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映画『サンザシの樹の下で』チャン・イーモウ監督

映画『サンザシの樹の下で』
 チャン・イーモウ監督
サンザシの樹の下で

 気宇壮大な歴史劇も撮れば、リリカルな小品も繊細に演出して魅せてしまうチャン・イーモウ。その職人技にはいつも脱帽させられる。
 北京オリンピックの開会・閉会式のスぺクタルも彼の仕事なら、オペラの演出も手がける。確か創作バレエの演出に挑んだこともあった。スペイン語に堪能になる前、セキ・サノ(佐野碩)もメキシコでオペラやバレエの演出を手がけていた。ロシアのメイエルホリドに学んだ佐野にとってはオペラもバレエの演出も創造的実験性を試みるよい機会となっただろう。とおなじようにイーモウも他流試合に臨んだ後は、その体験を滋養として磁場の映画に回帰する。他流での仕事は、まるで気分直しのリフレッシュ期間のようだ。そして、またメガフォンを取れば、大衆性を失わず安易に流れず妥協せず、優れたドラマを造形し、あらたな感動を生みだす。そこにこの人の映画に対する深い愛着を感じる。
 最新作となる『サンザシの樹の下で』は監督の系譜でいえば、いまをときめくチャン・ツッイーのデビュー主演作となった『初恋のきた道』につらなる小品だ。
 『初恋~』ではチャン・ツィイーがあどけない僻村の少女を演じた。本作は、文革時代に政治に翻弄され、貧困を強いられた薄幸の少女が悲恋に泣く話。この少女役にチョウ・ドンユィという18歳の新人が起用された。そして、監督の期待によくこたえ、デビュー作とは思えない説得力のある演技で、おおいに観客の涙腺をゆるませる。硬質なガラスのような透明感と、世間の逆風に抗して生きていこうという意志も秘めたけなげな少女像を演じきっている。昭和20年代の日本映画には、こういう少女像がよく描かれていた。少女時代の二木てるみさんを思い出した。
 『サンザシ~』の時代背景はいわゆる「四人組」が毛沢東の虎の威を借りて中国を非情な独裁下においた文革期。大半の国民が大なり小なり不条理な辛酸をなめた。そして、国民の多くがその時代の記憶をいまだ風化させてない。だからスクリーンにその時代を蘇生させれば中国人なら誰でも感情移入は容易だ。
 文革期、性愛はおろか恋愛もご法度といった風潮のなかで、若者の恋愛もぎこちなくプラトニック化したし、一部の党官僚をのぞけばみな貧しかった。そんないくつもの制約のなかで育まれる少年と少女の愛が“純愛”になるのは、ある意味、当然かも知れない。『初恋~』もまた僻村と貧困という制約が創りだした愛のメルヘンだった。本作もそうだ。実話をもとにした映画だが、もちろん映像化にあたって幾つも挿話が加えられているはずだ。
 人は勝手なもので、愛欲モノに刺激を求めれば、純愛モノに涙したい。それが大衆というもの切りない嗜好だろう。巧みな職人である監督はそうした大衆の我欲を知りつくす。一歩、間違えばあざとい手法だが、そこに墜ちないところがたいへんな才人なのだ。
 『初恋~』と同様、ストーリーは単純、いやこうした映画の場合は“純化”というのかも知れない。出会い、発展、昇華、そして死。悲劇に向かって流れる運命の川を堰き止めることはできない。物語の展開は誰でも読めてしまう。それでも涙腺が緩むのを留めることはできない。心を洗われるような映画であるはずだ……しかし、日本人は一点、引っかかってしまう。
 表題にもなった「サンザシの樹」とは、かつて日本軍が抗日分子を多数、殺戮し、流れた血によって、花の紅は濃くなった、と近在の農民が言い伝えている伝説の木なのだ。日本帝国主義の犯罪を象徴するものだが、「主義」を理解しても、日本人には耳触りのよい話ではない。
 文革時代、都市の学生たちは強制的に僻地に「下放」された。サンザシのある村はそういう僻地だ。都市のゆたかな家では子息たちの下放など忌み嫌っていたはずだが、お上の命令には逆らえない。僻村のまずしい農民の生き方に学べ、と共同幻想が金科玉条のように踊っていた時代だから。そして、炊煙の影すらみえない丘にたたずむサンザシの木をみながら、日本軍はこんな土地まで侵し進んだか、と今更ながらに暗澹する。原作が実話だというのだから、日本人は「そうですか」と受け入れるしかない。
 映画の純愛に感興しても私の涙腺はゆるむほどナイーブではなかった。サンザシの紅い花の謂われが冒頭で示されとき、素直にスクリーンに没入できない。それでも珠玉の一篇であることはまちがいないだが……。 
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映画 アフリカを描く 『おじいさんと草原の小学校』ジャスティン・チャドウィック監督 

 映画『おじいさんと草原の小学校』ジャスティン・チャドウィック監督 

おじいさんと草原の小学校
 アフリカのケニアが英国の植民地支配から苦難の戦いを経て独立したのは
1963年のこと。ケニヤッタという精神的指導者の不退転の戦いによって
独立は果たされた。
そのケニアが小学校の無償教育をスタートさせたのが2003年。独立か
ら40年が経過してはじめてというか、やっと国民、皆等しく初等教育が受
けられることになった。そこに、独立後の国づくりがいかに苦難に満ちたも
のであったかが象徴されている。
首都ナイロビ郊外には世界最大ともいわれるスラム街が広がっている。欧
米の製薬会社が、貧窮するスラム住民の無知につけ込んでひそかに人体実験
を繰り返している実態を暴いた映画があった。貧しいケニア人がそうした犯
罪の犠牲になるのも基本的な教育の欠如なるがゆえの無知から来る。植民支
配の傷はアフリカ諸国では些少の差はあっても、まだ血が吹き出るように開
いたままだ。
 無償教育がスタートした、というニュースは僻村の村にも届く。それを聞
いたマルゲおじいさん(オリヴァー・リトンド)はためらうことなく小学校
の門を叩く。彼が84歳にして学びたいと切実に思うのは、政府から届いた
一通の封書だった。彼はそれを読めない。いわゆる文盲である。
彼は、それを自分自身の知識として読みたいと強く思っていた。他人に読
んでもらったのでは確証できない。文盲であるがために散々、辛酸を嘗めて
きたであろうマルゲは、それが政府の公文書であることを知るから、安易に
他人に読ませられないと思う。
 しかし、84歳にしてはじめて小学校の門をくぐったマルゲは、読み書き
を学ぶだけでなく、獣医になりたいという“遠大”な夢、抱負をもっていた
ようだ。マルゲの半分の年齢だって小学生になるという選択はそうとう奇異
な光景だ。先進国では考えられないことが貧困なるが故に起こる途上国では
あるけれど、ケニアでも特ダネ扱いのニュースであったらしい。そして、制
度的な壁はケニアにも厳然としてあって、マルゲはさまざまな妨害にもあっ
てしまうが、孫のようなジェーン校長(ナオミ・ハリス)のアシスタント資
格で“入学”できた。
映画はその女性校長との心の交流を通して展開される。ひ孫のような同級
生たちとの日常光景も雰囲気よく描かれている。そこはなにやら児童映画の
気配だが、マルゲの過去が絶えずフラシュバックされ、封書の謎が暗示され
る仕組みで、常道的なヒューマニズムと一線を画すドラマだと呼び返される。
それでも、映画の核にある「学び」とは何か、という視点は明快で、「学び」
の原点について考えさせる地肌をもっている。
マルゲは独立運動の闘士であった。その闘争の日々のなかで、愛妻と子を
英国植民地軍に殺されている。そういう虐殺シーンもオブラートに包まれず
リアルに取り込まれている。しかし、家族を犠牲にしてまで戦い獲った独立
ではあったが、マルゲのその後の生活は不遇だった。文盲ということもあっ
ただろうし、ケニアばかりでないがアフリカの国づくりを困難にした部族対
立も翳となっている。マルゲの出身部族は、男は生まれながらにして闘士と
いわれるキクユ族であり、ジェーン校長の出身部族もまた違うというふうに、
民族の微妙な差異も暗示されてゆく。そう、マルゲを通してアフリカの現在
進行形の問題が集約されたかたちで浮かびあがる。それはあまりにも痛々し
い現実だ。
 「学び」出したマルゲだが、読み書きには幾段階の階梯があることを「学
び」を通して認知したようだ。公文書に使われる言葉を正確に読み取るには
まだ時間がかかりそうだし、他人とはいえジェーン校長は全幅の信頼がおけ
る人間だ、とマルゲは思う。ジェーン校長に、「私にはまだむずかしくて読
めない」からと差し出す。そこに記載されているのは、10代から壮年時代
まで、独立に捧げた日々、政治犯として刑務所をたらい回しされ、拷問に耐
えた履歴そのものであった。マルゲが小学校に入ろうとヨボヨボと歩く冒頭
のシーンは、老いて足が不自由になったから杖に頼っているのではなかった。
拷問で足の指が切断されていたのだ。
マルゲは前傾姿勢だ。そして“同級生”に学びの大切さをとき、自らの体
験を濾過して民族の歴史を語る。マルゲは部族を超えたケニア民族のいきた
象徴となりたかったのかも知れない。   

『野ばら』 高齢者の思い出と映画

高齢者の思い出と映画『野ばら』
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 先日、小生も理事を務める映画上映の市民サークルの定例会で、1957年制作の西ドイツ映画『野ばら』を上映した。
 何故、『野ばら』かといえば、2ヶ月に1度、16ミリ・フィルムを上映するのだが、その映写機を操作する方が、「昔、小学校の上映会でもっとも多く回した」という思い出話がきっかけだった。サークルの平均年齢は60代後半。若い会員もいるが絶対少数派で、運営委員の大半が年金生活者である。したがって運営や上映作品の選定などは平日の昼間に行なわれることが多く、仕事をもっている会員はなかなか参加できない。高齢者パワーに押し切られる。
 映写技師さんの話はたちまち「懐かしい」「また、観たい」と盛り上がり上映となった。フィルムは日比谷図書館の映像ライブラリーにあって無料で借りた。小生もたぶん40年ぶりの再見。記憶は、ウィーン少年合唱団の歌声だけだった。
 主人公の孤児トーニ少年はハンガリー動乱の最中に両親を失い。オーストリアに亡命した、という設定。動乱で、ふたおやを亡くすということは子にとって取り返しのつかない悲劇だ。たぶん政変のなかの凄惨な死であったろう。多感な少年は痛烈なトラウマをもっていてもおかしくない状況だが、その辺りはきわめてぞんざいにしか描かれていない。
 しかし、何故、この映画はアノ時代、ドイツで制作され世界性を獲得したのか、と考えた。ハンガリー動乱の被害者として少年が描かれているわけだから、もとより東側で公開されることはなかったはずだ。とすれば、これは一種のプロバカンダ映画として機能したのではないかと思う。
 トーニは金を盗んだと濡れ衣を着せられ、真相を究明しようという大人を避けて川に落ち瀕死の状態になる。そして、〈死〉を迎えたと暗示され、カトリックの典礼に添った祈りの場面があり、それを引き継ぐかたちで〈蘇生〉しメデタシとなる。あのシーンは〈復活〉なのだ。それはハンガリー動乱の惨劇を生んだ無神論の共産主義に対するアンチテーゼ、神の勝利とも読み取れる。健康を回復したトーニ少年はウィーン少年合唱団の一員として米国公演の旅にでる。それはひとり合唱団の友好親善という単純なものではなかったろう。新生ドイツの未来を、トーニ少年のように不幸を背負いながらも正直に生き、他人の犠牲にもなるという献身の証しが、当時〈民主主義〉の本家であった米国に詣でるという暗喩でもあったはずだ。
 この映画は児童映画のかたちを借りることによって、政治も容易に図式化できるという利点をしたたかに借りた西ドイツの〈再生〉劇なのだ。むろん、東ドイツの政体批判ともなる。ファシズムの〈死〉、民主主義の〈再生〉という願いを体現しようとする象徴性を、リアリズムへのこだわりを棚上げして描ける児童映画のカテゴリーのなかで実現させたのだと思った。もっとも、そんな感慨を持ったのは小生ひとりだったようで、会員の多くは「今度は『菩提樹』をみたい」となった。冥土の土産に……と茶々を入れたかったが、慌てて呑み込んだ。  
 

『ナターシャ  チェルノブイリの歌姫』

『ナターシャ  チェルノブイリの歌姫』 手島悠介
 ナターシャ新

http://www.youtube.com/watch?v=6JiOQ1UBkzU&feature=related

〈3・11〉以降、本ブログのカテゴリーのひとつになってしまった観のある「チェルノブイリ」関係書紹介。そのほとんどが絶版なので、こうした発掘作業にも少しは役立つだろうと思い、手をつけている。
もっとも、つづけにはそれなりの意志が必要なわけで、その最大の理由は、現在も放射能汚染源として存在しているチェルノブイリ原発の存在であり、福島第一原発事故のまったく不安定な状況があるからだ。特に、報道機関は政府の操作があるのか、あるいは大スポンサーであるところの東電をはじめとする電力各社の立場を慮るためか、福島原発事故の解決への道筋、とくに被災自治体で憂慮される放射能汚染を考慮する指針、参考資料としてチェルノブイリ原発事故の教訓が絶対的な資料なのだ。人体実験が行なえないことを不幸にも大量の臨床資料を作りだしてしまったのがチェルノブイリであったはずだ。これは活用されなければ、ウクライナやベラルーシの死者は浮かばれない。
米国のスリーマイル島原発事故以降、日本でも関係書がそれなりに出版された。スリーマイル島の事故は不幸中の幸いとなるが周辺に住む人びとの共同体を根こそぎ破壊し、人命を損ない、地域の歴史・文化を破壊することはなかった。しかし、チェルノブイリではそれが起きた。避難民13・5万人、被害者総数は本書が出版された2001年の段階で約10万人が死去したと推測されている。いまも被害は拡大し、最終的には100万人近い人がガンに侵されるという推測すらある。そんな数字は今現在の日本のテレビや新聞は報道しない。福島の事故はメルトダウンより深刻なメルトスールの段階に入っているとも推測されているが、それも公開されていない。
いまの日本の状況とはそういうものだ。
私がチェルノブイリ原発事故をめぐる絶版書を考慮したいと思ったのは、そのほとんどが「人間」の物語としてあるからだ。スリーマイル島の事故とはまったく違う。チェルノブイリは人の死の各相が無数の事例として記され、告発され、いまもつづき、先のみえない未来までその被害がつづく災厄として提出されている。どんな小さな本にも、そこには幼い死があり、不当・残酷な死が横たわっている。
本書は小学校の高学年から中学生あたりの読者を想定して書かれたものだと思う。散文詩のかたちで書かれている。悲劇にふさわしい形式だ。
ウクライナのプリピャチ市郊外に住んでいた当時6歳だったナターシャことナターリア・グジーは被爆した。チェルノブイリ原発から3・5キロの地点にあった家で被爆した。むろんいまも後遺症に悩む。公演中に倒れることもある。本書は被爆者ナターシャを語り、ウクライナの民族楽器バンドゥーラを爪弾きながら民謡とともにチェルノブイリの悲劇を語る吟遊詩人として活動するいまを追いながら、終わりの見えない原発事故の実態を語ったものだ。
チェルノブイリの「悲劇」そのものを詳細に知ろうと思えば、類書はある。という意味ではチェルノブイリ事故を同時代的に知りえなかった若い世代に語るには良い本だと思うし、リズムをもった散文詩形式の語りは読みやすい。はっきり言ってチェルノブイリ事故をそれなりに知る人には特に目新し発見があるわけではないが、一点、私がメモした箇所がある。
それはチェルノブイリ原発事故の最終報告というものを作成したヴァレリ・レガソフ博士が二年後、首を吊って自死したという事実。同博士はソ連時代の原子力計画の創始者の人として死ぬ間際まで第一線で働いてきた科学者だ。IAEA(国際原子力機関)への最終報告を提出した責任者でもあった。その報告書はいまでは虚偽にみちた、事故をできるだけ小さくみせようと企図されたものだったことは周知の事実となっている。しかし、ソ連崩壊とともにいまだ訂正されずに「資料」となって生きている。博士はその道義的な責任に悩んだ末、自死というかたちで自ら作成に加わった報告書そのものを指弾して果てた。
そのレガソフ博士が事故後、友人に語ったという言葉が記されている。
「わが国がほこりにしていた科学技術は
ガガーリンの宇宙飛行とともに、終わったのだ。
わが国の科学技術は、トルストイや、ドストエフスキー
そしてチェーホフたちの
偉大な文学精神にやしなわれた人びとによって
つくりだされたものだった。

他人にたいする態度のなかに、人間にたいする態度のなかに
自分の義務にたいする態度のなかに
そして、科学技術にたいする態度のなかに
美しい文学の精神が見られた。
科学技術は、わたしたちのうちなる道徳を表現するための
ひとつの手段にすぎなかった。
それから長いあいだ、わたしたちは
道徳の役割を、わたしたちの文化を
歴史を、無視してきたのではないか」

……と。
いま、レガソフ博士の遺言をそのまま現在の日本の科学者に贈りたいと思う。いまだ原発推進派の科学者しか「解説」に登場させない報道番組を制作するスタッフにもそのまま贈り、良心を問いたい。報道と異なる意見を紹介する義務もあるはずだ。
日本の古典文学はむろんのこと、現代の短歌、俳句の世界もまた美しい自然のいとなみを詠ってやまない。自然美、季節の移り変わりのグラデーションをよく愛でて文学精神としてきた日本人の科学が経済効率主義に足かせ手かせされば荒廃するのは当然だろう。いまほど美しい文学の水脈を汚す、科学のありよう、バーバリズムそのものがいまほど問われている時季はないだろう。


絵本『生きていたい! チェルノブイリの子どもたちの叫び』

12年後の福島は?
 絵本『生きていたい! チェルノブイリの子どもたちの叫び』を手にする
生きていたい! 新


 子どものキラキラした瞳は〈未来〉の輝き。子どもの好奇心の輝き、まだ何ものかを成さんとする渇望のエネルギーでもある。
 しかし、醜い現実社会はふいに子どもたちの瞳から輝きを奪ってしまう。光輝が失われた瞳に、絶望が宿るのに時間は掛からない。その絶望もまた生きている証しである。死は絶望からの解放である。絶望は生きようとする本能の意思の虚弱をあらわすものだ。子どもたちの瞳に、その絶望が宿るとき、そこには年不相応の思慮が宿り、社会をみつめる冷徹さまで加わってくる。そして、幼い子どもたちが、そのいたいけない瞳でなにを捉えていたのか、ということも知らされず、何ものかも成さなかった子どもたちは、ただ数として歴史の闇に消えてしまう。
 私たちは20世紀の災厄として、たとえばアウシュビッツ強制収容所で消却された無数の子どもたちの存在を知っている。そんな子どもたちが殺される前に描きとめた、生のつぶやきとしての「絵」が奇跡的に遺されたことを知る。その絵を通じて、子どもたちが最後に観た現実を知ることになる。描いた子どもたちに、その絵がやがて社会的有用性をもつことになるとは思っていない。ただ、いまその時の気もち心情、あるいは単なる好奇心を描き留めたものだろう。そこに、戦争の不条理を訴える力とか、平和を希求する幼な心とかいうものを見出すのは後知恵のようなものだ。
 そして、いわゆる平和主義者がアウシュビッツの子どもたちの絵を流用してプロバカンダしても、たちまち政治の不条理が無惨至極に善意など蹴散らしてしまう。
 あらたな悲劇が子どもたちを襲う。アウシュビッツを生き延びた子どもたちが長じて、パレスチナの子どもたちに銃口をむけ、老いた人の背を突き強制立ち退きを命じる。シオニストの手先……。それが人間社会の醜い現実社会なのだ。
 ここにウクライナ・チェルノブイリ原発事故で被害にあった75人の子どもたちが絵と詩でつづった生命の記録そのものとしての絵本がある。表紙の紅色の下地は子どもたちの健康な血潮とも思える。しかし、その血の健やかさを損なうものとしての原発が放出した放射能がある。事故で大気におびただしく流出した放射能は彼彼女たちをむしばみ、いまも悲惨を再生産している。
 チェルノブイリ原発事故の後遺症によって自らの生命の危機を予感した子どもたち。その絵には、すでに透徹した達観があらわれる。ことわっておくが、この絵本の企画・発行は事故の直後とか数年後というものではない。事故後、12年後の現実なのだ。
 子どもたちは天性の色彩主義者だ。悲劇を色彩で和らげようとする無意識の意思が宿っているように思う。単色淡彩の絵も少しある。そこには絶望しかない。取り返しのつかない永遠の沈黙。人気なく沈黙する村。生活の情景の寸断。置き去りにされた犬や猫。人間生活が突然、凍てつく光景には色相はあっても色彩はない。
 しかし、過酷な現実を批評し、原発事故の無惨を問いかけようとする子どもの強い意思もある。筆に訴求力の熱を注入しようと、色彩のエネルギーを借りる子どももいる。色相も豊かで、色彩感覚にあふれている絵もまた多い。
 絵本のなかでもっとも傷ましいと思うのは、「病気とのたたかい」と題された章におさめられた肖像画の“ギャラリー!”だ。自画像であり、友人や家族を描いたものだろう。甲状腺ガンに犯された子どもたちが多い。現在も子どもたちを襲っている。のどにメスを入れられる。無惨な傷後が残る。その傷跡を描きとめた自画像。なかにはネックレスとともに描き込むしゃれっ気をみせる子どももいるが、いくらけなげに笑い飛ばそうともガンの再発を抑えるために一生、薬を飲んでいかなければいけない。それが現実だ。
 約12年前、私はキューバの首都ハバナ郊外にある海浜学校を訪れた。そこにチェルノブイリの被災児童たちが治療を受けていた。手術痕のある子どもたちもいた。それから12年後、福島の原発事故でハバナのチェルノブイリの被災児童たちのことを思い出した。その後、確認事項は先に本ブログにも書いたので重複はさけよう。関心のある方は検索して欲しい。

 絵本という形式を執り、被災した子どもたちの医療費に役立てようという目的意識をもった「商品」でもあるから、そこには鑑賞に耐えるだけの力をもつ作品が選ばれる。当然だ。だから、みな年不相応ともいえる達者な技術をもっている。そして、ソ連時代の児童教育の水準の高さというものも感じられる。そういうものとして絵本を眺めていれば、それは率直に素晴らしいものだ。素晴らしく力強く「残酷」な絵本なのだ。
 この絵本は1998年4月に邦訳出版された。すでに絶版になって久しい。それから13年を経た現実としていま福島の子どもたちを襲いつつある、ということに慄然とする。 12歳のウクライナの少女オルガの詩「母なる大地のうめき」の結句は、
 
 放射能よ。いったい、おまえはどこへ行こうとするの?
  いったい、おまえはいつ歩みを止めてくれるの?

 ……と。チェルノブイリ原発はいまだ放射能を吹き出させている。そして、福島原発の終息はまだ何も分かっていない。放射能は、彼ら自身の意思として大気に彷徨う。彼ら自身には罪はない。彼らの力を制御できると思った人間の奢りが災厄を招いた。
 12年後の福島はいったいどうなっているだろうか?

映画『光のほうへ』 福祉の国の人たちの心の闇

映画『光のほうへ』
  トマス・ヴィンターベア監督
光のほうへ

 〈光のほうへ〉……良い邦題だと思う。原題は「サブマリーノ」潜水艦、転じて「水に顔を押しつけられて、自白を強要する拷問の仕方。更には、もがいてももがいても、浮かび上がれないどん底人生の意味も」あるということだ。映画のストーリーは、その最後の「もがき」の日々というものにもっとも近い。
 貧窮が貧困を生み出み、さらに……という負の連鎖。ひとつのつまずきが後半生をかぎりなくデスペートな色彩に染めてしまう。希望を失い、自分自身をももてあまし自暴自棄となってしまった人、でも人間の優しさを捨てきれない人はたくさんいる。悪の道にさまよい込んでも、悪人には成り切れない人たち。真の悪党とは精神病理学的な領域だ。
映画は、生育の過程で貧しさゆえ、視界を灰色に曇らしてしか日常がみえにくくなった青年たちの話だ。そして、その青年たちに共感するでもなく反発するのでもなく、あくまで醒めた視線で、それぞれの生き方を捉えようとしている。
 カメラは北欧デンマークのコペンハーゲンの寒々とした街路を這い、鬱屈した灰色の気配に満たされ、そぼ降る雨は氷雨といった感じだが、監督の「光のほうへ」誘(いざな)おうとする意図が親密に感じられて、けっして不快にはならない。
 アル中の母親と暮らす腹ちがいと思われる小学生の兄弟。彼らにはもう一人、乳児の弟がいた。その子もたぶん腹違い。アル中の母親は育児放棄している。彼女にも生きがたい辛さを抱えもがいている。兄弟には、それが何なのかうかがいしれない。育児はまったなしだ。兄弟はミルクを万引きしながら懸命に育てようとする。名さえない男児に兄弟は電話帳を頼りに命名する、マーティンと。
 しかし、ある晩、兄弟はマーティンの面倒を忘れ死なしてしまう。不慮の事故といえるものだが、その死は、兄弟にとって父親知らずの寂しさや、不在がちでどうしようもない母親をあきらめて懸命に生き抜こうという意欲を失わせるにはじゅうぶん過ぎる悲劇であった。
 映画は十数年、飛んで成年となった兄弟の暗澹たる生活を描写する。
兄はホームレスだし、弟はヤク中でよるべき日常をおくりながらもひとり息子をなんとか育てているという窮迫した生活。ふたりが幼い男児を死なせた後の青春というものが、どれだけ荒廃したものであったかが浮き出てくる。
 それでも、喘ぐように暮らしながらも人間的な優しさは失っていない。ヤク中になっても育児放棄しないことで理性を保とうとしている弟の姿は痛々しい。それは切々と訴えてくる何かがある。兄は、友人の身代わりとなって殺人犯と誤認されても、それを恬淡と受け入れてしまうほどペシミスティックな感情に侵されている。そんなふたりが母親の死を契機に数年ぶりに再会する。
 ふたりを繋ぐ言葉は限りなく少ない。瞳が現実を語り、たたずまいの焦燥に荒廃が隠されている。お互い傷を切開するような言葉の露出に臆病にもなる。その交流は痛々しい。
 デンマークという国は社会福祉の先進国としてしられる。日本でも優れたモデルケースとして政治家がよく視察に訪れるもする。
 いくら人を救う制度が充実しても、手をさしのべれられるのは表層の部分であって、心のなかまでは癒せはしないと語っている。小さな国だがホームレスの割合は日本とさして変わらないようだ。経済的な貧困に喘ぐ国の市民がけっして不幸とは言えないように、経済的に恵まれ福祉制度がいくら充実しても、人はそれぞれ心に闇を抱え、傷を癒しながらやんごとなく生活をつづけてゆく。そういう人間存在の弱さに優しく寄り添った映画だ。優しいが、日本映画のおおいなる弱点といえる感傷性とはまったく無縁だ。透徹した優しさとでもいえようか……。
 成年になった兄弟を演じる二人の演技は素晴らしい。その抑制された立ち振る舞いには説得力がある。兄を演じたヤコブ・セーダークレン、ヤク中の弟を演じたペーター・ブラウボー、ともに好演だ。デンマークの映画や演劇の情報は少ないが、監督のヴィンターベアの才能とともに西欧の成熟した文化の土壌の豊かさを感じさせる。
             

映画『チャイナ・シンドローム』 原発事故を本格的に描いた最初の劇映画

小さいが無数にある人間の我欲を誰が「制御」できる
  映画『チャイナ・シンドローム』 ジェームズ・ブリュジス監督

チャイナ・シンドローム
 事実は小説より奇なり、というが、ここでは事実は映画より奇なり、ということになろうか。
原発事故を本格的に描いた最初の劇映画として知られる本作の公開は1979年3月16日、そして最初の深刻な原発事故として科学史に永久に汚点を残すことになった米国ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で事故が起きたのは3月28日だった。創作はたった12日後に、不幸にも事実をもって現実となり、原発事故の恐怖は人類社会を揺さぶった。当然、現実の事故が映画の興行を後押して世界的なヒット作となり、日本でも大きな興行成績をあげた。
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大震災で福島第一原発が被災し、深刻な事態を招いたことを知った映画ファンなら誰しも本作のことを想い出しただろう。
 表題は、映画の舞台となった原発が事故を起こし炉心溶解(メルトダウン)の懸念が生じたとき、某科学者のジョークとして語られる高濃度・高温の放射性燃料棒集合体が「地球を突き抜けて中国に至る」という台詞からとられたものだ。現在、あらゆる社会的現象を便宜的に比喩する形容として「シンドローム」が使われるが、そのきっかけをつくったのが本作のタイトルであり、それに決定的な確証を与えたのがスルーマイル島原発事故となる。
 映画の事故の原因は人の過失であった。“人災”だ。
原発に資材を納入する業者が法で義務づけされている厳密な検査を実施していれば時間と経費がかかることから手抜きをする。業者の言い分は、「長年の慣習でそれですんでいた」、今更なにをという姿勢である。その検査をたまさか素通りしてしまった資材のなかに不良品が潜んでいた。それが劣化して重大な事故に結びついた、というのが映画の主眼。いったん事故がおきれば取り返しのつかない悲劇となる原発はおびただしいパーツの巨大な集合体だ。それをすべて人間は完璧にコントロールできるのか、と問うている映画でもある。先に本ブログで紹介した映画『シルクウッド』も企業の営利活動から派生した不正を告発したものだった。
幾重にもセーフティガードがかかっているから安全だ、というのが日本の原発行政だった。しかし、“想定外”の津波によって福島県のいくつもの自治体そのものが消滅しようとしている。おそらく、そうなるだろう。
 元来、“想定外”も想定しなければいけない超危険物の原発だが、天下りした顧問には大した仕事もないのに膨大な報酬を払い、すべきことを怠っていたということでは“人災”である。顧問たちへの報酬はたとえば“想定外”の津波を予測して防波堤を嵩あげることはできた、ということが事実として指摘できる限りにおいて今回の原発事故は“人災”なのだ。その後の対応のまずさも含めて甚大な“人災”なのだ。
 本作は原発とはいえ儲けを生み出す商品に過ぎないという冷めた目がある。だから、資材の検査を怠る資本の論理、その資本がスポンサーとなっているTV会社の立場といったサブテーマもしっかり押さえられた話となっていて説得力がある。反原発を訴えてテレビの出演を降ろされた、と伝え聞く俳優の山本太郎さんのことが思い出される。
 主役は明確にモノ言う社会派女優として、父ヘンリー・フォンダの意思を引き継いだジェーン・フォンダ。TV会社の雇員として、ニュース番組のなかで日常雑事的な取材しかさせてもらえない女性レポーターのうっ屈を体現するが、そんな日々のなかで遭遇した原発事故の究明に乗り出すことによって、仕事への意欲を、社会性のある仕事への誇りといったことまで描きだす。おそらく、ニュース番組のなかで女性の進出を促す契機ともなった映画であったと思う。そのジェーンの補佐役として登場するカメラマンを映画進出間もないマイケ・ダグラスが演じている。ヘンリー・フォンダと同時代の名優カーク・ダグラスの子息。本作はいっせいを風靡した名優の二代目がそろって競演するという話題性もあった。しかし、本作で最大の評価を獲得したのは実直な技術者を演じた喜劇俳優ジャック・レモンだった。原発の仕事に誇りをもっていた一技術者の誇りが、業者の不正を暴き、身を呈して原発事故を予測する。仕事への誇りが死をまねくほどにずたずたに引き裂かれる葛藤を演じて秀逸だった。
 いま、再上映されるべき映画の筆頭であると思う。
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