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フェルメール、レンブラント、そして出島から「解体新書」へ

オランダは日本人の学問上の知的遺伝子
  フェルメール、レンブラント、そして出島から「解体新書」へ

 〈フェルメール〉と冠すれば、まずそのイベントは成功するのが日本のスノッブである。その『フェルメールとオランダ・フランドル絵画展』が小生の誕生日5月22日をもって東京展が終幕した。とほぼ同時期、現在も開催中の『レンブラント 光の探求/闇の誘惑』展があり、オランダ17世紀を代表する二大画家の展覧会が競演されたわけだ。
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フェルメール・ブームは映画『真珠の耳飾りの少女』のヒットで俄然、巷間に拡大したものだが、しかし、日本人は白樺派の昔からオランダの絵が好きなのだ。
 レンブラントは早くから紹介されてたし、贋作またはどこまでレンブラントの筆が入っているのかすこぶる疑わしいエルミタージュ美術館所蔵のレンブラント絵画展にも多くの(無批判な)鑑賞者を集めたことがある日本。しかし、なんといっても日本人好みのオランダ画家はゴッホであろう。
 小林秀雄の音楽論の代表作がモーツァルトなら、西洋絵画での単独批評はゴッホである。ベートーヴェンの「喜びの歌」をハミングしながら板を彫っていた棟方志功が目指したのも、「わたばゴッホ」であった。音楽ではほとんどみることのないオランダだが、こと美術における影響はあまりにも巨きい。
 フェルメールの絵でしばしば描かれる陽光射す西向きの窓、その向こうに広がっているはずの海、そのまたはるかな彼方、ユーラシア大陸から引きちぎられたように位置する日本に、オランダの絵は江戸時代から定着し、独自の絵画を生み出す。東北には「秋田蘭画」と称する一派まであらわれた。その蘭画は長崎出島から発した蘭学の支流である。
 そこで思うのだが、日本近代におけるアカデミズムをみるとき、オランダは日本にとって知的遺伝子ではなかったか、と思うのだ。そう据え置いてオランダ絵画好きな国民性をみてゆくと納得できるところもあるのではないか。新宿の高層ビルの最上階にある東郷青児美術館はゴッホの『ひまわり』を購入、展示してから集客率ははるかに高まったといわれる。
 東京駅前の八重洲。この地名はオランダ人の名から来ている。ヤン・ヨースチンで日本での通称は耶楊子。これが八重洲に転じた。
 ヤン・ヨースチンは航海士として来日する前、軍人として砲術の訓練を受けていた。一六〇〇年、関ヶ原の戦いに家康の要請で砲手として参戦。むろん、オランダは徳川への大筒砲の売り込むに成功していたのだ。関ヶ原に関する限り、徳川軍は日蘭連合軍であったわけだ。戦勝の報償で彼は江戸に屋敷を与られた。その場所がいまの八重洲なのだ。
 長崎の出島もそうだが日本にはオランダ縁りの地がたくさんある。それだけ日本の歴史に深甚な影響を与えた。
 ヤン・ヨースチンもフェルメールやレンブラントとおなじ17世紀人である。日本では狩野派が幕府御用達の画工として君臨する頃に、フェルメールやレンブラントは仕事をしていたわけだ。
 そういえば天草四郎の島原の乱でも、オランダ海軍は徳川幕府に加勢して「カトリック日本軍」の頭上に砲弾を撃ち込んでいる。プロテスタントのオランダからみれば島原の乱への参戦は、東アジアの端で戦われた「宗教戦争」のようなものだ。
 杉田玄白の『解体新書』のエピソードは日本人なら誰でも知る史実だが、オランダの医書『ターヘル・アナトミア』の実地検証の物語であった。日本の西洋医学史はそこから始まる。その原書が日本にあったのも江戸期に蘭学、オランダ語によるアカデミズムが根を張っていたからだ。出島を通して日本は西洋の学問を輸入できた。そういえばレンブラントにも肢体解剖用の検体を囲んだ医師ギルドの群像図があった。
 緒方洪庵の適塾は蘭学を基礎とした。ここから幕末から明治にかけて活躍する多くの才能が輩出する。その意味でもオランダという存在は近代日本の知性を磨いた研磨剤であった。オランダ語の基礎に継ぎ足すかたちで英語、仏語、独語への接近が試みられたのだ。筆者の専門分野からいえば、明治初期、中米グァテマラ入りし、たとえば米国で刊行されている南北アメリカ諸国の写真史の序章部で言及されているファン・ホセ・デ・ヘスス・ヤスは、現在の岩手県藤沢町で歴代、蘭方医であった家に生まれ、蘭学を学び医師となり、やがてオランダ語からフランス語を学び、スペイン語を学んでグァテマラに写真館を建てて成功した。日本名は屋須弘平である。
今回のレンブラント展も出島から送り出された和紙を使った約30点の版画が展覧されていた。同時代、狩野派、初期の浮世絵画家も使ったと思われる和紙をレンブラントも活用していたことを思うと、なんとなく歴史の芳醇を味わうような愉快な気持ちになる。
 フェルメールの『地理学者』にしても同時代、交易で黄金時代を築いていたオランダの時流、外航へ向かった気概を西日のなかで描いている作品である。その地理学者はオランダにあっては実益を優先することをためらわない実学の徒であったはずだ。その学者のモデル探しもあるようだが、〈彼〉の窓外をみる視線は、近い将来、その眼で外の世界をみようという意欲を表している。〈彼〉自身が出島まで来たかも知れない、と想像するのは楽しい。フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』から一編の小説が生まれたように、〈地理学者〉に出島まで旅させる冒険談が創作されても良いではないか。
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プルトニウムと企業倫理*映画『シルクウッド』

映画『シルクウッド』 マイケル・コリンズ監督
シルクウッド

 福島の原発事故は自然の猛威のまえに人智も空しい、とあらためて思い知らされる災厄である。
 3・11以来、幾度も「想定外」という言葉を聞かされた。言うも方便だ。自然災害は予知はできても予測できない。考えてもみよ、南太平洋洋上で発生した台風が北上し日本列島にさしかかるまで逐一、予報され上陸する。進路はほぼあっている。その進路予測の精度は高い。けれど毎年のように犠牲者を出している。進路は予測できても集中豪雨の場所の精査はまだ不可能だ。それができたとしても河川の状態はそのときどきで変化する。「想定外」の水害は繰り返される。「関東大震災」も想定外だったろうし、チリ津波もそうだった。
 人智が想定しうる範囲なんてたかが知れている。そう謙虚に自然と対峙すれば、おのずと人間の分に応じた科学の適用範囲が定まってくる。
 しかし、科学には虚栄という要素がある。元来、平和な世界の実現をめざして設けられたノーベル賞も科学者への名誉という虚栄が、さまざまな発見・改良、科学技術の飛躍的進歩をもたらしはするが、ダイナマイトの発明によって巨万の富を築いたイーベルの直系の弟子たちの発見・発明もまた戦争技術に適用されてゆく。ノーベル賞が設立されて以来、戦争はより規模を拡大し、殺戮技術は精度と規模を拡大した。医学の進歩は先進国の寿命を延ばした。しかし、飽食で肥満に悩む先進国もあるかと思えば、飢餓がひろがる南の途上国の矛盾を処方できないでいる。
 科学に「虚栄」という分子が入り込んでいるあいだは、科学の進歩がもたらす富の公平な分配などはけっして起こらないし、恒久的平和など臨み得ない。。
 3・11は、地球の意思として人間はいらない、と宣言されたようにも思った。人間には地球はかけがえのない存在だが、地球それ自体は人間など存在しなくても自律した活動をつづけて“天寿”を全うする。奢ってはいけない人間は……。地球は素晴らしい星だが、地球は人間を素晴らしい生き物だとは思っていない。

 人間が作ったモノはみな人間が操作することによってしか生きられない。その人間は絶えず誤りを犯す可能性を秘めた、じつにいい加減な存在である。おそらく危険きわまりない原発の運用にあたっては幾重ものセキュリティーが掛けられていたはずだ。それも「想定内」の事故を考慮してのことだろう。その「想定内」の基準が、利潤というキーワードで甘くなる。福島の原発事故が人災といわれるのはそこだ。
 伊達政宗の時代に仙台平野が津波で侵されたことは歴史的事実だった。東北太平洋沿岸への巨大津波は「想定内」のことだった。それを「想定外」として防潮堤をかさ上げしなかったのは経済効率を優先した“人災”に他ならない。
 映画『シルクウッド』(マイケル・コリンズ監督*1983)は、プルトニウム製造工場における企業の利潤優先の前に、いかに安全対策が後回しにされ、従業員を消費材としかみなしていないかを告発した作品だ。福島原発事故が終息しない現在、見ておく必要のある映画だと思う。スクリーン・デビューして間もない若々しいメリル・ストリーブが主演している。
 文学や映画は、すぐれて「想定外」の災害、パニック、事故を想定してリアリティのあるドラマを創造する表現手段だ。それは人間が経験から導き出した中間報告としての意味があり、人間の想像力の活性化を刺激するものでありつづける。
 原発モノ映画はドラマとしてこれまでも制作されてきた。いま、レンタルビデオ屋さんでは『チャイナ・シンドローム』(ジェームズ・ブリッジス監督*1979)の回転率が急激に上昇している。米国における最悪の原発事故となったスリーマイル島原発事故に触発されて制作された、その映画は公開当時、日本でも注目された。
 今回、紹介する『シルクウッド』は実際にあった米国の事件、その事件の当事者でいまだに他殺が疑われているプルトニウム製造工場の女性従業員カレン・シルクウッドを主人公にした映画だ。
 おそらく低予算で制作された映画でプルトニウム製造工場内のセットはお粗末。それでも映画がいわんとしていることは明らかだ。利潤追求のため厳密な検査もおこなわず不良品を出荷する企業、従業員への安全対策も十分な配慮がされていない。それを告発するため、シルクウッドは密かに調査し、N・Yタイムスの記者にコンタクトする。会って報道してもらうための実証的なデータを手渡すためにシルクウッドは車で向かう。その途中で不可解な死を遂げる。事故死をなっている。しかし、映画は、彼女の死を、企業の謀略で殺された、という立場だ。事故後、遺族は企業を告発し、裁判に持ち込まれた。企業は、シルクウッドが勤務中に放射能を浴びた事実を認めたが、事故への関与はむろん認めていない。しかし、事故にあった車のなかにあるはずの「報告書」が消えていた。
 シルクウッドの行動はどこか捨て身の公憤といった感じがある。考えてみれば、厳重ないい加減なものか、と思う。しかし、それは事実、起こったことなのだ。企業は非生産部門の安全面への投資を怠れば、そういうことになる。それは福島原発事故の「想定外」の被災とおなじ論理だ。それが取り返しのつかない事故になる。
 東電に顧問として天下りした通産省の役人たちが受け取った歴代の報酬総額は、じゅうぶん防潮堤を嵩上げし、安全対策にもそれなりの予算を計上することは可能だったはずだ。企業と政府の癒着が原発の安全面を損なった。“人災”側面、おおいにありとみたい。
 儲けを優先するとき、科学の誤謬の頻度は高くなるという真理を、人間はいまほど謙虚に学ぶべきだ。
 映画『シルクウッド』は公開時、都内でも単館封切りで大した話題にならなかった。B級アクション映画の主役を張っていたカート・ラッセルがはじめてシリアスな社会派映画に出演したことも話題になったはずだし、歌手のシェールが本格的に女優としてキャリアを築く一歩となった映画だった。監督もダスティ・ホフマンを一躍スターに押し上げた『卒業』の監督だったが、実際におきた事件そのものが日本で認知されていなかったため話題を集めることはできなかった。
 映画の公開にあわせて原作『カレン・シルクウッドの死』(リチャード・L・ラシキー著)も翻訳出版されたが初刷りで終わった(社会思想社刊)。映画ともに、発掘されたいルポルタージュだ。

バレエと映画 1 ナタリー・ポートマン主演映画『ブラック・スワン』と歴代のバレエ映画

ナタリー・ポートマン主演映画『ブラック・スワン』と歴代のバレエ映画
  ダーレン・アロノフスキー監督
    ・・・『愛と喝采の日々』、『赤い靴』
ブラック・スワン

 バレエ映画は大きなスクリーンで観たいものだが、仕事だ、大作もたいていマスコミ用の試写室で観ることになる。気になれば公開されてから映画館で観ることになるけど、意外とそうまでして再見したいと思うバレエ映画は少ない。結論からいえば、この映画を観にわざわざ映画館まで足を運ぶことはないだろう。
 で今年のアカデミー賞主演女優賞を獲ったナタリー・ポートマン主演の『ブラック・スワン』(ダーレン・アロノフスキー監督)は是いかにと期待して六本木の試写室に出かけたが、彼女の演技ばかりが突出して映画それ自体は大した作品ではない。主要部門に軒並みノミネートされながらオスカーを獲得したのがポートマンだけということで、それは証明されていよう。
 ポートマンの才能は確かに図抜けたところがある。地力としての演技力にくわえ、役に対する入れ込み、努力を惜しまない。日本的にいうとすこぶるつきの根性をもった女優さんだ。
 ときには、あふれる個性を抑え、突出するのを注意深く控え、凡庸に演技することもできるしたたかさも持っている。たとえば、制作すれば世界的ヒット間違いない『スター・ウォーズ』の「エピソード」シリーズ3作でアミダラ役を演じている。そこでは肩の力を抜いている。娯楽映画では映画会社の意図通りビジネスライクに演技して力演しない。いわば被雇用者の立場をわきまえいる。
 その反面、『宮廷画家ゴヤはみた』では魔女狩りに遇い宗教裁判にかけられる良家の子女役とか、『ブリーン家の姉妹』ではイングランド王家の相続を巡る係争のなかでしたたかに関わり権謀にも長けたアン役といったキャスティングには自ら能動的に役作りをして、独自の存在感を示す。そんな才能である。
 しかし、クラシック・バレエ界、なかんずくプリンシパルを描いた映画における主演女優ということでは、『赤い靴』や『愛と喝采の日々』といった名作を知るものにとっては、ポートマンが幾らがんばっているとはいえ、そこはバレエの素人、型だけ真似ても、みればすぐ化けの皮は剥がれる。バレエ映画は舞踊シーンが生命線なのだから、これはそれなりに訓練を積んだバレエに比重を置いた「女優」さんが演じた方がいいに決まっている。
 『シャル・ウイ・ダンス?』が成功したのはバレリーナの草刈民代さんの演技力があったからだ。ポートマンの演技力はさすがだがバレエはまったくなっていないし、だいたいシナリオに無理がある。
 人気バレエ団でながいことプリンシパルとして活躍していたバレリーナが肉体的な衰えを理由に引退させられる。そして、あたらしいプリンシパルの誕生だ。美貌に恵まれ、才能もあり技量も問題のないニナ(ナタリー・ポートマン)がその筆頭候補にあがるが、欠点もある。負けず嫌いのくせに神経症的に小心なのだ。よい子過ぎて羽目を外さなかった優等生タイプ。けれど、ステージでは女性の純血を象徴する白鳥と、反対に邪悪性を象徴する黒鳥を演じることになる。しかし、黒鳥役に難があると指摘された。ニナはそれに悩む。役を獲得したいから無我夢中で練習にも励むも、役になりきれないもどかしさに懊悩する。その過程で少々、精神分裂症気味になってしまうのだ。このあたりはサコティックな雰囲気になって、作り物にみえてくる。そして、バレエを少しでも知るものなら、この映画がむなしい作り物話として思えてくるだろう。
 つまり、ニナのように美貌に恵まれ才能もある若いバレリーナは世界には掃いて捨てるほど、とはいわないまでも、けっして少ない数ではない。そこから世界的な名声を獲得するのはほんのわずかな才能だけだ。美貌と才能、プラス努力型であり、度胸もあり、いかなる逆境にもめげない精神力の強さをもつ者だけがプリンシパルの座を獲得する。だから、ニナのように主役を獲得しながら、自信喪失といったふがいない精神力の持ち主では絶対にプリンシパルにはなれない。『白鳥の湖』でいうなら、目立つはするが所詮、群舞にすぎない「四羽の白鳥」の踊り役を獲得するのがせいぜいなのだ。
 したがって、ニナ役は映画的真実というもので、現実にはまずあり得ない話だ。しかし、そんな作り話も、俳優の力量で魅せてしまう。それがナタリー・ポートマンという女優なのだ。
 ニナの敵役となるリリーを演じたミラ・クニス、舞台監督ルロイを演じたフランスの俳優ヴァンサン・カッセル……この3人の才能でもっている作品だ。ナタリーはイスラエル出身、ミラはウクライナ、そしてカッセルはフランスの人気俳優。ハリウッドのすごさは世界中から才能を集める吸引力だが、その成果が見事にあらわれた映画としては特筆されるだろうし、記憶に遺されるだろう。
 愛と喝采の日々
 そして、『ブラック・スワン』をみた若いファンは、レンタル屋さんで『愛と喝采の日々』(ハーバード・ロス監督*1977)を借りてみて欲しい。私のいわんとしていることが了解できるだろう。
 シャーリン・マクレーンとアン・ヴァンクラフトの火花を散らす演技もさることながら、プリンシパルへの道を駆け上がっていく少女を演じたレスリー・ブラウンの演技力とバレエそのものの実力も見応えある。くわえてソ連から亡命後、初の劇映画主演となったミハイル・バリシニコフのバレエは当然としても、並みいる名優を前にした演技も遜色なかった。草刈さん並みに。
 バリシニコフはこの映画の成功によって、次作でタップダンスの名手グレゴリー・ハインズと組んでバレエも魅せれば、アクション・スター並みの活躍をする映画『ホワイト・ナイツ』(テイラー・ハックフォード監督*1985)に主演する。反ソ臭が強く、バリシニコフの亡命を肯定する姿勢で撮られている作品だった。
 しかし、ソ連(ロシア)のバレエ界はバリシニコフというスターを失ってもすぐ次世代が誕生するほど土壌は豊かだ。われわれはバリシニコフの後、ウズベキスタン出身のルジマトフを認めることになる。『愛と喝采の日々』でバリシニコフと踊り、ベッドシーンまで演じたレスリー・ブラウンはその後は恵まれなかった。
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 『ブラック・スワン』にしても、『愛と喝采の日々』にしても、そこで演じられるバレエそのものは古典である。バレエが映像という手段のなかで、また別の表現方法がある、という明確なビジョンをもって制作されたのが、『赤い靴』(マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー共同監督*1948)である。
 映画という表現手段がなし得る編集による時間処理、詐術、トリミングなどを使って、映画でならではの表現を見事に実現している。この映画もまたプリンシパルの新旧交替がテーマだが、その新人プリマ役を演じたモイア・シアラーのバレエ・テクニックとドラマの部分での演技力も素晴らしいのだ。という意味ではクラシック・カテゴリーのなかでは、もっともすぐれたバレエ映画だと思う。『白鳥の湖』『コッペリア』『ジゼル』など古典のエッセンスもきちんと魅せるサービス精神も嬉しい。バレエそのものを新しく魅せるということでは、『ブラック・スワン』や『愛と喝采の日々』より優れているのだ。
 そして、どうしてそういうことになったのかと、マーティン・スコセッシ監督がオリジナル・ネガを処理・復元したデジタルマスター版を数日前、試写でみて納得した。そこにはニジンスキーやストラビンスキー、ピカソやココ・シャネルの才能まで取り込んだディアギレフのロシア・バレエ団(バレエ・リュス)の深甚なる影響下で撮られ、その実験性の直系であろうとする意気込みのような熱気がそこにあるのだった。いや、ニジンスキーの模倣ともいえる創作まである。そのバレエ・リュスのエキスは映画では、『ブラック・スワン』の方へは流れず、『ウエストサイド物語』の方へ流れたのではないかとさえ思える。古典でも魅せれば新作物にも意欲的なニューヨーク・シティ・バレエの十八番のひとつが『ウエストサイド物語』であることを思い出す。このバレエ団の創立にかかわったのがバレエ・リュスの振付師だったグルジア人のバラシンであったことを思い出す。
 古典から離れていえば、『ウエストサイド物語』の時代の不良たちはやがてNYサルサの創造に関わり、育み、やがてダンス音楽はラテン・ティストが主流になってゆく。 

ブラジルの映像の鬼才グラウベル・ローシャの回顧

ブラジルの映像の鬼才グラウベル・ローシャの回顧
 ~日本未公開3作を含め代表作5作を上映
アントニオ・ダス・モンテス

 手元に2006年に邦訳刊行された『ニュー・ブラジル・シネマ』という充実したテキストがある。「知られざるブラジル映画の全貌」とサブタイトルが付いている。
ブラジルの日刊紙『フォリャ・デ・サンパウロ』で映画・文化批評を担当するルシア・ナジブの編集で、17人の識者がブラジル映画のさまざまな側面を多角的に分析している本だ。ブラジル以外からの寄稿も目立ち、小津安二郎や黒沢明映画の研究者として知られる米国のドナルド・リッチーも序文を寄せている。現在のところ軍政以降のブラジル映画の動き、映画を通して同国の表現活動をうかがうには最良の資料だろう。
 この本のなかでグラウベル・ローシャの仕事が随所で言及されるか、参考として頻繁に敷衍されている。
 「ニュー」のカテゴリーから、ローシャの映画はすでに外れる。しかし、彼の創作活動の影響はいまもブラジル映画界に深甚な影響を与えていることは、本書のなかでの言及の多さ、その頻出度そのものに象徴されている。
 たとえば現代の映画監督、チェ・ゲバラの青春時代の南米旅行を描いた『モーターサイクル・ダイヤリーズ』を撮ったウォルター・サレスや、フランス映画の古典『黒いオルフェ』をブラジル映画人の意地としてリメイクしてみせた『オルフェ』の監督カルロス・ディエゲスと匹敵するほど、ローシャの人と仕事が語られる。
 しかし、30年前に没したということもあり、活動期が軍事独裁下であったという政治の壁もあって、ローシャの全貌はいまだうかがい知れない密林の奥に潜む野獣のように、日本ではなかなか見えにくいものだった。
 長編の処女作『バラベント』(1962年)と、中期の代表作『狂乱の大地』、そして遺作『大地の時代』(1980年)すら公開されていなかったのだ。
 日本の映画ファンにとって“幻の映画”であったこの3本がこの6月、すでに日本でも公開されている名作、というより怪作という言い方のほうが良く似合う『黒い神と白い悪魔』(1964)、『アントニオ・ダス・モルテス』(1969)とともに公開されることになった。
 ローシャ監督の長編劇映画は全部で10本だから、その半数の公開となる。個人的には中米パナマで撮られた(?)『クラロ』(1975)や、イタリアの資金でキューバ映画人とも共同して撮られたドキュメント『ブラジルの歴史』などにも興味があることを書いておきたい。
 今回、公開される映画をみて、今更にローシャの世界の唯一無二、その個性の強さ、わが王道を席巻するという前傾果敢なゲリラ的姿勢、静寂と騒乱と、聖性と狂気、混沌と秩序・・相反するイメージがゴチック化される。政治性がファンタジックされるとしたら、このようなイメージだろうか? 船酔いの酩酊だ。しかし、酔いはするが、ローシャの映画には冷たい批評性にも満ちていることも知る。強い歯と唾液で咀嚼せよと強いてくる難物でもある。それは豊潤な大地に抜きがたく存在する第三世界としての絶対な貧困があり無知がうごめいている。社会矛盾は常態で混とんし、狂気と聖性はコインの裏表のように存在し、生と死は混然いったいとなってスクリーンに充填されているからだ。
 その狂気はたとえばスペインで反カトリシズムの姿勢を明確にした後、フランコ体制の祖国を出てメキシコで仕事をしたルイス・ブリュエルのシニカルさと似ているかも知れない。イタリアのパゾリーニの狂気はコミニストとして上層階級を揺さぶる姿勢があったが、ローシャは映画を観る貧しい同胞の胸底にひそむ無政府主義的な心情を揺るがそうとしているようにも思う。
 はじめてみる長編第一作『バラベント』には感心した。
 感心というより好みの映像美といったほうが正確なのかも知れない。スタンダード、モノクロームというスケールのなかで紐解かれるのは映像詩といってよい。ラテンアメリカの映画に少しでも関心をもつ人なら誰でも、メキシコ映画『真珠』のことを想い出すだろう。1947年、大戦後のメキシコ映画黄金時代の象徴のような作品だが、米国作家スタインベックの原作をエミリオ・フェルナンデス監督が、撮影の名匠ガブリエル・フィゲロアと共同して制作した貧しい漁民の叙事詩であった。台詞を限界までそぎ落とした映像詩だった。『真珠』は世界的に評価され、日本で公開された最初のメキシコ映画にもなった。
 ローシャ監督も当然、『真珠』を観ている。そして、その処女作としてバイーア地方の貧しいアフロ系漁民たちの住む村で、当時としては絵になるエキゾシズムとして扱われていたはずのカンドンブレの祭儀の様子を取り込みながら、社会矛盾、都市と僻地を対比させ、映像を通じて貧困に目を向けた。『真珠』より社会性が濃いところはローシャの姿勢だろう。その姿勢は日本でも新藤兼人監督が瀬戸内の地味の痩せた島に住む農民たちの日常を台詞なしで撮った映像詩『裸の島』(1960)に似ている。『真珠』の影響下にある作品だ。
 バラベント
『バラベント』は瑞々しい映画だ。そこには後年、意識的操作されている混沌さはない。しかし、ローシャのブラジル社会を底辺から這うように見つめ批評する精神の揺籃は『バラベント』に明確にみてとれる。
 ローシャ監督の才能を瞠目させた『黒い神と悪魔』、その続編となる『アントニオ・ダス・モルテス』はともに民衆の抵抗と挫折の物語だ。その物語をブラジルの現実から距離をとって架空の国エルドラドを想定し、政治的な「主義」いっさい止揚(懐かしい言葉だ)し、否定に否定を重ねていくようなデスペレートとも思えるアナキーな語り口で翻弄される映画『狂乱の大地』をつづけてみていくと、思索の秩序、取捨選択されながら思考をめぐらす回路そのものが破壊されるような自虐的ともいえる思いに沈む。そうしたことも狙いなのだろう。
 ローシャ監督はスクリーンを通して思考の再構築、世界の見方の改変、ブラジル人には権威の破壊といったことを志向させようとしたはずだ。
 『狂乱の大地』は公開当時、ブラジル国会で問題作として論じられたそうだ。当然である。政治の言葉で政治を否定し、それを連綿と繰り返し交錯させ、混沌の壁のなかに政治を塗り込めることによってローシャ監督は既成の「政治」を遊弋させ離脱させつつ、観客を刺激するのだ。映画が興行によってしか収入を得られない以上、ビジネスとしてスクリーンに映しだされないといけない。上映禁止では元も子もない。ローシャは政治を政治の言葉で破壊を重ねることによって目くらましする。言論統制下にいきる民衆、社会矛盾の汚濁に住む民衆は言葉に鋭敏だ。だから、ローシャは民衆の感性を信じつつスクリーンを混濁させる。迷路も楽しめといなおるとき映像はバロックになる。だから、ブラジルといわず、架空の国という設定が必要だったのだろう。しかし、軍事独裁下でのブラジルでは危険きわまりない思想が内在していた。
 ローシャ監督の仕事はほとんど軍政下のブラジルで行われていた、とは前述した。当然、表現には銃で封殺されないよう慎重な配慮が必要だった。絶えず緊張を強いられるなかでの活動は激しい精神と肉体の消耗を招いただろう。43歳というあまりにも早い死は、そうした時代の限界性のなかで、たえざる試練の日々が影響したと思う。ローシャの死から軍政はまだ4年つづいた。   
*6月18日から東京・渋谷のユーロスペースで公開。

映画『ありがとう』 万田邦敏監督  阪神大震災の被災者家族の物語

映画『ありがとう』 万田邦敏監督  阪神大震災の被災者家族の物語
ありがとう

 先ごろ亡くなられた元キャンディーズの田中好子さんが二女のお母さん役を好演している作品。田中さんは東日本大震災の被災者のことを気づかるメッセージを病床で録音して亡くなられたが、その田中さんがアイドルから降り、女優としての位置を固めた最初の映画がヒロシマの原爆後遺症で夭折する女性を演じた『黒い雨』だった。そして、阪神淡路大震災で被災した家族の母親役も演じていることを思うと、この女優さんは地震、そして核災害が現実のものとなった東日本大震災の直後に亡くなられたことが偶然とは思えない、なにかの因縁を感じる。
 しかし、『ありがとう』は田中さんの好演は良いし、冒頭の被災する神戸の様子、火事、瓦礫の街などの描写はCGを駆使しての映像表現などひじょうに良くできているが、ドラマの部分はいまひとつ。神戸・長田区で写真屋を営みながら地域の消防団員として地域に密着して暮らしていた実在の古市忠夫(赤井秀和)とその家族、地域が被災する。そして、古市は商店街の再生に先頭にたって活躍するかたわら、還暦を前にプロゴルファーを目指す、その奮闘努力の日々が縦軸だが、プロゴルファーを目指す個人的な思いと、町の再生事業とがうまく切り結んでは描き切れていない。じっさいの古市さんの話の方がよりドラマチックであろう、と思わしてしまうのはシナリオにいまひとつ工夫が足りないからだ。素材のおもしろさ、ユニークに映画は応えていないと思った。田中さんの追悼の意味をこめて紹介。

書評 広河隆一『沈黙の未来  ~旧ソ連「核の大地」を行く』

書評 広河隆一『沈黙の未来  ~旧ソ連「核の大地」を行く』
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 地震は人間の力ではどうしようもない天災ではあるけれど、原発事故は人災である。東電や国は“想定外”の地震・津波を予測しきれなかったと弁明した。しかし、過去、おなじような規模の津波が東北沿岸地帯を襲ったことは過去のデータで実証されている。伊達政宗の時代に仙台近辺の沿岸が津波で襲われ、その教訓をいかして江戸へ通じる街道が整備され、今回の津波では、その街道の手前までしか津波はこなかった。先人の教えが活きた。つまり、福島浜通でも今回のような大津波はじゅうぶん予測できた。虚心に歴史を学べば、それに基づいて防災計画ができたはずだ。原発の立地候補地として選定事業をはじめたとき、歴史資料も検証されなかったとすれば、それ自体が“人災”である。
 本書はチェルノブイリ原発事故の災厄と、冷戦時代、核兵器開発の拠点として政府の厳重な管理下に置かれ、外国人が近づくこともできなかったウラル地方チェリャビンスクで起きた核爆発の現場を取材したものだ。ふたつの事故現場の取材を通じて告発されるのは、ともにさまざまな“人災”である。
著者は社会派のフォトジャーナリストとしてパレスチナ問題の追究で地道な成果をあげてきた人。その広河が繰り返し取材してきた中間報告として提出した記録だ。
病床の子どもたちは自分の耐えがたい痛苦の原因を語るすべはない。だから広河は親や医師、看護婦、さらに人権団体の職員などにインタビューを通して子どもたちの声を代弁する。あくまで被災児童が主人公である。
 取材するなかでさまざまな政治の弊害、加害責任まで問われてゆく。
 原発が人間にコントロールされることが前提で開発・設計されたものなら、いったん事故が起きた場合の措置も人間が処理することになる。しかし、原発でいったん事故がおきれば、その時の天候次第で被害地域は変動してしまう。ひとはその天候を基本的に制御できない。地震が制御できないのとおなじだ。
 本書には恐ろしい話がたくさん語られている。放射能を含んだ大気が風向きでモスクワ方面に流れることを防ぐためクレムリンは人口雨を降らせ、そのためベラルーシの汚染が拡大した、というようなまことしやかな話。事実は壮絶である。広河は幾度も同じ地域を繰り返し取材しているが、広大な汚染地域からみればほんの一部に過ぎない。それでも核事故の被害というものの底なしの怖さを抑えた文章で綴っていく。私観をできるだけ避けるために現地の人たちの証言に多くを語らせている。そこで浮かび上がってくるのは、被曝した被害者の生命すらも科学データとして扱い、治療を怠ることによって被曝による人体への損傷状況をデータしているのではないかと疑われる事象なども書き込まれている。軍事優先下で核事故を隠蔽するために放置されたちるチェリャビンスク被爆者たちの悲劇……。
 ウラル地方の巨大核事故の事実は、ソ連邦崩壊前から米国をはじめ西側諸国もその実態を知っていた。しかし、自国の核兵器開発を推進するための世論操作として、それを公にすることはなかった。しかし、西側へ亡命したソ連の科学者が『ウラルの核惨事』と本を書き、それは日本でも翻訳された。だが、それを検証するため冷戦下では取材はいっさいできなかった。広河はソ連邦解体後に、ロシア当局と粘り強く交渉して取材に入った。その報告が本書の第一部であり、チェルノブイリ関係の取材は第2部に収録されている。

原発事故をテーマにした社会派青春映画『みえない雲』

映画『みえない雲』(2006年)  グレゴール・シュニッルラー監督
 
みえない雲

 原発事故をテーマにした社会派青春映画。
 原作はドイツでベストセラーになったヤングアダルト小説のようだが、〈反核〉という社会的メッセージが色濃くこめられているらしく、映像にもそれがいかんなく反映されているようだ。
 邦題の「みえない雲」とは、放射能汚染が「みえない」害毒として立ち現れるという意味をこめられたようだ。現在の福島第一原発事故を体験している日本人には納得がいくし、汚染地から避難を強いられ困難な生活を送っている福島県民にとっては邪悪な存在そのものの〈みえない雲〉だろう。原題は、より象徴的に「雲」。
 映画は、いわゆる〈反核〉をテーマにした作品にみられる正義ぶりもないし、といって娯楽に傾斜したパニック性もない。中庸という感じがいい。少年と少女の悲恋という太い立て筋で貫かれ、原発事故は愛を究極的に阻害する災厄として象徴される。おそらく何時起きるか分からない原発事故は、悲恋というロマンチシズムと協奏させるにはすこぶる好都合な設定であるはずだ。
 けれど原発事故のリアリティーが欠如していれば、その愛の物語の浮き上がる。その意味でも原発事故の突発性、日常生活がふいに断ち切られる惨劇、そして被災者を苦しめてゆく放射能障害、さらには今回、福島からの避難者が強いられた差別、「放射能は移る」と忌避された転校生に対するいじめにも似たエピソードも紹介される。その意味でもよくできた映画だ。
 しかし、この映画は公開からさほど歳月が経っていないのにも関わらず埋もれてしまった。だから、ここで紹介しておこうと思った。
 戦後日本の映画のなかで一連のヒロシマ・ナガサキ物が繰り返し制作されてきたが、最近はめっきり減った。それは社会の反映だろう。チェルノブイリ原発事故から25年が経ってしまった。しかし、チェルノブイリ原発の事故炉が廃炉になってもまだ放射能をだしつづけ厳重な管理下におかれている。
 チェルノブイリ映画も何本か制作されたが、今日ではみな忘れられた。最近、早すぎる死を迎えた元キャンディースの田中好子さんが女優として最初の評価をえたのは井伏鱒二原作の映画『黒い雨』のなかで被爆の後遺症で夭折するヒロインを演じてのことだった。亡くなられた田中さんの追悼の意味もあったのだろう、キャンディース時代の映像を収めたDVDが良く売れているようだ。けれど、おなじDVDなら彼女は『黒い雨』(1989年)を観てほしいはずだ。病床の苦しい床で録音された彼女の最後のメッセージのなかには、東日本大震災の被災者を思いやる気持ちがこめられていた。その意味でも、「黒い雨」をみることこそ、遺志にそうことではないのか。
 『みえない雲』で造血障害に犯された少女の姿は、「黒い雨」のなかで田中さんが演じた「姪」の姿と重なる。吉永小百合と浜田光夫の日活青春路線花盛りの時代に制作された映画『愛と死の記録』(1966年)も想い出される。被爆者の青年(浜田光夫)の早すぎる死を追った少女(吉永小百合)を描いた。
 『みえない雲』との邦題だが、映画には放射能汚染された大気を運ぶ黒雲がCGを使って視覚化されているので、「みえる雲」だ。その雲に追われるように避難する群衆、先を争う醜い人の我欲、無人となった町や村の荒廃、雨……そのあたりもよく描かれている。
 青春恋愛映画の枠組みのなかで精いっぱい反核的立場が貫かれている。
 福島原発事故の後、ヨーロッパ各地で反原発行動が起こった。もっとも大きなうねりとなっていたのがドイツだったが、街頭に立った人たちの反核への思いに、この映画もそれなりの役割を果たしたのではないか。いまだ終息のめども立っていない福島原発事故のことを想うとき、この映画は事前に観て学習しておくべき作品ではないかと思う。現在、避難している福島浜通り地方の人たちにはつらい映像かも知れないが、これがこの時代の現実であることは認識されるべきだと思う。   2011年5月5日記

映画『マーラー 君に捧げるアダージョ』 パーシー・アドロン監督

映画『マーラー 君に捧げるアダージョ』 パーシー・アドロン監督
マーラー

 芸術家の創造活動に大きな影響を与えた女性をミューズという。美の女神である。生身の女にとって最高の献辞だが、当の彼女たちはむろん〈神〉とは思っていない。卑小な存在だと思っている場合すらある。自分の欠点をよく理解している女ほど愛されるものだ。だから、本人たちはそれなりの悩みもあれば、神域には遠い俗臭もある。野心もあれば欲望もある。共通点は美貌に恵まれたこと。だから、人間味豊かなドラマを演じて耳目を誘う。
 本作のタイトルは19世紀末から20世紀初頭に掛けて活動した作曲家であり革新的な指揮者であったグスタフ・マーラーの名をあげるが、内容は彼のミューズであったアルマの〈愛〉についての考察だと言ってよい。
 アルマの生涯は85年である。その間、幾度か苗字を替えている。恋多き女だともいえるし、それだけ男たちに求められた。アルマがマーラーと暮らしたのは9年に過ぎない。他の男たちと暮した歳月と比べても長いわけではない。しかし、アルマの初婚者であり、彼女自身がもっとも美しかった20代をマーラーがほぼ独占したという意味において、アルマはマーラー夫人として歴史に刻まれた。その蜜月の季節に、稀代の作曲家は次つぎと野心的な大曲を書いたという意味においても、マーラーの伴侶として光輝を保つ。
 映画は、そのアルマ(バーバラ・ロマーナー)が若い恋人で建築家のグロピウスとの情事に耽っていることにマーラー(ヨハネス・ジルバーシュウナイダー)は悩み、性心理学者フロイトの治療を受け、その問診に応えるという形でふたりのなれそめから破局的な生活を映像で紐解いていく。
 映画の冒頭で、「起こったことは歴史的事実、しかし、そこに至る原因は創作」と、あらかじめお話ですよ、と釘を指しての物語となる。「お話」も丁重に語られると写実と思いたくなる。それが、この種の映画の巧妙な手口である。巧妙なほど観る者はのせられてしまう。
 アルマの浮気相手が若き日のグロピウスと書いたが、彼もまた20世紀の建築史において多大な影響力を残した才能だ。バウハウスの創立者である。彼女を取り巻く男たちの才能は半端ではない。その意味でもアルマは特異な存在だ。彼女自身、作曲を手がけ3冊の歌曲集を遺すが、もとよりマーラーの宇宙的な拡がりに比べれば極小。はっきり言って取るに足りない作品だ。それより様ざまな分野で一家をなした才能と寄り添い、大きな仕事を成さしめた女性として真にミューズなのだ。
 しかし、神ならぬ人間であるミューズにはさまざまな葛藤がある。人知れぬ悩みもあれば、邪心も隠している。映画はアルマを一個の人間、女として虫瞰図式的に描く。だから、バーバラ=アルマは人間臭いし、生活臭もある。
 “女神”も結婚し、妻という座に座れば、家計を切盛りし、母となり育児に追われ、身なりなどかまっていられないと逞しくもなるだろう。目に隈もできれば肌も荒れる。それが生活の真実だろう。そうアルマの日常を美化せず描いた作品でもある。
 マーラーの膨大な作品群のなかで、もっとも良く知られる交響曲第5番のアダージョはアルマとの愛から生まれたと映画は示唆する。これも映画的“真実”であって、音楽史家はそうはみていない。そういう作為はあちこちにある。それでも、この映画が説得力を持つのは、マーラーという疑いのようのない天才もまた、日常生活のレベルにおいては俗世にまみれた男だと描いていて少しも美化していないからだ。
 これまで音楽史上で特筆すべき才能、“楽聖”扱いされてきた作曲家たち、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、シューマン、ワーグナー、そしてチャイコフスキーらが天上から引きずり下ろされ、苦悩の皺を刻むことをスクリーンで強いられた。この系譜にマーラーも加わった。
 マーラーが50歳で死去した後、アルマはその後、53年を生き抜く。そのあいだに2人の男性の妻となっている。しかし、彼女がもっとも美しかった青春はマーラーに捧げられた。二人の愛の物語はこれからも繰り返し描かれてゆくのだろう。   

2007 「国際民俗芸能フェスティバル」 オホーツクの両岸の芸能

2007 「国際民俗芸能フェスティバル」 オホーツクの両岸の芸能
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 昨年(2006年)4月、ユネスコにおいて「無形文化遺産の保護に関する条約」が発効した。世界各地で継承される無形の文化遺産の重要性を認識し、国際的な協力の下での保護を訴えたものだ。日本は同条約の舵取り役を担う政府間委員会の主要メンバーとなっている。その主導国の責務としても毎年2月、開催される「国際民俗芸能フェスティバル」は充実させていかねばならない。そして、今年もそのプログラムそは充実したものだった。
 第1部はオホーツク海を挟んで同族が暮らす北方民族の芸能。北海道の帯広カムイトウウポポ保存会による「アイヌ古式舞踏」から熊送り、弓の舞、鶴の舞などが披露された。 無文字文化のアイヌ族にとって自然災害を後世への知恵として語り継がせる方法に歌と踊りがあった。パッタキウポポ(バッタ踊り)などがそれにあたり興味深かった。虫害の教え教訓の伝承ということだろう。
 いつも思うのだが、北海道のアイヌ族はどうして楽器を発達させなかったのだろうか、という疑問である。簡単な打楽器の活用すら峻拒しているような芸能の世界は珍しい。その辺りは民族の心性を推察する大きなテーマだろう。アイヌ史の研究書では叙事詩「ユーカラ」、そして独自の意匠で知られる木綿衣アッツシの豊かな刺繍などを除くと、その文化は豊富とはいえないとする見方が通説のようだ。舞踊にしても高度なテクニックを求めてはいないし、打楽器の欠如はリズムの平板さを招いている。でも、そうした非技量的な段階で充足していたという事実をもって民族の文化度を貶めるものではなく、それはそれでは民族の心性としては尊重されなければいけない。
 対比的に3人のロシア国籍のアイヌ族も参加したロシア連邦ハバロフスク地方ウリチ地区ブラバという北辺の地で活動するウリチ民族芸能団ギワが招聘された。
 ギワの舞踏には打楽器の積極的な活用があり、リズムも潤沢であって華やかだ。北海道アイヌ族の静謐さが際立つ。もっともギワの舞踏構成には、ソ連時代に民俗舞踏を文化遺産として記録するために体系化し様式を与えたモイセーエフの影響がみられる。彼の天才は、旧ソ連だけでなく東欧諸国はもとより、メキシコの民族舞踏団も影響を与えた。ギワがモイセーエフの引力から自由でありえないのは当然だろう。それを思うと、演目に流暢な流れはなく節くれだっている北海道アイヌのプログラムこそ自然なのだ、と思えてくる。
 第2部では山岳国ブータンからクジュ・ルヤン民族歌舞団が舞踏と合唱、交互に織りなすステージで楽しませてくれた。といっても敬虔なチベット仏教国である、その仮面舞踏は宗教的舞踏(チャム)であり、儀礼の音楽(チョク)も仏教徒にふさわしい歌詞であった。女声による舞いを含んだ合唱は地声発声で織りなされ、ブルガリア・ボイスより軽やかで遊戯的であった。これは快く楽しめた。〈癒し〉の音楽ということでいえば注目して良いものだと思った。
 岩手県田野畑村の菅窪鹿踊り・剣舞でフェイスタ的気分を盛り上げた後、トリで大分県豊後大野市の御嶽神社に伝わる岩戸神楽が登場した。これは見応え、聴き応えがあった。
 天岩戸に隠れた天照大神を外に連れ出そうと諸神が舞い踊る「岩戸開」神話を演じるものだが、娯楽的要素を含む民衆芸としての劇的構成に感心した。年々歳々、繰り返されるごとに錬度が増す伝承芸能の力を思い知る。まず約40分ほど一糸乱れずに正確なリズムを刻みつづけるお囃子の力量は大変なものであった。気力の充実の上に技が乗っている。舞踏も国立劇場の広いステージを巧みに活用して飽かすことはなかった。充実の3時間30分に心が躍った。
▼平成19年(2007年)2月16日、東京・国立劇場大劇場にて。

プロフィール

上野清士

Author:上野清士
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