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自前の〈聖書〉で語らねば、声は届かない――染田秀藤氏の「書評」を読んで

自前の〈聖書〉で語らねば、声は届かない――染田秀藤氏の「書評」を読んで
No.2910 ・ 2009年03月21日
              
*下記の文章を「図書新聞」に書いたのは日付で示した通りで、私自身、すっかり忘れていた。
 ふとしたきっかけで再読する機会があり、一読した後、自分の仕事に対して遅まきながら宣伝にもなるし、また日本のアカデミズムのぬるま湯につかり、自分の専門領域に“侵入”してくる新参者を研究のひろがりと評価せず、学恩をもって入ってくる後輩すら忌避するような「学者」が存在している現実があり、全体とはいわないまで根強くあるという示す文章だと思い、ここに採録することにした。こうした「書評」の「書評」というような断簡墨片はいつのまにか忘却されてしまうので、ささやかな自分のアルチーボに並べておくことにした。
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 表紙の光沢が失われ、手垢にまみれ、傍線や書き込み、指の脂が染みつき、思索の営みが歳月となって刻まれた〈聖書〉ほど美しいものはない。
 中央アメリカ地峡諸国にあまたある教会堂につどう信者たちの〈聖書〉を照らす光りは、熱帯の天頂から放たれ幾度かの屈折を経たものだ。
 筆者はカトリックに帰依するものではないが、そうしたほころびかけた〈聖書〉に敬意を払わずにはいられない。ここでいう〈聖書〉とはまた、それを生きる支えとした座右の書でもあり、生業の“道具”として自分を活かしてきた言霊の詰まった各人各様がかかえている書物も意味する。
 中米グァテマラの古都アンティグアは、この国が激しい内戦で陰惨な殺戮がつづいていたときも外国人バックパッカーを引き寄せていた。ここに寺小屋規模のスペイン語日常会話を教授する私塾が林立していた。ユネスコ指定の世界遺産都市でもあるアンティグアには軍隊が駐屯し、反政府武装組織の前線を押し下げていた。
 この町に日本人旅行者の溜まり場があった。そこに旅行者が読み捨てた日本の本が旅行者が暇にまかせて手づくりした書棚に並んでいた。手垢のついた本をならべた書棚は貧しいが本の回転率だけは高かった。
 その多くはラテンアメリカ諸国への旅の指南書であり、それに類するものが多いのは当然だが、そのなかに岩波文庫版『インディアスの破壊についての簡潔な報告』もあった。
 旅人のなかには旅の恥は掻き捨てと、中米では貴重きわまりない日本語文庫から本を持ち出し、出立したまま帰らない者もいた。『簡潔な報告』も持ち去られるときもあった。けれど半年ほどの月日が経てば、また新たな『簡潔な報告』がひっそりと書棚に収まっていた。
 ラス・カサスの「平和的改宗化」が実践された地グァテマラであってみれば、旅人の関心を一時的にあれ惹きつけ、征服時代の聖職者の活動を知りたいと思うのだろう。しかし、実際にラス・カサスが「平和的改宗化」を実践した地に赴くものはほとんどいない。
 グァテマラには観光地がそれこそ無数にあって、かぎられた日数の旅ではマヤ神殿都市の大伽藍を見物するだけで旅程は尽きてしまう。そうして、『簡潔な報告』は日本人溜まり場の書棚に押し込まれる。

 拙著『ラス・カサスへの道――500年後の〈新世界〉を歩く』の書評を本紙(2008年11月15日号)に寄稿された染田秀藤氏は、アンティグアの小さな書棚の常備書ともいえた『簡潔な報告』の訳者であった。
 『ラス・カサスへの道』が店頭に並んだのは8月上旬(2008)だった。そして、中南米の歴史に誠実な関心をもって執筆活動をつづけている作家、研究者の方々が拙著を手にし、書評の労を幾人もの方にとっていただいた。染田さんの拙著への書評が本紙に掲載されたのは一連の書評が出揃ったかなり後のことである。
 本紙の編集者が拙著の批評を染田さんに任せたのは妥当な成り行きであったと思う。現在の日本ではラス・カサスに関して、もっとも多くの著書を出しておられる先達である。書評の字数も異例の長さであった。通常の新聞書評の3~4倍の長さであったろうか。書評というより客観的にいえば、拙著をめぐる“簡潔な報告”であった。染田さんは末尾でご自身の書評を「駄文にすぎない」と記していたが、ラス・カサスに関わって仕事をされてきた人しか書きえない内容を含むもので、「駄文」とは言いがたいものだった。 染田自身、「駄文」とはひとつの修辞と自覚されていただだろう。

 ラス・カサスの仕事と生涯について考えようと思う者なら一切ならず染田さんの訳書、そして幾多の著作を筆恩として尊重しているはずだ。筆者も例外ではない。それは後学者の誠実な態度というものであろう。
 グァテマラに長期滞在を決め込んだ時、『簡潔な報告』をバックパックに忍ばせた。その訳者によって拙著が批評された、という第一報を聞いたときは深甚な慶びを覚えたものだ。しかし、それは染田「書評」を読むまでの話であった。
 その「書評」はいくつも出た書評のなかで唯一、否定的なトーンに満たされたものであった。同時に、『ラス・カサス伝』(岩波書店)をはじめ多くの論考を重ね、16世紀に活動した聖職者の研究におけるわが国における第一人者と自他共に認めているであろう染田さんは何故、自ら著した本を手に、自ら刻印した自身の仕事における字句を敷衍しつつ拙著を論じようとしなかったのか素朴な疑問を覚えた。
 「学術書としてではなく、教養主義的な紀行文として読めば、それ相当の価値のある興味深い作品」というのが拙著に対する評価の集約であるようだ。私はもとより「学術書」を書くつもりはいささかもなかったし、学窓の徒でもない。付け加えれば「教養主義的」なるものは忌避したい。拙著を評して「教養主義的」と書かれたのも染田さん唯一人である。

 歩くことによってしか得られない思索のあり方がある。
 まず現場に立って眺めること、足元を見つめること、地面の色、緑の濃さ、太陽の輝き、山の稜線、そして大気の流れ匂い……それを体感することは一冊の本を読み終えた以上の何かを示唆してくるものだ。だから、ひとはモーツァルトに憧れウィーンを訪れ、ビートルズをしたってリバプールに足を延ばし、ドストエフスキーの後姿を求めてサンクト・ぺテルブルクを徘徊しようとし、ゴーギャンのマドンナを求めてタヒチに赴こうとする。
 私は、ラス・カサスの墓を詣でようと、マドリッド散策から書き出した。誰が読んでも、この本が「紀行」であることは書き出しの数行を読めば分かることだ。
 それでも最近送られてきた読者カードのなかで、ご高齢の牧師さんからいただいた「机上の論理ではなく著者の人生・生活に裏打ちされた説得力のある論述です」といったご感想を読むと、「学術」的アプローチでなく、汗して歩くことによって見えてくる事実を丁寧に書き込むという方法を取ったことが正しかったと今更ながらに納得するのである。カトリックの修道女と記した方からもほぼ同様のお言葉をいただいている。こうした評価は、インターネット上でも散見することができた。

 そのインターネット上に、染田さんは、「図書新聞」に掲載した自身の書評を転載し、かつ、同新聞にはなかった数行を書き込んでいる、と人から教えられた。それが字句訂正といった代物ではなく、新聞で掲載した書評を自ら否定するような「書き込み」を施しているのだった。それは、次のような一節である。
 「デマゴーグ的言説がモザイクのように嵌め込まれた作品と言わざるをえない」
 ふつうこのようなフレーズを使って書けば、取り上げた「作品」の全面否定ということになるだろう。重い言葉である。
 思い違い、勘違い、あるいは資料の探索の方法で至らなかった故の間違い、といった瑕疵ではなく、染田さんは拙著をウソや詭弁のモザイクと決め付けているだった。その重い言葉をあえて使用された染田さんは能動的な選択行為をしたのだと思う。であるなら、何故、「図書新聞」に発表されたときに拙著を十全に否定されなかったのだろかと思う。一冊の本をめぐって短日時で評価が激変するということは通常、考えられないものだし、長年、ラス・カサスをめぐる研究に専心されてきた学者の矜持からしても、そんなに揺らぐものではないだろう。
 しかし、現実として染田さんは新聞で活字化したこととまるで違った書き込みをわざわざしているのだった。そして、「デマゴーグ」という言葉を使用されるほどの確証があるなら、拙著全体に対する批評をご自分の知見で展開するのは最低の誠意であるはずだ。
 「図書新聞」を読んだ限りの時点では、それは染田さんの拙著に対する評価のすべてだと思いもした。多々、反論もあったが、ラス・カサス研究の権威の「批評」として尊重することにした。それに私は学者ではないのだし、フリーランスの物書きの現実問題としてラス・カサス一人に関わってはいられない事情もあった。
 染田さんの書評を読んだ当時も、私の頭にあったのは、その少し前に訪れ取材してきた中央アジアの失われつつあるアラル海のすさまじい荒廃の様相であった。つい20年ほど前まで激しい波濤が岩を噛んでいたという岸壁に立った。眼下に赤さびた漁船が砂漠に沈んでいた。水はどこにも見えない。蜃気楼の幻影さえ拒絶するような白濁した地平線の広がりがあるだけだった。20世紀最大の環境破壊といわれるウズベキスタンとカザフスタンにまたがる元大湖が消滅しつつある現実・・・という「事実」は、いくらでも活字で読めるし、消滅の速度も統計資料から読み取れる。
 しかし、その荒涼たる様までは想像できない。いや、ある程度は知識の翼を広げて、体験の気流に乗せて想像することはできる。現場はいつもそれをことごとく裏切る。ラス・カサスを書こうと思ったのも、そうした裏切られることの〈快感〉がともなう現場感覚であった。
 染田さんは書評のなかで、「ラス・カサスが足を踏み入れることができなかったアンデス」の地におけるラス・カサスの影響を書いていた。例証としてそれを書き込むことまで否定しないが、ラス・カサスが実際に歩き活動した地において、その影響はいくらでも見い出せる。何故、ラス・カサスが赴かなかった地を選ぶのか、にわかに了解できなかった。
 ペルーから〈解放の神学〉の大いなる呼びかけがあったとしても、ラス・カサスが歩いた道からそれを求めるのは「紀行」の常道であると思う。そして、私はラス・カサスが歩いたニカラグア、エル・サルバドル、グァテマラ、そしてメキシコから殉教した司祭も含めて幾人ものラス・カサスにつながる聖職者たちのことを書いた。その部分は拙著の後半部においてもっとも量多くして書き込んだところである。けれど、染田さんはそれをまったく無 視して、「ラス・カサスが足を踏み入れることのできなかった」地からわざわざ敷衍していたのだ。
 メキシコ・チアパスの古都サンクリストバル・デ・ラス・カサスは反政府武装組織サパティスタの蜂起の地だが、その地の初代司教はラス・カサスであり、先住民布教に手を染めた地であった。町の名の興りはラス・カサス司教から来ている。そうした中米の地での今をまったく顧みずに、いきなりペルーを持ち出されても著者としてはいささか戸惑うのである。 染田さんの意図もすこぶるあいまいだ。
 染田さんが「図書新聞」でわざわざ書評の労をとった、と知ったとき、筆者はそこで、ラス・カサスに関わる書き手の一人に上野清士という中米滞在体験者があらたに加わったと、多少の異論・反論があったとしても、それも百家総鳴に育っていくための一里塚として迎えようという大先達の懐の深さ、度量の大きさを示すなにかが書かれていると思った。しかし、その期待は完全に裏切られたのであった。
 さらに染田さんは「図書新聞」への寄稿に飽き足らず、ご自分のホームページで、ご自身の仕事を否定するような訂正を加えていたのだった。それは人から教えられてはじめて知ったことだが、そのやり方は闇討ち、背後から切りつけるようなアンフェアなやり方だと思った。
 本稿の冒頭で、私は中米の教会の一隅でみた手垢にまみれた〈聖書〉に触れ、ひとにはそれぞれ大切な書物があることを記した。染田さんにとってのラス・カサス研究の結実は翻訳ではなく自ら著した『ラス・カサス伝』であろう。
 染田さんは拙著『ラス・カサスへの道』を批評する際、ご自分の手垢でまみれているであろう血の通った自著を用いず引用せず、そればかりか評伝の存在すら読者に伝えることもなく書いていた。
 染田さんが拙著の批判に使ったのは自著ではなく、まだ邦訳のないイサシオ・ペレスの研究書であった。つまり、大半の読者がその原著にアクセスもできず、入手の労を取るのはスペイン語に精通した者しかいないという、いわば読者の判断を塞いだ地から批判するという論法を用いていた。それもアンフェアな態度ではないのか。
 染田さんの主著『ラス・カサス伝』は評伝である。人の事跡を書くのが評伝である。その要諦は文献探索だけでなく、足で書くものだと私は思っている。
 染田さんが書かれた評伝は時系列にラス・カサスの足跡を知るには好個の書である。しかし、文献探索を基にした机上の仕事である。丹念なお仕事であることは確かだが、そこに立体感はなく、ラス・カサスが生きた感覚は感じられなかった。16世紀人としては稀有な旅程を重ねた旅行人との歩幅も感じることはできなかった。
 だから私は歩いた。 できるだけラス・カサスのように歩いてみようと思った。ラス・カサスの足跡は一歩一歩、踏み込まれて刻まれただろう。驢馬に騎乗しての旅程も長かったことも知っている。馬上に降りそそぐ熱帯の陽光、異民族・異文化の地を歩くものに特有の故しらずもたげてくる恐怖感というものもあったはずだ。砂埃が立つ、歩行の吐息があり汗も流れる。 染田評伝は日時を精緻に書き込んでいる。しかし、そこには肉付けがないと思った。取材で得られるべき呼吸がないと思った。私は、その呼吸をできるだけ書き込んでみようと思った。そのためには歩くしかないと思った。そして、それは特別なことではなく多くの物書きが当たり前にやってきたことだ。
 歩くことによって16世紀の道はかき消され20世紀につけられた道しかないことも知った。400年もたてば道筋は変わり、熱帯雨林の細道はたちまち乾季と雨季の連鎖のなかでかき消される。むかし、パナマ地峡を縦断した「カミノレアル」王の道といわれた公道はインカ帝国の金銀財宝を運んだ道として史書に記載されるが、そんな道など跡形もなく消えている。ラス・カサスの歩いた道の多くも消えている。しかし、染田評伝はまず地図の検証が行なわれていない。それは自分の足をつかっていないからだ。幾つもの間違いを発見したし、拙著の冒頭に書き込んだようなラス・カサスの遺骸とスペイン市民戦争との関わりの挿話も見い出すことができた。それを染田さんはそれをまったく無視しているが、ラス・カサス研究の心眼にはならないもののスペイン史をめぐる重要なエピソードだと思って書き込んだ。そうしたことがたくさんあった。それは驚きであると同時に貴重な発見<であった。
 しかし、私は歩くことによって知ったこと、それをダシにして日本で唯一のラス・カサス伝の著者である染田さんを批判するつもりはまったくなかったし、現に拙著なかで、そうしたことは記していない。

 染田さんは拙著について、「問題なのは、著者が五〇〇年という時間の経過を無視し、表面的な事象に目を奪われ、ラス・カサス思想の現代性や普遍性を深く問いただしていない点にある」と書いていた。
 むろん、私は時間の経過を無視してはいないし、私なりの方法論でラス・カサスの現代性を問いかけたつもりである。傍題に「500年後の〈新世界〉を歩く」としたのも、500年の歳月の連鎖を認知しての作業であったからだ。だから、ラス・カサスから現代に引き継ぐ歳月のなかで生起したことを、ラス・カサスが歩いた地にできるだけ即して取り上げようとしたのだ。
 中米の地での聖職者の活動は、この地の植民地時代、独立、中米連邦の創設と崩壊、英国の進出、米国の覇権、そしてソ連の影響力の行使などさまざまな政治的駆け引きとは無縁ではありえなかった。それがこの地の500年であった。それも〈への道〉に即してできるだけ語ろうとしたし、読者の大半はそう読んでくれたと思う。何故、染田さんが拙著を評して上記のように書くのか、その意図がまったく理解できない。 染田さんが「500年」と強調するのであれば、ご自身の労作の評伝は、それこそ文献主義に陥り、現代への架橋はほとんどない。そういう自らの評伝を棚に上げて、私への書評をかくも辛らつに描く意図はなんだろう。
 染田さんは拙著への批判にアンデスの地の影響を持ち出しているが、アンデスを持ち出すのであれば、その地から出てきたボリビアのアイマラ族出身のモラレス現大統領まで語るべきだろう。染田さんも書いているが、「キリスト教中心主義やヨーロッパ中心主義」への批判が必要との認識は、例えばモラレス大統領の施政の苦闘に繋がるものだし、現在進行形の問題として日々、苦慮していることは承知のことと思う。ボリビアも「ラス・カサスへの道」から外れる行程であったために、私はモラレス大統領には触れていない。その代わり、モラレス大統領と政治的な同志であることを宣明しているベネズエラのチャべス大統領にそれを求めて、私は示唆した。ベネズエラの地にラス・カサスは足跡を残した。
 チャべス大統領は、みずからの体内にながれる〈血〉の自覚に500年の民族混交のゆらぎと混迷の歳月の堆積を見い出し、それを公言している。
 また、中米の地の聖職者の活動にもそれを見い出し、それも書いた。グァテマラではカトリック教会とマヤ先住民の土俗的な宗教の和合をルポした。和合の過程は先住民と征服者、先住民司祭とカトリック司祭との暗黙の500年の闘争史そのものであった。そういう私の記述が拙著の眼目のひとつだと思っているが、そうした記述をことごく無視して、「ラス・カサスが足を踏み入れることがなかった」アンデスの地をいきなり持ち出され批判されても困るのである。
 私はいま、とても残念な思いをしている。染田さんの拙著に対する書評は、染田さんの著作を緒口にラス・カサスへの関心を醸成していった多くの読者に対する裏切りではないのか。そして、染田さんの翻訳を通して『簡潔な報告』を読んだ私自身に対する大いなる裏切りにもなっていると思った。
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著書 『ラス・カサスへの道 -500年後の<新世界>を歩く-』

上野清士店長の最新著書
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書評など。
▼池澤夏樹(作家) 『ラス・カサスは証人である。彼を聖人にしてはいけない。人間として見て、その生涯を追って、今のラテンアメリカを広く歩く。この本の中では歴史と地理が互いを抱いて踊っている』(帯の推薦文)

▼大田昌国 (評論家)『著者は、日本でのラス・カサス研究のあり方に、ひとつの問題提起をしたかったようだ。従来の研究は、「徹底した文献検証の精緻で誠実な作業の結晶」であり「まさに労作」なのだが、「まれにみる健脚であったラス・カサスのフットワークのよさはそこには感じられない」。そこで、著者が採った方法は、ラス・カサスのゆかりの地を徹底して訪ね歩き、五世紀ちかく以前の人間の事跡をたどること、そしてそれぞれの地に生きる現代の人びとの中にどんなラス・カサス像が残っているのか、「征服」の痕跡がいかに現代にまで通じているものであるか、を検証するものであった』 (『週刊読書人』書評より)

▼杉山晃 (清泉女子大教授・スペイン・ラテンアメリカ文学)『とはいえ、この本でとりわけ驚かされるのは、そこかしこで発揮される著者の旺盛な批評精神だろう。訪れる先々で過去や現在、さまざまな社会問題や事件が縦横に語られ、独自の批評が加えられる。キューバではチェ・ゲバラとラス・カサスが対比され、パナマではガルシア・マルケスや松尾芭蕉、あるいは海賊ドレークや征服者ピサロが想起される。過剰なまでに繁茂する思考は、ラス・カサスの言説と同様に挑発的である』(『北海道新聞』書評欄より)

▼山崎努(俳優) 『インディオに対するスペイン人の残虐行為を身を挺して糾弾した十六世紀のカトリック司教、ラス・カサスの生涯をたどりつつ、ラテンアメリカの現状を考察した紀行本で、読みごたえのある力作』(『週刊文春』「文春図書館」より)

▼越山芳明(明治大学教授・アメリカ文学) 『とりわけ、後半のグアテマラの章では、カトリック教会とラス・カサスの限界について厳しく批判する。メキシコをはじめ中米に十四年暮らし、思考を巡らしてきた著者の行き着いた地点は、キチェ族をはじめとするグアテマラの先住民やインディオの視点であり、「心」だった。』(時事通信社より全国特約紙への配信、書評より)

▼本橋哲也(東京経済大学教員)『現今の世界における不正と暴力の原点とも言うべき西洋植民地主義をその内奥から告発した「先住民の守護者」にして歴史の証人でもある彼(ラス・カサス)の布教活動と人生行路を、自分の足でたどりなおしてみること。そんな、過去の伝記でもあり、現在のルポルタージュでもあり、そして未来のための文明批評でもある本を書くのに、おしらく本書の著者はもっともふさわしい人だろう』(『週刊金曜日』読書欄より)

▼小柳伸顕(牧師)『研究者のラス・カサス研究は、ラス・カサスやラテン・アメリカを一般人には遠い存在にしますが、上野さんの本書はその逆です。一般の人にとってのラス・カサスについてのフィールド・ノートであり、ラス・カサス入門書と言えます。本書を通して、ラス・カサスやラテン・アメリカと出会えることは有意義なことです。是非、ご一読を。』(日本キリスト教団の牧師さんたちの機関紙『fad』より)
<2008.7.28>

著書 『南のポリティカ -誇りと抵抗』

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▼「評論家とも違う生活者としての視点で語られているが、エッセイと言うにはあまりにも切実な内容である。(略)著者の胸底には沈殿している思いは、静かな悲鳴となって響いてくるのだ。」石田昌隆(ミュージックマガジン2006年1月号)

▼「読み進むうちに、これを視野に入れないままに世界を論じるのは欺瞞だという思いが。(略) 今の日本のジャーナリズムには南の視点が不足している。それに気づくためにも、この本は広く読まれるべきだ。」池澤夏樹(週刊文春2006.2.17号)

▼「本書を読み終えてまず覚えるのは途方もない距離を移動したとき独特のずっしりと重い徒労感であり、同時にそんな時にだけ生まれるまるで目が変わったかのような感覚だ。(略) 何を学んだと自身を持っていえるわけでもないのに自分と世界の関係が不可逆的に変わってしまったと感じる。」管啓次郎(すばる2006年2月号)

▼「南のポリティカはアメリカという北の巨人に踏みにじられながらも人間性を謳歌するおおらかな社会、ラテンアメリカから見える政治風景を展開した。」伊藤千尋(週刊金曜日2006.1.21号)
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上野清士

Author:上野清士
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