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プーチン独裁下のロシア映画 №4『タイム・ジャンパー』

プーチン独裁下のロシア映画 №4『タイム・ジャンパー』
タイム・ジャンパー

 アホなタイトル、どうとでも取れるメリハリのないポスター・・・・・・を見ればB級映画で予想される範囲はできないだろうと思ってしまう。それでも観る気になったのは復活ロシアの映画界がタイム・スリップモノをどんな手さばきで調理しているのかという興味のみだった。
 冒頭、ロシア版ラップのけたたましさのなかでサンクト・ぺテルブルグの中心街の光景が流れる。ネヴァ河に面したエルミタージュ、教会伽藍、広壮高雅な雰囲気を観光ビデオのように流れる。盛夏に撮ったということで真冬、午後2時には暮れてしまうドフトエフスキー風憂鬱さは陰りもみせない。自由経済となったいまも欧米都市ほどコマーシャリズムに汚されていない気品は確かにある。しかし、レニングラード時代のその町を親しく旅した者の目からみれば、それはまったく蘇生したような美しい町にみえる。
 
 映画の主人公4人の青年の生業はまぁチンピラ、あぶく銭を稼ぐために市郊外の戦跡から埋もれた銃器や勲章、その他、もろもろの戦争遺物を掘り出しては換金している連中だ。チンピラのなかにはナチを象徴するような刺青を彫ったスキンヘッド、ドレッドヘアーもいる。その日も4人はサンクト・ペテルブルグ市中から車を飛ばして発掘現場にやってくる。

 おもえば国土広く深くナチドイツ軍の侵入をゆるしたソ連欧州部はそこかしこ、無数の戦跡があるといってよい。レニングラードでは900日間、ドイツ軍に包囲され、甚大な被害を受けている。これをレニングラード包囲戦といい、その前線となっていた場所はすべて「大祖国戦争」(と対ドイツ戦をソ連時代に命名している)聖なる戦跡なのだ。そこにはまだソ連兵の遺骸も埋まっている可能性もあるのだ。だから、戦跡盗掘を描いた映画など旧ソ連では是認されなかっただろう。
 しかし、そこはしたたかなプーチン政権下、戦跡盗掘現場で4人の青年をお仕置き的に大戦下のソノ現場にタイムスリップさせてしまう。いまのお前たちの野放図で自堕落な生活も、かつて命を賭して戦った、おまえたちと同世代の英雄的な無視の精神によって実現したのだ。その現場をみてこい、その苦労を味わってこいと放り出したのだ。

 日本でも東京大空襲下にタイムスリップする青年の話があったが、このロシア映画のスケールは本格的だ。塹壕戦のリアリティはハリウッド並みだし、ソ連時代からモスクワと並ぶ映画制作の拠点であったレニングラードには大戦中の戦車や装甲車、ジープ、土を掘るシャベルや兵士の装備などがきちんとメンテナンスされている。それらが本作でも活用されスクリーンに奥行きを与えている。否応もなく当時の赤軍の階級制度下に置かれ、まったなしで白兵戦に狩り出される。
 その戦時下の時間のなかで積み重なれているエピソードが、チンピラ4人が21世紀のある日、掘り出した遺品の、それこそ物心性と絡んでゆく。その辺りはなかなかよくできたシナリオなのだ。デビュー当時のタルコフスキー監督だったら、その塹壕戦だけですばらしい映画を撮っただろう、とないものねだりの想像をしてしまう。

 戦死した若い赤軍兵士の遺品がキーとなって現代に戻ってきた4人。その時、かれらは非愛国的なチンピラではなく、ロシアイズムを体現する立派な帰還兵、青年となっているのだった・・・というオチをつける結構。プーチン政権下らしい結末ではないか? しかし、ソ連時代、赤軍兵士たちが夥しい血を流した戦跡を暴き、遺品を換金するなぞという行為はシベリア流刑もので、たとえ訓戒的にせよ、そんな墓泥棒たちの存在を認めるような映画が制作されるはずはなかった。
 *2008年制作・ロシア映画。アンドレイ・マニューコフ監督。104分。
 
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プーチン独裁下のロシア映画 3  『チェチェン・ウォー』 

プーチン独裁下のロシア映画 3 『チェチェン・ウォー』 
映画 チェチェイン・ウォー

 チェチェン紛争を描いたロシア映画のなかでは、もっともシナリオが練り上げられた作品が本作『チェチェン・ウォー』(アレクセイ・バラバノフ監督)だろう。この後に、ロシア映画におけるチェチェン紛争映画の微温的な姿勢を指弾するような映画『あの日の声を探して』(ミシェル・アザナビシウス監督/2014)が登場する。
 『あの日の声を探して』ではチェチェン語の音というはこういうものであったか、と親密感をもって語られている。
 ロシア映画のチェチェイ人はソ連邦の隷属の民という位置づけで、かつての公用語としてのロシア語に帰依しているというスタンスだった。その隷属から救ったのが『あの日の声~』であった。が、いまはまだ2002年のロシア映画を診断しなければならない。
 
 原 題は「戦争」。紛争とか内戦でなく「戦争」としている。この表題のつけ方は、プーチン政権が内政問題として欧米諸国からの批判を交わそうとした意図を明確に批判するものだ。『あの日の声~』の監督もチェチェンを国際戦争と位置づけている。
 プーチン政権は北京オリンピックの最中、世界が競技に夢中になっている時期にコーカサスの小国グルジアに武力侵攻した。その「戦争」を国境紛争と糊塗した。小国グルジアにとって国家存亡の危機だったが、大国ロシアにとっては国境紛争とみなそうとした。ロシアはこの後も、ウクライナ領のクリミア半島、東部国境地帯の強引な併合などもそうだ。だから、本作の監督が表題を「戦争」としたのは大きな意味があるし、その表題に「戦争」の醜さ、あるいは現代の「戦争」の特徴をシンボライズする意味で、そう命名したともいえるだろう。

 映画は、「人質」問題に集約されている。
 いうまでもなく今日の「イスラム国」は恐怖の常套手段として人質を残虐に処刑する。処刑執行者も仲間内での“肝試し”の通過儀礼のようにプログラマ化されている。
 小国、資金、兵員、装備に限界のある武装勢力が、大国、巨大な軍事組織に抵抗する手段として「人質」を確保し、それを担保にさまざまな作戦を取り、あるいは身代金を強奪する方法は軍事独裁政権が中南米諸国を覆っていた当時、反政府武装組織が繰り返し、有効な作戦として選択していたものだ。イスラム過激派の専売特許ではない。
 ただ、これまでの「人質」の処遇の仕方とはあきらかに違う。「イスラム国」は、人質の交換ということに興味を示していないかのように思える。だから、繰り返し、多くの人質を処刑し、その画像をネットで流しつづける。「国」ではないから、ジュネーブ協定の箍(たが)すら無視されている。

 閑話休題。映画に戻ろう。
 本作で人質となるのは、チェチェンの独立武装組織に拘束されたロシア軍のイワン軍曹(アレクセイ・ツアドブ)と、グルジアでシェークスピア劇上演のためグルジアで公演旅行中に拉致、拘束された英国人俳優の男女となる。この映画がロシアの検閲を通ったひとつにロシアと領土問題を抱えるグルジアとチェチェイン分離主義者たちとを結びつけていることもあっただろう。しかし、いうまでもなくグルジアはロシアと同じように東方正教会の教義を国教とするキリスト国であることは忘れてはならない。
 
 囚われたイワンと英国人男性ジョンは、武装勢力から身代金を調達するため解放される。もし、期限まで身代金が調達できなければ、ジョンとともに人質になった恋人の女優をレイプして殺害すると強迫される。イワンは英語が話せるためジョンが英国に出るまでの手助け要員として解放されたわけだ。
 映画はジョンが身代金調達に難渋するロンドンでの撮影も行なわれている。必然、ジョンは恋人の釈放をもとめて政府に掛け合うが、「テロ集団との駆け引きにはいっさい応じない」という立場を崩さない。そんなジョンに某テレビ局が、これからロシア、チェチェン入りしてからの行動をいっさいをビデオ撮影してくるなら、その身代金の一部を肩代わりしようと申し出る。これはリアリティーのある話だ。そして、ジョンの素人カメラのアングルはルポルタージュのリアリティーのある画像を映画に挿入することができた。この辺りの作劇もうまい。

 ジョンは200万ドルを確保することはできなかったが、ともかく期限までにゲリラたちの根拠地を戻らないといけないとロシア入りし、道案内のためにイワン軍曹の助力を求めて、彼の住むシベリアの辺境に旅をする情景も映し出される。映画がチェチェンの乾いた風土だけでなく国境をまたいで動くので退屈させない。季節のよいシベリアの光景は美しい。
 イワン軍曹は殺されず解放されたのはいいが、故郷にもどっても仕事があるわけでもなく、生きている充実感がない。そんな心の隙間にジョンの懇請が忍び込む。今度は死ぬことになるかも知れない。しかし、そこには現在(いま)生きているという実感があることをイワンは知っている。

 ゲリラの根拠地に侵入した二人、そして武装勢力に反感もつチェチェン人農民の青年たちの果敢の行動で人質となった女優を解放するところまでたどり着くも・・・その先は語るのは辞めよう、これから観る読者のために。
 

プーチン独裁下のロシア映画 2  『厳戒武装指令』

t.A.T.uのポップスをBGMにしたチェチェン紛争映画『厳戒武装指令』

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 冷戦末期、ソ連はアフガニスタンに介入して混迷し、共産党独裁の崩壊に繋がった。
 アフガニスタンの親ソ派政権を維持するための武力介入は、ソ連を疲弊させた。
 タタール人の侵入、ナポレオンのモスクワ占領、ナチ・ドイツ軍の侵攻に対する戦いは基本的に平原での戦いであった。勇猛果敢なコサック兵も平原での騎馬戦に長けていた。しかし、アフガンでの戦いは、険しい山岳地帯の地勢をよくしるゲリラ戦のなかで苦闘した。
 ソ連軍には山岳地帯での戦いに対する教典はあっただろうが、実戦から学ぶことは少なかった。ソ連圏の離脱したチトー大統領のユーゴスラビアにソ連が介入できなかったのも、地上戦では山岳戦に長けたチトー軍との戦いをい避けたからだ。
 アフガンの戦いでソ連軍は確かに学んだが、多くの若い兵士の犠牲のうえで血と肉を飛散させて山岳戦の要諦を学んだのだ。代償はあまりにも大きかった。甚大な兵士の死は、やがてソ連そのものを崩壊させたのだ。

 いま、中央アジア諸国の墓地を訪れると、アフガン戦争で戦死した若い兵士たちの墓標が林立しているのをみることができる。彼らの墓標を確かめるために訪問したわけではない、中央アジア諸国に散在する大きな墓地にはたいてい日本将兵の共同墓地があり、その墓参に訪問すると、そこに若い青年像を墓碑に複写した墓が林立して目につくのだ。
 日本将兵の墓とはいうまでもなくシベリア抑留時代の強制労働で亡くなった無念・無慚と望郷の涙のなかで飢えのなかで死んでいった人たちの墓である。近くいけば、それに手を合わせるのは日本人の義務と思う。
 一度、ウズベキスタンの首都タシケント郊外の墓地で、日本の墓参ツアーに出会ったことがある。先日、安倍首相が詣でた墓地だ。
 その墓地には日本将兵とおなじように抑留生活で命を落としたドイツ軍将兵の墓がある。アフガン戦争で命を落とした若い兵士の墓もある。けれど、ドイツ軍将兵の墓に目を留める日本人はいないし、また阿部首相も気がつかなかっただろう。ましてやアフガン戦争で戦死した若者の墓など一顧だにされない。そういう安倍首相の姿、日本人墓参団の行動を地元のひとたちは注意深くみていることを忘れてはならない。

 中央アジアのイスラム国から多くの若者がアフガンの戦場に狩り出された。戦場まで近いということ、同じような風土に生活していること、そしてアフガンのタジク語に通じている者が多いことも理由だった。
 しかし、ハリウッドがベトナム戦争の矛盾、非人道性を早くから映画化したようにはソ連のモスクワとレニングラード(現在サクトス・ペテルブルグ)の二大撮影所はアフガンの負け戦を撮らなかった。
 共産党独裁下ではいうまでもなく表現の自由は封殺され、負け戦さを描くなどもってのほか、という時代だった。映画人は沈黙していた。それがソ連映画界だった。

 しかし、チェチェン戦争では早くから映画が撮られた。政府に批判的な視点からも撮られている。
 アフガン戦争のように封印するのではなく、チェチェン独立過激派のテロを描くことによって、戦争の正当性を訴えられるとおもっているのかも知れない。前に取り上げた『大統領のカウントダウン』などは、その典型だろう。
 〈チェチェン〉はロシア映画に繰り返し描かれることになる。ベトナムが米国人の最大の関心事になったように、〈チェチェン〉はロシアの安全・平和を語る際のキーワードになったからだ。

 ソ連時代、欧米はもとより日本でも〈チェチェン〉を知るものはなかったが、ソ連崩壊後、にわかにロシアでもっとも有名は自治共和国として浮上した。その内戦の苛烈で・・・。
 だから、〈チェチェン〉を記号としてロシア映画を観ていくとプーチン政権下での表現の自由、検閲の許容度が理解できる。あるいは、チェチェンに対する政策の変化、あるいは連邦内の少数民族に対する政策の変容もなんとなくわかってくる。
 
 チェチェンの戦場では、かつてアフガンで戦友だったロシア人とチェチェン人が死闘を交えるということになった。そんなエピソードが語られる映画に『厳戒武装指令』(ニコライ・スタンブラ監督*2002*原題「前進 突撃」 )があった。日本では劇場未公開ままでVHS、そしてDVDでの発売となったため知る人が少なし、まともな批評は日本で書かれなかった。一部、戦争映画おたくがB級アクション扱いで紹介していたぐらいだろう。この映画はまず、プーチンが第2代ロシア大統領に就任して3年目に入った時期に制作されている。

 ロシア軍に徴兵され空挺部隊に志願した孤児院出身の主人公サーシャのチェチェンでの戦いが縦軸として流れ、そのあいだに幾つかの挿話が挟み込まれ、ロシア現代史の歪みが垣間見えるという仕掛けだ。サーシャの戦争という視点からだけみればB級戦争アクションとなるが、むしろ、挿話のほうが興味深いのだ。
 たとえば、映画にアフガンの戦地で同じ釜の飯を食った旧ソ連軍兵士がいま、チェチェンの戦場で敵対しているという現実がある。ソ連軍がアフガンから完全撤退を完了したのが1989年。その5年後には第一次チェチェン紛争がはじまっている。ソ連崩壊直後、エリツィン大統領の時代だ。若き兵士時代、アフガンで戦友だった男たちが、数年後にチェチェンで敵同士となるのはきつい現実だろうし、それは悲劇だ。実際にそんなことはあったはずだ。
 映画はチェチェン人の武装勢力を決して唾棄すべき存在としては描いていない。むしろ、チェチェンの混乱に乗じて入ってきた外国籍のイスラム過激派組織の存在を指弾している。
 また、サーシャの戦友ウラジミールがチェチェン武装勢力に捕獲された後、脱走中の戦闘で戦死するのだが、その父親が息子の安否を案じて、ふと過去を振り返るシーンがある。
 「チェコスロヴァキアの動乱を国は、社会主義を崩壊させようとする帝国主義の陰謀だと教えられ、チェコ人を武力弾圧した。しかし、それはチェコの民主化運動を潰したことだったことを後で知った」と。
 それを聞かされるウラジミールの妹は、「チェコではそんなことがあったの」と世代間の位相が象徴される。
 海外に出てゆく映画で、ロシアがチェコでの“犯罪”を認めた例は少なくとも筆者にははじめて知る。
 チェチェンでの戦闘を描きながら、ウラジミールの妹、その友人たちが享受する青春は、t.A.T.uのポップスをBGMにして描かれる。それもまたロシアの現実であった。

プーチン独裁下のロシア映画 №1『大統領のカウントダウン』

映画「大統領のカウントダウン」  エヴァゲニー・ラヴレンティエフ監督(2004・ロシア映画)

 ソ連時代であったならば絶対に映画化されないポリテカル・アクション。共産党独裁のクレムリン首脳部は、首都モスクワで起きた反政府テロを大いなる恥辱として事実を隠蔽するためになりふり構わずに言論統制したに違いない。映画化などもってのほか、という態度を貫徹しただろう。しかし、プーチン独裁下では、インターネット時代下の情報の出し入れ、サジ加減をしっている。硬軟微妙に使い分ける。それが顕著に分かるのが、こうして輸出されるロシア映画である。
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 2002年10月、チェチェン共和国の独立派武装勢力がモスクワ市内中央部にあるドブロフカ・ミュージアム劇場で観客922名を人質に取って、チェチェン領内からロシア連邦軍の撤退を要求した。
 要求が受け入れられない場合は人質を殺害、自分たちも劇場内に施設した爆弾を使って劇場ごと自爆すると警告した。これに対し、プー チン大 統領政府は要求を拒み、妥協せず強硬な態度を示し武装勢力は追い詰めた。

 劇場占拠から3日目、ロシア政府は特殊部隊を突入させ鎮圧した。
 その際、特殊部隊は犯人を無力化するため非致死性ガスを使用、劇場内にいた大半はチェチェイン武装グループ、人質たちもガスによって大半が数秒で昏倒し、異変に気付いて対処しようとした武装グループの何人かと特殊部隊との間で銃撃戦が発生したが、短時間で制圧された。
 チェチェイン武装勢力は全員射殺されたが、その中には意識朦朧となり戦闘能力を喪失したまま、特殊部隊員によって射殺されたものも多い。人質もガスを浴び、政府当局が事前に用意された病院に収容されて治療された。後日、ガスの後遺症によって死去した人質も複数出た。

 映画は、事件をモデルに2年後に制作されたものだ。
 特殊ガスの使用などは割愛されるなどリアリズムを求めず状況をかなり変えているが、誰がみても「事件」をいやおうなく思い出させるものだ。しかも、武装勢力を一方的に非道なテロ集団とは描いてはいない、という意味でも注目に価するものだし、プーチン政権の言論表現の許容を推量する目安ともなるものだ。
 ハリウッドに対抗する意味もあったのか、エンターテイメント性をそなえた大型アクション映画の仕立てを意図したようで、モスクワ中心部で大規模な交通規制をして撮影されている意味でも本作のシナリオは事前に政府もチェックしているわけだ。その意味ではプーチン政権は「事件」の処理を見事な“成果”と自己評価していることがわかる。
 映画では、国外に出ている資産家のチェチェイン人を黒幕としており、その資産家が事件の説得という芝居をうってチェチェインでの権力を把握しようという意図をもっていると描き、実際の事件を矮小化している。ゆえにプーチン政権下での映画化が実現したのだろう。チェチェイン人の独立への思いなどは見事にかき消されている。

 映画化にあ たって参考資料として活用されたと容易に想像できるドキュメントが日本でも翻訳されている。『モスクワ劇場占拠事件』。幸か不幸か事件当日、人質となってしまった女性ジャーナリストが綴ったもので、時系列に事件の推移を複数の証言を交錯させながら切迫した状況を増幅させている。著者はタチアーナ・ポポーヴァ。その本のなかに一回だけアンナ・ポリトコフスカヤの名が出てくる。ソ連邦解体後にロシア、いや旧ソ連邦といっても良いかも知れないが、もっとも勇気のあるジャーナリスト、生命を賭して真実を書き続けたロシアの“良心”そのものであった。その本で一行、こう書かれる。
 「テロリスト達は、ノヴァヤ・ガゼータ紙のアンナ・ポリトコフスカヤ記者とのみ交渉すると言っている」
 ・・・あったと過去形で書くのは、すでにこの世に存在しないからだ。2006年10月、モスクワの自宅で射殺された。その後、犯人が逮捕されていないこと、事件の真相が追求されることなくあいまいに処理されていることなどで、政府当局の関与が疑われている。
 世界はポリトコフスカヤのペンで、チェチェイン紛争の実態を知った。日本でも彼女のチェチェイン・ルポは翻訳されている。ポリトコフスカヤはロシア女性だが、ロシアにもチェチェインにも肩入れすることなく事実だけを記す態度に、テロリストたちは彼女を信頼し政府との交渉役に要請したのだ。しかし、その交渉役を引き受けたことで彼女は、プーチン政権にとって“脅威”となった。
 ポリトコフスカヤはその後、書いてもロシアでは発表できないという状況がつづき、著作も1冊をのぞいてロシアでは刊行できなくなる。つまりソ連邦時代のパステルナーク、ソルジェニーツィンと同じ迫害を受けることになる。

 タチアーナ・ポポーヴァも勇気あるルポを書いた。劇場での人質解放作戦で、人質も67人が死んでいること、かつ事件後、治療の甲斐もなく後日、死去した人質も多数出たことも書いている。そうした事実を知れば映画はやはり事件の真相をオブラートに包んだプーチンの教宣映画としかみえない。
 
 
プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

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