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コロンビア映画『そして、ひと粒のひかり』 21世紀の処女懐胎の物語

コロンビア映画『そして、ひと粒のひかり』 21世紀の処女懐胎の物語
ジョシュア・マーストン監督
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 17歳……ラテンアメリカでは“成熟した10代”である。
 ほんの一部の富裕層の子弟を除けば、17歳の“大人”にも社会は容赦ない積荷を細い肩に乗せてくる。それに耐えられない者は冷酷に切り捨てられていゆくだろう。それが先住民共同体ともなれば“成熟”は15歳にもなり、時には13歳、12歳でも強いられるものだ。そんなラテン世界から嵩高い重量で着払いで送りつけられてきたのが本作である。北の観客は、受け取りにサインをし、支払うことが義務づけられている、と思って劇場に足を運ぶべきだ。
 コロンビアの首都ボゴタを取り囲む峡谷の狭間で息を潜めるように佇んでいる田舎町。その町の唯一の企業が輸出用の花卉を栽培する農園工場。その農園でバラの棘で指先を血で染めながら働く17歳の少女マリア。彼女の労働に、初老の母親と、薄情な男に見捨てられ乳幼児を抱えて失職中の姉の生活も掛かっていた。うんざりするが仕方がない。家にはマリアの父親が不在だが、その理由などいっさい触れない。ラテン社会では常態であって、いちいち詮索していたら切りないという態度だ。それこそリアリズム。
 マリアのおなかには、これまた頼りない恋人の子が心音を刻みはじめていた。避妊の充分な知識もないまま性の成熟を迎えてしまった少女たちが遭遇する“失敗”だが、この社会では悲劇には至らない。性の快楽を知ってしまった17歳の少女なら、その代償としての妊娠を従容と受け入れるものだ。しかし、現実の生活は待ったなしにマリアを急(せ)き立てる。
 偶然、米国へ麻薬を運ぶ、ミュール(運び屋)の仕事を知る。空っぽの胃袋に密度の濃い麻薬を極太の錠剤にして呑み込み米国に肉体もろとも“空輸”する仕事だ。近年では、日本でも空港で摘発されている。コロンビアから米国へのミュールの代金は5000ドル、邦貨で55万円と映画は語る。錠剤の包装が胃液で溶けたり、傷つけばミュール本人は確実に死ぬ。あるいは空港で摘発されれば、そのまま刑務所送りとなる。日本人はいうに及ばず北の人間なら誰だって、そんな金で命を投げ出す真似はしない。しかし、そんな「端た金」で生命の賭けに出る若者は後を絶たない。それが世界の現実である。ミュールの無惨は、筆者が暮らしたグァテマラやメキシコの新聞にも連日のように掲載されていた。それでも運び屋志望者の列は途切れない。北と南の圧倒的な貧富の格差がある限りつづく。
 マリアはバラを輸出用に包装する仕事に携わっていた。そのバラの行く着く先も米国。コロンビアは正規の外貨獲得手段として、まずコーヒーがある。ブラジルに次ぐ世界第2の生産国だ。バナナもある。熱帯高原の湿潤な土地で栽培される花卉の豊穣も捨てがたい。エメラルドもあれば、石油もある。それでもこの国の貧富の差は深すぎて埋まらない。この格差こそ、この国をして世界有数の麻薬生産・輸出国へ成長させた。
 米国に麻薬の巨大市場を開拓した組織はコロンビアの地下経済を牛耳り、国の政策すら左右させる。映画は、そうした経済構造を解き明かしたりはしない。ひたすらマリアの視線で地を這う虫瞰図式的に日常を切り取ってゆくのだ。
 マリアは62の特大の麻薬錠剤を胃に収め、3ヶ月の胎児もろとも米国入りに成功する。
 米国の税関で、「胃の中に麻薬があるはず」と難詰されながら、妊婦であるためレントゲン投射を免れる。5000ドルを手にしたマリアは観光ビザの失効を知りつつ“新世界”に埋れてゆく。
 強制送還されない限り、お腹の子は属地主義で米国籍が与えられる。コロンビアの貧困のなかに残るその子の頼りない父親は、マリアにビザの失効を覚悟させた啓示であるだろう。マリアの母なる意思こそ、21世紀の処女懐胎の物語のように思えてくる。     
    
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映画『ジャマイカ 楽園の真実』ステファニー・ブラック監督

映画『ジャマイカ 楽園の真実』ステファニー・ブラック監督
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 カリブ海のジャマイカといえば太陽の輝きだ。レゲェの発祥地である。ブルーマンティンの芳香、ラム酒の濃密……。それが外国人観光客が呼吸する西インド諸島の輝き。太陽の輝きが烈しければ、影はより濃いはずだ。その影に映画のカメラは焦点を合わせる。
 ジャマイカ北西部の観光都市モンテゴベイの空港に米国のノー天気な観光客の集団がざわざわと降り立つシーンからはじまる。
 モンテゴベイはほんとうに綺麗な港町だ。カリブ諸国で多くの港をみてきたが、そのなかでも飛びきりの美港だと思う。熱帯雨林が生い茂る細い半島が海を内陸に引き込み、天然の良港をつくった。港は、空、樹木、そして海と三つの自然美のなかに溶け込んでいる。その港からしばらく走ると、道はT字路になっていて、観光客を乗せたバスは左に折れてリゾートホテルに向かい、港湾ではたらくジャマイカ人の大半は右におれて市街地にむかう。
 客船や旅客機から吐き出される観光客は、ジャマイカ人にとってはモノ言うドルの札束に過ぎない。飛行機や船から吐き出されたモノ言う紙幣に過ぎない。しかし、彼ら観光客は善人である。家庭では良きパパでありママであるはずだ。実直に働く労働者であるだろし、その日常はけっして華やいだものではないだろう。だから、一年に一回、いや数年の一度のことかも知れないが、大枚はたいてカリブの太陽を愛(め)でにやってくる。しかし、その米国人のつかの間の、そして悪意のない放埓な行動は、本作のなかでぶざまな狂言回しを演じることになった。
 筆者も一度、モンテゴベイにスノッブな客船の船客として物見遊山な停泊行をしている。港からさほど遠くないところ、けれど観光客がけっして望見できない場所に関税特区があって、そのなかに外資の縫製工場がある。そこで働くジャマイカ人労働者たちは団結権もなければ、労働基準法の恩恵もなく、まったく無権利のまま劣悪な状況で働いている。経済特区はいま途上国のそこかしこにあるが、そこはかつて、そう中国・上海にあった「租界」のようなモノで、中国であって中国の施政権のおよばない植民地である。治外法権の地だ。それを知る者にはまことに居心地の悪い停泊行であった。湿度の濃い大気は、貧富の格差がもたらす瘴気(しょうき)を含んでいた。
 モンテゴベイの市街地は総じて軒低く貧しい。冷房の効いたスーパーマーケットに逃げ込み、そこで商品棚を眺めれば輸入品の小規模見本市であることを知る。熱帯性のフルーツや香辛料が詰まった缶詰さえ輸入品であったりする。それがこの国の矛盾、貧困の大きな理由である。
 「私の政治生活のなかでもっとも禍根を残すのは、国際通貨基金(IMF)から融資を受けたことだ」と映画のなかで語るのはマイケル・マンレイ前首相(故人)。レゲェの故ボブ・マーリィが支持した穏健な社会主義者である。
 独立以来、借金財政をつづけていたジャマイカはIMFが課す構造調整プログラムにしぶしぶ妥協し、融資を受けることができた。前首相は祖国の経済破綻を一時的に糊塗するため選択の余地なくIMFに従った。しかし、強いられたプログラムは外資の流入を促し、農産物の関税も強制的に撤廃され、同国の貧しい農民が生産する新鮮な農産物より、輸入作物の方が廉価になるという歪んだ現象が生まれた。それは経済規模の小さな農業国にとって壊滅的な事態を引き起こした。今日、同国の負債は45億ドル以上に及び、その元金を返すどころか金利を払うだけで精いっぱいの状況に陥った。そのため一般賃金は抑えられ、公共部門は人員削減を余儀なくされ社会福祉政策はとことん後退した。
 ジャマイカが舞台の映画だから必然、レゲェが流れる。しかし、それは憂鬱なものだ。ボブ・マーリィやピーター・トッシュが歌で訴えた矛盾、社会正義の希求はいまだ達成されていない。それどころか、「正義」も「希望」もはるか彼方の水平線に後退した。外国人観光客にとっては「楽園」だが、「楽園」を演出するために働くジャマイカ人たちの生活はあまりにも深刻だ。そうしたことが諄々と説かれる映画だ。
*余談だが、米国映画ではボブ・マーリィのレゲェが流れることが少ない。彼の社会的メッセージ性が毛嫌いされるのかも知れないし、いっかんしてレゲェに対して冷ややかだった米国のポップス界の性癖を反映しているのかも知れない。……主演作はたいていメガヒットするといわれるウィル・スミスの映画に、『アイ・アム・レジェンド』(2007年)があった。行き過ぎた遺伝子操作がもたらした汚染によって人類がほぼ死に絶えるようかという状況のなかで、独りぼっちの医学者役のスミスが免疫を求めて孤軍奮闘するストーリーだが、彼が空閑となった部屋のなかで慰安をもとめる音として登場してくる)。

 手前味噌になるが、拙著『南のポリティカ』で、「ジャマイカ現代史を生きたレゲェ」、「国際通貨基金は、合法的サラ金か」を収載してある。その二編はそのまま映画の解説に採用できる。是非、読んで欲しい。読みながら暗澹たるイメージ、IMFへの怒りが形象化できたら、それがこの映画のコアである。
 本作の原題は〈生活と負債〉。転じて、「ジャマイカ民衆とIMF」となる。IMFは米国の影響が突出して強い国際機関だ。つまり米国流のグローバリズムを途上国に浸透させる溶剤として機能している。自然とともにいきるジャマイカの賢者であるラスタたちはグローバリズムを「バビロン・システム」と語る。「悪徳のシステム」と。

中米コスタリカ 女子ボクシングの世界チャンピョン誕生

中米コスタリカ 女子ボクシングの世界チャンピョン誕生
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 中米のスポーツ界というとサッカーW杯に出場する実力を常時、蓄えているコスタリカと、大リーガーも出している野球国のニカラグアの断片的な情報、それにコアなボクシング・ファンがパナマから軽量級に世界チャンピオンが出ていて、ハングリーなボクサーが多いことが知られる程度だろう。
 そんな中米のコスタリカからウェルター級の女子チャンピオンが出た。
 コスタリカのカリブ沿岸出身のアフロ系のアナ・ガブリエル、27歳。ドレッド・ヘアーを綿バンドで結んだサウスポーのファイター。ガブリエルの勇姿はリングにあがるだけで絵になる。この国のサッカーもそうだがカリブ沿岸地帯に散在して住むアフロ系出身者に優秀な選手が多い。中米のなかではもっとも白人層の比率の高い国だが、ことスポーツ界に関してはアフロ系選手の活躍が目立つ。男性のボクサーもほとんどアフロ系で占められている。
 1月1日、隣国ニカラグアの首都マナグアで行われた世界ボクシング連盟( WBA)公認のタイトルマッチでアルゼンチンのガブリエラ・サパタ(26歳)を破って、コスタリカ史上初のボクシング世界チャンピオンとなった。昨5月、同国で初の大統領に就任したチンチージャ政権発足第1年目の快挙として同国では話題となっている。”女の時代“というわけだ。
 敗れたアルゼンチンのサパタも、これまでプロとして8試合、リングに立ち8戦全勝のつわもの。これを破ってのアナの勝利だから価値が高い。
 「多くの(コスタリカの)男たちが試みて実現できなかったことを、女が実現した」
 とコスタリカのマスコミは報じ、男どもの奮起を促す。次のサッカーW杯でコスタリカ男は頑張るしかないだろう。南アフリカ大会では、中米のホンジュラスの後塵を拝したサッカーだから。
 アナは試合後、コスタリカのテレビのインタビューに答えて次のように語った。
 「つらい試合だったけど、貴重な体験だった。これを糧に、私はこれからも前進する。いま、チャンピオンの座を守っていくことを考えている。コスタリカ人に喜びを与えるためにがんばっていくだけよ」
 2012年のロンドン・オリンピック大会以降、正式に競技種目として採用されることが決定している女子ボクシング。世界各地で本格的な選手育成がはじまっている。コスタリカをはじめとしてラテンアメリカ諸国から優秀な選手が出てくる可能性を、ガブリエル、サパタ戦が予感させる。

映画『ブローン・アパート』 シャロン・マグアイア監督

映画『ブローン・アパート』 シャロン・マグアイア監督
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 原作はオサマ・ビン=ラディンへの手紙という語り口で綴られたクリス・クリーヴの小説『息子を奪ったあなたへ』。
 ビン=ラディンの名があるように本作は混とんした今世紀初頭の世界に生きる人びとへ、〈愛〉が普遍性をもちうるなら、という愚直な命題を抱えて制作されているように思う。平凡な日常が政治的な力学、ないしは歪みのなかで一瞬にして壊れる。事件は一瞬だが、悲劇から生き残った者、あやうく免れたものを永遠にさいなむことがある。それは誰の身にも起きることだが、起きない可能性が高い、というかいなでの信仰を信じて生きるしかない。それが現代社会の皮層だろう。
 ロンドンが舞台。英国はサッカー国だ。そして、中東外交では米国と軌を一にして武装介入をつづけてきた国だ。イスラエル建国、パレスチナ問題ではその歴史の当初から血塗られた手をもつ国としての責任は免れない。そして、地球規模で植民地収奪をしてきた英国は、植民地の独立とともに移民、労働力としての移入を拒めなくなった。都市部は多民族多宗教化しイスラム原理主義のテロリストたちが地下活動しやすい環境ができた。
 主人公は“若い母親”(ミシェル・ウィリアムズ)。名前が与えられていない。いわゆるどこにでもいるような存在と設定される。そして、彼女の5歳の息子にも名前は与えられていない。けれどふたりを取りまく登場人物には名は与えられている。物語は、名を与えられていない母子を象徴する。いわば現代版「聖母子」像なのだ。
母子の愛の絆……という民族、国籍を超えた普遍性をキーワードがまずある。そのキーを基層として語りかけることによって、無差別性のテロを「政治」の垢にまみれない何故W、という素朴な視点から糾弾するともに、テロの温床となっている貧困、世界政治の矛盾まで指弾する。“若い母親”の日常語の世界で告発しようとしている。
 “若い母親”はその日、息子と夫をサッカー観戦に送り出した後、ゴシップ記事が専門という若い新聞記者ブラック(ユアン・マクレガー)と情事に耽る。そのベッドのそばにおかれたテレビから息子たちがいるスタジアムが映し出され、今まさにアーセル対チェルシー戦の中継が始まろうという刹那、テレビは爆音を発し、画像は途切れる。満員の観客とともにスタジアムは自爆テロで破壊されたのだ。
 アフガニスタン、イラク戦争に米国ともに戦闘部隊を派遣した主要国である英国はいつでもテロを受ける可能性がある。〈9・11〉の悲劇をみた英国人の既視感が、本作のような映画をつくりだすのだ。
 テロによって息子を失った“若い母親”の懊悩の日々がはじまる。情事のさなかに愛児を失うという禍根は癒しがたい。彼女に惹かれてしまい、悲劇を共有することになったブラックも、自分の職分を超えて、「なぜテロを未然に防げなかったのか?」と取材活動を開始する。その過程で自爆犯の家族を知る。そこにもうひとつの悲劇があった。
自爆犯の妻と、息子。“若い母親”は、その少年に成長したわが子の面影をみるように、自ら心のふれあいを求める。
 ブラックの取材で警察は、その日、どこかのスタジアムで自爆テロが行われるという予兆を把握していたことを知る。しかし、場所は特定できなかった。最善は試合をすべて中止にすることだが、予兆であって絶対ではない、という曖昧さのなかで警察は黙過し災厄を招く。誰も責められない状況。自爆犯を糾弾したところでなにも解決しない。彼にとっては“聖戦”であり、イスラム社会では“殉教者”だろう。いま、世界は価値紊乱の錯綜状態にある。けれど母子の愛情は普遍的な価値をもつものだ。それをキーワードとして〈平和〉と〈正義〉を模索するしかないのだ……と映画は問いかける。
 象徴的なシーンがある。“若い母親”は絶望のなかで投身し自死しようとする。その時、体内から突き上げてくる鼓動を聴く。生命の宿り。彼女を癒す子の芽生え。彼女は蘇生する。
 人間は愚行を繰り返しながらも、あたらしい生命をこの残酷な世界に生み落とし、また愚かな歴史をつくってゆく。そう、せざるえない人間の営み。いきがたい日々をわれわれは生きて行くしなかい。

ピアソラとフィギュア・スケート

ピアソラとフィギュア・スケート

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 台湾の台北市で行われた4大陸フィギュア・スケート選手権で、日本の高橋大輔選手がアストル・ピアソラの組曲「ブエノスアイレスの四季」のなかの「冬」で演技して優勝した。最近では、ヴィヴァルディの名作『四季』への20世紀の応答曲といった見方までされるようになったピアソラの代表曲のひとつだ。ヴィヴァルディのヴァイオリンが、そこではバンドネオンになるわけだが、キドン・クレーメルなどはヴァイオリンへの変奏で作品の解釈を広げている。
 ここ数年、フィギュアの世界でピアソラの曲が採用されることが多くなっている。いや筆者だけが気付かないことで、そういう傾向はずっとつづいているのかも知れない。テレビで実況されるファイナリストだけで、ピアソラが目立つくらいだから、予選段階でも多くの選手が試技曲として採用しているのか分からない。
おそらく、軽快な流動性をもつ「リベルタンゴ」や、カディンツァの部分で競技用に活かせる効用をもつ「アディオス・ノニーノ」あたりはもう定番ではないか。台北の大会でも、高橋選手の他に、米国の選手だったか、ピアソラの「ブエノスアイレスのマリア」で試技を終えた選手がいた。
タンゴ特有のリズムがフィギュアそのものにあっているはずだ。しかし、ピアソラの曲が採用されるのはタンゴのリズムが理由ではないだろう。タンゴなら昔から世界中で愛聴されていたし、名曲にも事欠かない。しかし、タンゴが目立つということはなかった。たぶん、ヨーヨー・マが「リベルタンゴ」などを名演してから、各国の選手が取り上げるようになったと思う。
ピアソラのタンゴには、たぐいまれな個性が宿っている。それは憂愁であり、悲哀の調べでもある。華やかなリズムの根底にはさまざまな感情が伏流している。そういう幾層にもかさなるピアソラ音楽がフィギュア競技に求められる芸術性へ貢献している、ということだろう。
 また、ピアソラの音楽を知らない観客、テレビの視聴者が、「あの魅力的な曲の題名は、作曲者は」とあらたなファンを作っていることもあるだろう。現にトリノ・オリンピックで優勝した荒川静香さんの演技曲「トゥーランドット」がプッチーニの歌劇の曲だとはじめて知った日本人はとても多かったと思う。なんでも荒川選手が金メダルを獲得した直後から着メロのダウンロード件数は異常なほど増えたということだ。
良い音楽の底力というものはカテゴリーを超えて影響し刺激しあうものだ。高橋選手の華麗なスケーティングを観戦しながら、そんなことをつらつら思った。

映画『あなたになら言える秘密のこと』イサベル・コイシェ監督

映画『あなたになら言える秘密のこと』イサベル・コイシェ監督
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 もし、そこが試写室でなければ、私はフェードアウトしたスクリーンが滲むに任せ涙を流しつづけていただろう。涙腺を緩ませる浅田次郎的なあざとい作法とは、まったく違う、心の底からわき出てくる良心の叫びに泣くことができる。愛の無垢を感じさせる。そこに性愛のよどみはみじんも感じられない。
 この広い世界には今日も、人間が人間であることの最低の尊厳を日々、機械的な作業として剥ぎ取られる犠牲者が存在する。若い女性なら〈性〉的な搾取の犠牲者となるだろう。自ら命を絶つこともできず、生きつづけなければいけないとしたら。彼女の日常、その心象光景とは。〈愛〉の欠けらさえ「神」の名によって捨てることを強いられた。そんな女性が日常生活を取り戻したとき、その心の再生は、おそらく〈愛〉の力によってしか復活できない。その奇跡的な〈愛〉の復活劇である。
 旧ユーゴの陰惨な内戦を描いた作品は銃弾が激しく飛び交う最中にも制作されていた。もともとユーゴは、ポーランドと並ぶ東欧の映画大国だった。製作本数ではなく、質の高さにおいて。ユーゴスラビアが煽られた民族主義によって砕け散る前、私たちは、例えばエミール・クストリッツァという監督の才能を愛していた。映画人たちはクロアチン人であろうが、セルビア人であろうとも民族主義のドグマに犯されることなく、普遍的なヒューマニズムの火を点しながら「内戦」の実相を直視し、歴史の証人になろうとしていた。
 旧ユーゴ以外の映画人がバルカンの内戦を描こうとした時、彼らの真摯な姿勢は安易な作品を撮ることを諌める指標となっていた。
 スペインの女性監督が撮った本作は、ハンナ(サラ・ポーリー)という若い女性の身に強いられた悲劇を通して、ユーゴ内戦だけでなく戦争の不条理を象徴化することに成功した。
 友だちもつくらず、趣味や遊びを楽しまず、単純作業を黙々とこなすハンナ。勤め先の工場とアパートの往復の毎日。それはまるで禁欲を絵にかいたような尼僧のような生活だった。自室の調度もいきるための最小限の日常雑器があるだけだ。そこにデザイン嗜好への傾きとかかわいいおしゃれといった贅沢はまったく排除されていた。
ある日、働きすぎを理由に工場長から無理やり一ヶ月の休暇を強制される。ハンナは長距離バスに乗って小旅行に出かける。どこでも良かった。生活の場にすぐ戻れる距離であれば。
 食事を摂りによった食堂で、海底油田を掘削する人工島で火事が発生したことを知る。そして、その人口島で、重傷を負った男を看護するナースを募集していることを知る。「自分は昔、看護婦だ」と名乗り出て人工島にヘリコプターで向う。無為な休暇より労働に埋没することによって、彼女は「過去」から逃避できるのだ。
 角膜も焼けて手術を待つ患者ジョセフ(ティム・ロビンス)の看護の日々が始まる。映像として退屈なシーンとなるが、時間の経過をしめす挿話を巧みに積み重ね、ハンナとジョセフのあいだに芽生える親愛感を造形してゆく。ジョセフは男の下心からハンナの気を引こうとしたのかも知れないが、身体の不自由、視界が遮られた男は〈心〉で語ることを強いられる。
 ジョゼフが手術のため島を離れる前夜、ハンナは〈あなたになら言える秘密のこと〉を話す。それはあまりにも陰惨な話だった。
 ハンナはユーゴ内戦を生きながらえたクロアチン人だった。ある日、友人と一緒にセリビア軍に囚われ、その日から強姦工場の生贄となることを強いられた。来る日も来る日も性処理の“道具”として生きることを強いられた。国連の監視兵たちも彼女を犯した、と告発される。内戦の暗部として記録されるものだが“工場”から生きて出られた女性の多くは故国を捨て西欧社会のどこかに消えた。ハンナもそんな犠牲者の一人だった。ハンナの沈黙を解くには、視線をふさがれたジョセフの心の目が必要であったかも知れない。そう思う。ハンナが自分の身に起こったことを話終えた時、ジョセフの手をとって肉体にくわえられた拷問の後をなぞらせた。そして、ハンナはジョセフの前から去った。
 角膜の再生手術に成功したジョセフは顔を知らないハンナを探す旅に出る……。そして、再会する……その掌の珠玉はここでは書かない。読者の感動をここで殺ぐ愚をおかしたくないからだ。

メキシコ・ロックとウッドストック

メキシコ・ロックとウッドストック

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 1月中旬から、映画『ウッドストックがやってくる!』(アン・リー監督)が東京地区で公開された後、全国公開となる。ウッドストックの影響は日本ではフジ・ロックなどに顕著にみられるわけだが、メキシコでは即時的な影響を受け、いわゆるロック・エスパニョール史のなかで特筆されることになる。
しかし、この国のロックは1968年、メキシコ・オリンピック直前に起きたメキシコ市中における血の弾圧「トラテロルコ事件」によって封殺され、まともな活動はできなくなるという自由社会ではまったく異例の歴史を刻んだ。
 映画『ウッドストック~』はメキシコでも公開され再び、メキシコの最初の野外ロックフェスとして社会史にも記載される「アバンダロ」が蘇生して語られている。
 ウッドストックは1969年、アバンダロは71年9月11~12日の2日間にわたって、メキシコ市郊外のブラボー渓谷のアバンダロ湖畔で開かれたので、その名がある。この野外フェスには延べ6万の入場者があったと記録されている。ウッドストックの影響を受けた海外のロックフェスとしてはもっとも早く準備され、かつ規模の大きなものとしてロック史に記載されてよいものだ。
このフェスに参加していまも現役で活動しているのはエル・トリのアレックス・ロラとそのメンバーだけだろう。ロック・メヒカーノの重鎮あると同時に、メキシコ・ポッスの生き字引だ。
 トラテロルコ、現在「三文化広場」として観光の名所になっている。高層の集合住宅に囲まれた広場でもある。ここで、いまだに犠牲者の数が判明しないほど大量虐殺がおこなわれたのだ。しかも、オリンピック取材のために同地を訪れていた内外のマスコミ陣が多数市中にあるときに起きた。それでもメキシコ政府は国際的な批判にさらされることはなく、オリンピック委員会も感知せずという態度で開会式を迎えた。現代なら考えられないことだが、実際にそういうことがあった。日本のマスコミ陣も多数、陣取っていたはずだが報道はされなかった。
 その事件の後、メキシコのロックは氷河期を迎える。
反体制的な音楽として自己規制され、ミュージシャンはゲリラ的に倉庫などでコンサートを開くというようにして生き残りをかけていた。しかし、ロックを氷付けにすることは時代に反することだった。事件の翌年に行われた国境の向こうのウッドストックは氷を溶かす媒介となった。そして事件から3年後、アバンダロが開催され、ここで名実ともにロックも豊潤なメキシコ大衆音楽の重要な構成要素になってゆく。身銭切って活動していたアレックス・ロラも参加した。
 ウッドストックは米国ではベトナム反戦などと結びついた“事件”として語られるが、内外に与えた影響も大きいのだ。メキシコは、その最大の受益国だったと思う。

映画『ウッドストックがやってくる』アン・リー監督

映画『ウッドストックがやってくる』アン・リー監督
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 雄弁な原作が映画を生んだ、という典型的な事例。そして、映画もまた優れたスタッフ、キャスト、それに資金力を得て雄弁かつディテールのこまやかな秀作を生んだ、という好例でもある。そして、筆者にはほどほどにセンチメンタルな気分を心地よく味わいながら、かつ歴史的イベントの推移を知ることができて大変、有益かつ興味深い映画だった。たぶん、この作品、米国現代史に執着して“連作”のように映画を撮りつづけているオリバー・ストーンがメガフォンを執りたかったのではないかと思った。
 それはともかく“世紀のイベント”といわれたウッドストックがこんなふうに実現したのか、という裏事情を知って、事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだと今更のように思った。
 発端はこうだった……と知った。
 ロシアのミンクスからユダヤ人迫害で追われ、米国へ逃避してきた母親を持つ青年エリオット(ディミトリ・マーティン)はニューヨークでデザイナーとしてそこそこ成功をし、収入も実力にみあったものを得ていた。しかし、その収入も両親がさびれた町で営むモーテルの赤字補てんのために湯水のごとく消えていった。そう、エリオットは親孝行なのだ。日本ではもう存在しないだろうと思われるような文化遺産的、親孝行。そして、その小さな町の小さな商工会の若き会長でもあった。
まじめな性格だから、会長氏として、なんとか地域を活性化し、住民を豊かにしたいと愚直に熟慮をつづける日々である。なにか妙案はないものかといつも頭を悩ましているが、そうそうみつかるものではない。
 そんなアル日、近在のウォールキルという町で野外ロックコンサートが予定されていたが、住民が得体のしれないピッピーたちが町を徘徊するのを嫌って、コンサートを拒否したという新聞記事を目にする。
 エリオットは、NYはグリニッジ・ヴィレッジで創作活動している。いわばピッピーの本場だ、保守的な住民はともかく、商工会々長氏として拒む理由にならない。……と即断即決、コンサート関係者にすぐ連絡し契約してしまう。商工会々長の独断専行。町民は反対するだろうが、現金収入が確実なものとわかれば協力するか黙認にするだろうと読む。まぁ、当たりだ。映画は、それから疾風怒濤のコンサート準備から後に「奇跡の3日間」といわれたイベント当日、そして後日談をテンポを崩さず、かつエリオットとのその両親の家族の視点を最後まで失わずに描く。いわゆる楽屋話だが、これがとてもよくできていた。
 貧しいが故に意固地、強欲になっている母ソニア(イメルダ・スタウントン)の悲哀、人生観、その夫で「生きるしかばね」と自嘲する穏やかな父ジェイク(ヘンリー・グッドマン)、そしてエリオットとのやりとりがユーモアかつ繊細に描き込まれている。みな好演だ。
 このエリオット家族にベトナム帰りのエリオットの幼馴染、会場となった牧場の経営者、コンサートの主催者たち……時代を濃厚に織り込みながら歴史的な証言ともなっているだけでなく、その巨大イベントに個々に関わった人たちに皆それぞれ熱いドラマがあったことを知った。
 ウッドストックにはドキュメント形式で撮られた映画があった。シネスコのスケールを三分割してステージと観客を同時に映すなどして、当時としては実験性も備えた映画だった。これは日本でもヒットした。映像資料としても雄弁で、1960年代を象徴するイベントとして世界中で、映画から象徴的なシーンが切り取られ、さまざまな場で繰り返し活用された。
 その巨大イベント実現の種の蒔いた人たちの多くは、じつに小さな動機から関わったことを知った。
 ウッドストックに確定する前、ウォールキルという町でコンサートの準備が進んでいた。そこにも実現のために奮闘努力した市井の人たちがいたはずだ。そのひとたちの努力はすべて無と化して記録されることなく消えた。歴史の綾というのは、そういうものだろう。 

最近の“アメリカの恋人”ルセロ

最近の“アメリカの恋人”ルセロ

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 1980~90年代のメキシコで、否スペイン語圏のカワイ子系アイドルとして一斉を風靡したルセロ姫もいま40代……。歌にテレノベラにと大活躍していた。ルイス・ミゲル少年との清純な初恋を描いた映画もあったな……。“アメリカの恋人”とはメキシコで作られた献呈辞ではあったけど、それぐらい人気があった。
 けれど90年代に入るとヒット狙いのポップスはほとんど歌わなくなり、メキシコの歌手特有の傾きだがマリアッチ楽団を率い、メキシコ牧童の盛装チャロできらびやかに着飾って定番のカンシオン・ランチェーラを朗誦したアルバム制作に力を注いで、イメージ・チェンジをはかった。そして、それはそれなりに成功し、結婚もし子にも恵まれた。けれど芸能活動は着実に持続させていた。
それは、ルセロ姫といわれた栄光の揺曳にふさわしい活動だった。
 最近、テレノベラ『ソイ・ツウ・ドゥエニャ』や『チスピタ』に出演、主題歌も歌い、ひさしぶりにポップス畑でのヒット曲に恵まれ、何かと話題になることが多くなってルセロの名をよく目にするようになった。慶賀の至りである。
 当然、マスコミ各社もにわかにルセロに追い、「今後、あなたはどのように活動されていくか?」といったよくある質問に答えて、「レディ・ガガでもなく、リベルタ・ラマルケでもない」と語って注目を。そう答えたルセロの真意は分からないが、対極的なイメージをもつ二人のアーティストを語って、私は私の道を行く、と宣言したのだろう。
 レディ・ガガは今をときめく米国のポップス歌手にしてダンサー、そしてスキャンダラス性もいとわない同性愛歌手として有名だが、リベルタ・ラマルケは歌う女優としてアルゼンチンのアイドルとなってから“エビータ”ことエバ・ペロンに目障り、と国外追放されメキシコにたどり着いてから、当時、メキシコに政治亡命していたルイス・ブニュエル監督に見出され女優として成功し、また歌手として再デビューを果たして成功した往年の大スターだ。逆境に耐えたけなげな歌手という印象は、そのままリベルタのセールス・ポイントになった。
 ルセロは、リベルタが母国の音楽としてタンゴを歌いつづけたようにランチェーラを歌いつづけた。しかし、歌の解釈に優れていても声の質はポップス向きでランチェーラのアノあざとい朗誦で聴衆を唸(うな)らせる声の野太さはない。結局のところ年を重ねるごとに役柄をかえてゆける女優業がもっともふさわしいのだろう。それを自分自身でも知り、それを直接話法で語るにはプライドが高いから、「レディ・ガガでもなく、リベルタ・ラマルケでもない」と語ったのだろう。
 いずれにしろルセロはいまもメキシコ芸能界の豊かな地層に滋養を与える現役の才能であることは間違いない。 (2010・12)

ラジオ体操から「みんなの体操」へ

ラジオ体操から「みんなの体操」へ

 10年前(1999)、国連の「国際高齢者年」というのがあった。筆者がメキシコに暮らしていた当時のことでよく覚えていない。ラテンアメリカで「高齢者問題」といえばキューバがひとり突出している。革命後、医療と教育制度が急速に進んで、その頃、ラテンアメリカで稀有な高齢化社会に突入していた。映画『ブエナビスタ・ソーシャルクラブ』のようにみんな達者な老人ばかりでない高齢者問題はやはりある。
 「国際高齢者年」のことを持ち出したのは、NHKが放映している「みんなの体操」が「高齢者年」に創作され、その年の10月から放映を開始したことを知ったからだ。
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「みんなの体操」の母体はラジオ体操だ。そのラジオ体操は、1990年代のはじめ筆者が中米グァテマラで暮らしはじめてからの“友”だった。東京の友人からNHKのラジオ体操第1、第2を録音したカセットテープを送ってもらった。早朝、太陽が輝きはじめる時間、借家の庭、熱帯高地のさわやかな大気のなかでイチ、二ィ、サン……と身体をほぐしてイジメ、柔軟にして健康な1日のはじまりとした。身体はおぼえているものだ。
 ラジオ体操……グァテマラはもとよりメキシコにもなく、地域医療の進んだキューバにもない。
 ホンの少しの掛け声と数でリズムを取っているだけだから、すぐで各国語に翻訳できる。ウノ、ドス、トレス……すぐできる。世界保健機構(WHO)あたりに掛け合っても良いではないか。
 友人から送ってもらったカセットテープは半年ほどで使いものにならなくなり、一時帰国のたびに幾度か録音しなおした。
 13年のラテンアメリカ暮らしを切り上げて日本社会に復帰した年の夏、ラジオ体操が近くの市民会館の庭で行なわれるというので子どもと行ってみたら、大人のほうが多かった。大人は子どもの保護者、そして高齢者の皆さん……。子どもたちは参加一回ごとにスタンプをもらうカードを持っていて、これは筆者の子どもの頃と変わらない。ただし、筆者の子ども時代は夏休みがはじまると同時に朝のラジオ体操がはじまり、夏休みが終わる前日までやっていたように思う。それがいまは夏休みの後半の10日間程度にしかやらないらしい。アリバイ証明のようなイベントだなと思った。中学生以上、青年たちの参加はほとんどいない。高齢者の奮闘が目立つ。
 そんな高齢者にむけにできたのが「みんなの体操」だ。
 いまの日本、ラジオ体操より「みんなの体操」の愛好者の方が多いのかも知れない。「みんな体操」の優れたところは立っても座っていてもできること。足腰の弱ったご老人は、テレビの前に座って上半身だけ動かせばよいようにできている。それも無理なく。あれだけで血行はよくなり内臓の働きは少しは活性化するのでは……脳も。筆者もやがて「みんなの体操」が似合うようになるのか……。  
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