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古書生々流転 其の弐 『オリンピックと日本スポーツ史』 昭和27年6月刊*日本体育協会編集・刊行

古書生々流転
 
実にさまざまな古書が夥しい暦の紙を切り捨てて拙宅に渡来し、そして去ってゆく。射し込む暁光が、しばし紙背に微かな所在の証しとして皺ぶみを刻み込み、掌に暖を摂りた後、しかるべき処に厚遇を見出し敷居を跨いで去ってゆく。今まで、そんなふうにして看過してきた古書とはもはや邂逅することもできない。と思うときょうも遠く送られ、小生の書棚にとっては逸書となるものをささやかに惜別の筆を執りたいと思う。

其の弐 『オリンピックと日本スポーツ史』 昭和27年6月刊*日本体育協会編集・刊行
オリンピック
 日本体育協会編集による“歓喜”溢るる重厚版。昭和27年6月、日本列島、各都市にはいまだ空襲の焼け跡が散在していた時期の刊行物である。
 刊行年を元号で奥付に表記してあるので、それに従ったわけだが、私には西暦で1952年4月、日本が連合国軍の占領統治から解放されサンフランシスコ講和条約が発効した年して記憶される。条約発効から2ヵ月後に本書が刊行されたわけだ。A4判写真ページ120ページ、本ブ文221ページ、総計341ページというなかなかの重厚版だ。頒布価格が、「貮千五百円」となっている。これは大変な高価格。当時の小学校教員の月収が平均5850円だったというから、まず一般庶民には手もだせない一巻だ。というわけで、それだ けの内容、価値ある本にしなければならないという意気込みがあっただろうし、加えて今後、体育協会が活動してゆくうえでの資金調達という役割も担ったものと思われる。
 これだけの書を企画し、刊行を実現するためには半年以上の準備が必要だったはずだ。1951年9月、米国サンフランシスコ市で連合軍諸国とのあいだに平和条約が調印・署名され、発効が翌年4月ときまった段階で日本体育協会は総力を挙げて本書の制作に取り掛かったものと思われる。
 今日の目からみても貴重な資料が多々、掲載されている。
 幻と消えた1940年の東京大会のエンブレムとか大会競技施設の完成図などが掲載されている。筆者が住む埼玉県蕨市には、40年大会のために建設された戸田ボート競 技場建設現場から運ばれてきた残土によって、新しい近郊都市モデル地区が造成され今日でも面影を遺す一角がある。いまは流行の言葉でいえば幻の東京大会のレガシーである。
 資料編のひとつに大正2年、フィリッピン・マニラで第一回大会が開催され、昭和9年まで10回開催された東洋オリンピック、後に極東選手権競技大会と呼ばれた東アジア地域の国際大会の資料が詳しく興味深かった。結局、この大会は、「満州国」の参加の是非を巡って紛糾し、消滅した。21年を一期として消えた大会であった。
 
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古書生々流転 其の壱 * 海軍少佐水野廣徳 『此一戦』 明治44年3月18日初版発行

古書生々流転
 
実にさまざまな古書が夥しい暦の紙を切り捨てて拙宅に渡来し、そして去ってゆく。射し込む暁光が、しばし紙背に微かな所在の証しとして皺ぶみを刻み込み、掌に暖を摂りた後、しかるべき処に厚遇を見出し敷居を跨いで去ってゆく。今まで、そんなふうにして看過してきた古書とはもはや邂逅することもできない。と思うときょうも遠く送られ、小生の書棚にとっては逸書となるものをささやかに惜別の筆を執りたいと思う。

其の壱 * 海軍少佐水野廣徳 『此一戦』 明治44年3月18日初版発行
此の一戦

 いうまでもなく明治晩期の大ベストセラー。明治44年3月18日、書店の店頭に現れると、たちまち売れ切れ以後、再版につぐ再版のあいだに販路を拡大。明治期を代表するベストセラーとなった。昭和に入って後も円本ブームのなか、戦記文学の巻に収録されてあらたな読者を得た。2004年には日露戦争開戦100周年記念出版と銘打たれ明元社という出版社から刊行されもしている。さまざまに版型を替えて本書はいったいどれほどの数が出版されたのだろうか? 日本人の日露戦争観に大きな影響を与えたもは間違いない。その後、軍事思想ということでいえば、降伏を拒否して自決した将校を好意的に描いたため、その後の日本軍の捕虜観形成に影響も与えたといわれる。いわゆる戦陣訓における「生キテ慮囚ノ辱メヲ受ケズ」に実質を与えたようだ。
 小生の手元にしばし寄遇した原本『此一戦』は明治44年(1911)10月、初版から半年を経て63刷本。造本もまだしっかりとしたもので刊行から百年以上も経っているものとは到底、思えない。それ自体ですでに大きな価値を有するものだろう。
 このオリジナル本の活版が磨耗した後、さまざまな形態をもってあらたな読者を獲得していったわけだ。オリジナル本は、ベストセラー本の宿命として明治末代からすでに古書店から古書店から廉価で移動するあいだに自然と失われてゆき、関東大震災、幾多の自然災害、昭和の空襲下といった人災のなかで焼失したりして、こうしてオリジナルのまま形を残すものはきわめて少部数だろう。それを小生は求める人の手に渡そうとする。
 本書には明治出版物としては異例ともいえる多色刷りの地図が挿み込まれているもので、それはもとより海戦の戦況を図解するために加えられたものであり、本文中の図解、別刷り写真などもあり、今日いうところの ビジュアル面も重視した当時として破格とも思える戦記ルポルタージュともなっていて、そのあたりも大ベストセラーとなった要因だろう。また、砲弾で両手首をもぎ取られ、顔面大半を損傷した負傷兵の手札版ほどの写真も掲載されている。こうした写真は以降、体裁を替えた本には収録されない。 オリジナル本の体裁は、地図や写真などの体裁も失われゆく。その意味で、日露戦役後の日本の世相を紙背に染み込ませた初刷り体裁そのものが明治末代の貴重な証言なのである。
 後に連合艦隊司令長官となる山本五十六も巡洋艦「日進」で艦長の伝令兵として登場する。それは苛烈な戦争シーンのなかで現れるのだが、著者・水野の視点は、巨大なテクノロジー、最新技術が炸裂する近代戦、騎士道のロマンなどいささかも入り込まない現実に注がれ、海軍を退いて後、著作活動に入ってゆく水野は一貫して技術力、それをささえる経済力によって戦争は推移するという視点、そして国際的な視野からの政治論に入り込み、そのため時の政府・軍部の見解と異なるようになり、著作が発禁になることもあった。
 昭和5年の著作『海と空』では早くも大艦巨砲主義を時代遅れと言い切り、戦局を左右するのは航空力だと喝破した。こうした先駆的視点をもった人材が軍内に応分の椅子を与えられなかったことに、日本軍思想のなかにやたらと非合理な精神性が闊歩することになったのだろう。精神力、それは重要なことだが、それだけで戦い抜けない科学的合理主義を水野は主張していた。水野は『海と空』のなかで東京大空襲すら予見していたのだった。
 


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