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バルガス・リョサとノーベル文学賞

バルガス・リョサとノーベル文学賞


 毎年、後半四半期はなにかとノーベル賞の話題が多くなる。
 今年(2010)は中国国内の刑務所に拘禁中の人権活動家が「基本的人権を非暴力で貫いている」として平和賞を受賞した。中国共産党政府は、内政への不当な関与だ、とノーベル財団を批判した。一連の尖閣諸島問題もあるから、日本での対中国イメージは悪化の一途をたどっている。
 個人的な中国観でいえば共産党政府は度し難いと思っている。「中国」が嫌いなのではなく、一党独裁という非民主的な体制を維持するために〈人民〉主体の共産主義思想という妄想に依拠する政府に嫌悪する。中国の長大な歴史にとって、今日の共産党とは、20世紀後期の世界情勢に相応しい新手の〈王朝〉に過ぎない。一党独裁は人民から付託された権利だと強弁できるからだ。その政府が、北朝鮮の「金王朝」の後ろ盾になっているのは同じ生理からだ。いま、漢民族でもっとも正しい行動をしているのは香港の民主化活動家たちだろう。
 一度、『人民日報』の協力を受けて約2週間、北京と上海、そして開発の槌音高きという1990年代の海南島へ取材したことがある。その際の地方の共産党幹部たちの横柄ぶり、教養がまるで欠落した発言と行動、民衆をみくだす態度に辟易したものだ。その1年後、バックパッカーとして個人旅行で香港から広州入りして歩いて旅をした。
  招待旅行が満漢全席の旅なら、後者はファーストフードの旅のようなものであった。
 その両方を実行、体験してみて、この国の政治制度に徹底的な不信感を抱いた。その内実はここに書くスペースはないが、いずれ書くことがあるだろう。……といった具合に年末はノーベル賞の話題に事欠かない。前置きが長くなりすぎた。
バルガス・リョサ

 ここで書いておきたいのは文学賞のことだ。豊潤な現代ラテンアメリカ文学の森、「魔術的リアリズム」として象徴される熱帯雨林の豊潤をささえる大きな才能のひとり、ペルーのバルガス・リョサが受賞したからだ。
 日本では名ののみ高名だが、広大なアマゾン密林にわけ入るような取り止めのなさを感じさせるバルガス・リョサの文学の長編に親しむ者は少ないというのが日本の実情だろう。これを機会にその森にわけ入ってもらいたいとの個人的な思いもあるので書くのだ。
 
 ペルーにとって最初のノーベル賞受賞者となった。その受賞決定と、ほぼ同時期、同国ではじめて天然ガス田が発見された。アラン・ガルシア・ペルー大統領はリョサの受賞とともに、「神は祖国へ二重の喜びを与えた」との声明を発表したものだ。
 リョサは40代前半で国際ペン・クラブの会長(1976~1979)を務めたほどの早熟の才能だった。その当時、すでに『緑の家』『都会と犬ども』(ともに邦訳)の長編で世界的な成功をおさめていた。そして、ペン会長としての職務も堅実にこなしノーベル賞にもっとも近い作家といわれていた。ノーベル賞は目と鼻の先にぶら下がっていた、と言ってよい。それが30年あまり手にできなかった。ラテンアメリカ大陸の矛盾、政変、亡命が作家に紆余曲折を強い、長足の迂回路を取らせることになった。
 理由は色々、とりざたされているが、1990年、ペルー大統領選挙に出馬してからの政治活動が受賞を遠避けたといわれる。政治的に生臭い人間は平和賞の候補にはなっても文学賞にはそぐわないと敬遠される傾向がある。
 その選挙とはアルベルト・フジモリが大統領に初当選した時のものだ。これにリョサは伝統的な保守政党の候補者として出馬、一次選挙でフジモリ票を上回ったものの、決選投票を前に敗北を認めた。決戦投票に進めなかった他政党との連捷工作が不調に終ったからだ。個人候補の人気としてはフジモリを確実に上回っていた。
 その後、フジモリの政敵として国外へ追われ、スペインに活動の拠点をおいた。
 今回の受賞に対して国内の政治的な対立者のなかには、「フジモリが失脚し抑圧の心配が消えたにも関わらず祖国に復帰せず、一度、旅でペルーに入っただけのリョサに、ペルー人の資格はあるのか」といった批判の声も聞かれた。
 1960年代以降、世界的な影響力を行使するようになったラテンアメリカ文学だが、その牽引者はなんといってもコロンビア出身の作家ガルシア=マルケスだろう。彼の詩的イマジネーションに富んだ幻想的現実主義と呼称される文学とリョサの文学とはまったく異質だ。より伝統的なリアリズムの形式のなかに緻密な文体と構成力、そして鋭敏な観察眼で社会矛盾を暴き、現実を鋭くえぐる手法を取った。
 けれど、リョサ文学のなかにあってもっとも大衆的に親しまれている作品は『パンタレオン大尉と女たち』だろう(日本ではなく、スペイン語圏という意味だが)。
 アマゾン辺境地帯の国境警備隊の若い兵士の愛と性を描きながら、国家権力の恣意性を告発する。ここでは通念の娼婦観はなく“聖化”の気配すらうかがえた。この小説はリョサ自らメガフォンをとって映画化されている。近年もリメイクされラテン圏では商業的な成功をおさめた。これを機会に日本でも公開して欲しい映画だ。近作ではクンビア・イキトス派とよばれるペルー独自の濃厚で熱いクンビアも聴ける。サルサやレゲトンばかりが今日的なラテン・ポップスの主成分ではないのだ。
 リョサは文学とどうじにアクティブで優れた社会評論の書き手でもある。思想的なブレはない。大統領選挙へ出馬して破れたことも、文学者の彼にはいささかの瑕疵でもないはずだが、フジモリによって政治的力学における敗残者となることを強いられた。現実政治に関われなかったことが幸いしたかも知れない。フジモリと対立したのは、能弁な日系人学者のなかにポリュラリズム=大衆迎合主義的な臭みを嗅ぎ取ったからでもある。リョサは独裁に陥りやすい、そうした政治姿勢をラテンアメリカから排除していかなければいけないと考えていた。
 リョサはメキシコを半世紀以上に渡って支配していた制度的革命党をアメリカ大陸におけるもっとも巧妙な“独裁政権”と批判し、メキシコ論壇でも注目度の高かい作家だった。キューバの革命政権に対しても歯に衣をつけぬ批判を展開していた。この辺りはガルシア=マルケスとはかなり姿勢を異にする。
 現在、74歳のリョサには政治家としてペルーに戻り活動する気はないだろうが、作家としての活動は精力的に継続させている。日本でもリョサ作品の復刊や、新刊も予定されている。(2010年12月記) 
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ルベン・ダリオとエルネスト・カルデナル

中米ニカラグア
 グラナダの詩祭、ルベン・ダリオとエルネスト・カルデナル

 ニカラグア第4の都市グラナダといえばスペイン植民地時代から中米を代表する古都だった。
 16世紀中期に創建されたときから中米地峡南部地域の宗教と文化の中心地として栄えた。
 19世紀後期、南北戦争で敗れた南部州にはおおくの奴隷制維持派が行き場を失った。そうした層に支持された弁護士がいた。ウィリアム・ウォーカーである。彼は、その南部の支持者から資金をあつめ、私兵ともにニカラグアを侵略した。ニカラグア人を奴隷として“輸出”しようと目論んだようだ。そのウォーカーの私兵によって焼き払われるまでグラナダは創建当時の古雅さが保たれていたという。
 それでも現在のグラナダはいまも大聖堂を中心に昔の面影を良く伝えているし、中米一の大きな湖ニカラグア湖岸に至る道の遊歩道にかつての繁栄の面影がみえる。
 この古都からニカラグアを代表する人材がたくさん輩出したのは当然の成り行きだった。
 なかでも詩人ルベン・ダリオ(1867~1916)は同国ばかりか近代スペイン文学を代表し、文学史に特筆される。スペインの詩人ガルシア・ロルカに大きな影響を与えたといわれる。ダリオの名はニカラグアでは国立劇場の名に遺されるほの国民的詩人である。その詩人の生誕地に設けられたのが「詩の国際フェスティバル」。今年(2014)は2月17日から23日まで開催される。会場はコロニア様式の建物に囲まれた独立広場だ。詩祭にはフランス、ドイツ大使館も後援する。
 今年はスペイン語文学を代表して例年、ノーベル文学賞の候補となっているエルネスト・カルデナル(1938~)を讃える企画となっていて、ポスターにも彼の肖像が描かれている。
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 カルデナルはカトリック最左派の「解放の神学」派に属する聖職者として、しばしばローマ法王庁の逆鱗に触れる政治的活動を実践してきた人であり、その中心的活動地は、当時の軍事独裁政権を圧制を避けたニカラグア湖に浮かぶソレンチナーメ群島であった。そこに住む半農半漁の貧しい民衆への識字教育などの実践活動報告は日本でも翻訳されている他、後年ニカラグア素朴派といわれる一群の農民画家を生み出した絵画運動の報告は日本でも画集となって刊行された。その群島に3日ほど滞在し、カルデナルの別邸に隣接した簡素なホテルであった。
ニカラグア農民の素朴画

 カルデナルの詩業の紹介はいまだ本格的に行なわれていない。筆者の知る限り詩集『深き淵より』一冊のみ刊行されているだけで、それもキリスト教専門書を扱う出版社の企画で、ひろく読まれているとは思えない。
 ニカラグアというとサンディニスタ革命関係の本が多く、そのなかで紹介されるカルデナルは、革命政権に文化大臣として入閣した闘う聖職者というイメージが先行している。比喩・隠喩に富んだ象徴主義的なカルデナルの語法が翻訳を困難にさせていると伝え聞くが、今年の詩祭のプログラムのなかでは、カルデナルの詩に曲をつけたコンサートも用意されている。
 けっして、スペイン語圏では「難解」とは捉えられていないように思う。邦訳が至難というのは、カルデナルが民衆に密着して活動してきた聖職者が捉えた言語世界が、アカデミックな正書法を規範とする辞書的なスペイン語に馴染まないからだと思う。そうした民衆言語で語る「聖書」の読み解きを主題にした『愛とパンと自由を--ソレンチナ-メの農民による福音書 』は詩人としての感性にあふれた清新な感動を呼び起こす書物だった。

ラテンアメリカの女たちは耐え、歌い叫び、そして詩魂を滾らせる

 ラテンアメリカの女たちは耐え、歌い叫び、そして詩魂を滾らせる



 木々のたたずまい
 そのおもざしは
 刹那のものだ

 1951年生まれのメキシコの現代詩人コラル・ブラーチョの「木々のたたずまい」(松下直弘訳・注1)。分け書きすると韻律が宿るが、繊細な感覚で切りとられた寸景は俳句の縁取りである。芭蕉の影響を留める。実際、ラテンアメリカには俳句に親しむ詩人が多い。ブラーチョはメキシコ現代詩のなかにあって斬新的で官能的な詩をかく女性詩人だが、意識的に紡ぐ短詩の世界には東洋的な観照、あるいは無常観が象徴されているように思える。もう一編、ブラーチョの短詩「インディオの声」(同訳・注2)を引用する。

 消えゆく
 声の痛ましさ 永久の
 深い声
 やがて消える やがて消える声
 われわれにとっては

 ブラーチョは自らの体内を流れる血に先住民の流露を知覚する。メキシコでは先住民とスペインなど西欧人との混血層をメスティーソというが、彼女は自分の血が子に引き継がれ、孫に受け継がれてゆくごとに先住民の血は薄まっていくのか、と問いかけている。
 ラテンアメリカ文学は「先住民」は欠かせない構成要素である。広大な大地を愛そうと思えば、先住民の女たちの血と涙を詠わずにはいられない。
 ラテンアメリカで最初のノーベル文学賞を受賞したチリの女性詩人ガブリエラ・ミストラルの詩「熱帯の太陽」(注3)。
ガブリエラ・ミストラル

 インカの太陽、マヤの太陽
 円熟したアメリカの太陽
 マヤ族、キチェ族が認め、あがめた太陽
 古のアイマラ族は琥珀のように
 その太陽の中で燃やされた
 決起する時、赤い雉になり
 和合する時には、白い雉となる
 人間と豹の血統を
 太陽は塗り、刻印する     
      
 ガブリエラの豊穣な世界をこの詩ひとつで象徴すべきではないが短い紙幅なので、あえてこれを選んだ。ガブリエラがここで歌い上げるのは広大なラテンアメリカを共通の文化圏としてとらえ一体感を希求する魂。そして、「人間と豹の血統」を太陽の恵みを受け絶やすことなく生命を育むのは大地の母たちである。
 広大な太陽と緑の地をひとつの文化圏とみなし植民地支配のくびきを解くことを自覚的に主張したのはキューバの詩人であり革命家であったホセ・マルティだが、ガブリエラはその志を引き継いでいる。しかし、その視座は女性〈性〉である。ガブリエラのノーベル賞受賞は同じチリの詩人パブロ・ネルーダに先行した。第二次大戦のあいだ中断を余儀なくされたノーベル賞の授与者の決定、授与式だった。戦火が止んだ1945年には、はやくも平和の到来を祝って授与式が行なわれた。ガブリエラへのノーベル文学賞は「新大陸」で最初の授与であった。しかも南の途上国の女性詩人が選ばれた。大戦後のあたらしい世界像が象徴されたのだ。
 
 ラテンアメリカの地に多くの女性詩人の名が刻まれている。涙や血の潤いで肥沃な地深く、それらの名は根を這っている。しかし、ここでは逐一、語るわけにはいかないのでひとりだけガブリエルから遡ること三百年、スペインの植民地であったヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)の修道院で時代の桎梏から抜け出そうと足掻き、苦しみ、自死ともとれる奉仕と献身のなかで夭折したファナ修道尼ことイネス・デ・ラ・クルスについて触れておかねばならない。
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 私が幸福だということに致しましょう
 悲しい思いつきですが、つかのまのことですから
 あなたは私を説得することがおできになるかもしれません
 私はそうではないことを分かっているのでございますが
 不幸の原因はただ私の理性にあるのだと
 世間では言われていることを
 あなたが自分を幸福だとお考えになれば
 さほど不幸ではないでしょう
 時にはその理性が
 私にとって休息になればよいのですが……       ……(林美智代・訳)注4

 女性が高等教育を受けることが適わなかった時代、彼女は当時の学問センターであったカトリック教会で献身することを引き換えに新しい思潮を学ぼうとした。
 スペイン経由で送られてくる書籍や化学の実験用具で学び、同時代のメキシコにあって類いまれな叡智の人となる。詩人として彼女は名は残っているが、まず思索の徒であり、その自己表現の発露として劇作し演出し、音楽をつくり、天文学まで視野を広げた女子教育者であった。ラテンアメリカ文学史ではファナ修道尼の名と詩は「旧世界」から投げられる思潮に対する、「新世界」からの雄弁な応答として銘記される。
 しかし、あまりにも時代に先駆けて思索をめぐらせた彼女の知性、そのものが「異端」であった。まず、保守的なヌエバ・エスパーニャの教会から疎んじられ、まず書くことを禁じられた。つづいて書籍一切を没収された。精神の砦が破壊された。拒絶すれば異端審問の憂き目にあっただろう。そうして生きる意味を失ったファナ修道尼は不治の病者をあつめた病棟での奉仕に進み出ていった。前掲の詩はみずからの運命を時代の限界のなかで冷厳に見つめた静かな覚悟が静謐に語られている。
 ファナ修道尼が女性であるがため夭折の寝棺となった修道院には、グァダルーペの聖母像が祭壇に祀られていた。メキシコの守護聖母である。聖母の皮膚は「新世界」の先住民の肌を示す褐色である。
 アステカ帝国がエルナン・コルテス征服軍によって滅亡してから10年後の1531年12月、メキシコ市北部のテペヤックの丘に先住民男性の前に「聖母」が降臨し、奇跡を行なう。その丘には現在、グァダルーペ寺院が建っている。その奇跡譚を詳細に語れば一書になるものだが、ひとつだけ書いておけば、その丘はアステカ時代、神殿があったところでトナンツィン「神の子の母」と呼ばれる女神がすまうところだった。メキシコ先住民はトナンツィンの化身としてグァダルーペの聖母を捉え、カトリック教会はあくまで聖母マリアの降臨と解く。
 「新世界」にはじめて奇跡をもたらしたのはイエス・キリストではなく聖母マリアであった。女性〈性〉がまず選び取られる。それから500年、「聖母」讃歌は無数に生まれ、いまも歌い継がれている。それは詩、聖歌、俗謡、ロックの旋律にも〈顕現〉している。
 ラテンアメリカの詩を語るとき、いわゆる紙の上で表される〈詩〉は、歌われる〈詩〉の質量は替わらない。グァダルーペの聖母讃歌などはその典型である。
 ガブリエラの後、チリに民謡を採譜して旅し、歌ったビオレット・パラが出る。隣国のアルゼンチンにメルセデス・ソーサがあらわれ”大地の母”として詠った。そういう詩人がラテンアメリカの言霊をいつも清新に保つのだ。ノーベル賞の受賞を祝ってラテンアメリカ諸国はガブリエラを祝賀し歓迎の宴をひらくが、そうした場ではガブリエル詩は旋律とリズムを献呈されて「歌」となった。

 幸せと数々の夢想で眠れぬ夜ごと
 火の淫らさは私の寝床におりてこなかった。
 子守歌の産衣を着て生まれてくるはずだった子のために
 私の両腕をさしのべ 乳房をふくらませていたのに   
      ……「息子の詩」部分(注5)
 
 ガブリエラは教職者として生涯の大半を送った。そして、独身を通して死んだ。いくつかの熱愛は成就することはなかった。

 *注1、2 『現代メキシコ詩集』(土曜美術社出版販売)2004年
 注3、5 芳田悠三『ガブリエラ・ミストラル~風は大地を渡る』(JICC出版局)1989年
 注4 季刊『iichiko』2006年春号より。

*一昨年、大阪の詩誌の求めに応じて書き、掲載された原稿をブログに再掲載するに当たって若干、手を加えた。

          

ノーベル賞詩人ネルーダの死は毒殺か?

 ノーベル賞詩人ネルーダの死は毒殺か?
 軍事独裁時代の犯罪究明のなかで・・・南米チリ
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 1973年9月11日、南米チリに選挙を通じて実現したアジェンデ人民連合政府はピノチェト将軍の軍事クーデターによって武力で倒された。そして17年に及ぶ軍事独裁政権下でおびただしい人権犯罪が行われた。
 民主化を迎えた90年代から行方不明になっていた犠牲者の探索と同時に人権犯罪の究明も開始された。しかし、司法当局の追究は約20年が経過してもまだ全貌を明らかにできないでいる。歳月の経過による証拠の消滅、あるいは隠滅、証言者の死、そして軍部から圧力などによって遅々として進まない。なかでもアジェンデ政権崩壊の数日後、急死したノーベル賞詩人パブロ・ネルーダの死因をめぐっての調査も終わっていない。
 ピノチェトのクーデターが成功した後、チリ民衆は相次いで世界的な影響力を持つふたつの大きな才能を失った。
 ひとりはラテンアメリカの「新しい歌」運動のリーダーのひとりであり人気歌手でもあったビクトル・ハラ。彼の歌は日本でも横井久美子さんらが積極的に紹介し持ち歌として録音もされた。彼はクーデター直後、逮捕されギターを持つ手を砕かれ虐殺された。
 そして、ネルーダ。クーデターの直後、生命の危機を覚えた詩人はメキシコへの亡命を計画していたが、持病の白血病を悪化させ急死した、とされてきた。ガルシア=マルケスの有名なルポ『戒厳令下チリ潜入記』もこの病死説を採り、人民政府の崩壊を「哀しむあまり持病の~」と書いていた。
 この5月、ネルーダの元運転手マヌエル・アラヤ氏が、「軍部から派遣された医師がネルーダに何らかの注射をした後、容態が急変し死に至った。前日まで問題になく歩き回れたのに不審におもっていた」と証言した。
 アジェンデ派のネルーダがもし亡命すれば、彼自身が持つ世界的な影響力を行使して、軍部批判を展開するのは明らかだった。それを軍部は恐れた。それを阻止するために暗殺された、という憶測は前からあった。今回、新たな証言が出たことによって新たな裁判が始まろうとしている。軍事独裁時代の傷は崩壊後20年が経過しても癒えない。  

書評 『ラテンアメリカ十大小説』 木村榮一著

書評 『ラテンアメリカ十大小説』 木村榮一著
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 豊潤にして美味、物語の醍醐味を堪能させてくれる現代ラテンアメリカの小説の森、いや密林。これまで、この地域の現代文学に関して適切かつ簡潔に方向指示を出してくれる入門書のたぐいはなかった。わずかに植民地時代から現代の汀まで鳥瞰して解説してくれた文庫クセジュの一冊しかなかったと思う。クセジュだから当然、フランス人の嗜好を濾過しての提出であって、必ずしも日本の読者の嗜好とはすこし違う味つけ味わいで調理されていた。そこへ木村さんの本が出てきた。このメニューはいい。いうならば日本人好みの案内書が出てきた感じだ。こういう入門書を渇望していた読者は多いと思う。僕自身、なにか、やっと満たされた、という感じだ。
 著者は、これまでガルシア=マルケス、バルガス=リョサ、ボルヘス等々、現代ラテンアメリカ文学の代表作を幾多も翻訳してきた、いわば実践者の手になる指南書だから信用できる。水先案内人は熟練者にかぎる。木村氏は幾多の翻訳を通じて、その世界に深く分け入って、絡み合う蔦を払い、虫の攻撃を撃退しつつ、芳醇なる言葉を拾い選んできたラテン文学界の苦労人だが、まぁ苦労とはあまり思っていないだろう。先駆けて読んだという優越者だし。
 木村氏ならではと思わせる引用箇所が魅力的で、小説を知り尽くした人の説得力をもつ。そして、とりあげた十代小説の解説に行き着く前、限られたスペースのなかで、その作品にいたるそれぞれの作家たちの履歴や、同時代の母国の歴史なども語って周到に読者のイメージをふくらませ、と発酵させつつ、さてこういう魅力に富んだ作品だ、と提示する手法である。そして、その粗筋の紹介もまた一つの掌編小説を読んでいるような、それ自体が掌篇であるかのような面白さを味わうことができる。
 十代小説とは、ボルヘス『エル・アレフ』、カルペンティエル『失われた足跡』、アストゥリアス『大統領閣下』、コルタサル『石蹴り』、ガルシア=マルケス『百年の孤独』、フェンテス『我らの大地』、バルガス=リョサ『緑の家』、ドノソ『夜のみだらな鳥』、プイグ『蜘蛛女のキス』、イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』である。十代作家十代小説という選択である。
 熱心なラテンアメリカ文学愛好家ならすでに自分の嗜好を頑固な頑迷にねちっこく抱え込んでいるいるだろうから、木村腑分けに異論もあろうかと思うが、入門書であってみれば、その選択はじゅうぶん納得のいくものである。僕だって異論はあるけど、しかし、概ね了解という選択にはちがいない。
 現代ラテンアメリカ文学の特徴をひとつの網にかけるようにして括る比喩に「魔術的リアリズム」というのがある。著者もまた、それを肯定しているわけだが、それぞれの作家たちの「魔術的リアリズム」の表出の方法、表現はそれぞれ抜きがたい個性があるわけで作家と作品を語るなかで、その特徴を鮮やかに提示していく。
 木村氏自身が、「魔術的リアリズム」の魅力に遊弋して仕事をしてきた人だから、その入門書の文体も、いわゆる教科書的な無味乾燥としたものではなく、芳香が行間にただよって読ませる。これがいい。先にあげたクセジュはその点、すこぶる教科書的な文体であった。本書で、またラテンアメリカ文学愛好家がふえたら愉快、完爾!
▽岩波新書(2011年2月刊)
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