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絶版文庫 Ⅱ*宮城道雄・随筆集『春の海』

Ⅱ 宮城道雄・随筆集『春の海』旺文社文庫
  宮城喜代子・自伝『筝ひとすじに』文園社刊*1990初版
 
 滝廉太郎の『花』(1900)が西洋音階を使って和風を損なわずに生まれたはじめての日本歌曲といわれる。その伝で、宮城道雄の『春の海』〈1929)を邦楽の作曲技法で西洋的な表題音楽の普遍性を完成させた最初の作品といえるかも知れないが、宮城の処女作(?)「水の変態」(1909)などから筆者はシューベルトの「鱒」を連想するぐらいで、芸術的完成度では『春の海』に譲るけれど、すでに作曲家としての天凛があった。
 盲目の筝奏者にして作曲家、そして随筆、音楽批評などをまとめて2種の全集をもった著述家にして、東京藝術大学に奉職した教師であった。宮城の筝はもともと伝統的な生田流から出てきたものだが、古典音楽家として精進するかたわら邦楽の革新、発展のために作曲をはじめ多くの活動をしてきた巨きな才能だ。
 本書は9冊の随筆集から精選された約50篇が収録されたもので発表順に並べられたもので、生誕100年事業の一環として1993年に講談社から刊行された後、旺文社文庫に入ったものだ。旺文社文庫そのものが消え、絶版となった。
 本書は身辺雑記風のものが多く、宮城の言葉で、創作の原点、邦楽界の事情とか音楽批評といったことを探ろうという魂胆をもって読むと肩透かしを食らう。ただ、朝鮮時代の少年時代から近くで煙草の店を開いていたギリシャ人と親しくなり、当時、日本でも入手が困難だった欧米からの輸入レコードをたくさん聴いていたことを知り、戦後は早くからドビュッシーやラヴェル、ストラヴィンスキーなどを積極的に聴いていることを知った。
 意外な発見はあるもので名文家・内田百聞、トルストイとドフトエーフスキーの個人全訳という大業をもつロシア文学者・米川正夫の両氏が宮城の親しい友人で筝の弟子だったことをはじめて知った。内田は宮城の文章の助言者であったらしい。宮城の随筆はいずれも風通しのよい向日性のものがおおい。戦時中、歌舞音曲が封じられた時代を語る口調もけっして深刻ぶりはない。その辺りは百聞風流人の薫香をよく聴いたせいかも知れない。
 随筆で宮城は繰り返し、目はみえないが、そのかわりカンが良いと書いている。たとえば、
 「私はよく手を引かれながら、道を教えて行くことがる。自動車の運転手にも、よく教えてやるのである。」といった類いだが、38年間、宮城の第一の弟子であり、宮城の手引きを勤めた宮城喜代子さんの自伝『筝ひとすじに』では、
 「ところで、先生(宮城)は目の不自由な人にしては珍しく、カンの悪い方でした。勘とか閃きの全部が音楽の方にいってしまっていたのかも知れません」とある。本人の弁だけではわからぬものである。
 宮城のカンの話はともかく、喜代子さんは筝曲演奏家として人間国宝に認定された独立した芸術家だが、自伝は宮城音楽をどれだけきちんと継承できているのかと自問自答しつづける。
 喜代子さんには失礼かも知れないが、自伝を宮城の傍系資料として読みはじめた。しかし、読みはじめて、たちまち宮城の第一級の資料であることを認識させられた。
 宮城が語ることのなかった作曲の苦心、演奏会の心構え、関東大震災や戦時中をどう生き延びたかといった証言などが問わず語りで時系列に語られているからだ。自身を語って、いつも傍らにいた宮城が語られる。それは大正から昭和戦後にかけての邦楽史ともなっている。
 邦楽作品を、はじめて五線譜に採譜したのは1907年、当時、東京音楽学校で邦楽調査係にあった三宅延齢であった。童謡「浦島太郎」「ひなまつり」などの作曲家でもある人だが、喜代子さんは宮城の命を受けて三宅に五線譜の記法などを本格的に習った人でもあり、宮城作品が楽譜として多くの遺されたのも喜代子さんの大きな仕事であった。宮城は生涯、600~700曲作ったといわれるが譜面として残っているのはその半数でしかないということだ。宮城道雄の資料に埋もれがちだが、喜代子さんの自伝も大切に継承してゆくべきだろう。(本書は文庫化されることはなかったが、むしろ一度は文庫化して欲しい書として取り上げた。)
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絶版文庫 Ⅰ*ジョージ・オーディッシュ著『チョウの季節』教養文庫

絶版文庫 
 ジョージ・オーディッシュ著『チョウの季節』(中村凪子・訳)教養文庫

 2002年6月に版元の社会思想社が廃業したため1951年から創刊されていた「教養文庫」はすべて新刊書店から消えた。
 岩波、新潮、角川といった老舗の文庫にはない個性的なラインアップで多くのファンがいたが、大衆的とはいえず、基礎的「教養」力のある層に支持されていたといえるだろう。雑学的科学読み物の種類も多く、今回、紹介する本もそうした一巻である。本書は、文庫化される前にハードカバーで邦訳(文化放送出版局)されたのが最初だ。初訳本は現在、入手することは至難だ。もともと出版が本業ではないところから出たもので、内容の濃さから教養文庫に救い出されたといえる。
 筆者が、本書を手にしたのはだいぶ前で、たぶん、グァテマラに滞在中、チョウの採集に励んでいた時期に一度、読んでいる。今回、再読したのは、先月、メキシコの森林に群棲するオオカバマダラ蝶を書いた際に参考としたからだ。現在、この文庫本も入手困難なので少し内容紹介したいと思った。
 オオカバマダラを別名「帝王蝶」という。名の由来はしらない。メキシコとは生活形態が異なるもののオオカバマダラの仲間が台湾の山にも群生していて、そこは蝶マニアにとっては一種の聖地でもある。「帝王蝶」はおそらく台湾から興った名だと思う。本書の著者は、米国人なので「帝王蝶」という名の由来には触れていない。

 越冬のために最長5600キロも旅するオオカバマダラのその旅の様子だけでなく、メス蝶が卵を産み付けるために適当な葉を探す段階、いや、交尾前のオスとメスの出合い前のひと時から、死に至までを批評的にいえば克明に描き出したものだ。しかし、その克明さは文学的修辞、比喩に富むリリカルなものだ。といって、科学的観察したことを逸脱する飛躍はない。科学と文学の境界線上をそれこそ自在に飛翔しながら、読者をオオカバマダラの旅に同行させてくれる。それは見事としかいいようのないもので、読者の視界は蝶の羽のうえのものとなる。
 そして、小さな蝶の生活もまた、われわれと同じように生きるために本能的に意識を重層化させるように、蝶もまた繰り返し生存本能と種族維持のための闘争の日々を送るのだ。著者はわれわれの手足の機能を語るように、小さな身体の部位を注意深く観察し、それがどのように機能してゆくのかを生のハーモニーとして描きだす。
 いわゆる昆虫記は無数にある。しかし、蝶を描いて、これだけリリカルな一書となった例は稀有なことではないだろうか。蝶に象徴させて、著書はすべての昆虫たちの生への闘いの困難さを代弁する。オオカバマダラを描いて、昆虫の生々流転そのものを象徴させているところに本書の価値がある。
 そろそろ春、暖かな日に誘われてさまざまな昆虫が地上に這いだし、舞いはじめる。その何気ない光景になんと多くの彼、彼女らの生への営みのドラマがあっただろうか、と思いいたすことを強いる本である。
 
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上野清士

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