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下山静香ピアノ 「ガスパール・カサドの世界」

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 ラテンアメリカを代表するクラシック畑の作曲家といえばブラジルのヴィラ・ロボスが独り際立っていて、メキシコのカルロス・チャべスといったメキシコ民族派の存在はいきなり小さくなり、最近はアルゼンチンのアストル・ピアソラの作品をヨーヨー・マが採りあげ一躍、現代の代表的な器楽曲として頻繁に採りあげられるようになったぐらいか……といった現状のなかで、ラテンアメリカとスペイン音楽に執着し、その紹介に傾注する稀有(けう)なピアニストに下山静香がいることを紹介したい。1999年に文化庁派遣芸術家在外研修員としてマドリッドに赴き、アルベニス、グラナドス、ファリア、モンポウなど近代スペインの主要な作曲家を研究し、演奏活動も同地で重ねるなかで「スペインの心を持つピアニスト」と呼ばれるようになった才能だ。
 そんな下山が日本に活動の拠点をおいてから取り組みだしたのが、「スペイン・ラテンアメリカ室内楽シリーズ」。日本でほとんど紹介されることのなかった作曲家、作品を積極的に採りあげていこうという野心的な試みである。その第二回公演を聴いた。
 主要プログラムは、パブロ・カザルスの直弟子として知られるガスパール・カサドのチェロ曲が中心だった。下山がソロで弾いたのは第二部の冒頭で、「ハバネラ『4つのスペインの小品』より)」のみで、ほとんどをチェロ曲の伴奏者として通した。自身チェロの名手であったガスパールが手練の楽器のために多くの作品を書いたのは必然であって、秀作もチェロ曲に集約されているのなら、その魅力を伝えるには自分は控えにまわらなければいけない、という紹介者の節度を潔く保っていた。その姿勢は鮮やかだった。
 チェロはスロヴァキア出身で1990年から日本に活動の拠点をおいているルドヴィート・カンタ。日本での初演曲が大半と思われるガスパールの世界を情熱的な解釈で華やかに弾奏して、色彩感のある世界を造型していた。聴きながら率直に思ったことだが、現代音楽のせん病質な細さにも無縁なら、幾何学的な構築性の誘惑にも抗しているガスパールのロマンティシズムは心地よいものだ。しかも、そのロマンティシズムはまったく媚びた気配のない品格のあるものだ。その意味では日本のチェリストももっと注目してよい作品だ。聴衆の多くがガスパール音楽をカンタの情熱的な解釈を通して体内に染み込ませたと思う。それだけでも下山の企図は成功しているだろう。次回の下山のプログラムが楽しみである。
 
 *11月26日、飯田橋・トッパンホール。   
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映画『天国の青い蝶』レア・プール監督  コスタリカのモルフォ蝶の美

映画『天国の青い蝶』レア・プール監督  コスタリカのモルフォ蝶の美
新・天国の青い蝶


 北杜夫さんのエッセイ集『どくとるマンボウ昆虫記』は少年の熱中とはにかみを綴った自伝だ。その終章で、中央アメリカの熱帯雨林に住むモルフォ蝶へのあこがれを語り、「いつか訪れてみたい」が、どうも叶えそうもない夢だと述べていた。『昆虫記』は1961年に出版された。その後、日本は高度経済成長期に入り80年代にはバルブという狂熱期を迎えた。北さんが『昆虫記』を書きついでいた頃の日本は貧しかった。持ち出せる外貨にもきびしい制限があった。中米の密林で蝶を追うなど極め付きの贅沢なことだった。しかし、時代は劇的に変わった。北さんもコスタ・リカを訪ね、あこがれのモルフォと対面しているのかも知れない。
 ぼくの少年時代だってコスタ・リカといえばとてつもなく遠い遠い、はるか彼方に位置する夢のまた夢のなかの秘境のようなものだった。いまでも絶対的な距離は変わらないけれど、飛行機はより早く旅費も安くなった。という意味では、もはや「夢」の地ではない。この映画で映し出されるコスタ・リカはニカラグア国境地帯の僻地であって、秘境ではない。ぼくも小学校へあがる前の息子を連れて訪れている。この国で秘境といえるのは、かつてスピルバーク監督が『ジュラシック・パーク』の舞台とした絶海の孤島ココぐらいだろう。観光局が「秘境」と宣伝しても、本土にはそんなところはない。しかし、本作のような映画は、「秘境」は興行成績をあげる良き刺激材料であるらしい。
 お話自体は心温まる善意にあふれている。しかも、実話だという。奇跡、は実在するらしい。
 余命2、3カ月と宣告された末期ガン患者のダヴィド少年にはひとつの願望があった。生きている間に飛翔するブルーモルフォ蝶をみたい、というもの。少年とその母は、昆虫学者にその思いを告げる。私設博物館を開館させて間もない初老の昆虫学者は、「モルフォの季節はもう終りだ」と拒絶する。けれど少年の熱意と、その痛ましい境遇にほだされてコスタ・リカに飛ぶことに。熱帯雨林に住む先住民ブリブリ族の集落を本拠地にしてモルフォ蝶を追う。モルフォの輝きは、少年と、仕事に熱中するあまり妻子と離婚したという疵を負う昆虫学者、そして夫を交通事故で失い今またガンで息子を奪われようとしている母、三者三様の〈奇跡〉の癒しの日々となってゆく。その癒しが神秘的なメタリックブルーの美しい蝶に仮託される。
 熱帯雨林での日々……モルフォの光輝が……奇跡を平俗な言葉では語れないから、自然美に仮託する。少年のからだからいつの間にかガン巣が消えていた。くりかえすが実話だという。
 ぼくもペルー・アマゾン産のモルフォ蝶と、採取地不明の標本2点を持っている。ガラスケースに密封された蝶は、いささかも退色せずメタリック・ブルーに輝きつづけている。アマゾン産はメラウスモルフォという。映画のダビッド少年は、そうした標本をみているうちに、実際に飛ぶ姿を見たいと思うようになったのだ。尽きようとする自らの生命に最後の輝きを与えるように。人は誰だって、標本ではなく、空の青に溶け込んでゆく蝶の舞いみたいと思うものだ。
 少年が自分の手でモルフォの奇跡を掴みたいと思う心は、群百のコレクターの思いとは違う。自分の肉体が滅びよう、無に帰そうとしている刹那の絶対的な孤独を慰めるものなど存在しない。少年にとって、飛翔するモルフォとは天国へ魂を導いてくれる天使のように思えたのだろう。この映画、小さな狂気である蒐集に熱中する者になにか襟を正してくるような真摯さがあった。
 しかし、〈主演〉として登場するモルフォはなんだか物分りが良すぎるように思う。蝶の女王として孤高の毅然さが欲しかった。モルフォは熱帯雨林を遊弋の庭とするきままな女王である。
 
 北さんが少年時代、熱狂してあつめた幾多の昆虫標本は東京大空襲であっという間に、感傷で突き動かされる暇もなく燃え尽きた。   

映画『君を想って海をゆく』 フィリップ・リオレ監督

映画『君を想って海をゆく』 フィリップ・リオレ監督
映画「君を想って海をゆく」

 筆者が住む埼玉県蕨市は日本でもっとも多くのクルド人が住む町である。そのほとんどがトルコのクルド人居住区から来た人たちだ。男性のほとんどが建物の解体業に従事しているといわれる。かれらは本国の家族などに手紙を書いたりするときに蕨市をワラビスタンと表記したりしているようだ。
 トルコに住むクルド人を描いた映画というと故ユルズマ・ギュネイ監督の一連の作品を思い出すが、本作『 君を想って海をゆく』はイラクからフランスにやってきたクルド難民たちの話だ。最近、映画に描かれるクルド人といえばイラク、イラン領内に住む被抑圧民族としての彼らであり、そうした国から逃げ出した難民の話が多い。この映画もまた、イラクから流亡したクルド難民の話だ。フランス最北端の港町カレが、いまドーバー海峡を渡り英国に密入国しようとして果たせないクルド難民がおおぜい〈吹き溜まり〉、困窮していることを本作ではじめて知った。
 カレとは、ロダンの「カレーの市民」の偶像の町である。上野の国立西洋美術館の前庭にもある「カレーの市民」像。ロダンは殉死する前の市民たちを造形したが、現在のカレでもっとも苦悩しているのはクルド難民たちだろう。カレではそうした難民を家に招くこと、車にピックアップすること、当たり前の「親切」、人道とかそういったことではなく、人間が人間であるための善意にすら罰則規定があることも映画で知った。サルコジ政権下のフランスでは「自由・平等・博愛」が日々、侵されている。排他的な民族主義的な感情をもつ政治家であったサルコジが、大統領に就任すれば起きうると予測されたことが、見事なまでに実現しているということだ。
 主人公のクルド難民の少年ビラル(フィラ・エヴァルディ)はサッカーが得意で、英国に渡ってマンチェスター・ユナイテッドの選手になることを漠然と夢見ている。サッカー少年なら誰しも夢見ることだ。しかし、そうした遠い夢想ではなく、少年には現実的な願望があった。英国に一家そろって移住してしまった恋人にあうためイラクからビザなしのまま陸路4000キロを旅してきたのだ。それはいったどれだけの困難があったことか……それだけで一編の叙事詩となる。しかし、ユーラシア大陸の端、ドーバー海峡を前にして英国への密航は失敗し、最後の手段として泳いで渡りきろうと無謀な計画を立てている。
 ただサッカー少年ビラルの泳力はおぼれない程度。そこで、なけなしの金をはたいてスイミングプールに通いはじめる。このスイミングプールで、少年は冴えない中年コーチと出会う。妻マリオン(オドレイ・ダナ)に愛想をつかされ離婚することになっている夢も希望もうしなった中年男シモン(ヴァンサン・ランドン)。かつてフランスを代表する水泳選手であった彼だが、かつての栄光は優勝カップも錆びつく郷愁に過ぎない。妻に離婚され人生なんの目標も見出せなくなったとき、恋人のため冬のドーバーを渡りきろうともがくクルド少年と出会ったのだ。その姿はあまりにも眩しい。シモンは自嘲していう。「4000キロも歩いて恋人に会おうという少年もいれば、目の前のきみにも手が届かない自分がいる」と。
 恋愛の距離とは神の領域なのかも知れないし、政治はその距離を無慈悲に引き延ばす。
 「難民」は私たちがなにげなくやり過ごしていることも、ときに生命を賭して取り組む難事業となる。ユーロ圏の人間にとってドーバー海峡約30キロを往来することはなんの支障もない。しかし、クルド難民はビザなしであるがゆえそれもままならない。ビラルはもっとも監視の目の行き届かない海を泳ぎ切ろうとしている。シモンも少年の熱意に、自分から失せしまった情熱を取り戻すように物心両面で手助けする。その「手助け」がフランスでは罪になる。映画は、フランス政府は「基本的な人間的価値を尊重していない」と告発する。右派のサルコジ政権を批判する。
 ビラル少年は冬の海峡を泳ぎ切ろうとする直前、英国の監視艇に捕捉され、海を逃げ惑っているうちに溺死してしまう。

 メキシコ、グァテマラ及び中米諸国の米国大使館前には連日、入国審査をうける市民で長蛇の列となる。日本人なら機内で配布される入国申請書を書けば事足りる。ヨーロッパ諸国でも同じこと。けれど南の国のほとんど大半の市民はそれができない。そして、不法越境のため陸路をとり米国南端の国境は連日、そこかしこで犠牲者がでている。ドーバーでもジブラタル海峡でも起きている。  
 ▼12月18日、シネマ有楽町他でロードショー公開後、全国上映に。

旅立ったアノ人、コノ人 其の四 石垣りんさん 「お茶汲み」で思索した詩人

旅立ったアノ人、コノ人 其の四 石垣りんさん 「お茶汲み」で思索した詩人

 気忙しい師走二十六日、石垣りんさんが逝った。悲報に違いないが、たちまち柔和な笑顔が思い出された。私の知るりんさんは六十代前半で若々しい。それこそ「凛」とした印象だ。一九八〇年、りんさんの詩を月一回、当時、勤めていた新聞の月の最初の号に寄稿していただいた。
 戦前、高等小学校を卒業すると日本興行銀行に入行、定年まで文字通り「お茶汲み」一筋で過ごしたと追懐されていた頃、りんさんに季節感がなんとはなしに感じられるような詩を、と連載をお願いした。最初の原稿はジングルベルが響く大田区の商店街の小さな古風な喫茶店でお受けした。
 寡作な詩人だった。けれど、最良の読者に恵まれていた詩人だった。
 最初の詩集を出されたのが三十九歳、詩の世界では遅咲きかも知れない。第二詩集はそれから十年後。初期の詩は、組合活動のなかで機関紙や壁新聞などに発表されたものだった。といって直截な言葉で〈闘争〉することはなかった。生きがたい生活の真実を、日常語を選別して鋭利な有機物に換えていた。それは人を傷つけなかったが、読者の心奥に喰い込んだ。組合活動に積極的に加わっても「お茶汲み」から解放されたわけではない。
 詩集がH賞や田村俊子賞を受賞しても仕事は代わりばえしなかった。そのことに不満を漏らしも、退職願を出すことなくきっちり勤め上げた。しかし、「お茶汲み」の場から人間の本質をじっくり観察しつづけていた。その眼光の鋭さは退職後も変わらなかった。
 一二ヵ月間、詩を戴くために都内で定期的にお会いした。四方山話、何を話したか……。会話が途切れる。言葉を選別するような一瞬の沈黙のなかに鋭利があった。それはしばらく私を捉えた。
 正月、古い年賀状を整理していたら、りんさんから戴いた八年分の年賀状(それも佳品)とともに自筆原稿が出てきた。当時どこの文具店でも売っていた四百字詰めコクヨ製原稿用紙に鉛筆で清書された「汗をながしたあと」。一九八〇年元旦の新聞に掲載された。
 
 新しい年が明けたら
 どの辺に虹が立つか
 目を上げて見張っていよう。もし虹が立ったら
 見つけた者から渡っていこう
 誘い合って。
 向こうに新しい町をつくる
 戻れない橋をしっかりと渡って行く
 
 その詩には、「汚職と利権と専横に陰る古い町」という一節があって、そんな「古い町」とおさらばし、希望と可能性にみちた「町」を目指せと語る。それは現実の町を意味しない。人それぞれが抱える濁を振り払って前へ前へと背を押す詩だったが、今度はりんさん自身が、汚濁に満ちた現世におさらばし、永遠に「新しい町」に旅立ってしまった。享年八十四歳だった。合掌。 (2005年1月記)

映画『敬愛なるベートーヴェン』アニエスカ・ホランド監督

映画『敬愛なるベートーヴェン』アニエスカ・ホランド監督
*2006年公開の映画だが、師走の風物詩「第9」にちなんで。公開時、某雑に書いたものだが、埃を払い意味で取り出した。

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 師走である。教師もあたふたと走りまわるこの季節。コンサート・ホールは連日、第9が鳴り響く。言わずもながベートーヴェンの最終交響曲。この成立余話が興味深く描かれた映画だが、主題ではない。第9を奏でて師弟愛を描く。
 映画では時どき師弟愛モノの傑作が生まれている。彫刻家ロダンと女弟子カミーユ・クローデの煉獄もあれば、閨秀画家・上村松園の師との不義に迫る『序の舞』等々……。芸術の苦難の道をゆく同志的な愛ではなく、なまみの男女が感情をぶつけ合う恋愛になってしまうからややこしい。成功し名声を得た芸術家と美貌の若い女弟子との交情などは見方を変えれば体のよいセクハラなのだが、そう言ってしまうとドラマにならない。男女の機微を裁く司法の言葉は虚(うつ)ろだ。
 しかし、本作、珍しく師弟愛に徹して昇華する。それが象徴的に演じられる場が第9の初演なのだ。ほとんど聴力を失ったベートーヴェン(エド・ハリス)は若い女弟子アンナ・ホルツ(ダイアン・クルーガー)に総譜を渡し、演奏者のあいだに座らせ、師のタクトを誘導する。つまり音楽学校の生徒だったアンナは作曲家の意図を理解しつくしていた、と描かれる。しかし、この挿話はよく練り上げられたフィクションである。『アマデウス』のモーツァルト、サリエリ像を同じでさもありなんという巧みの創作である。「第9」成立の伝説がこのような映画を生み出した、ということだ。
 余談だが、筆者の好きな第9にリストの天才的なインスピレーションが紡いだ2台のピアノによる編曲がある。全楽章、すべて2台のピアノで歌い切った作品だ。現在、演奏会のプログラムにあがることはほとんどないが、名曲だと確信している。車を運転する際、オーケストラ版は重い。しかし、リスト版は聴ける。リストはピアノ曲に置き換えることによって第9の流布に貢献したのだ。レコードのない時代、リストの編曲版は家庭のなかで響きわたる最良の第9であった。正直、筆者が繰り返し聴いて飽きないリストはこの第9編曲集だけである。作曲家リストには申し訳ないが。
 しかし、映画は第9のエピソードでは終わらない。第9で勝ち得た名誉も、未来を見据えて書いた先駆的な「弦楽四重奏曲〈大フーガ〉」の不評まで描く。それも泰然自若と「未来が判定」すると意に介さない。が聴衆の拍手もなく人気の消えた会場でベートーヴェンは意識を失う。闘争しつづけた芸術家の晩年である。先駆者の不遇は芸術家の宿命というキーワードはここでも使われる。
 だいたい、音楽家の生涯を描いた映画は〈初演〉の感動、あるいは失敗を描きたがるものである。もう一つの常套手段は、出来上がったばかりホカホカの新曲、それはやがて名曲と知られてゆくものだが、それを愛する者にはじめて聴かせるという手法だ。本作はそうした音楽物の良き要素が嫌味なく伝統的な手法で描きこまれている。
 アンナは決してベートーヴェンのミューズではあらず、優れた弟子、一時期の芸術的同行者に過ぎない、と見据えたホランド監督の醒めた演出がよい。
 それにしてもざんばら髪の楽聖を演じたエド・ハリスの神がかり的な同化。髪の薄さがトレードマークのような彼が、小鳥の巣のような頭髪の繁みを吼え立たせ、初老の音楽家を演じ切った。ピアノ、ヴァイオリン演奏もハリスなら、第9の総譜にペンを走らせる手も彼のものだ。むろん、指揮も。これまでアクション・ペインティングの巨匠ポロックや、中米を米国に隷属させようとした弁護士ウォーカーなどアクの強い歴史上の人物を熱演してきたが、また1行、輝かしい履歴を刻み込んだ。アンナを演じたダイアン・クルーガーの演技も完璧だ。これまでベートーヴェンの生涯は幾度も映画化されたがホランド監督の演出は二人の名演に支えらて重厚ながら爽やかな師弟愛を造形した。

メキシコ音楽事情⑥ サパティスタの活動に連帯し、歌でカンパ

サパティスタの活動に連帯し、歌でカンパ
  『みんなの歌~チアパス』

 尽きることなく歌が生まれる運動こそ民衆のものだ。すぐれた歌は、言論で伝
えきれない心の琴線を響かせる発信装置になるだろう。ラテン世界では歌は雄弁
な“武器”だ。
 唐突だが、今年は「国連コメ年」(2004)。しかし、コメを巡る問題が山
積する日本での広報活動は停滞している。「瑞穂の国」で主体的な行動が起きな
い。食糧自給率、食の安全性、あるいはグロバール化にさらされるコメの現状を
国民が再考する絶好の機会にあるに関わらずだ。
 メキシコ・チアパス州の先住民問題の根底にも農業問題が横たわる。古代マヤ
の時代から営々と農業を営んできた先住民は、スペイン植民者によって肥沃な土
地を奪われ、荒蕪地へ追いたてられるか、農奴として酷使されることになった。
だから現在、自営農を営む先住民がいてもたいてい零細農だ。その農業者が、1
994年1月1日に発効した北米自由貿易協定(NAFTA)によって情け容赦
なく切り捨てられた。政府の補助金によって輸出用作物として廉価に抑えられた
米国産の穀物、安全性も疑わしい農産物によって打撃を受けた。それは予測され
たことで、だから、発効日にチアパス先住民の貧農青年たちを主体とするサパテ
ィスタ民族解放軍(EZLN)がNAFTA反対もスローガンに掲げたのだ。
 前置きが長くなったが本作は、戦力では政府軍と比較にならないほど劣勢なサ
パティスタが先住民をはじめ内外の民主的勢力の支持を受けながら蜂起10年を
経た現在も変わらず活動を持続している、その「理由」を歌で解き明かしている
ものだ。「理由」を集約すれば「正義」。サパティスタの主張の正当性を歌で響
かせる。
 ラテン世界で現在、もっとも尖がった音レゲトンやスカで歌われる。『マルコ
スの舞台』という歌は、

 密林の奥深く
 草と霧の合い間に
 明るい毛色の馬が現われた。
 その背には、拳を振り上げた、覆面の男が

  ……と歌いだされる。
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 サパティスタの事実上の指導者マルコス副司令官の登場だ。と威勢の良い歌も
あれば、チアパス先住民に寄り添って、

 その花ばなは、なんて美しいのだろう
 衣服もその花も
 彼女たち、
   ゆたかな精神の持ち主たちよ

 ……とリリカルに語りかける歌もある。
 本作を制作したペンタグラマ社について。1980年代、中南米諸国が悪辣な
軍事独裁政権に支配された時代、多くの音楽家たちがメキシコに亡命していた。
そうした音楽家たちの才能もあつめ81年に創設されたのが同社。活動初期には
気負いが先行していたと思う。それでも、亡命音楽家たちは祖国愛から民謡や俗
謡を歌って風通しの良いリズム感に溢れる作品を提供していた。営利を目的せず、
時代の不正に目を閉じることなく、社会参与することを前傾姿勢で取りつづけて
きた。軍事政権が崩壊すると、亡命音楽家たちは祖国に復帰したが、彼らの傑作
はメキシコに遺されることになった。
 同社23年の歴史のなかでサパティスタへの関与は大きな位置を占める。
 本作収録曲の多くは旧作だ。つまり、同社の豊富なサパティスタとチアパス物
からセレクトされたアルバムということになる。いわゆる社会派の生硬さから解
放された歌ばかりだ。しかも、ラテンの音の多彩なカタログになるように工夫さ
れている。商業的な配慮も見逃せない、ということ。運動には、そうしたしたた
かさも必要ということだ。
 
 日本からチアパスは遠い。
 しかし、農業者たちは同じように危機的状況に晒さ
れている。弱肉強食のグローバル化のなかで困窮を強いられるチアパス零細農た
ちの姿は、疲弊する日本農業の現状を照射する。そういうことも教えてくれるア
ルバムだ。
 中南米諸国16アーティストの共働作品となった本作の収益金はチアパス先住
民の人権組織に託される。  ▼テイクオフ ТKF2919

映画『ペルシャ猫を誰も知らない』 バフマン・ゴバディ監督

映画『ペルシャ猫を誰も知らない』 バフマン・ゴバディ監督
映画 ペルシャ猫

 表題の「ペルシャ猫」とは映画の主人公であるイランは首都テヘランの若きミュージシャンのアダナ。
 ご存知のように同国はイスラム・シーア派の原理に基づいて、政治から文化、日常生活いっさいが著しく制約されている。しかし、それを「制約」という言葉で言ってはいけないだろう。国民の大半がシーア派教徒であれば「制約」も宗教的献身の証しとして積極的に受容されるものだ。が、しかし……という疑問符を打つところから、この映画は出発している。
 音楽は精神活動を乱すものとして厳しく制限されている。すでの音楽は当局の許可をえて、はじめて公的な場での発表がゆるされる。したがってCDの発売など至難、イラン産ロックはあっても存在しないことになっている。存在しないものはコンサートもでないわけだから、“幽霊”たちは非合法、ゲリラ的にやるしかない。〝幽霊”は神出鬼没だ。それも演奏者、観客問わず当局に逮捕される覚悟で、だ。意外と思われるかも知れないが、いっけん表現活動に寛容なメキシコでもオリンピック直後の数年、ロックがそんなふうに抑圧された時期があった。
 イランにだって活きの良いラッパーはいる、存在自体が反体制なロックもある、外国の人間が「誰も知らない」なら、俺が告知してやるとバフマン・ゴバディ監督はカメラを執った。その監督の前傾姿勢はスクリーンの四隅に躍動感をもたらしている。
ストーリーは単純だ。
 ロック歌手志望のネルガという少女と、そのボーイフレンドのアシュカンは表現の自由な活動を夢見てロンドン行き目指す。遵法な手続きではパスポートは入手できない。なら違法な手段に訴えても、手に入れてみせると、テヘラン裏社会への伝手を求めることも厭(いと)わない。映画は、ネルガはアシュカン、ふたりの目を通してアンダーグランドなもうひとつのテヘランの光景が〈音〉を通じて立ちあらわれてくる。
 イラン音楽といえば日本で想像されるのはたいていシーア派の戒律のなかでわずかに許された伝統音楽ぐらいなものだ。とくに反米主義者で現在、核開発を公然と政治日程に入れているアフマディネジャド政権下であってみれば、欧米のポップスと共鳴する〈音〉の存在などあるはずがない、と思っていた。しかし、イランの若者も自由への渇望感は「健全」であった。ロックもあればジャズもあり、若者の不満を過激な歌詞で取り上げるラッパーもいる!! 伝統音楽を現代的なフィーリングで解釈して演奏する若者もいれば、フィージョン系の音まである。つまり表現欲求はいたって健全であり、それを支える聴衆も存在することを知った!!! そうした層が先の大統領選挙で野党候補に大量の票を与えたことが、本作を通し、臨場感をもって理解できる。
 しかし、バフマン・ゴバディ監督がまさかこんなアクティヴな音楽映画を撮るとは予想だにしなかった。
 世界的な賞賛をあつめた『酔っぱらった馬の時間』(2000)にしても『わが故郷の歌』(2002)、『亀も空を飛ぶ』(2006)にしても監督自らの出自であるクルド民族の誇り、あるいは悲劇、そして逞しさをクルド語で撮りつづけてきた才能だ。彼が描く世界は周縁部、電化も満足にされていない僻村に収斂していた。とうぜん、そこに流れる時間のリズムはゆるやかであり、スクリーンにはたえず土の匂いがたちこめていた。
 『亀も空を飛ぶ』の日本公開にあわせて来日した際、インタビューする機会があって親しく話したが、その印象も朴訥なものだった。そんな監督がニューヨークのラッパーや、レゲトンの前衛をドキュメントするようなノリ、米国産のミュージック・クリップと見間違うほどの映像処理で一編のドラマを制作したのだから驚きだ。完成度もすこぶる高い。これはまったく思いがけないことだった。
 しかし、本作を撮った代償として監督として仕事をしていく道は断たれた。アフマディネジャド現政権下では生活ができなくなった。
 この国では映画制作用のカメラは政府に帰属し自由に使えない。そういうことも本作を通して知った。ゆえに現政権下では仕事ができない。監督は、退路を閉ざして本作を撮ったのだ。ただ、禁じられた〈音〉をスクリーンに解放しただけではない。偽パスポート作りのシンジケートなどテヘランの闇社会を肯定的に描き出しているところも当局の逆鱗に触れたはずだ。
 監督は事実上、政治亡命をすることになった。イラン人によるイラン人のための映画でありながらイランで公開されることはとうぶんありえない。それでも監督は表現欲求を抑え切れなかった。リスクを負った。芸術のデーモンともいえる。また、社会的使命感の為せる業とも……。   

メキシコ音楽事情⑤ ペドロ・バルガス

メキシコ音楽事情⑤ ペドロ・バルガス

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 メキシコでは“サムライ”の異名で知られる。全盛期は1940~50年代。
 筆者が彼の名と歌を知ったのは鬼籍入り後(1906~1989)。“アメリカのテノール”の尊称も。日本でもそうだがレコード草創期は録音技術の貧しさから声量豊かで感情表現の巧みなクラシックの声楽を学んだ歌手が花形だった。
 20代から歌手活動を開始したバルガスに求められたのは天性のまろやかで明晰な声で微妙なニュアンスを伝える愛の歌を巧みにこなすことであった。本作にはアグスティン・ララの名曲が6曲収録されている。後年、プラシド・ドミンゴがララのトリビュー・アルバム(日本発売)を制作しているが、それと比較すればバルガスの特徴がくっきり浮かび上がる。ドミンゴが朗々とドラマチックに歌いあげているのに反し、バルガスは丹精に歌詞を彫り込む。本作はアルゼンチンでの編成盤ということでタンゴ曲が多く収録されている。 

アルバロ・トーレスの歌  エル・サルバドル

アルバロ・トレスの歌  内戦下のエル・サルバドルで愛を歌いつづけて

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中米地峡の小国エル・サルバドルのアルバロ・トーレスの最新アルバム『ムイ・ペルソナル』がラテン・グラミーの(意訳すると)「カトリックの精神性を表現した歌唱」部門にノミネートされていることを見て、まだ健在で活動していること知って嬉しかった。主要部門でのノミネートではないがラテン・グラミー賞の性格を象徴する賞である。
 エル・サルバドルに限らず中米ではビックネームだが、日本まではその名は聞こえてこないのが、知って欲しい才能だ。
 1954年4月生れのトレスにとって、彼の最盛期は70年代後期から90年代だろう。その時期、彼の祖国エル・サルバドルは12年の内戦下、隣国グァテマラもニカラグアも内戦といった時代であった。トーレスの活動は当然、祖国でも中米の隣国でもおちついて活動はできず、グァテマラのリカルド・アルフォナがメキシコに出たようにメキシコ、あるいは米国南部に拠点を移しながら活動しなければならなかった。
 これまで32枚のアルバムを発表しているが、その大半が祖国の疲弊を横目にみながらの制作であった。おそらく平穏な時代であれば、中米でのセールスは飛躍的に伸びた実力者であったが、社会状況がそれをゆるさなかった。
 トーレスの歌に社会性はない。おだやかなポップスであり、基本的にボレロだ。内戦下のエル・サルバドルでは大衆は各地に拠点をかまえるクンビア・バンドのリズムに乗せて踊っていた。トーレスにもクンビアとかレゲェのテイストを取り込んだ歌がある。しかし、そうしたリズムを使いながらも、すべて、おだやかなトーレス節にしてしまう、そんな歌手だった。
 エル・サルバドルのクンビアは、ペルー・アマゾン地帯のイキトスから生まれたねちっこさも、テハーノたちのようないわゆるテクノ・クンビアなどとも無縁の、どこか軽めの熱帯高原に吹く風のようなポップスだった。首都サン・サルバドルの下町を歩けば国産クンビアにあふれていた。その一部は先年、日本でも公開されたエル・サルバドル内戦を描いた『イノセント・ボイス』のなかに象徴的に使われていた。そんなクンビア隆盛のなかにあって、トーレスの歌声は埃りぽい街路を縫って吹き抜ける清涼な風のように、いつも爽やかさを失うことはなかった。筆者などは、そのトーレスの声を聴くと、この国の心性はけっして険しいものではない、と当時、確信を与えられたものだった。
 歌手として時代に恵まれたなかったトーレスだが、一度も時代の不幸を自己れんびするようなことはしなかった。内戦のなかでも祖国愛を忘れなかった。
 いまラテン・グラミーの一部門にノミネートされ、いわば名誉賞的な意味合いもあると思うが、彼にとってはとても良いことだと思った。たぶん、小国エル・サルバドルからグラミー賞を手にするのはトーレスの後、しばらく人材はいないと思う。その意味でも是非、受賞して欲しいと思う。11月11日には結果が出る。 (2010年10月記)  

映画『クレアモントホテル』 ダン・アイアランド監督

映画『クレアモントホテル』 ダン・アイアランド監督

映画「クレアモントホテル」

 よい話だ。秋の陽が紅葉の葉陰を通して輝いている、そんな慰安のひとときを味わえる。
人のめぐりあいの不思議さは、それこそ人智を超えた神の御業(みわざ)としか思えないことがある。人はそれを運命とか奇跡的という言葉でその邂逅を称える。そこに無数の詩が生まれ、小説によって出会いの綾を織りなそうとする。人のめぐりあいは老いも若きも遭遇する宿命だが、至福もあれば、哀話にもなる。この映画では幸福なめぐりあいを描いている。こんな世相だから、映画ぐらい心をあたたかくしたい。
映画は、老女と青年の心の交流のドラマである。そこにひそやかな〈愛〉の絵姿をしのばせる。めったにあることではないから人は絵空事というだろう。しかし、事実は小説より奇なり、というほど巷にはこういう話はいくらでもある。まさか、と否定しても、巷説にはみな火種があるのだ。
作者はエリザベス・テラー、あの世紀の美女といわれた女優さんと同姓同名。生きた時代もまた同じで、作家はたえず高名な俳優に比較されていたという。いつも女優さんの下風に立たされていた。そんな風を受けながら人間社会の虚と実をじっくりと観察し、その心の奥を洞察しながら幾多の作品を発表していた。同名の原作も作家が晩年、ガンに侵され闘病生活のなかで“遺作”になることを予期しながら丹念に紡がれた小説だった。
〈死〉を指呼の間に見据えながら、老いを最良にいきるための平常心といったものを明晰に書き込んだ小説だった。
主人公のパルフリー夫人(ジョーン・プロウライト)は「これまでの人生、私はずっと誰かの娘で、誰かの妻で、誰かの母親だった」と客観視することのできる賢明な女性だ。半生を否定しているわけではない、むしろ天明として受け入れ、そのなかで堅実に自己を全うしてきた賢婦だろう。いわば男社会がつくりあげてきた「美徳」を実践してきた女性だ。それに反発するときはあったとしても両親の慈愛を受け、夫に愛されて生きていれば、女としてのしあわせを肯定できる時代に生きてきた。人間は誰しも時代の限界のなかでしか生きられない。けれど、パルフリー夫人は「だから残りの人生は、私として生きたい」と念じ、すこしでも健康なうちにと行動を起こす。その基地にしようと選んだのが、老いた人たちが長期滞在をする「クレアモンホテル」。ロンドン市中にある。こういうホテルは日本にない(今のところは)……。日本なら炊事のできる山間の湯治場となるだろうか。
物語は、このホテルにパルフリー夫人が到着するところからはじまり……某日、ホテルの玄関を出たところで階段につまずき病院に運び込まれ、(死に至るかもしれない)入院生活の日々を描いたところで終わる。だから話は、健康的に過ごせたホテル滞在中の「私として生きた」日々を描いている。
発端も、図書館で本を借りての帰路、つまずいて転ぶ。その鋪道の前に住む作家志望の青年メイヤー(ルパート・フレンド)に抱き起こされ、部屋で擦り傷の手当てを受けたことからふたりの偽孫、偽おばあちゃんとしての心の交流がはじまり、おたがいの家族の背景なども描かれもすれば、彼の恋愛も語られる。
近年、高齢者モノというカテゴリーで括れそうな作品を意識的に上映しているように思える岩波ホールだが、正直言って課題先行だなと思うような作品もあって本作もさほど期待しなかったが、違った。俄然、支持したい。   
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