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キューバ革命の指導者カストロ元議長の死

キューバ革命の指導者カストロ元議長の死と、その後
カストロ
 巨星墜つ。キューバ革命を成功に導き、米国と隣接する小さな島国で反米主義を標榜、第三世界の独立の象徴として輝きつづけたカストロ元国家評議会議長が11月25日死去した。存命中、カストロ本人の意思として禁じられた自身の偶像化だったが、訃報を聞いた市民たちはいっせいに思い思いの方法でためらうことなくカストロ像を掲げはじめた。

 キューバへの渡航を重ねている。首都ハバナ、革命の揺籃の地サンチャゴ・デ・クーバ、革命の勝利を決定付けた戦闘地サンタ・クララ、そしてレンタカーを借りて地方都市、寒村も回っている。
 経済的な苦境でインフラの整備もままならかった島国を効率よく取材するには車を活用するしかない。レンタカーもガソリンも周辺諸国から比べると割高。自家用車を持つことなど一般庶民には高嶺の花。車で走行していると警察にいきなり止められ、どこそこ行くなら、この人たちを乗せよ指示される。いや、信号待ちをしていると、いきなり乗り込んでくる市民すらいる。外国人だから拒否することも可能だし、言葉をわからないふりをすれば、乗り込んできた市民も引きさがざるえないだろう。けれど、走行中、市民の本音を聞けるので乗車を承諾する。それもラテン諸国にあって稀にみる治安の良さがあるからだ。その車内の密室のなかでは生々しい政権批判も聞けたし、なかでも面白かったのは、若者たちのインターネットとの関わりだったが、いまはここでは本旨ではないので書かない。

 国内どこへいってもカストロ像をみることはなかった。その代わり革命の同志エルネスト・チェ・ゲバラであり、独立戦争の英雄ホセ・マルティ像が無数に存在する。チェ・ゲバラを称えることは同時に革命指導者としてカストロを賞賛することだし、ホセ・マルティを崇めることは民族自立の継承をカストロが引き継いでいると国民に明示するものであった。彼らの像の背後にカストロがいつも後背の光となっていたわけだ。

 カストロの名が20世紀後半の世界史に刻まれるのは、革命の成功は無論だが、「キューバ危機」の当事者として米国に深甚な脅威を与え、米軍の武力侵攻の野望を封じたこと、同時に東西冷戦の壁を厚く高くしたことも見逃せない。また、冷戦下、近隣の中南米諸国に蔓延っていた軍事独裁政権に対する民衆の闘争を支援し、当該国の現代史にもその名を刻みつけ、アフリカ諸国の独立戦争にも積極的に関与した。
 アフリカ諸国への武力介入はチェ・ゲバラの時代から、ポルトガルの民主化を実現することになったアンゴラ独立戦争の時代までつづいた。そうした関与は、よくソ連の代理戦争だと批判されてきた。確かにそういう側面もあったが、キューバの民族構成比は現在もアフロ系25%、白人との混血層25%であり、当然、キューバ革命戦争でも彼らは生 命を賭して戦った。革命樹立後、そうしたアフロ系キューバ人が父祖の地の自由を求め積極的に志願していったことを忘れてはならない。そして、ゲバラが斃れたボリビアでのゲリラ戦にアフロ系兵士がひとりしか加わっていなかったのは、ボリビアの人口比が反映されている。ボリビアの山岳地帯に拠点を置いたゲバラ隊にとってアンデス先住民との融和という目的にアフロ系兵士は相応しくなかったからだ。

 カストロ政権下、キューバは米国を超える識字率を達成した。
 民主党支持者として世界的に有名な米国の映画監督マイケル・ムーアは、自作で米国人が羨む医療制度の充実ぶりを紹介したが、それもカストロ政権なくして実現しなかった。もっとも、その内実は例の国内ドライブで同乗者とした市民からは、かなり痛烈な批判も聞かれた。しかし、ラテンアメリカ諸国中、断トツの平均年齢の高さ、乳幼児死亡率の低さはカストロ政権の成果であることはまちがいない。
 筆者が中米に居住した当時、域内諸国で災害があると真っ先にキューバから医療ボランティアが駆けつけきたのを知っている。国交のない国へも躊躇なく送り出していた。
 「スポーツ大国」と言われるが、それも義務教育が充実し、全国的に運動能力の高い児童を早期発見することができたからだ。また、「音楽大国」であることは過去も現在もかわらず重要なこの国の文化要素だ。そして、貴重な輸出産業だ。毎年、多くのキューバ人音楽家が来日公演を行なっているが、その数は、ラテン諸国に限るとブラジルに次ぐ。反面、音楽家、スポーツ選手のそうした海外での活動は、多くの才能を米国に亡 命させる結果ともなった。

 トランプ次期米国大統領は、カストロの訃報を受け、「残忍な独裁者が死んだ」とツイートした。
 政治犯を劣悪な環境の刑務所に収監したり、武力を伴わない反政府活動を弾圧したことも事実。ソ連の後ろ盾を得るためにチェ・ゲバラの反対の声も押し切り、砂糖生産に特化した産業構造も革命前とおなじように継続させた。工業化がすべてとは思わないが、キューバに歪んだ経済構造を遺したことも注意されるべきだ。ソ連が主導したコメコン(経済相互援助会議)の強制であったが、米国が手出しできないように牽制するためにはソ連との協調路線を選択しないわけにはいかなかった。カストロ自身、クレムリン主導のコメコンが、ロシアに富を集中させるゆるやかな搾取のシステムであったことは熟知されていた。キューバのシエンフエゴス郊外に油田が確認されているにも関わらず、自力開発の目途すら立てられず、エネルギーの根っ子をクレムリンに握られていた。国際競争力を持つほどの埋蔵量ではなかったはずだが、それでも地産地消ぐらいはできただろう。

 賞賛もあれば批判もある。政治家が受けるべき当然の責務だ。しかし、その地政学的位置を注視してみるべきだ。
 米国の内海カリブにあったキューバが反米主義を唱え、米国は経済封鎖をつづける。ハバナの目の先にあるフロリダ州、その州都マイアミを中心に多くの亡命キ ューバ人が住む。マイアミ郊外からキューバに向かってキーと呼ばれる無数の島が点在し、突端のキーウエストまでハイウエーが走る。そのキーウエストからマイアミまでの距離より、キーウエストからハバナの方が近いのだ。そのハイウェーを走ったものなら、かくも至近距離にあって反米政権を維持するには尋常な手段ではできない、と誰しもリアリズムで思わずえない。
 カストロは、「歴史が私を裁くだろう」と語った。
 トランプ氏が「残忍」とカストロを指弾するなら、キューバにとって米国は革命前から傀儡政権を操って国富を奪いつづけた超ど級の「残忍」な国家といわなければならない。
 
 オバマ大統領はキューバと国交を再開した。トランプ次期大統領はそれに批判的だ。し かし、トランプ氏とてキューバとの経済交流を促進しないわけにはいかない。何故ならキューバとの貿易を実利的に要望しているのは同氏の支持基盤である南部諸州の企業家たちであるからだ。いま、トランプ氏が声高にカストロ元議長を批判するのも、キューバ政府に対し、オバマほど物分りはよくない、と牽制し「経済」交渉を有利に進めようとする企業家の事前のプレッシャーにも思える。キューバが求めているのは米国からの資本の投資であり、米国観光客の拡大である。お互いに求めているのは政治ではなく経済、実利であるように思う。それは米キューバ間の交流を意外に早く深めることになるかも知れない。カストロ元議長も泉下から容認するはずだ。(11月30日記)
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南米コロンビアに二個目のノーベル賞  52年間の内戦を和平に導いたサントス同国大統領へ平和賞

南米コロンビアに二個目のノーベル賞
 52年間の内戦を和平に導いたサントス同国大統領へ平和賞


 今年のノーベル平和賞は南米コロンビアのファン・マヌエル・サントス大統領に授与される。ノルウェーのノーベル賞委員会の選考理由は、「50年以上にわたる内戦の終結のための尽力」に対する評価。しかし、授与発表の直前、同国有権者は、「停戦合意をめぐる国民投票」で反政府武装組織・コロンビア革命軍(FARC)に譲歩し過ぎているとして僅少差で合意を否決。同賞委員会はその結果を承知で授与した。そこには、停戦に向け更に奮闘努力せよ、という強いメッセージがこめられている。
コロンビア ノーベル 左からサントス大統領、ロンドニョ司令官。
 コロンビアにとってノーベル賞受賞は二度目。1982年、ラテンアメリカ文学の豊潤さを知らしめた作家ガルシア=マルケスに文学賞が贈られている。そして、二つのノーベル賞は同国の暴力的な風土に根ざす。マルケスの代表作『百年の孤独』はユネスコで20世紀を象徴する文学の代表作として認定されているが、作家は同国の混迷を架空の町マコンドの年代記に託して魔術的リアリズムの手法で描いた。そして、マルケス自身、同国の暴力的風土を避けメキシコ市に移住し、母国の和平を見ることなく流浪の地で没した。
 余談だが、筆者が中米に滞在し、もっとも域内を旅していた1990年代、最安値の航空券といえばアビアンカ航空であった。コロンビアのフラッグキャリアである。同国の内戦、麻薬組織の暗躍などがブランド力を落としていた。80~90年代に掛けて多数の死者を出す事故も起こしていたし、バックパッカーの情報網は、国内便はハイジャックされる可能性も高いし、地方空港ではゲリラの攻撃すら受けるかもしれない、とまことしやかに噂されていたのだ。しかし、グァテマラのアビアテカ航空、エル・サルバドルのタカ航空などは国内の内戦を尻目に収益を上げていた。といわけでアビアンカも格安ということで利用されていた。

 ノーベル平和賞はいうまでもなく政治的な賞だ。
 ラテンアメリカでいえば1987年、中米諸国の内戦終結にむけた功績ということでコスタリカのオスカル・アリアス大統領(当時)が受賞した。しかし、中米諸国の内戦はそれ以後、10年前後、継続した。昨年は、いわゆる“アラブの春”を主導したチュニジアの民主化運動「国民対話カルテット」に、「多元的な民主主義を構築」したとして授与しているが、現実問題としてイスラム厳格派・サラフィー主義との対応に混迷しているのが実情だ。今年、任期を終えるオバマ米国大統領は2009年に受賞している。任期1年も迎えていない、これから実績を積み上げていく初年度に授与した 。世界を主導する国家元首として任期中、平和化に奮闘努力せよというメッセージであった。
 停戦合意までまだ幾多の紆余曲折が予測されるなかで、サントス大統領に授与された。
 コロンビア和平問題はアルゼンチン出身のフランシスコ法王が2013年に選出されて以来の宿願で、そのため多くの時間を割いてきたし、そのための長足の旅も厭わなかった。同法王の行動力はポーランド出身のヨハン・パブロⅡ世の事蹟を追うようとしている観がある。また、キューバ政府が和平交渉の場を提供しつづけたことも注視する必要があるかも知れないる。これまで、たとえばエルサルバドル内戦の和平交渉の場はメキシコが提供していたが、国内の麻薬組織とのいわゆる“麻薬戦争”の激化で、政治的余裕を失せているのかもしれない。

 内戦を終結させるためには敵対する両勢力の強い意思と行動が必要だ。サントス大統領はFARCに対する政府軍の最高司令官。そしてFARCには、ロンドニョ司令官(別称ティモシェンコ)が存在する。今回、ノーベル賞委員会はFARCを無視した。それが吉にでるか凶と出るかわからない。しかし、かつて平和賞は、パレスチナ問題の解決に向けて1994年、パレスチナ解放機構のアラファト議長と、イスラエルのシモン・ペレス大統領とラビン首相に与えた実績があるように、紛争国家には双方に与えてきている。南アフリカでアパルトヘイトが撤廃されたときも、北アイルランド紛争の和平にむけたプロセスでも相対する政治家に授与している。
 ロンドニョ司令官、FARCを無視したのは内戦下、人道的な犯罪を主導したというような「作戦」行為への批判かも知れないが、それをいうなら歴代のコロンビア政府軍もまた超法規的殺人を重ねてきたはずだ。また、同国の宿痾(しゅくあ)である麻薬密売との関わりは双方が責任を負うべき問題でもある。

 決定的な敗戦を受け入れて銃を置くのではない。戦う余力があるときに銃を捨てるには大義名分が必要だ。前線にたって生命を賭した一兵士を納得させるためにも“名誉”が必要だろう。
 FARCが麻薬密売に関わっているという批判は同時に、歴代コロンビア政府が麻薬密売組織と関わりを持っていたという批判にもなる。内戦は法のおよばない地域が広範に生じることだ。コロンビアのGNPは公表されている総額の約倍はあるといわれてきた。麻薬密売にともなう地下経済が蓄えた利益は国家税収に貢献していなかった。

 現在、メキシコでは苛烈な「麻薬戦争」が政府と密売組織とのあいだで戦われているが、その麻薬の大半はコロンビアから流入し、さらに北上して米国入りする。コロンビア和平とは米州全体の懸案であることをノーベル平和賞委員会はどこまで承知していたであろうか? 希望があるとすれが、受賞者とはならなかったロンドニョ司令官に主導されるFARCの譲歩、寛容さの発現となるかも知れない。寛容さを引き出す手法として今回のノーベル賞委員会の選考は大局を見失っているのではとも思う。

パナマ運河の新時代  ~拡張工事完成で飛躍的に物流量が増える

パナマ運河の新時代
 ~拡張工事完成で飛躍的に物流量が増える
パナマ新運河を航行する最初の大型コンテナ船(中国)
 ラテンアメリカ地域の話題がリオ五輪に集約されていた6月26日、中米パナマにある太平洋と大西洋を繋ぐ海の大動脈パナマ運河の拡張工事が終了し、最初の通過船を迎える式典が行なわれた。輸出入に大きく依存する日本にとって運河の拡張の意味は大きい。

 最近のパナマの話題といえばタックスヘブンを巡る「パナマ文書」問題に集約されていたが、その間にもパナマ運河は最終工事に向かって着々と進行していた。
 1914年、米国によって建設されたパナマ運河は20世紀最大の土木工事といわれ、21世紀の新運河完成は21世紀最大の土木工事とはまだいえないまでも最大の拡張工事とはいわれるだろう。

 パナマ運河の拡張工事は1999年に米国からパナマに返還される以前からあった計画だ。日本の建設会社も受注を巡って運河の浚渫などを請負っていた。中国、台湾の企業なども働きかけていたが拡張工事を落札したのはスペインの建設会社サシールを中心とするイタリア、ベルギー、そしてパナマの4社で構成されたコンソーシアムであった。落札額31億9200万ドル(3384億円)だったが、土壌地質などの問題が工事開始後に発覚するなどして、最終的には55億8100万ドル(5916億円)と約倍増してしまった。土壌地質などの問題は、パナマ運河建設に最初に鍬入れを行なったスエズ運河を開通させた“フランスの英雄”レセップスが挫折したおおきな要因のひとつだ。その意味でも難関をきわめた世紀の大工事といえるだろう。しかし、この差額の負担、支払いを巡って今後、通航料に跳ね返ってくる可能性もあり、中国についで実質通航量が多い日本 にとっても無視できない問題だ。実質、と書くのは周知のように船の船籍を税金の安い国で登録する便宜置籍船の問題があるからだ。パナマもSEGUMARという公益機関があって大きな収益をあげている。

 6月26日以前、外洋を航行する船は「パナマックス」を基準に建造されていた。
 パナマックスとはパナマ運河を通航できるように建造された船舶をいった。全長294.1メートル、船幅32.3メートル、喫水12.0メートルである。新運河は同366.0メートル、同49.0メートル、喫水15.2メートルが新たな「パナマックス」となったのだ。これによって貨物量で従来の3倍の量が行き来できるようになるといわれる。それを象徴するように新運河最初の通航船は新運河を象徴するように、従来の運河では通航できなかった9427個のコンテナを積載した中国船であった。(写真参照)

 また、新運河は従来の運河を遅滞なく運営しながら、運河建設当時の閘門(こうもん)の近くに建造されたものだ。今後も従来の運河は活用されてゆくので、これまで通航時間を大幅に緩和される。運河近くを走る一般道路で太平洋口のパナマ市からカリブ海口のコロン市まで車40分たらずの道を、船は待機時間をふくめ31.5時間も掛かっていた。太平洋側のパナマ港、カリブ海側のコロン港の湾内にはいつも通航待つ大小の船舶で渋滞していたが、それも緩和され、大幅に通航時間が短縮される意味は大きい。

 しかし、大幅な工事費の増加によって運河を管理するパナマの運河庁は通航量の値上げを示唆しており、また世界経済の冷え込みによる物流量の縮小によって今後、運河の通航量が飛躍的に伸びる可能性は必ずしも期待できない。
 また、パナマと同じ中米地峡に位置するニカラグアで、パナマ運河を通航するより時間を大幅に節約でき、より大型船の通航が可能な運河が内陸の巨大なニカラグア湖を活用した「ニカラグア運河」の建設がはじまっており、パナマ運河の特権的な位置も安泰とはいえない。この「ニカラグア運河」の建設には中国系企業が請け負っているが、まだ建設の“序章”の手前といった段階で、ニカラグアの政権交代、同国と中国の関係の希薄化によって、どうのように推移してゆくのかは疑問だ。
 近年の中国はアフリカ諸国への進出が際立つが、こうした運河建設を巡ってラテン アメリカ諸国へも意欲的である。 

☆余談だが、パナマ運河は海の大動脈として世界経済に貢献してゆくことには従来通りだが、運河はまたパナマ観光の目玉でもある。パナマ・シティに近いミラフローレス閘門には観客席が設けられた見学施設があり、目の前を巨船が上下動して、太平洋にむかっては下降し、大西洋に向かっては浮上していくさまは壮観である。今後、その壮観さはバージョンアップしたわけだ。今度、パナマに行く機会があれば、必ず再訪するだろう。運河そのものも客船にのって3回通航体験があるが飽きない。東京DLのアトラクションは所詮、遊戯、20世紀の大構築物をリアル体験するほうが感激は大きい。経済活動そのものがおおきなアトラクション化している稀有な存在でもあるのだ。

リオ五輪の懸念って?

 南米初のオリンピックとなったブラジル・リオデジャネイロ大会が始まる。懸念されていたスタジアムなどの建設工事はなんとか間に合いそうだし、水上競技会場の水質汚染やインフラ整備、スポンサー不足、宿泊施設不足等などもどうにかクリアされたようだ。 このリオ大会が決まってから今日まで、日本だけでなく欧米メディアを通じて流されたリオ五輪報道の行間から、先進国特有の上から目線をずっと感じてきた。東京大会のメインスタジオのデザインコンペ、エンブレム選考のぶざまともいえるゴタゴタ、都知事のプライドも品もないセコイ政治資金流用の問題を棚上げにして、ラテンアメリカへの冷ややかな視線をずっと感じてきた。
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 ブラジルは過去2回、オリンピックより熱狂的なファンがつめかけるサッカーW杯を二度、リオを本会場に主催した。いずれの大会も開催までさまざまな懸念があったが無事、成功させている。なるようになるのだ、と言い方は無責任のようだが、筆者の実感にもっとも近い。
 リオにはファヴェーラよ呼ばれるスラム街が約400地区ある。隣接する郊外地区を含めたリオ都市圏の人口は約1300万。そのリオ人の4人に1人はスラムで暮らすという町だ。
 リオ五輪が決まってから、スラムにある麻薬密売組織を封じ込めようと特殊警察部隊を創設したり、日本の援助で文民警察を配置する「交番」を各所に作るなど治安改善に力を注いできた。その間にも、たとえばブラジル映画はスラムを根城とする麻薬密売組織などをテーマに暴力的な映画を平然と制作していたし、そうした映画が国外で上映されることにさしたる疑念すらブラジル政府はみせなかった。そのあたりは独裁国家ロシアや中国の対応より、ずっと民主的だし表現の自由がある。
 スラム解消ということでは1940代、50年代、そして軍事独裁政権下での70年代にも強権で撤去するという計画もあったが挫折した。スラムの肥大化はブラジル経済・社会政策の反映であって五輪をきっかけに解消するような単純な問題ではない。したがって五輪会場周辺での犯罪は基本的になくならない、との前提に立ってリオ当局は 警備要員を増やして対策にあたるだろし、IOC(国際オリンピッ ク委員会)もW杯での実績も踏まえてリオ五輪を決定したのだ。
 過去、巨大スラムを後背地に抱えた大会として1968年のメキシコ大会があった。そして、そのメキシコのスラムは解消するどころか、現在も肥大しつづけている。五輪とスラムの解消はまったく別問題である。そうした自明の問題を、五輪開催不安に結びつけるところに、筆者は「上から目線」を感じてしまうのだ。

 リオ市民が五輪をどう見ているか、といえば、それはW杯と同じようなスタンスだろう。
 「五輪よりスラムのインフラを整備しろ」、「社会福祉に金を使え」という声が出るのが当然だし、またそういう声も確かにある。しかし、庶民の目は醒めている。スラムの形成は、リオ一市で解消できる問題ではないことは誰でもしっている。また、リオっ子の文化的な心性を見逃すこともできない。
 たとえば、リオのカーニバルは豪奢なフィエスタとして世界の耳目を集める。そして、その祭りの主人公、あの華麗なパレードを繰り出すチームの大半は各地区のスラムから出ている。彼らは一年の貯金を豪奢な衣装や 練習のため、数日のハレのために消費することを厭わない。そういう市民の心性を理解しないと五輪に対する思いは理解できない。

 また、リオ五輪開催の懸念材料のひとつにルラ前大統領の国営石油会社ペトロブラスなどでの汚職事件があった。警察の事情聴取も行なわれ、逮捕の可能性も出てきたところで、同前大統領の腹心の部下であったルセフ現大統領は職権で官房長官に任命、警察の追及をかわそうとした。これに怒った国民は各地で抗議行動を展開、国会でルセフ大統領の職務を停止する弾劾採決が行われ、現在、副大統領が職務を代行中だ。国政の混乱が五輪開催に影響を与えるのではという危惧もあったが、五輪は都市開催の競技会。リオ当局にブレも変化もない。

 聖火が灯されるとともに世界の視線は競技の行方に集約される。世界でもっとも日系人の多い国。サッカーW杯とどうよう日系社会は選手のサポートはもとより、日本人観光客のために便宜をはかろうとさまざまなプランを練っている。むしろ、リオ五輪での心配は外からの懸念だろう。
 21日、IS(イスラム国)に共感しテロ活動を計画していたとされるブラジル人10名を拘束したというニュースが入った(日系人が一名いるらしい)。
 多民族国家のブラジルは世界最大のカトリック信徒を抱える国だが、信仰の自由は保障されている。広大な国境をもつ同国に「悪意」を持って入国しようと思えば越境は容易だ。最近のISはソフトターゲットを標的とするテロ活動を展開していることは周知の通り。五輪はISにとって格好のステージとなるということで警戒レベルを上げていたなかでテロ活動計画を発見したのだ。リオ五輪への懸念はリオ市民の生活にどう影響するかという問題はすでに後退しているのが現状だ。
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 その市民目線でみれば、スポーツ大国ロシアがドーピング問題で不参加になる可能性が出てきたことで盛り上がりに欠けるのではという話題のほうが大きいと思う。しかし、サッカー国ブラジル、同国代表チームに現在のヒーロー、ネイマールがオーバーエージ枠で参加したことで大いに活気づくだろう。リオ市民は、五輪予算を俺たちに回せ、いう声は最初から民意となっていない。それをあたかも「民意」として報道していたのは海外メディアの上から目線ではなかったか。スラム住民にとっては大会期間中、警察などの締め付けはきつくなるかも知れないが、W杯で体験済みと庶民の知恵でやり過ごすだろう。 

忘れてはいけない「パナマ文書」  ~見えてこない租税回避地の小国の民衆

忘れてはいけない「パナマ文書」
 ~見えてこない租税回避地の小国の民衆

 大衆は新しい事件、話題に目を奪われ翻弄される。それは無節操でもあり、倫理観の欠如と指弾されうるものだが、マスとしての大衆は自己責任にまったく無自覚だ。だから、芸能人のプライバシーに土足で踏み込むようなTVレポーターの横暴を許容してしまう。
 おのが暮しに直結する事件でも、真相究明が停滞するとたちまち関心も薄れ、いつの間にか忘却することを由とする。マスコミも視聴率が下降するとすでに賞味期限が切れたといわんばかりに切り捨てる。
 「パナマ文書」の衝撃が世界を駆け巡ったのはつい最近のことだが、ニュースのステージから完全に降りた印象だ。舛添前都知事の品のないセコイ話題が「文書」問題を隅に追いやった印象だ。
 政治家や富裕層の貪欲な資産隠しに大いなる義憤、そしてわが身に降りかかるしれない生命の危険を乗り越え「文書」を白日の下にさらしたといわれるIT技術者が、スイスで逮捕された。そのニュースすら大した話題になっていない。逮捕後の詳報もない。都知事問題が浮上したのは、日本の個人、企業約400件がペーパーカンパニーに関与していることが「文書」で明らかになった直後であった。  

 中米の小国パナマ。太平洋に面した港湾都市パナマが首都。海の大動脈パナマ運河の太平洋側の出入り口に位置する同市の夜の華やぎは眩しい。高層マンション、オフィスビルが林立するウォーターフロントのそばに郊外の空港に延びる中米で唯一の首都高速道路が走る。夜、海上から眺める景色は香港にそっくりだ。そんな光の下、熱帯の暑気と無縁な快適な本社オフィスを構えているのが「パナマ文書」の出所、モサック・フォンセカ法律事務所だ。
 パナマに一度も足を踏み入れたこともない世界の政治家や富豪が租税回避地(タックスヘイブン)を利用して「節税」する実態を暴露した「文書」によって、すでにアイスランドの首相が租税回避地をつかって巨額の投資をしたことが暴露され失脚した。
 40カ国以上に500人以上の従業員を抱え、取引き先は地球大で約30万社といわれる。パナマ市にはこうした事務所が実態不明のまま拠点を置く。不夜城のような光景は、麻薬密売でのマネーロンダリングのおこぼれ、虚栄の輝きだと囁かれる。

 フォンセカ事務所から漏洩した文書は1970年代から今年春までの厖大な資料だ。その解析は現在も80カ国のジャーナリスト400名の手によって分析が進められている 。その最初の報告で、ロシアのプーチン大統領や中国の習近平総書記などの親族も関与していたとして世界中の注目を集めたのだ。これまで14カ国以上の政治家や、著名な俳優やスポーツ選手の名もあがっている。
 しかし、「パナマ文書」の調査において、これ以上、著名人の名は出てこないだろう。というのは、世界中のジャーナリストが手分けして調査する順番として現役の政治家、著名人たちからはじめたからだ。現在、企業活動の節税、資産隠しの解明という、あまりセンセーショナルなニュースとはならない部門に移行している。その過程で日本の個人、企業名が浮上し、その矢先に都知事問題がマスコミの最大の関心事となったのだ。

 「パナマ文書」によって著名人たちの資産隠しが注目される一方、まったく話題にのぼらないのは租税回避地となっている国、地域の実態だ。そこで暮らす小国のひとびとの暮しがまったく見えてこない。タックスヘイブンが話題になるたびに筆者はいつもそのことを不満に思う。パナマや中米・カリブ諸国を知る筆者には、それが歯がゆい。
 そうした小国の権力者たちは、長期的な展望に立たず、国民生活の安全、未来への大計ももたず、労せずして外貨が落ちる仕組みを作り、そこで得られる収入で権力の維持のために“資本投下”する。今回の「文書」問題でも同じことが繰り返されている。
 冒頭、パナマ市の夜景を形容したが、そのすぐ近く植民地時代の建物が遺る旧市街の周囲にはスラムが広がっている。パナマ運河のカリブ側、大西洋への出入り口の町コロンは、運河建設に携わった労働者たちの子孫といわれるアフロ系住民が多く住むスラム街がある。地方の産業は育成されず、この国に多い先住民共同体には電化もされず上下水道も敷設されていない地域がある。そういうことは一連の「文書」騒ぎのなかで一顧だにされていない。

 カリブ地域には人口規模の小さな島国が散在する。その多くが租税回避地として先進国の政治家や富豪に利用されている。それはカタチを変えた植民地の姿だ。実際、この地域にはいまだに西欧諸国の植民地、海外県が点在する。そうした実態も「文書」問題同様、告発されなければならいだろう。ジャーナリズムの“良心”は租税回避する政治家や富豪を批判しても、小国の貧困、そこで暮らす民衆の姿、制度的な矛盾まで告発していない。 

ローリング・ストーンズ、ハバナ公演 キューバ、政治・経済だけでなく「文化」そのもの変革期

キューバ、政治・経済だけでなく「文化」そのもの変革期
 ~3月下旬、ハバナのビックイベント。チェ・ゲバラの孫も参加
オラ・ハバナ

 ビートルズとともに世界のポップス界に多大な影響を与えた英国のローリング・ストーンズ(以下、ストーンズ)が3月25日、ハバナで初のコンサートを開くというニュースはラテン圏だけでなく、世界中のメディアに取り上げられた。ビートルズ解散後、最大のビックアーティストのハバナ入りはただ音楽史において意味をもつだけではなく、キューバの文化史、そして政治史の文脈で検証するならカリブ海域で名実ともに「冷戦」が終結した象徴性をもつという意味で注目された。

 ビートルズやストーンズの全盛期、世界は冷戦の真っ只中にあった。中国では文化大革命の時代で、「ビートルズを知らない紅衛兵」という言葉も生まれた。キューバもまた英語圏のロックを商業主義的な退廃音楽と忌避していた時期が確かにあった。しかし、目と鼻の先にある米国フロリダ半島から聴こえてくる音楽を塞ぐすべはなかったし、革命以前のハバナはラテン諸国にあって、もっとも英語文化を受容してきた首都であった。
 キューバ革命の英雄チェ・ゲバラは、アフリカ諸国での内戦を指導、歴戦した後、ハバナに戻る前にチェコのプラハで長い休息を取っているが、そこでビートルズを親しく聴いていた事実がある。当然、そこではビートルズ共に聴こえてきたであろうストーンズも聴いていたはずだ。当時のチェコはいわゆる“プラハの春”の訪れを準備していた時期で東欧諸国にあってユーゴスラビアとともに西側文化をリアルタイムで享受していた時代だった。そのゲバラが去った後、ソ連の戦車によって1968年、“プラハの春”は圧殺された。
 1990年代に入るとキューバ国内にあっては、クラシック系の演奏家たちが独自の解釈してビートルズ音楽を取り上げアルバムも作成してきたし、ハバナにはジョン・レノンの銅像まで建てられた。この銅像の除幕式にはフィデル・カストロ前議長も参列している。しかし、独自のラテン音楽世界に充足するキューバではじっさいのところ英語圏ポップスと接しなくてもさしたる不満もなかっただろう。ただ表現の自由という問題からみれば音楽活動の相互交流は保証されるべきだ。
 今年2月、南米チリからアメリカ・ツアーを開始して大きな話題となったストーンズだったが、当初、ハバナ公演の予定は明らかにされていなかった。おそらく水面下で交渉があったのだろう。不首尾に終われば、そこに何事もなかったかのように無視される世界があったということだ。
 現在のキューバ市民の所得からすればストーンズ公演に聴衆があつまるとは思えない。政府が資金を提供するか、あるいはストーンズが採算を無視して破格のギャランティーで歴史的象徴性を選択したかのどちらかだろう。おそらく後者だろう。現に公演は無料でキューバだけでなく、周辺諸国からの聴衆を含め約50万が参加した空前の規模になった。ストーンズたちも、そうした規模になることを予想したのだろう総量500万トンの資材を持ち込んで臨んだ。

 先月、カストロ政権はローマ法王とロシア正教会大主教との歴史的和解の場をハバナに提供し、世界の宗教界を驚かせたばかりだ。西欧と東欧のキリスト世界の和解と融和が演出されたのだ。また、今回のストーンズ公演に先駆けて21、22日に米大リーグ、タンバベイ・レイズとキューバ選抜チームとの親善試合が行なわれる。フロリダ州タンバ市に本拠をおくチームだ。タンバ市は、州都マイアミについでキューバ系市民が多く住む町だ。その試合はただ親善試合であるというだけではなく、フロリダ州に多くする反カストロ派のキューバ系米国人との融和も意図されているということだ。その試合はハバナを初訪問するオバマ大統領も観戦する予定だが、その一連の記念イベントの仕上げのようにストーンズ公演が組まれた。

 コンサート余談となるが、ゲバラの孫、現在米国に住むマルティン・ゲバラが急遽帰国、コンサートに参加している。少年時代、ロックに夢中になり、「偏向思想」に染まっていると非難されていた彼は米国に去った。ゲバラの冒険的な知的好奇心は子世代ではなく孫世代に受けつかがれたのかも知れない。
 ストーンズは「オーラ・ハバナ」と題した公演のためわざわざロゴを作成した。
レングア
 以前から使われていたミック・ジャガーの唇と舌のデフォルメにキューバの国旗をあしらったものだが、彼らの相変わらずの前傾ぶりに感心する。すでにミックは72歳、キース・リチャードも同齢、ドラムのちゃーりー・ワッツに至っては74である。ハバナのライブ録画を見る限り、まだまだ枯れていない。ロックの「世界遺産」として顕彰したい、3人だ。ロン・ウッドはオリジナルメンバーでないので筆者の評価は低いのだが、その彼にしても68歳。ハバナ公演の模様はDVD化される予定。そのなかでハバナ公演にまつわる多くの挿話が語れるはずだ。

著名な先住民人権活動家、暗殺される 中米ホンジュラス

米大陸、先住民の人権状況は改善されず
 著名な先住民人権活動家、暗殺される 中米ホンジュラス
ホンジュラス

 世界中の環境保護活動に目配りをして選考されていると尊重される環境問題におけるノーベル賞「ゴールドマン環境賞」を受賞している世界的に著名な先住民活動家ベルタ・カセレスさん(43歳)が3月3日未明、中米ホンジュラスの自宅で殺害された。
この悲報は同国だけでなく、世界中で先住民の数少ない居住区が開発の名の下で破壊されつつある現状を憂え人々のあいだに波紋を呼んでいる。
 
 1992年、コロンブスの「新世界」到達500年を機に南北アメリカ諸国の先住民は声を上げた。
 「この500年は先住民によって圧政と屈辱、非人権の歳月だった」と。そして、ただ声を上げるだけではなく運動を組織化し国連の場にも多くの問題を持ち込んだ。いずれもコロンブスからの5世紀に及ぶ問題の集積であった。
 その一つの成果として、国連は「先住民年」を制定し、運動は日本のアイヌ民族も参加する国際的な運動となった。その運動の象徴的存在が、中米グァテマラのマヤ系キチェ族出身の女性活動家リゴベルタ・メンチュウさんだった。アメリカ地域最初の先住民出身者がはじめてノーベル賞を受賞した意味は大きかった。
 また、南北アメリカの広範囲地域で先住民に対する征服戦争を仕掛けた西欧諸国の軍隊に従軍司祭として参加することになったカトリック司祭の罪もバチカンは認め、ローマ法王自ら謝罪したのも1992年のことだった。
 しかし、実際のところ南北アメリカ諸国に暮らす先住民は北はイヌイット族(エスキモー)から南はチリのマプチェ族までいまも“開発“という名の土地収奪に脅かされている。
 
 暗殺されたベルタ・カセレスさんは、1993年、国連の「先住民年」に後押しされるように「ホンジュラス人民組織委員会」(COPINH)創設し、同国の先住民人権の向上に文字通り身体を張ってきた活動家であった。首都テグシガルパの事務所(当時)、短い時間だったが話す機会があった。
 近年の活動は先住民居住区を水没させるダム建設阻止に身体を張ってきた。
 グアルカルケ川上流で進むアグア・サルカ水力発電ダムの建設反対運動で、COPINHの活動家たちがダム推進派からの直接的な暴力を受けていると軍、警察機関を批判していた。同国では、他の流域に住むダム建設阻止活動に従事していた先住民活動家トマス・ガルシアさんが2013年に暗殺される事件も発生していた。カセレスさんは同国を先住民の多数派レンカ族出身で、父祖の代から住む「神聖」土地、民族の歴史、伝統文化そのものが破壊されることに反対していたのだ。同国では2010年から15年のあいだに人権活動家などが109人も暗殺されている。活動をする、ということは同国では命を張ることを意味した。だから、国際社会の賞を授与し、同国の推進派を牽制する必要もあった。
 カセレスさんは、開発工事は軍隊や警察の「暴力」に守られると政府を批判していた。それはホンジュラスばかりでなく中南米諸国の開発事業にともなう共通のことだ。そして、その軍隊の大半は米国の影響下にあるとカセレスさんは2013年に批判し、地域の耳目をひいた。また就任間も ないフランススコ・ローマ法王にもヴァチカンで謁見、ホンジュラスで起きている問題は、南北アメリカ地域におかれている先住民の状況だ、と訴え、法王も理解を示していただけにカセレスさん暗殺は多方面で大きな波紋をよんでいる。
 同じマヤ系先住民が国民の半数を超え、同じような開発問題を抱える隣国グァテマラにもカセレス暗殺事件は波及し、先住民組織は事件の究明と先住民の伝統を守れと活動をはじめいる。また、南北アメリカ諸国の最大の諮問機関である米州機構などもホンジュラス政府に公正な処置を求めている。
 同国の通貨単位をレンピーラという。16世紀前半、スペイン征服軍と勇敢に戦った伝説的な先住民指導者を称えている。また、同国最大の観光資源は古代マヤ文明の巨大な都市遺跡コパンであるが、その観光業から遠ざけられているのも現代の先住民だ。レンピーラ紙幣にもコパン遺跡は誇示されている。同国、いやラテンアメリカ諸国では、歴史の長さを象徴したいため実証もむずかしい先住民英雄の事蹟が尊重されているが、しかし、それは紙幣や硬貨、あるいは切手といった表象のみで、現実の先住民たちが尊重されることはない、と言い切ってよいだろう。
 写真は、ゴールドマン賞受賞式でのカセレスさんだが、伝統的な先住民衣裳ではない。ホンジュラスではグァテマラやメキシコのように伝承されなかった。500年の歳月の間に伝統的な習俗が破壊されてしまったからだ。リゴベルタ・メンチュウさんがキチェ族の民族衣装で活動し、ノーベル賞授賞式に臨んだこととあまりにも対象的だ。

原爆慰霊碑前のチェ・ゲバラ 

原爆慰霊碑前のチェ・ゲバラ 
1959 ofrenda hiroshima


 自分でも戸惑っている。広島の『中国新聞』文化欄に寄稿した「写真屋チェ・ゲバラ」に対する反響だ。キューバ革命の牽引者が撮った原爆ドーム写真について書いた。
 メキシコ市でカストロ兄弟と出会った頃、ゲバラは行楽地で客引きする街頭写真屋だった。もちろん、大いなる野心を隠し、生活の資を稼ぐための仮の姿だが、母国アルゼンチンの通信社から、中南米スポーツ競技会の取材を依頼されるほどの実力であった。当時、写真はリアルタイムで送稿できなかったから、競技を写したゲバラの写真はニュースとしての記録性より、肉体が躍動する瞬間を彫塑のように浮き彫りにしたアート性を狙っていたようだ。その数枚は、ベルリン五輪のドキュメントを撮ったレニ・リーフェンシュタールの映画『民族の祭典』の一シーンのように美しい、陰影の鮮やかな芸術写真であった。そんな競技会写真も何枚ものこっている。革命戦争のなかでは所持品リストからカメラは外されたが、腕は鈍らなかった。
 革命達成、そのわずか半年後の59年7月、ゲバラは親善使節団を率いて訪日。その旅で、京阪神地方の工場見学を直前にキャンセルし広島に足を延ばす。公式行事を終えた後、独りか、あるいは随行者があったか、再度、平和公園を訪れ写真を撮る。日本で4本のフィルムを使ったゲバラだった。その一部が2001年、メキシコ市の公共施設での『写真家チェ』展に出品された。中心部からかなり離れた郊外の施設だったが多くの市民が訪れていた。筆者もそのひとりだった。
 中国新聞に拙稿が掲載された直後、同社を定年退職したの元記者H氏から電話が入った。
 「ゲバラ、と呼ばれていなかった」とH氏はまず言う。広島で使節団を取材したのは中国新聞だけだった。H氏にカメラマンが同行した。
 「当時の日本ではゲバラはまったく無名の存在で、私も革命の英雄だなんて知らなかった」
 通訳を介しての取材、H氏には耳慣れないスペイン語の尊称「セニョール」が名前に聞こえていたのかも知れない。
 拙稿には、それこそ44年ぶりに日の目を見た、原爆慰霊碑前のゲバラの写真が使われた。筆者もはじめてみる写真で、拙稿を受け取った編集者がライブラリーで見つけてくれた一点だった。
 筆者は、H氏に訊ねた。
 「広島のゲバラを写した他のカットはあるんですか?」
 「いえ掲載されたアノ写真だけで、私がカメラマンに1枚撮ればいい」と言ったそうだ。
 要するにゲバラ使節団は当時、まったく注目されていない。
 H氏の電話は、「ゲバラの原爆ドーム写真はどのようなものか」という確認がしたいという。理由は?
 「公式行事のなかではゲバラはカメラを手にしなかった」という。そう中国新聞のカメラマンが撮った写真に写るゲバラの手にカメラはなかった。
 7月の日照時間は長い。ゲバラ一行の宿舎は公園に近かった。ゲバラは公式訪問として取材を受けながら平和公園を訪れた後、いったん宿舎に帰り、そして持参した愛用のカメラをもって再度、独りで公園に出かけたのだ。そして、写真を撮った。その数はわからないが、そのなかの一枚が、筆者がメキシコ展でみた「原爆ドーム」写真であった。淡いモノクロームにゲバラの当日の心境が沈静しているような厳かな静寂の満ちた作品だった。この写真と違うカットがあることを最近、知った。原爆ドームを中心にした平和公園全景。右方向に広島球場のナイター照明がみえる。それがもっとも背の高い建造物で、低い山の稜線がぐるりと眺められる。原爆ドームがなければ平凡な田舎町の光景だった。
 ハバナのチェ・ゲバラ中央研究所で刊行された写真集に、その写真があった。
 中国新聞の拙稿を読んだ原爆資料館のスタッフから、
「ゲバラの原爆ドームの写真が手に入らないか」という打診もあった。
 2005年、被爆60周年にあたる。映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』の公開を期にはじまったプチ・ゲバラ・ブームの余韻が残るうち、『写真家ゲバラ』展が広島で実現できないかと、筆者はは同紙の主たる読者たる広島市民・県民を刺激するように書いたのだ。それもあっての反響だった。地方紙に国際ニュースや文化関係の記事を配信する共同通信の社内報「編集週報」でも話題になった。
 念ずればなんとかで、ゲバラの母国アルゼンチンに残る写真の版権を持つ在日ドイツ人の存在も知った。
 *『潮』2004年12月号掲載。

ベネズエラに南北アメリカ大陸の各先住民族の青年指導者たち結集(旧稿と現在)

ベネズエラに南北アメリカ大陸の各先住民族の青年指導者たち結集(旧稿と現在)
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 急激な原油価格の低下は産油国に経済的な混乱を引き起こし当該政府の屋台骨を揺るがしている。その顕著な国のひとつがアメリカ地域最大の産油国ベネズエラだろう。
 
 2011年8月に書いた記事に次のようなものがあった。原油価格1バレル130ドル前後を推移していた頃の話だ。現在の30ドル前後という相場の4倍以上の価格である。この時、ベネズエラは大いに潤っていた。原油の輸出によって稼いだ潤沢な外貨によって時の大統領ウーゴ・チャベスは「ボリバル革命」を宣言、キューバのカストロ政権を下支えし、中米の非産油国に援助を行なって、自らが唱える「革命」の同調国を増やしていた。しかし、その果実が実る前に資金が潰え去り、カリスマ性のあったチャベス大統領の死去、同国の「革命」はすっかり色あせた。所詮、金頼みの「革命」であったのかと思わずえない。
 ここに採録するのは、チャベス政権下、国庫が豊かであった時期の有意義であったことには相違ない会議についての報告である。残念ながら、この会議の現在を筆者は知らない。

 *    *    *
 
 8月7日、南米ベネズエラの首都カラカスで第四回インドアメリカ先住民青年ボリビアーノ会議が3日間の予定で行なわれた。
 同会議に南北アメリカ諸国18カ国の代表も参加し、総数400人に及ぶ大規模なものとなった。ベネズエラには約54万の先住民が隣国と接する辺境部を中心に暮らしている。
 1992年のコロンブス「新大陸」到達500周年、そして翌93年には国連が「国際先住民年」を制定、さまざまな取組みが行なわれた。中米グァテマラのマヤ系先住民出身の人権活動家リゴベルタ・メンチュウさんがノーベル平和賞を受賞するなど大いに盛り上った。多くの国で先住民の国会議員が誕生するなど、先住民自らが声を上げて国の対先住民政策が改善された。
 しかし、500年の負の遺産はあまりにも大きく先住民の人権状況はいまなお厳しい。カラカスの会議でも飢えないための食糧問題、居住地域の安全保障、消滅の危機にある伝統文化・習慣の復権・回復、そして尊重など先住民が生き延びるための基本的で緊急を要する問題が討議された。
 「国際先住民年」から18年目となるが南北アメリカ諸国の先住民を巡る状況は改善したとはいいがたい。こうしたなかでベネズエラが率先して会議を主催できるのもウーゴ・チャベス大統領の指導力に負うところが大きい。同大統領自身、「自分の血のなかにはアフリカの血も先住民の血も流れている。アメリカ人そのものが自分である」と公言する。
 豊かな石油の輸出によって得られた外貨を基盤にして、民衆のための国づくりを進める同国だが、先住民人権運動でも主導的な役割を担おうという意志表示を感じさせる国際会議であった。
 先住民文化の遺産を尊重し保全・継承するという仕事ではメキシコが一歩進んだ成果をあげてきた。しかし、北米自由貿易協定(NAFTA)に加盟して以来、米国産の補助金に守られた廉価な農産物の流入によって同国先住民の貧困化が進んだ。小規模・零細の先住民農民は経済のグロバリゼーションの最初の被害者であった。
 経済の市場主義を「カジノ経済」と批判するチャベス大統領が模索する先住民の人権状況の改善とはいかなるものか・・・正直、まだ見えない。同大統領の主導によって16世紀、スペイン征服軍に対し抵抗した先住民指導者のひとりグアイカイプロ(?~1568)の国家的英雄の座すえた。そして紙幣にもその肖像を刷り込んだ。ラテンアメリカ諸国の紙幣にはそうした先住民英雄像が散見する。しかし、生身の先住民たちは、紙幣の像ほどには尊重されてない。チャベス政権の「革命」とは、理念より実効だが、「国際先住民年」以来の停滞を克服できるのだろうか。

キューバ かつての亡命の港、いま経済特区

 キューバの首都ハバナ郊外のマリエル港。1980年、この港からキューバ人12万5千人が大小1700隻の船をつかって米国へ亡命した。カストロ政権からみれば、「ならず者や非愛国者たちを追い出した」港となり、亡命者たちは「夢と希望を抱いて未来に漕ぎ出した」港となる。これを「マリエル事件」という。それから35年、いま経済特区として変貌をはじめている。キューバのプレンサ・ラティーナなどの経済面をみれば繰り返しマリエル経済特区が取り上げられている。それだけ期待が大きいのだ。
 マリエル事件

 キューバにもっとも近い米国の大都市マイアミ市の一画にリトル・ハバナがある。この周辺には美術館や小さな博物館もいくつかあって、車を転がしていると幾度かリトル・ハバナの街路を走ったり、かすめることになる。亡命キューバ人の町だ。
 この町の形成に「マリエル事件」があった。マイアミに亡命してきたキューバの多くが、この町に住みついた。フロリダ半島の北部タンパ市には第2のディズニーランドがあることで有名だが、そこにも多くのキューバ人が移り住んだ。
 マイアミはハリウッド映画のなかで繰り返し“犯罪都市”として、ロス・アンジェルスにつぐ危険な町と描かれている。しかし、実際はどうか? 確かにマイアミは南米コロンビアに近いということで麻薬密売組織が暗躍していることは確かだろうが、それが一般市民とは関係ないところで行なわれていて、広大で人口密度も希薄なフロリダ半島をドライブしていても、危険さなどまるで感じない。

 さて、リトル・ハバナやフロリダに住む亡命キューバ人たちは米国暮しのなかで英語は彼らの言葉になった。米国在住のキューバ人は英語とスペイン語のバイリンガルだ。キューバのスペイン語というのは独特で、俗にCOME ESE、「Sを喰う」という。つまりSの音を発音しないのだ。ご機嫌いかがを意味する、コモ・エスタが、コモエッタとなる。そういう言葉だ。だから、米国との国交が再開されたいま、その語学力とキューバ特産のスペイン語にも精通するは彼らはキューバと米国の橋渡しになるだけでなく、経済特区に進出した企業にとっては有力な人材になるかも知れない。
 かつて、去る者残る者たちが涙のなかで別れを交わした港マリエルが現在、「経済特区」に指定され、カリブ海周辺国だけでなく遠く欧州、アジア諸国からも注目される。時代はかわったものだ。

 キューバ政府はベトナムや中国の成功例に学び 、現実路線に踏み切った。またシンガポールのように海上流通の拠点ともしたいようだ。その価値はある。マリエル港からフロリダ半島の南端につらなるキーズ諸島が長大な橋をいくつも掛け渡して高速道路で貫通しているが、その最南端の島キー・ウエストは、直線距離でマイアミ市より、対岸のハバナのほうが近いのだ。この一衣帯水の距離が政治によっていびつに歪んだはてしない遠さになっていたのだ。その政治の力学が崩壊したいま、キーウエストの価値も飛躍的に増大するだろう。

 今年4月、中米パナマ・シティで開催された第2回米州企業経営者会議でもキューバ当局はプレゼンテーションを行ない、マリエル経済特区に進出する企業に対しての優遇措置を強調した。
 もともとキューバはカリブ諸国で最大の国土面積と人口をもつ、共産主義下の公教育制度の充実で知的水準が高く、勤勉でかつ廉価な労働力を多く抱える国として熱い視線が注がれてきた国だ。
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 マリエル経済特区は465平方キロメートル。すでに300件以上の進出計画が提出され、8月上旬の段階でメキシコ、スペインなどスペイン語圏の企業を中心に、すでに15社が認可されているようだ。
 キューバ政府が進出企業に対し、利益に課税せず送金できる他、機械設備の輸入も無税とするなどの優遇措置をとったからだ。
 キューバと国交を再開した米国はキューバにもっとも近い隣国だ。国交正常化で米国企業の経済特区への進出は加速するだろう。

 キューバの開放経済の流れはもう押しとど めることができない状況になったということだろう。
そして、この流れはフィデル・カストロ議長(当時)とベネズエラの故ウーゴ・チャベス前大統領が中心となって結成された中南米8カ国による反米組織・ボリーバル同盟が自然消滅していく流れともなっていくだろう。数年後の中南米の政治地図は大きく塗り替えられているのかもしれない。 
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上野清士

Author:上野清士
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