。それができたとしても河川の状態はそのときどきで変化する。「想定外」の水害は繰り返される。「関東大震災」も想定外だったろうし、チリ津波もそうだった。
 人智が想定しうる範囲なんてたかが知れている。そう謙虚に自然と対峙すれば、おのずと人間の分に応じた科学の適用範囲が定まってくる。
 しかし、科学には虚栄という要素がある。元来、平和な世界の実現をめざして設けられたノーベル賞も科学者への名誉という虚栄が、さまざまな発見・改良、科学技術の飛躍的進歩をもたらしはするが、ダイナマイトの発明によって巨万の富を築いたイーベルの直系の弟子たちの発見・発明もまた戦争技術に適用されてゆく。ノーベル賞が設立されて以来、戦争はより規模を拡大し、殺戮技術は精度と規模を拡大した。医学の進歩は先進国の寿命を延ばした。しかし、飽食で肥満に悩む先進国もあるかと思えば、飢餓がひろがる南の途上国の矛盾を処方できないでいる。
 科学に「虚栄」という分子が入り込んでいるあいだは、科学の進歩がもたらす富の公平な分配などはけっして起こらないし、恒久的平和など臨み得ない。。
 3・11は、地球の意思として人間はいらない、と宣言されたようにも思った。人間には地球はかけがえのない存在だが、地球それ自体は人間など存在しなくても自律した活動をつづけて“天寿”を全うする。奢ってはいけない人間は……。地球は素晴らしい星だが、地球は人間を素晴らしい生き物だとは思っていない。

 人間が作ったモノはみな人間が操作することによってしか生きられない。その人間は絶えず誤りを犯す可能性を秘めた、じつにいい加減な存在である。おそらく危険きわまりない原発の運用にあたっては幾重ものセキュリティーが掛けられていたはずだ。それも「想定内」の事故を考慮してのことだろう。その「想定内」の基準が、利潤というキーワードで甘くなる。福島の原発事故が人災といわれるのはそこだ。
 伊達政宗の時代に仙台平野が津波で侵されたことは歴史的事実だった。東北太平洋沿岸への巨大津波は「想定内」のことだった。それを「想定外」として防潮堤をかさ上げしなかったのは経済効率を優先した“人災”に他ならない。
 映画『シルクウッド』(マイケル・コリンズ監督*1983)は、プルトニウム製造工場における企業の利潤優先の前に、いかに安全対策が後回しにされ、従業員を消費材としかみなしていないかを告発した作品だ。福島原発事故が終息しない現在、見ておく必要のある映画だと思う。スクリーン・デビューして間もない若々しいメリル・ストリーブが主演している。
 文学や映画は、すぐれて「想定外」の災害、パニック、事故を想定してリアリティのあるドラマを創造する表現手段だ。それは人間が経験から導き出した中間報告としての意味があり、人間の想像力の活性化を刺激するものでありつづける。
 原発モノ映画はドラマとしてこれまでも制作されてきた。いま、レンタルビデオ屋さんでは『チャイナ・シンドローム』(ジェームズ・ブリッジス監督*1979)の回転率が急激に上昇している。米国における最悪の原発事故となったスリーマイル島原発事故に触発されて制作された、その映画は公開当時、日本でも注目された。
 今回、紹介する『シルクウッド』は実際にあった米国の事件、その事件の当事者でいまだに他殺が疑われているプルトニウム製造工場の女性従業員カレン・シルクウッドを主人公にした映画だ。
 おそらく低予算で制作された映画でプルトニウム製造工場内のセットはお粗末。それでも映画がいわんとしていることは明らかだ。利潤追求のため厳密な検査もおこなわず不良品を出荷する企業、従業員への安全対策も十分な配慮がされていない。それを告発するため、シルクウッドは密かに調査し、N・Yタイムスの記者にコンタクトする。会って報道してもらうための実証的なデータを手渡すためにシルクウッドは車で向かう。その途中で不可解な死を遂げる。事故死をなっている。しかし、映画は、彼女の死を、企業の謀略で殺された、という立場だ。事故後、遺族は企業を告発し、裁判に持ち込まれた。企業は、シルクウッドが勤務中に放射能を浴びた事実を認めたが、事故への関与はむろん認めていない。しかし、事故にあった車のなかにあるはずの「報告書」が消えていた。
 シルクウッドの行動はどこか捨て身の公憤といった感じがある。考えてみれば、厳重ないい加減なものか、と思う。しかし、それは事実、起こったことなのだ。企業は非生産部門の安全面への投資を怠れば、そういうことになる。それは福島原発事故の「想定外」の被災とおなじ論理だ。それが取り返しのつかない事故になる。
 東電に顧問として天下りした通産省の役人たちが受け取った歴代の報酬総額は、じゅうぶん防潮堤を嵩上げし、安全対策にもそれなりの予算を計上することは可能だったはずだ。企業と政府の癒着が原発の安全面を損なった。“人災”側面、おおいにありとみたい。
 儲けを優先するとき、科学の誤謬の頻度は高くなるという真理を、人間はいまほど謙虚に学ぶべきだ。
 映画『シルクウッド』は公開時、都内でも単館封切りで大した話題にならなかった。B級アクション映画の主役を張っていたカート・ラッセルがはじめてシリアスな社会派映画に出演したことも話題になったはずだし、歌手のシェールが本格的に女優としてキャリアを築く一歩となった映画だった。監督もダスティ・ホフマンを一躍スターに押し上げた『卒業』の監督だったが、実際におきた事件そのものが日本で認知されていなかったため話題を集めることはできなかった。
 映画の公開にあわせて原作『カレン・シルクウッドの死』(リチャード・L・ラシキー著)も翻訳出版されたが初刷りで終わった(社会思想社刊)。映画ともに、発掘されたいルポルタージュだ。

原発事故をテーマにした社会派青春映画『みえない雲』

映画『みえない雲』(2006年)  グレゴール・シュニッルラー監督
 
みえない雲

 原発事故をテーマにした社会派青春映画。
 原作はドイツでベストセラーになったヤングアダルト小説のようだが、〈反核〉という社会的メッセージが色濃くこめられているらしく、映像にもそれがいかんなく反映されているようだ。
 邦題の「みえない雲」とは、放射能汚染が「みえない」害毒として立ち現れるという意味をこめられたようだ。現在の福島第一原発事故を体験している日本人には納得がいくし、汚染地から避難を強いられ困難な生活を送っている福島県民にとっては邪悪な存在そのものの〈みえない雲〉だろう。原題は、より象徴的に「雲」。
 映画は、いわゆる〈反核〉をテーマにした作品にみられる正義ぶりもないし、といって娯楽に傾斜したパニック性もない。中庸という感じがいい。少年と少女の悲恋という太い立て筋で貫かれ、原発事故は愛を究極的に阻害する災厄として象徴される。おそらく何時起きるか分からない原発事故は、悲恋というロマンチシズムと協奏させるにはすこぶる好都合な設定であるはずだ。
 けれど原発事故のリアリティーが欠如していれば、その愛の物語の浮き上がる。その意味でも原発事故の突発性、日常生活がふいに断ち切られる惨劇、そして被災者を苦しめてゆく放射能障害、さらには今回、福島からの避難者が強いられた差別、「放射能は移る」と忌避された転校生に対するいじめにも似たエピソードも紹介される。その意味でもよくできた映画だ。
 しかし、この映画は公開からさほど歳月が経っていないのにも関わらず埋もれてしまった。だから、ここで紹介しておこうと思った。
 戦後日本の映画のなかで一連のヒロシマ・ナガサキ物が繰り返し制作されてきたが、最近はめっきり減った。それは社会の反映だろう。チェルノブイリ原発事故から25年が経ってしまった。しかし、チェルノブイリ原発の事故炉が廃炉になってもまだ放射能をだしつづけ厳重な管理下におかれている。
 チェルノブイリ映画も何本か制作されたが、今日ではみな忘れられた。最近、早すぎる死を迎えた元キャンディースの田中好子さんが女優として最初の評価をえたのは井伏鱒二原作の映画『黒い雨』のなかで被爆の後遺症で夭折するヒロインを演じてのことだった。亡くなられた田中さんの追悼の意味もあったのだろう、キャンディース時代の映像を収めたDVDが良く売れているようだ。けれど、おなじDVDなら彼女は『黒い雨』(1989年)を観てほしいはずだ。病床の苦しい床で録音された彼女の最後のメッセージのなかには、東日本大震災の被災者を思いやる気持ちがこめられていた。その意味でも、「黒い雨」をみることこそ、遺志にそうことではないのか。
 『みえない雲』で造血障害に犯された少女の姿は、「黒い雨」のなかで田中さんが演じた「姪」の姿と重なる。吉永小百合と浜田光夫の日活青春路線花盛りの時代に制作された映画『愛と死の記録』(1966年)も想い出される。被爆者の青年(浜田光夫)の早すぎる死を追った少女(吉永小百合)を描いた。
 『みえない雲』との邦題だが、映画には放射能汚染された大気を運ぶ黒雲がCGを使って視覚化されているので、「みえる雲」だ。その雲に追われるように避難する群衆、先を争う醜い人の我欲、無人となった町や村の荒廃、雨……そのあたりもよく描かれている。
 青春恋愛映画の枠組みのなかで精いっぱい反核的立場が貫かれている。
 福島原発事故の後、ヨーロッパ各地で反原発行動が起こった。もっとも大きなうねりとなっていたのがドイツだったが、街頭に立った人たちの反核への思いに、この映画もそれなりの役割を果たしたのではないか。いまだ終息のめども立っていない福島原発事故のことを想うとき、この映画は事前に観て学習しておくべき作品ではないかと思う。現在、避難している福島浜通り地方の人たちにはつらい映像かも知れないが、これがこの時代の現実であることは認識されるべきだと思う。   2011年5月5日記

映画『ナージャの村』 本橋成一監督 ベラルーシの小さな村の平和な光景に潜む〈地獄〉

映画『ナージャの村』 本橋成一監督 
 ベラルーシの小さな村の平和な光景に潜む〈地獄〉
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 チェルノブイリ原発事故はウクライナ共和国で発生したが、風向きであったのだろう北隣のベラルーシ共和国に放射性物質がおびただしく降りそそいだ。
 この映画の舞台となったドゥヂチ村とは放射能で汚染され、政府から立ち入り禁止にされた廃村である。しかし、廃村にも数家族が住みつづけている。その家族の日常をたんたんと撮りつづけた映画である。
 村の自然は美しい。ロシアでは秋を“黄金の秋”といって愛でる。私自身、秋に旅をしてロシア、ウクライナ、モルダビアでその黄金の果実を賞味している。映画はリンゴの収穫の光景からはじまり、麦の刈り入れ、冬自宅の飼い葉刈り、地吹雪、そして春……廃村となった村には電気も水道も途絶している。役所もなければ学校も郵便局もない。そこには遙かな昔からつづくスラブの農民たちの質朴な暮らしがあるだけだ。それを20世紀の科学が破壊した。
 のどかな暮らしが静かに流れてゆく。しかし、スクリーンに映し出された美しい樹々、肥沃としか思えない大地……そこには確実に人を侵す放射性物質が巣喰い。ゆっくりと、が静かに人体をむしばんでゆく。放射性物質の半減期は途方なく遠い。それを知りながらも農民たちは動かない。そんな村がベラルーシにもウクライナにも多数、存在しているのだ。政府が強制的に村人を排除することも可能だろう。実際、そうされてきた村もたくさんあり、村ごと町ごろコンクリートでかぶせられてしまったところもある。けれど、ドゥヂチ村のようにあいまいに遺された村もある。僻村ゆえに放置されたのかも知れないし、放射線量が微妙に推移しているのかも知れない。それは誰にも解らない。政府が廃村と決めたとき、そこに人は存在しないことになっており、調査などはもうされない。そういう村もまたたくさんあるのだろう。
 どこを切り取っても平和でのどかな光景、そして穏やかな村人たちの生活。カメラはそんな村の生活を恬淡と切り取る。そんな光景のなかに、村の入り口に立てられた、「立ち入り禁止」の立て看板、そして放射線で汚染された村であることを示すマークだけが、時折りスクリーンの端を横切る。
 政府の地図にはもはや存在しない村。公共の便宜はいっさい途絶えているから、ここに一個の放射能を計測する線量計も存在しない。もし、あったらいたたまれないだろう。
 「私はこの土地でくらすのが恐ろしいのです。線量計をもらったけれど、なんで私にこんなものをくれるの? シーツを洗う、まっ白だというのに線量計が鳴る。食事のしたくをしても、パイを焼いても、鳴ります。ベットを整えても、鳴ります。なんで私にこんな
ものをくれるの?」(『チェルノブイリの祈り』から)
プロフィール

上野清士

Author:上野清士
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