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映画 アフリカを描く セネガル『母たちの村』  アフリカの割礼を告発する ウスマン・センベーヌ監督  

セネガル映画『母たちの村』  アフリカの割礼を告発する ウスマン・センベーヌ監督
 母たちの村

 西アフリカのセネガルの映画監督ウスマン・センベーヌは今年83歳を迎える。ブラック・アフリカ映画史における最長老といえるだろう。キューバのフィデル・カストロ議長(当時)より3歳年長ということになる。二翁とも熱帯の途上国にあって闘いつづけ倦むことを未だ知らない剛毅である。
 センベーヌの映画が日本ではじめて公開されたのは1981年のことだ。『エミタイ』という71年の作品だった。『エミタイ』から約30年、センベーヌの視線はセネガル女性を通して見事に通底している。
 『エミタイ』で描き出されていたのはフランスの植民地であった1940年代のセネガル。第二次大戦の欧州の波頭はアフリカ沿岸の寒村も巻き込んだ。大戦下、食糧不足となった本国、そして植民地のフランス人、現地徴用のセネガル兵士などのため、セネガルの民衆は食糧を強制徴用された。その時、先頭に立って粘り強く抵抗したのは女たちだった、と描かれていた。そして30年後の本作では、悪しき因習「割礼」に対する女たちの抵抗である。セネガル農村の牧歌的な情景のなかで誇張されることなく描き出す。
 センベーヌによれば現在、アフリカでは38カ国で少女に対する割礼が行なわれているという。国連の推計ではアフリカの女児・女性1億3千万人が施術を受けているという。
 監督は語る、「伝統的であろうが近代的であろうが、どんな方法であれ女性性器を切除するということは、女性の尊厳yあ誇りを傷つける。この古き悪習を廃止するために闘った母たちへ、この映画を捧げます」と。そんな監督の母世代に対する畏敬の念は、そのまま映画に明快なメッセージ性を持ち込んだ。芸術性ということでは瑕疵(かし)となるところも監督はそれを潔く受け入れ主張するのだ。
 
 「割礼」と書いてきたが、センベーヌは「女性性器切除」という言葉を選ぶ。「割礼」では宗教的な風習のなかに言葉が埋没し、その野蛮、暴力性があいまいとなる危うさがあるからだ。もっとも映画では、村の日常会話に溶け込んだ言葉として、リアリティーを重視して「割礼」と語り、同時にアフリカに根づいた批判を許さない悪しき伝統としての位置も明らかにする。

 映画は牧歌的な光景のなかを、怯えた4人の少女が走るシーンからはじまる。少女たちは「割礼」の儀式からほうほうのていで逃げ出してきたのだ。そして、少女たちは迷わずコレ(ファトゥマタ・クリバリ)という主婦が住む家に駆け込む。そうして、闘いが始まる。
 コレ自身、父母の教えにしたがって、かつて「割礼」を受けていた。それを受けないと、不浄、とみなされ、「ビラコロ」と差別され結婚もままならなかった時代の子であった。コラは割礼の後遺症で二人の子どもを流産し、無事生まれた娘も難産だった。そうした身に受けた不当な苦痛を、自分たちの世代は繰り返してはならないと不退転の抵抗者に育てた。
 男は女の苦しみを知らない。知ろうともしない。だから、因習に身体を張って抵抗できるのは女だけだ。一方、悪習を守護するのも、また女たちであることも主張する。「割礼」を業とする女割礼師たちは自分たちの権威が脅かされることに伝統の力を楯に抵抗する。矛盾は絶えず被差別者同士を戦わせるのだ。

 “アフリカ映画の父”といわれるセンベーヌだが最初に獲得した表現手段は文学であった。社会派のリアリズムの作家、現状変革を志す作家として植民者の言語で書きはじめた。しかし、識字率の低いセネガルでは文学はメッセージを伝える最良の手段とは成りえないと考え、映像作家の道に入っていったのだ。その時、若き“野心”を快く受け入れたのはソ連だった。タルコフスキーや、若き日のソクーロフを創造活動を邪魔しつづけた映画機構だが、途上国の若き才能を歓迎し、技術を惜しみなく伝授したのもまた社会主義下の撮影所であった。
 1年足らずのモスクワ留学で映画の語法を身につけて帰国すると、大地から滋養をえてカメラを回しはじめる。
 1965年、『黒人女』を制作する。ブラックアフリカ人が撮った最初の長編映画である。この映画の成功でセンベーヌは映像によってアフリカの声を雄弁に伝えることができる手ごたえを獲る。そのセンベーヌをして、最「割礼」を告発するまで、多くの伝統と闘うことを余儀なくされた。最初の映画から半世紀を経て、監督自身、最後の力を注ぎ込むようにして撮ったのが本作となる。それは監督自身、伝統との一騎打ち、生命を賭した戦いでもあったはずだ。映画は容赦なくコレに対する仕打ちを描く。
 少女たちを施術から救ったコレには過酷な鞭打ちの刑がまっていた。コレはそれに耐える。
 センベーヌはオプチミストではない。抵抗には手痛い代償がともなうことも教える。しかし、この苦痛に耐えなければアフリカの女たちに未来はないと主張することもためらわない。
 *2006・8記
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映画 アフリカを描く フランス『サンバ』エリック・トレダノ監督 ~移民問題は先進国の映画に潤沢な滋養を与えている

移民問題は先進国の映画に潤沢な滋養を与えている
 映画『サンバ』エリック・トレダノ監督
サンバ

 ルーブル美術館やエッフェル塔周辺……外国人観光客が行き交うパリ界隈、ひとめでアフリカ系と判る男たちが、見栄えもせず造作もぞんざいな真鍮製のエッフェル塔のミニチュアをむき出しにして観光客に売っている。きょうび、こんなものをスーベニールにしたら、ご本人の審美眼が問われるだろう。
 寄ってくる彼らに、もっと工夫を凝らせと叱咤したくなる。同じようなモノで競争していたら値下げ競争を自らに課しているようなのだ。自分で開拓しろ、と言いたくなる。それこそベニン式造形でディフォルメしてみたらと彼らの思考回路を混乱させたくなる。
 しかし、考えてみれば、彼らは、かつても今も、そして未来も「観光客」として越境することはないだろう。とすれば立場を置き換えてみることができない。いっけんして彼らは不法滞在者、まともな職にありつけないビザなしの不法越境者、とその服装、立ち姿からそううかがえる。
 『サンバ』の主人公サンバ(オマール・シー)は、そんな街頭商人のなかに混じっているようなアフリカはセネガル出身の青年だ。主演のオマールは、同じ役柄、不法越境労働者役を演じた『最強のふたり』で好演、ハリウッドへの進出もはたした上昇気流に乗っている。そのオマールが『最強のふたり』の監督と再度、タッグを組んだのが本作。今回は、人気女優シャルロット・ゲンズブールと迎え商品性もグレードアップさせての一編。
 ビザをもたないサンバは空港近くに設けられている出入国管理事務所の施設に強制収監されてしまう。いまや先進諸国の都市にはどこにでも存在する施設だ。東京にもあるが顕在化しない。日本にも同じような問題があるはずだが、オーバスティの不法滞在者たちが映画に登場し、自ら自己主張することは稀れだ。けれど、フランスはもとよりEU諸国では繰り返し制作されている。ハリウュド映画なら麻薬密売からみの作品のなかでは必ずメキシコやコロンビアからの越境者が登場するのが定番。不法越境者はいまの時代を写す鏡なのだ。その鏡をもたない日本映画はある意味、歪つな存在だと思う。
 東京のド真ん中、トルコ大使館前でトルコ人とクルド系トルコ人の衝突があったことは、まだ記憶に新しい。中国人観光客の多さ、そのまま中国人旅行者の不法滞在を許しているという現実もある。日本国内にもさまざまな問題が存在するということだ。

 サンバは収監された施設のなかで、かつて人材派遣会社で有能なエリートとして働いていたアリス(シャルロット・ゲンズブール)と出会う。アリスは仕事に疲れ、不眠症など合併症状を起こして現在はリハビリ中、その治癒行為として不法移民の救済活動にボランティアとして関わる。その最初の相談相手がサンバであった。
 親身に、人権思想とかいった高邁な理想からではなく、すこぶる庶民的感覚の人助け精神だろう。理論武装していないだけ情にほだされるということだ。相談に乗っているうちに、いつしか、そのサンバの真摯な姿に魅せられ、やがて恋に落ちるというパターンは常道。そのおおらかな公道を語るうちに、サンバを通してみえてくるヨーロッパ諸国の不法移民問題が日常光景として映像化される。それも『最強のふたり』と同じ構図だ。 
 こうした作品を見ていると、パリで瞥見した街頭スーベニール商の男たちにもそれぞれ過酷な越境の旅譜の物語があるのだろうと思う。
 移民たちはより稼ぎのよい経済力のある国に流れる。シリア難民たちはドイツへ入りたがった。ドイツではその流入を巡って政権を揺るがす問題が生じた。英国のEU離脱問題の大きなファクターはそうした移民の流入問題があった。
 サンバの友人となる自称ブラジル人ウィルソンが、やがてサンバからアラブ系のイスラム教徒であることが暴かれる。ウィルソンはブラジルからの越境者であることを自称することによって、フランスに根強くある反イスラム感情を避けようとしているのだ。そんな人間模様が描かれてゆく。
 こみ入った語りの複雑さはないストレートな作品だから分かりやすい。英国で移民問題をたびたび映画化しているケン・ローチ監督流の社会批評の鋭さ、過敏さは希薄。ベクトルがまったく違うところで制作されている。善い悪いでいうのではなく、さまざまな描き方があるということだ。日本では、その手法論を語れないほど作品事例が少ないということだ。

映画 アフリカを描く  ドラマなおざりの3D映画『ターザン』

 映画『ターザン』ディビッド・イエーツ監督
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 3D映画もすっかり定着した観ありの昨今。もう、3Dそのものでさほど集客がのぞめるとは思えない。むしろ、3Dに使われてしまいドラマが疎かになるほうが悲惨だ。本作は、その凡庸きわまりない作例。
 「ターザン」映画は一にも二にも1928年、オランダ・アムステルダム五輪の水泳・自由形で二つの金メダルを勲章にして映画界入りしたジョニー・ワイズミューラーの当たり役としてシリーズ化されたことで世界的なアイドルになったものだ。ワイズミューラーのターザン映画の何作かは、メキシコ市近郊の常夏の町クワウトラで撮影されている。メキシコ居住7年のあいだにその町に光をもとめて幾度、通ったか知れない私にとって、ターザン映画は気にかかるのだ。
 「ターザン」映画の最高傑作は、1983年に制作された英国映画『グレイストーク』(ヒュー・ハドソン監督)だと思っている。ワイズミューラー主演のシリーズは娯楽に徹したファミリー映画であった。その映画によってターザンの出生が明らかになり、当時の英国の海外進出のありようなども窺いしれるという作品だった。グレイスークとはターザンの本名である。出自は伯爵位であった。

 今夏公開されている本作『ターザン』は、その『グレイストーク』の〈その後〉篇といった内容だ。だから、それなりに期待したのだが、見事に期待を裏切られた。
 蔦にからだを預けてジャングルの樹々のあいだを滑走するターザン映画おなじみのアクションは、そう3Dに似合うし、その辺りのシーンは見事である。しかし、雄たけびをあげながら滑走ばかりしていては物語は疎かになる。そして、疎かになりぱなしのまま終わった。強いて、新しい視点を探せば、当時、いやこれまでの西欧列強のアフリカ植民地支配のなかで、もっとも酷い圧政を強いたベルギー、レオポルド2世時代のコンゴ(現在のコンゴ、ルワンダ、ブルンジ)であったが、本作は、そのベルギー植民地拡大を阻止するためにターザンが、動物たちと言葉を交わせる“特技”をいかし、猛獣たちの力を結束し、先導してベルギーの野望を打ち砕くというストーリーだろうか。しかし、やっぱり都合のよいお子様ランチ的な創作である。

 ふと、思った・・・植民地のくびきから脱出したアフリカ諸国の市民たちは、はたしてターザンという存在、ハリウッドでアイドル化されたターザンをどうみているのか気になった。こんな映画で人を呼べれるのだろうか? その辺りの論評、とおおげさなことは言わないまでも、話題ぐらい聞こえてきてもよさそうだが・・・。

映画 アフリカを描く 『ルムンバの叫び』

 映画『ルムンバの叫び ~暗殺前夜』ラウル・ペック監督(2000)
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 レオナルド・ディカプリオ主演の旧作『ブラッド・ダイヤモンド』評でも少し触れたベルギーのダイヤモンド市場とアフリカとの関係性を考えているときに思い出したのが本作だ。2000年、フランス=ベルギー=ドイツ=ハイチ合作映画。ドイツ以外、フランス語を公用語とする国のスタュフ、キャストが並んだ。そして、映画の舞台となったコンゴ民主共和国(後年、ザイールと国名を改めたこともある)の公用語もまたフランス語である。約80年間、ベルギーの苛烈な植民地支配を受けるなかで、遺制として公用語に残った。

 映画は、この国の“建国の父”といってよいパトリス・ルムンバの波乱に満ちた短い生涯を、独立前後の活動に象徴して描いた政治ドラマだ。監督は幼少期をコンゴ過ごしたハイチ人ラウル・ペック。
 約2時間という通常の映画時間のなかにコンゴ独立の叙事詩を語るにはルムンバに焦点があてられる。苦難の独立闘争を経て貧しい国の舵取りを任せられた30代前半のルムンバ。旧宗主国ベルギーの国益を守ろうという旧植民地官僚や軍人たちの壁、 冷戦下、資源の豊富な新興国を影響下におこうとする米国、ソ連などの思惑もからんで暗殺される若き英雄の栄誉と挫折を可能な限り描き出した労作として賞賛したい。
 (これだけの作品を撮りながら、ラウル・ペック監督の新作というのをまったく聞かない。この映画を撮るために、序章のようにルムンバの闘争を描いた記録映画を撮っている。その続篇といってよい作品である。)

 1960年を「アフリカの年」と形容される。アフリカ諸国17カ国が次々と独立の雄たけびを上げた。
 その時代、ルムンバの名は遠く日本にも聞こえ、評伝なども刊行された。その事蹟をよくしらないまでも現代アフリカ史にかならず登場する栄光の名として認識していた。しかし、ルムンバが独立初代の首相として実権をにぎっていたのはわずか2ヶ月に過ぎないのだ。暗殺された時、35歳とい う若さであった。映画はその2ヶ月に焦点を当てている。
  むろん、コンゴはおろかブラック・アフリカ諸国について無知であっても、それなりに理解できるような巧みな作劇があり、監督自身もかかわったシナリオも秀逸である。そして俳優たちも力を出し切っていると思う。
 映画の冒頭、スタッフ・キャストのクレジットの画面を利用して、そこに植民地時代のベルギー圧政を象徴する写真がモンタージュし、観客に予備知識を与える工夫は、歴史映画の常道であろうが、本作ではそれが成功している。
 
 独立前夜、高揚する政治的季節のなかで、独立後の覇権、経済的利害などを確保しようとする旧支配層の思惑などが渦を巻く。 西欧諸国のアフリカ支配はその地の伝統風俗を断絶し て行なうか、種族間の利害を巧みに利用して富の収奪を行なってきた。。その支配システムはそのまま独立後も機能した。いや、ベルギー当局は、銅をはじめとする鉱物資源のい豊かな州のみ分離独立させようとした。じっさいにカタンガ国という国際社会に認知されない“国”が数年存在した。
 分離主義者たちは、統一コンゴこそ貧しい国を強固にする最低の支柱と考えるルムンバを敵視した。独立後もコンゴに居座るベルギー軍はカタンガ国にてこ入れをした。そんななかでルムンバはソ連への傾斜を強めようとする。その動きを封じようと米国のケネディ大統領の政府も動く。そんな政治環境のなかでルムンバは殺される。ただ、殺されたのではない。コンゴ民衆の多くが英雄視するルム ンバの死後の影響力を恐れたベルギー軍は、彼の死体を解体し、燃やしたのだ。しかし、ルムンバは殺され殉教者となって今日でもコンゴ民衆の血となり肉となっているようだ。
 ルムンバ亡き後、コンゴは内戦状況に陥る、これを「コンゴ動乱」という。ルムンバ亡き後にコンゴを襲った現実であった。しかし、映画は動乱を予感させるところで終わる。

 現在もアフリカ各地から悲惨な民族対立、内戦が伝えられる。植民地時代から抱える地域対立が埋蔵資源の利権などと絡みあい、そして宗教的な齟齬が加わるとき惨劇となる。そうした国のことに想いいたすとき、その理解の一助となることが確かな一編として本作を推奨したい。
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 ルムンバを演 じたエリック・エブアニーという俳優について知るところは少ないが、郵便局員からビール会社の宣伝マンに、そして弁説を磨き、知識を蓄え、「独立」闘争のセールスマンとして頭角をあらわし、若き闘士としてコンゴ民衆を牽引する力を経て、独立期の権力を掌中におさめながら志なかばにして斃れた起伏の大きな男の短い生涯を好演していた。

 日本ではベルギーが植民地をもっていたことすらよく知られていない。しかし、そのコンゴに対する80年は他の西欧列強の支配より苛烈なものであったことは歴史が証明するところだ。
 独立の混乱期、植民者のベルギー人がコンゴ国軍によって多数、惨殺されている。ルムンバの意向に背いた軍部の独走であったが、それも動乱の火種だ。そうしたコンゴ人によるベルギー婦女子への弾圧も歴史的事実として語る必要もあるし、映画のなかでも語られている。書 き出しで紹介したダイヤモンド産出国シエラレオネを舞台にした映画『ブラッド・ダイヤモンド』で主役となったディカプリオの役は、コンゴ独立期、ベルギーからの植民者であった両親がコンゴ人に殺され孤児となり、南アフリカに渡った男という役柄であったことを付け加えておくべきだろう。

映画 アフリカを描く 『禁じられた歌声』と砂漠の遊牧民トゥアレグ族

映画『禁じられた歌声』と砂漠の遊牧民トゥアレグ族
  *本稿は、11月18日の続篇として読んで欲しい。
 
 映画の紹介などでは混乱を避けるためもあるのだろうが、物語の舞台となった古都ティンブクトゥを一時的に支配したのは「イスラム国」という扱いだが、正確には、イスラム原理主義を信奉するアザワド解放民族運動がまず支配権を掌握したが、これに対立するアル・カーダ系の武装組織がアザワドを駆逐し、古都の象徴であった聖廟を破壊した。
 古代からサハラ砂漠を行き交う交易路の中継地として栄え、1500年頃に繁栄を極めたと記録にあるが、西欧諸国の進出によって砂漠を経由しない交易路が開発されて衰退していった。けれど街の象徴というべきモスクなどがある歴史地区は日干し煉瓦などで建てられた砂漠という過酷な環境に適応した独特の景観美を遺された。その形態はバルセロナでサグラダア・ファミリリア大聖堂を計画するガウディに大きな啓示を与えたとするものだ。

この街の主要な民族がトゥアレグ族といい、アフリカ地域では現在、国をもたない最大の民族集団だ。そのトゥアレグ族の急進派が組織したのがアザワド解放民族運動だ。映画では、このアザワドと「イスラム国」に比較がまったく行なわれていない。たとえば、「イスラム国」は歌舞音曲を禁じたが、アザワドたちは「歌」そのものを民族解放運動を鼓舞する重要な教宣活動とみなしているのだから、禁じるわけはないのだ。
 映画にギダンというゲリラ兵士役で出演しているイブラヒム・アメド・アカ・ピノ自身、トゥアレグ族である。彼が自らTamikerestという音楽集団を組織、フランスとアフリカのマリ共和国のトゥアレグ共同体で活動している。イブラヒム自身、かつて銃をもつゲリラ兵士であった。
 そのイブラヒムも登場する興味深い記録映画が先行して日本に紹介されている。タイトルを、『トゥーマスト』という。サブタイトルは、ずばり「ギターとカラシニコフの狭間で」。
 トゥーマスト
北アフリカの砂漠地帯の遊牧民にトゥアレグ族は、日本からはまったくみえない先住民族だが、総人口は550万を数える。ニジェール、マリ、アルジェリア、ブルキナファソ、リビアの国境が接する周辺地帯に住む。彼らが国をもつことができなかったのも西欧諸国の私利私欲の植民地分割のためだ。
 トゥアレグ族は各国に散在して住むため自前のマスメディアを持たない。だから、「独立を訴えるため音楽がいちばん有効な手段なのだ」と訴える歌手を主人公にしたものだ。

 20世紀前半、メキシコ革命が起きたとき、その情宣手段とされたのが音楽だった。それをコリードという。日本でも良くしられる「ラ・クカラチャ」はその革命から生まれた。マスメディアが発達していない国、地域では昔も今も音楽は有力な武器となる。インターネットも携帯電話も普及していない地域の独立闘争はいまも肉声なのだ。そんなことを教える映画であり、イベントであった。
 「イスラム国」のテロによって、日本人も犠牲となったが、その歴史的な背景をみるとき、そこに住む民族を無視し、自分たちの利害だけで国境を割った西欧諸国の“罪”があぶりだされる。それは現在、アフリカ地域における政治的な混乱でもおなじことがいえる。
 

映画 アフリカを描く イタリア映画「海と大陸」 エマヌエーレ・クリアレーゼ監督

映画「海と大陸」エマヌエーレ・クリアレーゼ監督
海と大陸

 自分自身が体験した壮絶な出来事。それも生死の境いを行きつ戻りする神にすべてを委ねたような時間。自力ではどうしようもい過酷な状況。自分の周囲では次々と溺死してゆく。それを再び(演技とはいえ)再現しようとする行為とはいかなるものなのだろう。
 本作の舞台は地中海に浮かぶイタリアの離れ小島リノーサと、その周辺の海。直線距離ではイタリア本土より、北アフリカのチュニジア、リビアに近い。この海域はローマ帝国創設前からさまざまな理由で難民が行き交う。
 いま、イタリアの沿岸漁業は漁獲量が減り、漁業で立ち行かなくなったところが多いようだ。リノーサ島の漁業も不振を極め、陽光きらめく自然を活かして観光で生き延びようとしている。そして北欧諸国からの観光客でそこそこにぎわっている。ただ、アフリカにあまりにも近いため南からロクな装備ももたないボロ船に北アフリカ、中東諸国の難民を乗せて島の周囲を回航している。経済的な不況といえば南欧も同じだが、しかし、さらに南の諸国では飢餓が這う。
 多くの不法越境者を乗せた難民船はしばしば海難にあう。運よく島に上陸できたものもすぐ拘束されてしまう。無事に入国できるものはほんの一握りなのだが、越境者の群れはなくならないどころか増える一方だ。これは欧州だけの問題ではない。南にメキシコと長大な国境をもち、カリブ海に突き出た半島をもつ米国が抱える問題でもある。それが今日の現実だ。
 現在、ということでいえば、キューバ=米国国交回復の潮流のなかで、キューバ沿岸から駆け込むようにフロリダ半島を目指すキューバ人が族生している。国交が正式に恢復すれば、米国はキューバ難民の受け入れをいまのように許容しなくなるだろうという思いからだ。今なら、他の中南米諸国からの難民よりキューバ人は、反カストロ政策の一環として米国は優遇しているからだ。また、「イスラム国」の台頭で隣接した諸国も難民の流入に困惑している。
 そういう国際状況を直截的に反映しているのが本作だ。
 冒頭に記した体験の持ちぬしエチオピア出身の女優ティムニット・Tというが、彼女は本作で出産を間近に控えた急死に一生を得たサラという役で出演しているのだ。むろん、女優体験はいままでにないわけだが、本作では初演とは思えない内に憂愁と諦念を抱えた女性を演じきっていた。
 イタリアでは難民に便宜を与えていけない。発見したら警察に通報しないと罪に問われる、ことになっている。それは非情なものだが、不法越境者の流入に悩む欧州諸国では必要悪だろう。難民対策のために厖大な予算を計上し、国内での社会福祉予算を削らなければならないとしたら、政権維持のためにも参政権をもたない難民を切るしかない。それが現実だろう。
 映画は、サラを匿(かくま)い、出産の手助けをする貧しい漁民家族の話なのだ。その日常のドラマに名もない民衆の法に縛られない人道・博愛・・・といった言葉では語りきれない感情の機微、人としての道、というような人間の原初的な発露を淡々と描いて、胃の腑におちてくる比重の確かさを感じさせる。秀作である。        

映画 アフリカを描く 『ケープタウン』 ジェローム・サル監督

映画『ケープタウン』ジェローム・サル監督
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 17世紀、海上貿易の拠点としてオランダによって港湾が整備された南アフリカ共和国有数の都市ケープ
タウン。アフリカでもひときわ富が集散する地だ。その富に巣食う犯罪組織、貧困問題は港湾都市の属性だ
ろう。いわゆるサスペンス・アクション映画のステージとして、港は多くの映画で立地条件の良い場所として
選ばれてきた。南アのケープタウンではこれにアパルトヘイトの苦味が添加される。
 本作で指弾されるのは化学兵器に転用可能な薬物の研究・開発で巨万の富を得ようとする犯罪組織だが、
その組織の成り立ちはアパルトヘイト時代に発している。映画では黒人人口の激減を画策した白人政権によ
って密かに開発が進められたプロジェクトに端を発すると解かれる。
 しかし、1994年、アパルトヘイトが廃止され、マンデラ大統領の政権ができる前に開発は中断され放棄さ
れた、はずだった。しかし、計画に携わった研究者たちは金になる木として根を残し裏ビジネスとして計画の
完成を急いだ。
 この犯罪組織の摘発に身体を張って乗り出すズール族出身のアリ・ソケーラ刑事(フォレスト・ウィテカー)
自身、その少年期、アパルトヘイト時代に心身に傷を負った犠牲者のひとりだ。
 マンデラ政権が誕生し、国旗も国歌もこの国の主要人口であるズール族を象徴するものに変わり、W杯ラク
ビー大会、W杯フットボールを開催し、国のイメージを変えることに成功しているように思える。しかし、人の心は
“革命”で血が入れ替わるわけではない。
 1945年8月15日は確かに日本を変えた。今日の経済的繁栄は8・15をターニングポイントとするが、そ
の日をまたいで過ごす人の心性まで変わるわけではない。アパルトヘイト時代、制度的に貧困を強いられた
黒人層がいきなり豊かになれるわけはない。ソケーラ刑事の母親は相変わらずスラム街に住みボランティア
活動に献身している。
新型の薬物を開発する組織は被験者にスラムの子どもたちを利用する。スラムの子どもが数人行方不明に
なったところで誰も気にはしない、という現実もある。アフリカの貧困者を被験者とする欧米の製薬会社の罪
を問い、暴いた映画にジョン・ル・カレルの長編を原作とした映画『ナイロビの蜂』という力作があったことを思
い出す。
 本作で暴かれる犯罪組織の幹部はアパルトヘイトに巣食った高級軍人であり、黒人の命を羽毛の軽さに
しかみなかった化学者たちだ。
 マンデラ政権は新しい国づくりの出発において「国民和解」を説いた。そして、実行した。それは讃えるべ
き高邁な理念の実施であった。
 しかし、旧悪は問わない、という政策によって、黒人への弾圧を常態化していた警察も軍隊も罪に問われ
なかった。矛盾のある国民和解でもあったが、国際社会は賞賛した。しかし、傷を負った生身の人間の心の
支えにならない。 ソケーラ刑事が所属する警察の署長はかつてスラムのソケーラ少年たちを追い回してい
た。それを知っていても水に流せ、とマンデラ政権は主張したのだ。そして、南アフリカ共和国という国は赤
道 以南のアフリカ諸国のなかで有数の経済大国になった。
 本作にはアクション映画の小気味よいリズムもなければカタルシスもない。重く不快な現実を直視しろと
迫ってくる。ダークサスペンス。映画だから、やがて犯罪組織は壊滅することになる、ソケーラ刑事の生命
と引き換えとして。結局、同刑事の命はアパルトヘイトの残滓によって奪われた。南アの現実を垣間見たよ
うに思った。
 ソケーラ刑事を演じたフォレスト・ウィテカーは、かつてジャズ・サックス奏者チャーリー・パーカーの短い生
涯を演じた映画『バード』で名を上げた米国俳優だが、本作でもアパルトヘイトの傷を引きずる黒人刑事役を
渾身の役作りで好演していた。  

映画 アフリカを描く 『ル・アーヴルの靴みがき』 アキ・カウリスマキ監督

 映画『ル・アーヴルの靴みがき』
     アキ・カウリスマキ監督
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 舞台はフランス第2の港湾都市ル・アーヴル。御大のサルコジ大統領を旗頭にフランスは世界有数の移民社会だ。移民たちの政治貢献はもとより、文化的貢献度の密なることでも米国並みではないのか? しかし、移民社会はどうじに不法越境者問題を抱える。これも米国と状況は酷似する。
 いま、フランスで大きな港を背景にして〈現在〉を批評する映画を撮ろうと思えば、不法越境者の影はどこかに出てきてしまう。彼らを無視して映画を撮ることはできる、しかし、誠実な態度とはいえないだろう。ギリシャの財政破綻を引き金とするユーロの経済危機のなかでドイツとともに比較的安定している同国に職を求めて不法越境者が流入するのは、水が高きから低きに流れるように自然現象だ。
 本作に登場する不法越境者は中部アフリカの大西洋沿岸国ガボンからやってきたひとりの少年。改造コンテナのなかに息を潜めてル・アーヴルに荷揚げされた。コンテナのなかで苦楽をともにした数十人のガボン人は荷揚げされた途端、拘束されてしまう。彼らのその後の悲劇は語られない。一銭も稼ぐことなく強制送還される人には借金が待っているだけだ。しかも貧困者には過重の大金だ。彼らは生きるためにどのような選択をしていくのだろうか。
 少年は逃げ出すことに成功したのだ。といってもパスポートももたない不法越境者が生きてゆくには泥棒でもするしかない。そこに登場するのが誇りだけ高い貧しい靴磨きと、彼の友人たち。ヒューマン・ドラマだが、押しつけがましさがないのがよい。
 フランスはかつてアフリカや東南アジア、カリブの西インド諸島などで多くの植民地を経営した国であり、現在なお「海外県」に昇格させて統治している。必然的にフランス語を公用語とする南の国の貧しい民が流れ込んで来るのは止む得ない。
 フランスの三色旗は「自由・平等・博愛」を象徴する。人権思想の鼎(かなえ)をトリコロールした。けれど、そこから外国人はこぼれる。フランス革命の後、フランスは植民地を武器で維持し、多くの民衆の「自由」を奪う、「平等」に無関心、「博愛」のかけらもなかった。フランスは核兵器保有国だが、その兵器としての核の実験場はいつも植民地であった。
 カウリスマキ監督は、自由と平等は実現されたためしはない。けれど「博愛の精神だけがどこにでも見つけることはできた」と語っている。その「博愛」について、庶民の目線から語った映画でもある。
 不法越境者の問題はドラマを創りやすい。経済のグローバル化が叫ばれるようになってから不法越境者を主人公にした映画が急増しているのも、語りやすいからだ。フランスではそうした秀作が年に1本以上、制作されている。
 越境者は存在そのものが激越なドラマだ。母国を離れるという選択、生木を剥ぐような別離、それも自分の意思に反する政治的迫害、貧困などによって流浪の道しか選べなかった人たちの物語だから。そうした悲劇をベースに挿話を積み上げればたちまち何本もシナリオは書ける。安易な社会派映画はいくらでもできる。しかし、政治的にノンポリ、自分のちょっとした行いが「博愛」ともなんとも思っていない日常的な些事の積み重ね。それが結果的に一人の少年を救うことになる・・・という話をカウリスマキ監督はじつに巧みに演出して善意の臭みがない。フィンランド、いや欧州を代表する監督として揺るぎない地位を築いた人の手練だと納得できるのだ。
 ガボンからやってきた少年が最終的に目指すのはドーバー海峡の対岸の英国。ロンドンで家政婦として働いているらしい母親を探すためだ。無事、英国に密入国しても少年の多難がいささかも減じるわけではない。
 パスポートさえあればドーバー海峡を超えるのはなんでもない、通勤・通学の行き来のようなものだが、パスポートをもたない者の前では巨壁となる。ここでも危険をおかして密航するしかない。密航にはカネ金とウンが必要だ。そこで初老の靴磨きを中心に隣人が知恵を出し、少年を貨物船に隠して送り出す。その日常的な工夫の描き方が良い。肩肘はらずに淡々と身の丈に応じてやろうという雰囲気が自然で良いのだ。むろん、それだって映画のお話なのだが、そういう雰囲気を上手につくってしまうのがカウリスマキという演出家なのだ。
 心あたたまるフランスの港町の話だが、監督には、こんな不平等な南北格差を生みだした当事国のひとつが16世紀以来、〈南〉の民衆をさんざん搾取してきた「三色旗」なんだぞ、とぶつぶつと言っているようにも思える。  

映画 アフリカを描く 『おじいさんと草原の小学校』ジャスティン・チャドウィック監督 

 映画『おじいさんと草原の小学校』ジャスティン・チャドウィック監督 

おじいさんと草原の小学校
 アフリカのケニアが英国の植民地支配から苦難の戦いを経て独立したのは
1963年のこと。ケニヤッタという精神的指導者の不退転の戦いによって
独立は果たされた。
そのケニアが小学校の無償教育をスタートさせたのが2003年。独立か
ら40年が経過してはじめてというか、やっと国民、皆等しく初等教育が受
けられることになった。そこに、独立後の国づくりがいかに苦難に満ちたも
のであったかが象徴されている。
首都ナイロビ郊外には世界最大ともいわれるスラム街が広がっている。欧
米の製薬会社が、貧窮するスラム住民の無知につけ込んでひそかに人体実験
を繰り返している実態を暴いた映画があった。貧しいケニア人がそうした犯
罪の犠牲になるのも基本的な教育の欠如なるがゆえの無知から来る。植民支
配の傷はアフリカ諸国では些少の差はあっても、まだ血が吹き出るように開
いたままだ。
 無償教育がスタートした、というニュースは僻村の村にも届く。それを聞
いたマルゲおじいさん(オリヴァー・リトンド)はためらうことなく小学校
の門を叩く。彼が84歳にして学びたいと切実に思うのは、政府から届いた
一通の封書だった。彼はそれを読めない。いわゆる文盲である。
彼は、それを自分自身の知識として読みたいと強く思っていた。他人に読
んでもらったのでは確証できない。文盲であるがために散々、辛酸を嘗めて
きたであろうマルゲは、それが政府の公文書であることを知るから、安易に
他人に読ませられないと思う。
 しかし、84歳にしてはじめて小学校の門をくぐったマルゲは、読み書き
を学ぶだけでなく、獣医になりたいという“遠大”な夢、抱負をもっていた
ようだ。マルゲの半分の年齢だって小学生になるという選択はそうとう奇異
な光景だ。先進国では考えられないことが貧困なるが故に起こる途上国では
あるけれど、ケニアでも特ダネ扱いのニュースであったらしい。そして、制
度的な壁はケニアにも厳然としてあって、マルゲはさまざまな妨害にもあっ
てしまうが、孫のようなジェーン校長(ナオミ・ハリス)のアシスタント資
格で“入学”できた。
映画はその女性校長との心の交流を通して展開される。ひ孫のような同級
生たちとの日常光景も雰囲気よく描かれている。そこはなにやら児童映画の
気配だが、マルゲの過去が絶えずフラシュバックされ、封書の謎が暗示され
る仕組みで、常道的なヒューマニズムと一線を画すドラマだと呼び返される。
それでも、映画の核にある「学び」とは何か、という視点は明快で、「学び」
の原点について考えさせる地肌をもっている。
マルゲは独立運動の闘士であった。その闘争の日々のなかで、愛妻と子を
英国植民地軍に殺されている。そういう虐殺シーンもオブラートに包まれず
リアルに取り込まれている。しかし、家族を犠牲にしてまで戦い獲った独立
ではあったが、マルゲのその後の生活は不遇だった。文盲ということもあっ
ただろうし、ケニアばかりでないがアフリカの国づくりを困難にした部族対
立も翳となっている。マルゲの出身部族は、男は生まれながらにして闘士と
いわれるキクユ族であり、ジェーン校長の出身部族もまた違うというふうに、
民族の微妙な差異も暗示されてゆく。そう、マルゲを通してアフリカの現在
進行形の問題が集約されたかたちで浮かびあがる。それはあまりにも痛々し
い現実だ。
 「学び」出したマルゲだが、読み書きには幾段階の階梯があることを「学
び」を通して認知したようだ。公文書に使われる言葉を正確に読み取るには
まだ時間がかかりそうだし、他人とはいえジェーン校長は全幅の信頼がおけ
る人間だ、とマルゲは思う。ジェーン校長に、「私にはまだむずかしくて読
めない」からと差し出す。そこに記載されているのは、10代から壮年時代
まで、独立に捧げた日々、政治犯として刑務所をたらい回しされ、拷問に耐
えた履歴そのものであった。マルゲが小学校に入ろうとヨボヨボと歩く冒頭
のシーンは、老いて足が不自由になったから杖に頼っているのではなかった。
拷問で足の指が切断されていたのだ。
マルゲは前傾姿勢だ。そして“同級生”に学びの大切さをとき、自らの体
験を濾過して民族の歴史を語る。マルゲは部族を超えたケニア民族のいきた
象徴となりたかったのかも知れない。   
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上野清士

Author:上野清士
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