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映画『シスタースマイル ドミニクの歌』 ステイン・コニンクス監督

『シスタースマイル ドミニクの歌』 ステイン・コニンクス監督

 そう小生は中学生であった。クラスでビートルズのファンはもとより、いわゆるポップスファン(当時の文化状況からすれば洋楽ファン、というべきか?)は圧倒的少数派、御三家(初代)が肩で風を切っていた時代に……♪ドミニッ~ク、ニク~♪という軽快な歌が流行りはじめた。学校の唱歌のように親しみやすい歌だった。
 〈カトリックのシスター〉が歌っている、という意味がにわかに了解できず、あぁキリスト教というのは尼僧さんもヒット曲を作ったり歌ったりする自由があるんだな、と納得したかどうか知らぬがテレビの「エド・サリヴァン・ショー」でギターを抱えたシスターが笑顔でとても気持ちよさそうに歌っていた印象がくっきり残った。眼鏡のシスターさんだった。いずれにしろ、青春のおびただしい星雲のまたたきのような記憶の一欠けらに過ぎないが、後年しばしばし何処かでその歌を聴いたときになんとはなしに思い出される。たぶん同時代の多くの人の「ドミニクの歌」記憶のありかたと大して変わらないはずだ。
 で本作を観て愕然とした。衝撃を受けたといっていい。シスターの清純な面影がまず壊される。それは否定的な意味ではなく、筆者にとっては肯定的なものだ。
 「シスター・スマイル」とは、『ドミニクの歌』を創作し歌い録音し、市場にレコードが送り出されたときのにわかじたての芸名であることも知った。シスター・スマイルの本名はジャニーヌ・デッケルス。シスターと書いたが厳密にいえばシスター研修生といったところだ。この役をベルギー生まれで、フランスを中心に世界大で活動する女優セシル・ド・フランスが好演。監督も同国出身のステイン・コニンクス。助演陣もベルギー出身者に重要な役どころを与えているという意味でベルギー人によるベルギーのための映画であると思う。その意味するところについては後述する。
 さて、教会にあったジャニーヌは本名でのレコード発売は禁じられ、収益は所属する教会に献金するという誓約書を書いてのデビューだった。むろん、『ドミニクの歌』がヒットしていた当時、そんな事実を知るファンは誰もいなかった。そして、『ドミニクの歌』はベルギーが生んだ歴史上最大のヒット曲として記録に残り、いまもその記録は破られていない。
 しかし、世界的なヒットゆえジャニーヌはたいへんな負債を抱えてしまうのだ。売れれば売れるほど借金が増えるという悪循環に晒された。そして、教会は太った。何故……ジャニーヌは保守的な修道院生活に絶望して出奔。著作権や印税のことに頓着せず逃げ出した。世間から隔離された閉鎖社会のなかで彼女にビジネスを教える者はいなかった。
 修道院を出た彼女の落ち着き先は大学生時代の女友だちの家で、彼女とは秘めやかな同性愛の関係にあった。それもマスコミに暴かれる。さらに当時、教会が禁じていたピルの使用を公然と女性の自由の獲得につながるものとして奨励、歌い、教会の逆鱗に触れ関係はますます悪化する。そのあいだにも『ドミニクの歌』は売れつづけ収益は彼女の前を素通りして〈怨敵〉教会の金庫に収まり、そして売上げに応じた税金が彼女の生活を圧迫する。八方塞り……。映画はその辺りまでをかなり克明に描いている。
 それから51歳でくだんの女ともだちと自殺するまでの20年間は描かれないが、死ぬまでベルギー政府から追徴課税され督促状に追われる生活を送っていた事実に、彼女の生きざまがどのようなものであったか、うかがい知れるだろう。
 かくも波瀾に富んだジャニーヌの生涯はまさに一代のドラマ。映画の素材にふさわしい。しかし、ベルギーでもフランスでも映画化されなかった。ハリウッドで1本、ジャニーヌの真実を無視したドラマが制作された。何故、ベルギーで制作されなかったか? おそらく時代に先駆けた才能を軽んじ見殺しにした、という〈負〉の心性のようなものがあって劇化が躊躇われたのではないかと思う。その意味でベルギー人監督、主演女優という布陣で映画化された本作によってジャニーヌは復権されたのだと思うし、ベルギーのアル層に歴史的な反省を促しているとも思った。
 本作を観る前と後ではまっく違った『ドミニクの歌』の光景がある。      

 そう小生は中学生であった。クラスでビートルズのファンはもとより、いわゆるポップスファン(当時の文化状況からすれば洋楽ファン、というべきか?)は圧倒的少数派、御三家(初代)が肩で風を切っていた時代に……♪ドミニッ~ク、ニク~♪という軽快な歌が流行りはじめた。学校の唱歌のように親しみやすい歌だった。
 〈カトリックのシスター〉が歌っている、という意味がにわかに了解できず、あぁキリスト教というのは尼僧さんもヒット曲を作ったり歌ったりする自由があるんだな、と納得したかどうか知らぬがテレビの「エド・サリヴァン・ショー」でギターを抱えたシスターが笑顔でとても気持ちよさそうに歌っていた印象がくっきり残った。眼鏡のシスターさんだった。いずれにしろ、青春のおびただしい星雲のまたたきのような記憶の一欠けらに過ぎないが、後年しばしばし何処かでその歌を聴いたときになんとはなしに思い出される。たぶん同時代の多くの人の「ドミニクの歌」記憶のありかたと大して変わらないはずだ。
 で本作を観て愕然とした。衝撃を受けたといっていい。シスターの清純な面影がまず壊される。それは否定的な意味ではなく、筆者にとっては肯定的なものだ。
 「シスター・スマイル」とは、『ドミニクの歌』を創作し歌い録音し、市場にレコードが送り出されたときのにわかじたての芸名であることも知った。シスター・スマイルの本名はジャニーヌ・デッケルス。シスターと書いたが厳密にいえばシスター研修生といったところだ。この役をベルギー生まれで、フランスを中心に世界大で活動する女優セシル・ド・フランスが好演。監督も同国出身のステイン・コニンクス。助演陣もベルギー出身者に重要な役どころを与えているという意味でベルギー人によるベルギーのための映画であると思う。その意味するところについては後述する。
 さて、教会にあったジャニーヌは本名でのレコード発売は禁じられ、収益は所属する教会に献金するという誓約書を書いてのデビューだった。むろん、『ドミニクの歌』がヒットしていた当時、そんな事実を知るファンは誰もいなかった。そして、『ドミニクの歌』はベルギーが生んだ歴史上最大のヒット曲として記録に残り、いまもその記録は破られていない。
 しかし、世界的なヒットゆえジャニーヌはたいへんな負債を抱えてしまうのだ。売れれば売れるほど借金が増えるという悪循環に晒された。そして、教会は太った。何故……ジャニーヌは保守的な修道院生活に絶望して出奔。著作権や印税のことに頓着せず逃げ出した。世間から隔離された閉鎖社会のなかで彼女にビジネスを教える者はいなかった。
 修道院を出た彼女の落ち着き先は大学生時代の女友だちの家で、彼女とは秘めやかな同性愛の関係にあった。それもマスコミに暴かれる。さらに当時、教会が禁じていたピルの使用を公然と女性の自由の獲得につながるものとして奨励、歌い、教会の逆鱗に触れ関係はますます悪化する。そのあいだにも『ドミニクの歌』は売れつづけ収益は彼女の前を素通りして〈怨敵〉教会の金庫に収まり、そして売上げに応じた税金が彼女の生活を圧迫する。八方塞り……。映画はその辺りまでをかなり克明に描いている。
 それから51歳でくだんの女ともだちと自殺するまでの20年間は描かれないが、死ぬまでベルギー政府から追徴課税され督促状に追われる生活を送っていた事実に、彼女の生きざまがどのようなものであったか、うかがい知れるだろう。
 かくも波瀾に富んだジャニーヌの生涯はまさに一代のドラマ。映画の素材にふさわしい。しかし、ベルギーでもフランスでも映画化されなかった。ハリウッドで1本、ジャニーヌの真実を無視したドラマが制作された。何故、ベルギーで制作されなかったか? おそらく時代に先駆けた才能を軽んじ見殺しにした、という〈負〉の心性のようなものがあって劇化が躊躇われたのではないかと思う。その意味でベルギー人監督、主演女優という布陣で映画化された本作によってジャニーヌは復権されたのだと思うし、ベルギーのアル層に歴史的な反省を促しているとも思った。
 本作を観る前と後ではまっく違った『ドミニクの歌』の光景がある。      
 そう小生は中学生であった。クラスでビートルズのファンはもとより、いわゆるポップスファン(当時の文化状況からすれば洋楽ファン、というべきか?)は圧倒的少数派、御三家(初代)が肩で風を切っていた時代に……♪ドミニッ~ク、ニク~♪という軽快な歌が流行りはじめた。学校の唱歌のように親しみやすい歌だった。
 〈カトリックのシスター〉が歌っている、という意味がにわかに了解できず、あぁキリスト教というのは尼僧さんもヒット曲を作ったり歌ったりする自由があるんだな、と納得したかどうか知らぬがテレビの「エド・サリヴァン・ショー」でギターを抱えたシスターが笑顔でとても気持ちよさそうに歌っていた印象がくっきり残った。眼鏡のシスターさんだった。いずれにしろ、青春のおびただしい星雲のまたたきのような記憶の一欠けらに過ぎないが、後年しばしばし何処かでその歌を聴いたときになんとはなしに思い出される。たぶん同時代の多くの人の「ドミニクの歌」記憶のありかたと大して変わらないはずだ。
 で本作を観て愕然とした。衝撃を受けたといっていい。シスターの清純な面影がまず壊される。それは否定的な意味ではなく、筆者にとっては肯定的なものだ。
 「シスター・スマイル」とは、『ドミニクの歌』を創作し歌い録音し、市場にレコードが送り出されたときのにわかじたての芸名であることも知った。シスター・スマイルの本名はジャニーヌ・デッケルス。シスターと書いたが厳密にいえばシスター研修生といったところだ。この役をベルギー生まれで、フランスを中心に世界大で活動する女優セシル・ド・フランスが好演。監督も同国出身のステイン・コニンクス。助演陣もベルギー出身者に重要な役どころを与えているという意味でベルギー人によるベルギーのための映画であると思う。その意味するところについては後述する。
 さて、教会にあったジャニーヌは本名でのレコード発売は禁じられ、収益は所属する教会に献金するという誓約書を書いてのデビューだった。むろん、『ドミニクの歌』がヒットしていた当時、そんな事実を知るファンは誰もいなかった。そして、『ドミニクの歌』はベルギーが生んだ歴史上最大のヒット曲として記録に残り、いまもその記録は破られていない。
 しかし、世界的なヒットゆえジャニーヌはたいへんな負債を抱えてしまうのだ。売れれば売れるほど借金が増えるという悪循環に晒された。そして、教会は太った。何故……ジャニーヌは保守的な修道院生活に絶望して出奔。著作権や印税のことに頓着せず逃げ出した。世間から隔離された閉鎖社会のなかで彼女にビジネスを教える者はいなかった。
 修道院を出た彼女の落ち着き先は大学生時代の女友だちの家で、彼女とは秘めやかな同性愛の関係にあった。それもマスコミに暴かれる。さらに当時、教会が禁じていたピルの使用を公然と女性の自由の獲得につながるものとして奨励、歌い、教会の逆鱗に触れ関係はますます悪化する。そのあいだにも『ドミニクの歌』は売れつづけ収益は彼女の前を素通りして〈怨敵〉教会の金庫に収まり、そして売上げに応じた税金が彼女の生活を圧迫する。八方塞り……。映画はその辺りまでをかなり克明に描いている。
 それから51歳でくだんの女ともだちと自殺するまでの20年間は描かれないが、死ぬまでベルギー政府から追徴課税され督促状に追われる生活を送っていた事実に、彼女の生きざまがどのようなものであったか、うかがい知れるだろう。
 かくも波瀾に富んだジャニーヌの生涯はまさに一代のドラマ。映画の素材にふさわしい。しかし、ベルギーでもフランスでも映画化されなかった。ハリウッドで1本、ジャニーヌの真実を無視したドラマが制作された。何故、ベルギーで制作されなかったか? おそらく時代に先駆けた才能を軽んじ見殺しにした、という〈負〉の心性のようなものがあって劇化が躊躇われたのではないかと思う。その意味でベルギー人監督、主演女優という布陣で映画化された本作によってジャニーヌは復権されたのだと思うし、ベルギーのアル層に歴史的な反省を促しているとも思った。
 本作を観る前と後ではまっく違った『ドミニクの歌』の光景がある。      100427_ssmile_main.jpg
      
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アルゼンチン映画『瞳の奥の秘密』

愛は時代を選ばない。
 時代の波頭に翻弄されても生き抜く愛こそ真実の〈愛〉と語る。
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昭和20年代の日本映画を観るのを心がけている。自分の知らない時代だが、もっとも近しい過去として自分の血肉になっている時代だと思うからだ。ここで「昭和」と元号を使うのはアジア・太平洋戦争を民族の心性として語ろうとするとき西暦では割り切れない何かがあると思っているからだ。それは曰くいいがたいもので他者に説明しようとして失語状態に陥る領域である。1945年8月15日の〈敗戦〉を境とする日本映画の状況を語ろうとするとき「昭和」として意識しないと書けない。
 その当時の日本映画はほとんどモノクロだ。そして、米軍占領下の時代には厳しい検閲も受けていて表現の自由ということではそうとうな規制があったことは確かだが、戦中の治安維持法下の時代には考えられない「民主的」な自由への渇望と讃歌が容易に読み取れる。俳優たちはホンモノの汗を流し、涙し、ときに飢えてもいた。男優も女優もたいてい痩せていた。痩せてはいたが動きは機敏であり躍動していた。男優たちの兵隊の演技は数年前まで軍隊でしこまれたホンモノの動きであり、女優さんたちも空襲下、焼夷弾に脅え、防空壕に飛び込んでいった体験者であった。命の軽さと重さを日々、切実に反芻した生活者たちであった。演技であって演技ではない気配がスクリーンに満ちていた。そういう敗戦から数年のあいだの日本映画をみるたびに、現在のニッポンはずいぶんと理想や志と違う地平まで歩んでしまったのではないかと思ったりする。
 アルゼンチン映画『瞳の奥の秘密』(ファン・ホセ・カンパネラ監督)に心動かされたひとつの大きな要因は、俳優も制作スタッフもみな1970年からはじまった軍政、軍事独裁下で「民主的良心」を押し潰した“汚い戦争”、そして対英国戦争となったマルビナス(フォークランド)紛争、そして1983年の民政移管……という故国の厳しいドラマを多感な青春期に遭遇した世代か、暗褐色の世相のなかで幼少期を過ごした人たちが丁寧に彫り込んだ作品であるとの認識がまずある。
 どんな時代でも青春の火照りは、愛の輝きに身を焦がすことをやめない。そんな個人的な体験をもつスタッフ・キャストたちがひとつの目的に向ってつくり上げているという臨場感を覚えた。1980年代、“神の手”をもったマラドーナの活躍という慰安がアルゼンチン人にもたらされたけれど、〈愛〉を残忍に断ち切られた青春の悲劇はそんなことでは癒されはしないのだ。
 そう……愛の物語である。愛の昂揚を造型するのはむずかしい。下手をすれば性愛に流れてしまう。しかし、この映画は〈心〉と〈時代〉を繋げて愛の聖性化に成功している。オスカーで外国語映画賞を獲ったことは商業的な成功へのステップにちがいないが、本作にとっては外縁のトピックにすぎない。
 推理小説の趣向もあるのでストーリーを説明的に書く愚はおかしたくないが、25年間、愛の発芽を抑えていた男と女の物語は、こんなふうにはじまる、と書いてもゆるされるはずだ。
 長年務めた刑事裁判所を定年退職したベンハミン(リカルド・ダリン)は、25年前に担当した殺人事件を発端する自分自身の物語を書こうと思案する。1974年、ブエノスアイレスで結婚間もない美貌の女性が暴行され残忍な手口で殺された。
 事件はベンハミンの執念、同僚の飲んだくれの補佐パブロ(ギレルモ・フランチェラ)の推理によって犯人を割り出し逮捕に漕ぎつける。しかし、その猟奇的殺人犯イシドロ(ハビエル・ゴディーノ)は間もなく釈放されてしまう。そればかりかイサベル・ペロン大統領の警備担当を務めるほどに出世しているのだった。(ここで話の流れを中断させてもイサベル・ペロンについて書いておかねばいけない。彼女はまずアメリカ大陸諸国における最初の女性大統領として歴史にその名をとどめる。それは栄誉であると言ってよいが、政治的にはまったく無能であった。夫ファン・ペロン大統領下、副大統領職にあったイサベルは法的な後継者として選挙を経ずに夫の死によって最高権力者の地位を手にする。しかし、イサベルには、かつてファン・ペロンを支えたエビータの民衆愛もなければ情熱も見識もなかった。指導力の欠如は軍事クーデターを誘引し、以降ながくつづく同国の政治的混乱の揺籃になった)。
 殺人者パブロは殺人事件を引き起こす前からこの国の暗部にはびこる権力の闇で働く男だった、と暗示される。釈放しないと、権力を支える蝶つがいに亀裂が走りかねないのだ。それでもベンハミンは不正を許すことができないと思った。そんなベンハミンを疎ましく思う“闇”は彼を圧殺しようとする。そのベンハミンの身代わりとなって、死を受け入れてしまうパブロがいた。やがて、ベンハミンは米国の大学にも留学した美貌の才媛、若き上司であったイレーネ(ソレダ・ビジャミル)によって安全な地方へと“左遷”させられ、そこで定年を迎えるのだ。
 そして、すっかり髪が白くなったベンハミンはまだ現役ではたらくイレーネのもとに定年の挨拶と、25年前の事件を自分の良心の証しとして追求したいと申し出るのだ。二人のあいだには25年前に秘めた、そう言葉として語られることのなかった〈愛〉の追憶があった。イレーネもすっかり老け込んでいるが仕事への情熱はうしなっていない。それが彼女の美しさも支えていよう。そして、ベンハミンが25年前の事件を思い出させたことによって、彼女もまた癒されぬ良心の疼きを甦られせる。その〈疼き〉こそ〈愛〉の再生であった。
 もうひとり……愛しい新妻を奪われたリカルド(パブロ・ラゴ)の25年間はどういうものであったか。彼は〈愛〉を封殺し、復讐の煉獄のなかで個を殺しながら生きながらえていた。妻を殺害したパブロを私刑に処した。殺しはしない。「終身刑」として家の別棟にに檻をつくり閉じ込めていた……。 
 ドストエフスキーの小説『未成年』のなかに、「愛は無からつくることはできません。無からつくれるのは、神だけです」という一節がある。
 映画『瞳の奥の秘密』には二つの〈愛〉の物語がある。それは「無」からつくられていはいない。アルゼンチンという国の現代史のなかの惨酷な政治の起伏を背景として出てきたものだ。だから、本作がかつての時代の大気を知るアルゼンチン国民に広く受入れられ空前のヒット作となったのだ。
 昭和20年代の日本映画は、戦争という個人の力ではどうにも防ぎようのない時流という波頭に呑み込まれた〈愛〉の悲劇が繰り返し映し出されていた。娯楽が少なかったから映画は大衆娯楽の王様になったことも事実だが、観客のひとりびとりが映画の物語に没我できる生身の記憶が生きていたからだ。
 〈愛〉に涙し、その苦渋を知る人には「瞳」で語られる象徴的で静謐な、そして余韻に真実を秘めたな掌(たなごころ)の会話を読み取ることができるだろう。そんな映画である。そして、愛おしさと尊さでも胸を熱くさせてくれるだろう。 愛は時代を選ばない。
 時代の波頭に翻弄されても生き抜く愛こそ真実の〈愛〉と語る。

ハイチ次期大統領選挙とワイクリフ・ジョン

ハイチ次期大統領選挙とワイクリフ・ジョン
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 ハイチ出身のアーティストは旧宗主国フランスで活動し、パリを拠点にするこ
とによってワールド・シーンに出てくる才能が多い。しかし、ワイクリフ・ジョ
ンは米国でアクティブな歌手として地位を得た才能だ。
 今年1月、西半球の最貧国ハイチの首都ポルトープランスを襲い、22万人以
上の死者を出した大地震の爪あとは半年を過ぎた今も深刻な状況だ。
 被災直後、復興援助を約束した国が多かったが、世界的な景気の低迷で約束が
スムーズに履行されていない現実もある。国連も約束を履行するよう関係諸国に
協力を求める特別声明を出したくらいだ。そんなハイチで11月、大統領選挙が
行なわれる。当然、復興問題が最大の争点になる。
 大統領選挙は当初2月28日に投票が行なわれる予定だったが地震のために無
期延期されていた。被災から半年以上を経て、やっと政界も選挙に備える態勢が
できた。しかし、選挙の具体的な日程が決まったが、現在なお住居を失い劣悪な
テント生活を強いられている被災者は約1300ヵ所のキャンプに160万人が
分散して暮らしている。状況は依然、厳しい。選挙で勝利した新大統領も困難な
国家再建事業が待ったなしで待っている。いわば火中の栗を拾うような大統領就
任となる。
 この選挙に1970年ポルトープランスに生まれ、9歳の時、家族とともに米
国ニューヨークにわたり、やがて米国籍を取得した歌手ワイクリフ・ジョン(3
7)が立候補を表明して話題を集めた。グラミー賞を受賞した実績をもつ才能だ
。88年、18歳の時、ヒップホップ・グループ「フージーズ」を結成し、メッ
セージ性の高い作品で知られるようになった。グループの名は、英語の難民を意
味する「レフジー」に由来することでもわかるように、社会的弱者の視線でいつ
も作品をつくってきた。「ハイチ人の歴史を忘れるな」と米国在住のハイチ人に
呼びかければ、母国の若者も鼓舞する。また、「もし僕が大統領なら」という歌
では、「シャワーを浴びるために、雨を待つしかない人々」のために金を使いた
いと今回の立候補を予感させる歌もあった。現在はグループを離れソロ活動をつ
づけている。
 1月の地震直後から歌のヒットによって蓄えた資金で作った財団を通して支援
活動を行なっていた。ハイチ民衆のあいだでも知名度も高い。立候補の表明はた
ちまちジョンを最有力候補に持ち上げた。しかし、同国選挙委員会は「選挙前の
5年間、同国に居住していなければならない」という規定に抵触するとして、立
候補を却下した。彼もその決定を受入れた。
 しかし、同国の現状は杓子定規に「規定」を遵守するような平時ではないよう
にも思う。現に治安維持にブラジルを中核とする国連軍が駐留している。いまハ
イチの最高権力者に求められているのは無私の献身性ではないか。
 今後、彼がどのように母国の政治とかかわりをもっていくのか分からないが、
これでひとつの足がかりを得たことも確かだろう。

映画『冬の小鳥』

 映画『冬の小鳥』ウニー・ルコント監督
人は幼くとも受け入れざる得ない悲惨がある。それが人間社会の現実だ
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 日々、接するニュースは膨大だが記憶に留まるのはほんのわずかな「事件」でしかなく、かつ断片だ。それも次から次へと迎え入れる「事件」に覆われてしまい、短日時に消えてしまう。そんななかでいつも苦い記憶となって心にはりつかれるような痛みを感じるのは、幼い子どもたちが「叫び」の痕跡も残さず生命を奪われた「事件」への記憶である。
 実の母親がその加害者である場合が多い。そこには母親それぞれの桎梏(しっこく)があり苦悩の末の選択であったはずだ。そんな母親であっても、その子たちはたいてい母親への愛情を片ときも忘れていない。理不尽ではあっても子は親を批難しきれないまま幼い死を迎えている。それが哀しい。
 本作は、大好きな父親にある日、突然、予告なく捨てられた9歳の少女ジニ(キム・セロン)の心の軌跡で描く。捨て子となった現実への戸惑いと抗(あがら)い、そして絶望。9歳の少女が受け入れる現実はあまりにも過酷だ。けれど、人は幼くとも受け入れざる得ない悲惨がある。それが人間社会の現実だ。監督のウニー・ルコントの国籍はフランスである。ジニと同じように幼い日に親に捨てられ、フランスの里親に引き取られた過去をもっている。物語は創作だが、「自伝的要素を消し去ることはできなかった」と語る監督がいる。おそらく、監督は本作の脚本を書き、映画化することによって幼い日々に生じた心の傷を癒したかったと思うが、どうじに両刀の刃であることも知っていたはずだ。
 捨てられた子には必ず捨てる親がいる。その捨てた親への赦しと慰安が訪れるかも知れない。あるいは憎悪を増幅する行為ともなりかねない。監督自身、「実父にこの映画をみてほしいと思いますが、捜してまで会うつもりはありません。今まで父が私を訪ねてこなかったのは、父には別の人生があるということです」と語っている。そこには監督の父への追慕と拒絶の裂かれた心の葛藤の亀裂がみえる。たぶんウニー監督はまだ実父を求め、その心にはある種の憎しみのおき火もあるのだと思う。それは映画の冒頭シーンに象徴されている。
父とのなごやかな笑顔で接し、慈しむ交流の時を刻みつける監督自身の懐想ではなのかと思われるシーンが、映画通常の92分というフレームのなかでは長尺となっていることでも理解できる。少女にとって父との最後の時間ほど幸せなときはなかった。父は娘を捨てるという最終結論に至ったとき、その未来の過酷さを予見したのだ。だから、娘と過ごす最期を幸せなイベントで飾ろうとした。しかし、娘にとって、そのつくられた「幸せ」は残酷非道でしかない。父もそうとは了解できているはずだ。矛盾しているが、人間にはそうとしか行動できないことが多々ある。それも人間社会の過酷な現実なのである。
しかし、内なる葛藤をわずかな視線の揺らぎ、表情の陰影だけで表現することが求められたジニ役を演じきった子役キム・セロンは素晴らしい。本作はほとんどセロン一人の演技力で持っているといって過言でない。そのセロンの天性の演技力に仮託して自己導入を図りながらも客観視することも忘れなかったウニー監督の演出も素晴らしい。捨て子の問題、あるいは国外への養子縁組の問題と大きな枠組みのなかで語られる話ではあるけど映画の手触りのぬくもりはあくまで人間愛が映像言語によって象徴され普遍的な説得力を持っていると思う。    

宇多滋樹さんと、その喫茶店

宇多滋樹さんと、その喫茶店
宇多滋樹
(写真・上野清士)

 先月、久しぶりに奈良に行った。取材旅行だったが、その際、付き合ってくれた人が、「おもしろい喫茶店に連れて行っていく」というので誘いを受けた。
 長屋風の民家をほとんど手入れせず、ソノママという感じで喫茶店にしたところで屋号を「ちちろ」といった。玄関があって履物を脱ぎ、畳もそのままの和式の部屋、そこが店なのだ。店主は白髪の宇多滋樹さん、である。
 その名を聞いて映画『殯(もがり)の森』を思い出す読者がいたら、かなりの映画通だ。カンヌ映画祭で上映された直後、会場はなりやまぬスタンディグオーベーションに包まれた。グランプリを獲得した。その感動をもたらしたのは一にも二にも認知症の初老の男性を見事に演じきった宇多滋樹さんだった。映画に出演した頃、宇多さんは出版もときどき手がける古書店主であった。俳優体験は後にも先に『殯の森』一編のみ。その一作で世界の映画史に記載されることになった。
 「河瀬監督にはずいぶん、しごかれました。お陰で、映画の出演料で店の改築資金が出て、こんな妙な店をやってます」というが改築されたのははたしてどこだろう、という感じである。たしかにヘンな店で和室のまわりに古ぼけた木製の書棚があって、埃を被った本が並んでいる。でも商品である。古書店を兼ねるのである。座卓が無造作に並んでいて、気ままにくつろいでください、といった雰囲気。おもわず寝転がりたくなった。二階もあるというので上がってみるとコタツがあった。
 「ときどきカップルが来て二階にトントンと上がって、コタツでしんみり話しはじめると、うっかりじゃまできないようなイケナイ気配を感じて、降りてくるまで上がれない感じなんだ」と商売気が希薄。
 「映画の影響は大きいですね。店に入るなり、『あぁ、しげき(役名)さん、しげきさんだ』とひとしき僕を指さし騒ぎまくって、そのまま帰ってしまうおばちゃんたち……なんやケッタイな、アホか……と思えば、店に上がって僕の顔を見ながら泣きはじめる人も……認知症の父親を亡くした人らしいですけど。僕によりそってくる気色の悪いおばちゃんとか……。有名税というんでしょう。おもろい儲からない体験をさせられました」
 この宇多さん、かつて日本社会党の党員だったこともある。奈良県本部の専従書記であったのだ。多才多芸、というのか、器用貧乏というのか、小説も書けばルポルタージュも手がけ、自費出版の企画・編集もこなす。しかし、どうも一極集中して持続的に事を成す、というタイプではなさそうだ。
 「夏の奈良は暑いですから、秋にでもまた」と見送られたが、はたして奈良盆地が紅葉で色づく頃、この人、なにをしているんかいな……。
宇多さんの店

映画『セラフィーヌの庭』

映画『セラフィーヌの庭』 マルタン・プロヴォスト監督

 フランスの女性画家セラフィーヌの名と魅惑的な極私画、そして数奇な生涯を筆者がはじめて知ったのは1970年代の何時か……。美術評論家の坂崎乙郎氏がもっとも旺盛に、そして詩的イマジネーションを喚起するような文章で、日本ではほとんどなじみのなかった孤高の画家、その稀有な独創的な世界を紹介していた時期があった。そんな一編に小さなモノクロームの図版を取り込んでセラフィーヌの生涯を記述した断章があった。それはバラの棘のような剛さで胸に染み込んできた。爾来(じらい)、セラフィーヌ像は筆者のなかでいつの間にか増幅し、その面影は頭の隅に貼り付いたのだった。
 いわゆる素朴派=ナイーブ派の系列に属するセラフィーヌだが、その生涯は幸薄いものだった。
 彼女が草花の神聖を炎のように描きはじめたのは40代に入ってからで、それも守護天使のお告げに導かれての“天啓”であった、と伝記は語る。映画でもその辺りのエピソードは詩的に象徴化され描かれる。
 セラフィーヌは絵をアカデミックに学んだことはいっさいない。内なる欲求にしたがって描いたのだ。他者の批評などまったく気にすることなく彼女自身の魂の慰安のために描かれたのだ。
 貧しい生涯を独身で通した家政婦であったセラフィーヌ。絵具ひとつキャンパス一枚買うにも大きな英断が必要とするほどの赤貧のなかで一点一点、糸を織り込むように描かれた。ときに自分で絵具を考案、練りながら板切れに描きはじめたのだ。そんなことが思いがけない評伝的映画の出現によってセラフィーヌは一気に身近な存在となった。
 映画だからおおいなる作為はあるだろうし、必ずしも史実に忠実とはいいがたい。しかし、本作には評者が抱え、長年にわたって増殖したイメージに至近のものであった。否、忠実であるように思えた。そこにはセラフィーヌ演じたヨランド・モローの卓越した演技があるだろうし、マルタン・プロヴォスト監督の緻密な演出力のよるところが大きいのは当然だ。
 いま、セラフィーヌの詩的エスプリに満ちた映画に接して、最近のフランス映画はエディット・ピアフからはじまってココ・シャネル、世界的ヒット曲となった「ドミニク」のシンガーソングライター、シスター・スマイルことジャニーヌ・デッケルズと続けて評伝映画の秀作を生み出していることを再確認する。少し前にはイザベラ・アジャーニが熱演した彫刻家カミーユ・クロデールの映画もあった。みな女性を主人公にしているのが興味深い。本作はその流麗な系譜の末端に位置することになった。
 いま、女性の評伝的映画を例にあげたが、画家の映画としても昨年から今年にかけてレンブラント、カルヴァッジョと西欧美術史上の巨匠を取り上げた作品が日本でも公開されている。こうした巨匠たちの絵はこれまで幾種類もの画集によって繰り返し刊行され、私たちの目にはすでになじみ深い。しかし、セラフィーヌのような美術史上ではあくまで傍系で、日本では素朴派の絵を集めた企画展に数点紹介されることはあっても回顧展に恵まれなかった画家にとっては、こうした映画は一気に名声を高めるビックチャンスである。かつて、日本でほとんど無名であったメキシコの画家フリーダ・カーロの名と絵が認知されたのはメキシコで撮られた評伝映画の公開がきっかけだった。
 本作によってセラフィーヌに関心を寄せる日本人が増える予感がある。それも、フランスの批評家をして謂わしめた「ヨランド・モローの名演技は、まさにセラフィーヌそのもの」という讃辞に象徴される主演モローの力であろう。しかし、そうした讃辞を贈った批評家も実はセラフィーヌについての知識はほとんどないのだ。
 本作もまた生涯の履歴がほとんど闇のなかに没しているセラフィーヌの伝説化に滋養を与えるものなのだ。という意味において本作は危険な成功作といえるかも知れない。セラフィーヌの庭

映画『桜田門外ノ変』佐藤純彌監督

「桜田門外ノ変」……日本人なら誰でも日本史の授業で習う幕末の事件。必携
事項だ。
 当時の幕府大老で彦根藩主でもあった井伊直弼が水戸藩の青年たちに暗殺され
た事件である。明治の新政府が成立するわずか8年前の出来事で、この事件を明
治維新の序章と位置づける見方もある。
 われわれは「桜田門外ノ変」を知っている、と思っている。しかし、何を知っ
ているのだろうか? 
 本作をあえて本誌で取り上げたのは長年、ラテンアメリカのさまざな歴史的な
出来事を検証する仕事に携わってきたが、いつも「知っている」ことの内実とい
うものを考えている。それは正直、しんどいことでなかなかそこまでは言及でき
ない。たとえば、評者はコロンブスについて一冊、本を書いている。書きながら
いつもコロンブスの冒険的航海を支えた男たちの存在を思う。水夫たちは、調理
人たちは……サンタ・マリア号をカリブ海へ運んだ推進力はコロンブスの功名に
充填された熱き野心にあったことは間違いないが、無名の男たちの存在なくして
は実現しなかったはずだ。その男たちの帰りを待つ故郷の人たちは……教科書は
それを無視する。そういう無刻の人びとを甦らせるのは歴史家ではなく詩人や作
家の仕事だろう。
 「桜田門外ノ変」の歴史的意義を教科書に書くのは歴史学者だが、その事件に
関わった人びとの無残を描くのは作家の仕事である。この映画の原作は歴史を低
きものの視点から描きつづけた吉村昭の同名の小説である。
 「桜田門外ノ変」で不慮の死を遂げたのは井伊大老だけでない。大老を襲った
襲撃者側も即死1名、自刃4名、重傷で翌日以降に亡くなった者4名。大老を守
りきれなかった彦根藩側は現場での即死4名、重傷で翌日以降に亡くなった者4
名、しかし、生き残った者も後日、主君を守り切れなかった汚名を背負ってみな
切腹することになった。生き残った襲撃者側も幕府と水戸藩に追われる身となる
。そして、ほとんどが捕縛され斬首される。映画はそのひとり関鉄之助(大沢た
かお)を主人公にして、彼の目線で事件の顛末が語られ、逃亡者の視点から幕末
が日々が描写される。その関役を見事にこなした大沢の凛とした佇まいは物語に
一本の鋼のような線を通していて好感をもてた。
 司馬遼太郎の近代史観では「明治」は偉大であったと語られているが、歴史が
年号ひとつで様変わりするわけでもなく、連綿とつづく人のいとなみは悲劇を超
えてつづく。「明治」が偉大というなら、それでよい。戊辰戦争を終焉とするま
でうちつづいた幕末の騒乱になんと夥しい死があったことか。日本史教科書の近
代史のひとつひとつの出来事の横たわる累々たる死はすべて私的な物語を胸に掻
き抱いたまま無残至極と息絶えたものではなかったか。英雄的な死ばかり注目す
るのは、どうも教科書の落とし穴である。民主主義といいながら歴史教育は民衆
が主人公とはなっていない。そんなことをつらつら考えさせてくれた映画であっ
た。
 評者は佐藤監督をほとんど認めてこなかった。大振りな演出の違和感をいつも
抱えてきた。そんな私観に変化の兆しが出てきたのは「男たちの大和」(2005)
を観てからだ。佐藤監督が得意とする歴史物「空海」「敦煌」「おろしや国酔夢
譚」の系列につらなる「大和」ではあったが、そこではじめて人肌の手触りのよ
うな温もりを覚えたのだ。それは本作でも変わらなかった。
 映画のクライマックともいえる桜田門外ノ変における殺陣は少しも格好よくな
い。意地悪くみれば滑稽ですらある。そこには赤穂浪士のあっぱれぶりも、三船
敏郎の鮮やかさぶりもないし、座頭市の強さもない。懸命に血みどろになり雪に
足を滑らせながら必死に刀を振り回す、さして強くない若い侍たちの姿である。
剣術というような流麗さなどない。これまで東映全盛期に幾度か桜田門ノ変は描
かれてきたはずだが、こんなにぶざま千万な殺陣はなかったと思う。そのぶざま
さに評者はこの映画のすぐれた美点をみていた。         
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上野清士

Author:上野清士
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