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ノーベル賞詩人ネルーダの死は毒殺か?

 ノーベル賞詩人ネルーダの死は毒殺か?
 軍事独裁時代の犯罪究明のなかで・・・南米チリ
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 1973年9月11日、南米チリに選挙を通じて実現したアジェンデ人民連合政府はピノチェト将軍の軍事クーデターによって武力で倒された。そして17年に及ぶ軍事独裁政権下でおびただしい人権犯罪が行われた。
 民主化を迎えた90年代から行方不明になっていた犠牲者の探索と同時に人権犯罪の究明も開始された。しかし、司法当局の追究は約20年が経過してもまだ全貌を明らかにできないでいる。歳月の経過による証拠の消滅、あるいは隠滅、証言者の死、そして軍部から圧力などによって遅々として進まない。なかでもアジェンデ政権崩壊の数日後、急死したノーベル賞詩人パブロ・ネルーダの死因をめぐっての調査も終わっていない。
 ピノチェトのクーデターが成功した後、チリ民衆は相次いで世界的な影響力を持つふたつの大きな才能を失った。
 ひとりはラテンアメリカの「新しい歌」運動のリーダーのひとりであり人気歌手でもあったビクトル・ハラ。彼の歌は日本でも横井久美子さんらが積極的に紹介し持ち歌として録音もされた。彼はクーデター直後、逮捕されギターを持つ手を砕かれ虐殺された。
 そして、ネルーダ。クーデターの直後、生命の危機を覚えた詩人はメキシコへの亡命を計画していたが、持病の白血病を悪化させ急死した、とされてきた。ガルシア=マルケスの有名なルポ『戒厳令下チリ潜入記』もこの病死説を採り、人民政府の崩壊を「哀しむあまり持病の~」と書いていた。
 この5月、ネルーダの元運転手マヌエル・アラヤ氏が、「軍部から派遣された医師がネルーダに何らかの注射をした後、容態が急変し死に至った。前日まで問題になく歩き回れたのに不審におもっていた」と証言した。
 アジェンデ派のネルーダがもし亡命すれば、彼自身が持つ世界的な影響力を行使して、軍部批判を展開するのは明らかだった。それを軍部は恐れた。それを阻止するために暗殺された、という憶測は前からあった。今回、新たな証言が出たことによって新たな裁判が始まろうとしている。軍事独裁時代の傷は崩壊後20年が経過しても癒えない。  
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『千年の旅の民』を書いた木村聡さん

『千年の旅の民』を書いた木村聡さん
   ~ロマ(ジプシー)をカメラとペンで追い続け
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 『千年』とは、ロマ族(ジプシー)の流浪の歳月を指す。
 彼らの祖先はインド北西部で遊牧生活を送っていた。そのなかの一群がなんらかの理由で西へ向かって旅に出た。それから一千年を月日が流れた。
 しかし、その流浪の旅路を足跡をつまびらかに知るものは誰もいない。彼らは文字をもたず自分たちの歴史を遺すこともなかった。そんなロマに木村さんは興味を持った。
 「90年代にボスニア内戦の取材をしているなかでロマの窮状を知り、内戦を取材するとき彼らの視点も必要ではないかと思った。そしてロマの集落に入り、彼らの言葉を学んでゆくうちに取材対象が広がった」     
 本書の主要部は旧ユーゴスラビア連邦の崩壊によって生まれたバルカン諸国、そしてかつて東欧と呼ばれた国に住むロマに捧げられている。これまでボスニア内戦の悲惨な状況は多くのルポや写真よって詳細に語られてきたし、内戦を描いた映画は何本も公開されている。内戦で心身に傷を負った人たちの〈現在〉を追う映画も制作されている。しかし、その地に住んでいるはずのロマは無視されてきた。旧ユーゴには約80万のロマが暮らしていた。
 「ロマは内戦の当事者ではない。しかし、彼らはどこでも迫害された。知られていない事実だが、徴兵されたロマの男たちも多い。自分たちに関わりない民族紛争で戦い、死んでいった者もいるということだ」
 現在、ロマは全世界に1500万から2000万が暮すといわれるが実数は不明だ。非定住の民族だから行政の手が届きにくい。ロマたちも行政機関を信用せず、その束縛を受けたいとは思っていない。
 「ロマの流浪の一千年とは、人間は国を持たずとも生きていける、ということの証明です。民族のプライドも損なわれていない。そういう強さをもっている。国益とか国境紛争といったことに無縁に生きることは平和なことで、それを身をもって体現する。ヨーロッパ人はそうしたロマを密かに怖れ、その反動として差別したのではないか。そして、したたかなロマは、その差別を逆手にとって稼ぎ生きてゆく」
 本書のなかに、こんなシーンがある。
 〈いつもは質素で小ぎれいな格好をしているのに、今日は見た目にみすぼらしい衣服に彼女は着替えた。(中略)「このほうが町で歩きやすいし、買い物をしやすい」から〉
 私自身、スペインやコーカサス諸国、中央アジアで、あるいはメキシコで物乞いのロマの婦人、子どもたちにあった。みな服装はみすぼらしかったが、あれも「衣装」かも知れない。みな立ち振るまいが自然で、さもしさというものには無縁だった。
「あなたは自分の国からここ来た。そんな旅ができるほどお金をもっている。私に小銭出すのは当然だ」といわんばかりの堂々とした態度は説明しようがない。
木村さんは写真家である。まず写真ありきだ。
 「この本は、収録されている写真の長い解説だと思ってください。だから、写真一枚一枚に説明はありません」と。そう最初に言っておかねばいけなかった。写真が素晴らしい。印刷のクオリティもすこぶる高い。 *新泉社刊。2500円。
 

『サツマイモと日本人 ~忘れられた食の足跡』

『サツマイモと日本人 ~忘れられた食の足跡』 伊藤章治著

 スペイン語でトマトを「トマテ」、トウモロコシを「エロテ」、チョコレートを「チョコラテ」、そして、サツマイモを「カモテ」という。他にもあるが以上で十分だろう。まず、その語尾に注目して戴きたい。皆、「テ」TEで終わる。これはメキシコ中央高原に住んでいた先住民言語のナワトル語起源を意味する。アステカ帝国の公用語であった。
 エルナン・コルテスがアステカ帝国を滅亡させ、その地にスペイン副王領を建ててからスペイン人も食し、栽培法を学びヨーロッパにもたらされた貴重な作物であることを示す。
 やがて、カモテ、いやサツマイモは痩せ地でも容易に繁殖し栄養価も高い救荒作物として認識されると、たちまちユーラシア大陸各地に伝搬してゆく。
 日本にもたらされたのは1597年、中国から現在の沖縄県宮古島にはいったのが最初といわれる。コロンブスの新大陸到達から約100年後、日本にも現れた。
 本書は、日本に流入してからいかに日本人の飢えを救ったかをつまびらかにした好著である。その救荒作物を象徴するエピソードとして第二次大戦中の南方戦線、補給路が伸びきった孤島に残留させられた日本軍将兵は飢餓におちいる。その飢えをしのぐために植え付けられたサツマイモの話が出てくる。そのサツマイモは沖縄で品種改良された、熱帯の地の栽培に適した「沖縄100号」であったと解かれる。そして、沖縄とサツマイモの話にもどって、日本列島を北上していきながら日本の歴史と文化におけるサツマイモのありようを鮮明化させるという内容だ。簡素で分かりやすく説得力に富んでいる。
 ナワトルの地メキシコ中央高原での現在のカモテの位置はじゃがいもほど高くない。
 アステカ時代は菜食が多かったはずだが、スペイン文化の定着によって肉食嗜好となったメキシコ料理ではじゃがいもほうが合うのだ。これは日本の戦後食事情を説明する著者の記述のなかでも象徴的に提示されている問題で、高度成長を迎えた昭和40年代に日本人の食生活が激変する。
 日本でサツマイモとじゃがいもが栽培されるようになってからずっとサツマイモが作付け面積でも収穫量でも多かった。それが昭和43年に逆転する。日本史のなかではじめてのことだった。以来、年々、じゃがいもの収穫量はサツマイモとの差をおおきくしていく。それは肉の消費量と軌を一にする現象である。メキシコで起きたことが、日本でも同じように起きた。 ▼PHP研究所刊・760円

『黄色い星の子供たち』 ローズ・ボッシュ監督

『黄色い星の子供たち』 ローズ・ボッシュ監督

黄色い星の子供たち


 フランスが〈人権〉を唱えるとき、その内なる脈動のなかにヴェル・ディヴ事件への悔恨があるはずだ。20世紀フランスの最大の歴史的な負い目、〈傷〉となっているナチ・ドイツへの加担の象徴として、その事件がある。本作は、その事件をはじめて真正面から見据えたドラマである。
 1942年7月16~17日にかけてパリに住むユダヤ人12884人が一斉検挙され強制収容所へ死出の旅に追いやられた。拘束されたユダヤ人はいったん市内のヴェル・ティヴ冬季屋内競輪場に収容されたため、その名がある。
映画は、ヒトラーがパリを制圧した権力者の威光をかさにエッフェル塔、凱旋門など“戦利品”を愛で遊覧するシーンからはじまる。セピア色に焼き直されたニュース・フィルムには戦火の止んだ平穏な気配すらある。ヒトラーの顔も晴れやかである。
フランスは4年間、対独戦の敗戦によってナチ占領下にあった。そのあいだ76000人のユダヤ人が追放された。その多くが強制収容所で息絶えた。ヴァル・ディヴ事件はその先駆けであった。そして、その追放にフランス政府が積極的に加担した。非人道的で不当であることを知りつつナチに協力し、償えない民族的〈傷〉となった。
フランスはこれまで、ナチに協力したことは、ドイツの傀儡(かいらい)であったヴィシー臨時政府に罪を負わせ、フランスを当時、代表していたのドゴールの亡命政権であって、ユダヤ人弾圧には手を染めていないという立場をとってきた。そして、亡命できなかったドゴール派や左翼勢力、そして多くの反ナチ派のフランス人たちは多大の犠牲を払いながらナチ占領軍に対して果敢にレジスタンスを展開してきた、と「愛国史」で語ってきた。
しかし、占領下の民衆の立場は弱い。生きるためナチに協力する者もでてくる。そのなかでも最大の犯罪がヴェル・ティヴ事件だった。本作はそんな母国の恥部を果敢に抉り出したわけだが、暴露という反知性的な志向ではなく、あくまで人間の真実のドラマとして語る。
物語は強制収容所の医療施設に派遣されたフランス人看護婦アネット(メラニー・ロラン)と、強制収容されたフランス国籍のユダヤ人医師シェインバウム(ジャン・レイ)を語り手に進行するが、基本的に群集劇だ。実に多くの出演者が台詞をもって登場する。史実に忠実であろうとすれば、一斉検挙で多かった女性と子どもの立場を尊重しないわけにはいかない。成人男性は真っ先に検挙されるだろう、と予測され地下に潜るか、避難していたため相対的に検挙者は少なかった。だから、4000人という子ども数が目立つ。それだけ事件は悲劇性をおびる。
大量の子役が登場し、応分のセリフが割り当てられる。これを子役たちは見事にこなしている。群像劇をあざやかに統制しながら、ひとつひとつの家族の挿話も丹念に織り上げてゆくボュシュ監督の演出も見事。群衆を制御する力技もみせれば、繊細に家族愛のディテールも繊細な筆づかいで塗り重ねていく。
数年前、フランス映画界ははじめてアルジェリア独立戦争の実態を、加害者の立場であることを明確して佳作一本を撮った。アルジェリアの植民地支配の犯罪性を映像化するまでフランスは約40年の歳月がかかった(アルジェリア独立は1962年)。ヴェル・ディヴ事件から本作が制作されるまで約70年も掛った。それだけフランス人は加害者としての〈傷〉を疼かせ、傷口をふさぐことができなかったのだ。
当時のフランス人は敗戦国の隷属民。昨日まで親しく行き来していたユダヤ人家族を見殺しにするほど彼ら自身も追い詰められていた。良心の呵責にさいなまれながら、ユダヤ人の悲惨を見て見ぬふりをした。一斉の検挙のあることを知り、事前にユダヤ人に知らせた警察官もいれば、急きょ避難を示唆するビラを作成して告知した勇敢な人もいた。ユダヤ人を匿ったパリ市民もおおぜいいた。しかし、事実として多くのユダヤ人がナチの手先となったフランス警察によって検挙され、虐殺された。
 ここ数年、フランスを象徴するココ・シャネルの評伝映画が3本も制作され日本でも公開された。その3作ともみごとに描くことを避けているのがナチ占領時代のシャネルの来し方であった。対ナチ協力者、むろん積極的なものではなかったが、ナチ親衛隊将校を愛人にしていたために占領下にあっても活動できたことは史実であって、そのため戦後、スイスへ事実上、亡命生活を余儀なくされている。
 日本で活動するフランス人のひとりにフランソワーズ・モレシャンさんがいるが、彼女の両親は対ナチ・レジスタンス活動家として命を賭けていた。そのため幼いモレシャンさんも緊張した日々を強いられている。モレシャンさんは意外と知られていないがバレエの優れた鑑賞者であり、評論家である。その著書はバレエ愛好家の手にしか渡っていないだろうが、20世紀の現代史のなかにバレエ全般を組み込んで語れる日本で唯一の存在ではないかとさえ思う。そのバレエ論のなかにも彼女のナチ占領下の暗鬱が入り込んでいる。

映画は、敗戦という事実のなかで困惑し、プライドを傷つけられ無力感も味わっているパリ市民も描き出されるし、もともとユダヤ人を嫌悪していた市民にとっては「これでやっかい払いできる」と喜ぶ市民がいたこともきちんろ描かれている。大都市の諸相はとめどないグラデーションを描きだす。
ナチが登場する映画、第二次大戦における欧州戦線を描いたフィルムで繰り返しユダヤ人の着衣に縫い込まれた「黄色い星」が登場する。その星印が当のユダヤ人に与える心理的な影響、微妙なニュアンスも繊細に描き込む。そうした細やかさが積み重なって豊かな人間ドラマになっていた。  

「上を向いて歩こう」

「上を向いて歩こう」

 一昨日、築地の松竹本社の試写室で永六輔さんの真後ろで新作映画を観た。永さんが試写室に来るのは珍しい。思わず声を掛けたくなったが、そこはマスコミ関係者ばかりだからなんとはなしに抑制してしまう。永さんがその日、来ると知っていれば、それなりに話すべきことを整理・要約しあわただしいの時間のなかでもきちんと伝えられるように簡略化できるけど、いきなりだとアノ・ソノ、エーとが多くなって締まりがない。そうすると大切な話も間の抜けたものになるような気がした。ここは沈黙は金だと思った。

 震災以来、「上を向いて歩こう」がいまの困難な状況にもっとも似つかわしい歌として取り上げられる機会が多くなった。私自身、この名曲にはいろいろな思い出がある。私ばかりでなく多くの日本人が大なり小なり、それぞれの思い出あると思う。そんな歌を書いてくれた永さんには日本人として感謝したいと思った。でも、ご本人の前ではなかなか言い出しにくいものだ。その感謝の意味もこめて、私のささやかな「上を向いて歩こう」を書いておこうと思う。
 先日、女子サッカーW杯の決勝戦をテレビ観戦しているとき、たぶん多くの日本人が思ったことだと思うが、前半はまったく米国のパワーサッカーに押され通しで正直、いつ得点されてもしかたがないと思っていた。その時、もし破れるようなことがあれば米国国歌を聴きながら、彼女たちに贈る歌は「上を向いて歩こう」しかないなと思っていたぐらいだ。
 1990年代前半の中央アメリカ諸国は内戦、内戦後の荒廃、貧困、先住民に対する人権抑圧……そんな日々が倦むことなくつづいていた。私の中米暮らしはそんななかで営まれていた。「節電」どころではなく内戦下にあっては発電施設が破壊されたりすることもあったから1週間、電気のない生活、水道を使えないなかでの育児と大変な体験をしてきたと思う。そんな騒然たる中米にあって1992年、ノーベル平和賞がグァテラマのマヤ系キチェ族の娘で人権活動家リゴベリト・メンチュウさんが受賞するというニュースは闇のなかの一閃の光のようなものだった。
 彼女を追いニカラグアの首都マナグアまで行ったことがあった。マナグアの大学で南北アメリカ大陸の先住民諸団体の指導者が参加し、国連の「先住民年」にどのような行動を執るべきか、といったことを主要議題とする会議があった。そこに会議のアトラクションとしてニカラグアのフォーク・グループが参加していた。この国にはパロ・デ・マヨという民俗音楽があるが、そんな素朴な歌を中心にラテンアメリカの大衆歌をレパートリーとするファミリー・グループだった。そのグループのボーカル担当の少女が私を日本人と知ると、「わたしの歌で日本人に通じるかどうか聴いてくれ」と言ってファミリーに伴奏をつけて「上を向いて歩こう」を日本語で歌い出したのだ。
 それは中米にやってきてはじめて聴く「上を向いて歩こう」だった。内戦-革命-また内戦と絶え間ない戦いの歳月を送ったニカラグアの首都は荒廃したままだった。
 ラテンアメリカでももっとも敬虔なクリスチャンの多いといわれる同国だが、その首都大聖堂は数十年前の大地震で崩壊し瓦礫のままであった。数年後、現代的な聖堂が建つのだが、92年当時は建設途上だった。うちつづく人災と天災のなかで民衆は苦吟していた。「上を歩く」前に、下を向いて歩いて残飯を探さなければいけない人も多かったはずだ。しかし、若者たちは、「上を向いて歩き」出していた。
 長い内戦は政治上の理由ではなく、経済的な疲弊故に終焉を迎えていた。なにもない状況だったが、銃弾が絶え、やっと「平和」が迎えていた。しかし、民衆の生活は日々、闘いであったはずだった。小銭を鋳造するための金属もなく、すべて紙幣という状況だった。しかし、やっと「上を向いて歩こう」と歌える時代になっていた。
 首都は空き地ばかりが目立った。それはすべて直下型地震によって崩壊した市街地の跡だった。そこに静かに「上を向いて歩こう」のメロディーが流れ出した。そのことを、やっぱり永さんにいうべきだったか。遅ればせながら、ここで……。

書評『ピーター・ラビットの自然はもう戻らない』 セラフィールド各使用済み燃料再処理工場

書評『ピーター・ラビットの自然はもう戻らない』 マリリン・ロビンソン著
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 サブタイトルを「イギリス国家と再処理工場」という。
 「再処理工場」とは核廃棄物(使用済み核燃料)を再処理してプルトニウムを取り出している英国政府100%出資の英国核燃料公社のセラフィールドのことだ。
 アイリュシュ海に面したカンブリア地方にあって、この地は「ピーター・ラビット」の舞台となった湖水地方として良く知られているところで、毎年、多くの観光客を惹き寄せている。
 美しい自然を背景に描かれた「ピーター・ラビット」の物語だが、作者のベアトリス・ポッターはその世界的なベストセラーになった作品の印税で、物語の自然を保護しようと私財をなげうって周辺の家や土地を買った。
 その後、しばらくして英国政府はここに核処理工場を建設、爾来(じらい)とめどもなく放射能汚染をつづけいる。危険な地域だから、そこは僻地、過疎地として残り、みためだけ「美しい自然」が「保全」され、英国人だけでなく日本人も含めて諸外国のファンが訪問する、ということになってしまった。
 日本では湖水地方の美しさを謳った写真集や画集、観光案内書が幾種類も出ている。そうした本の制作者はどこまでカンブリア地方の実態を知ってそうした本を出しているのだろうか? 
 実はその「美しい自然」は英国で一番、放射能汚染の深刻なとんでもない場所である。EU諸国のなかでもっとも放射能に犯された「美しい自然」なのである。この汚染のひどさは見た目に分からない。それを数字、ガンの発生率などで可視化したのが本書なのだ。
 たぶん労作といえる内容だが、一般にはなかなか受け入れにくい構成で、作者はこうしたセラフィールドが野放しになっている歴史的背景を解くために全体の2分の1以上を、英国の社会保障制度について言及し、特に英国独特の「救貧法」の実態について詳細に語る。その原作者の方法論には少々、異論があるが原作者は必携と考えたらしく、その記述は執拗だ。
 その原作者の主旨を、結論から先にいえば、貧窮するひとびとを永遠に低賃金労働に固定化するための政策的な階級温存の制度であって、人権のかけらもないことを主張する。そして、その貧窮する労働者たちの無知などを利用して放射能汚染だらけのセラフィールドの操業が成り立っていることを告発する。
 西欧諸国の他政府機関はみなセラフィールドの実態を知っている。知っているが英国を批判できない。西欧諸国がセラフィールドに出資をしているという事実もあるが、なにより自分たちの核廃棄物を受け入れくれプルトニウムを抽出してくれている機関だからだ。自分たちではなかなか踏み込めない“汚い仕事”を請け負ってくれている英国に感謝はすれど批判はできない。天に唾する行為だからだ。日本もその恩恵を預かっている。
 「救貧法」に関する記述を削ぎ落とし、セラフィードの現状を知らしめる告発型の構成をとれば本書はもっと多くの読者を獲得し、そして「ピーター・ラビットの自然」を訪ねようというバカなことは見直されるだろうと思う。
 1992年に初刷りだけで絶版になったと思われ、価格当時の価格で2500円だから、おそらく少部数出版だ。千部も市場に出ていないのだろう。当時、手にした読者はわずかだろうし、さらに作者の意図通り、きちんと読解した人はそのまた半分という感じだろう。 もし本書が出版社が意図した通り、読者に迎えられていれば本書の後も引きも切らず無責任きわまりないピーター・ラビットの自然「観光案内書」も出版されるはずはない。
 この私(上野)の拙い文章を読んで、「セラフィールド」という固有名詞が気にとまったら、どうかご自身で調べて欲しいと思う。正直にいえば筆者自身、今回の福島第一原発事故を受け、積んだままになっていた本書を手にした次第だ。
 かつて学校でならった「社会主義者」ロバート・オーエンが労働者に配慮した経営する工場の改善の実践などが出てくる第一部などは、核問題から離れて興味深く読める。たとえば、オーウェンの実践は、すこし経費が負担になっても改善したほうが作業効率が上がり利潤を上げる、という資本家の視点でしかなかったという指摘など傍線を入れたいところが多々あるのだが、ピーター・ラビットの読者には少し辛い記述の連続だと思う。
 だから、その第1部をバサッと割愛して、第2部の「セラフィールド・地球規模の核攻撃」から読んでも十分、理解できる内容だ。むしろ、この時期、それのほうが良いかも知れない。
 今更、英国近代経済・社会史など勉強しようと思わない読者は2部から入って十分。ともかく貴重な本、労作といっても良い内容なので、ここに掲げた。
 ……しかし、英国の情報隠蔽政策はかつてのクレムリン以上。わが民主党政権はなんと素朴なんだろうと思えるぐらいだ。英国は女王陛下ご一家揃って、大英帝国ご繁栄のため一族郎党セラフィールドを擁護、隠蔽しているようだ。
 エリザベス女王陛下の夫君エジンバラ公は世界自然保護基金(WWF)の総裁を務めている。その足下で英国でもっとも美しいといわれるカンブリア地方が放射能汚染の濃度をためていることに手を貸している。もともと英国皇室は陰惨な闇の権謀から出てきたからすこぶる政治的な存在である。もうけのために環境汚染もいとわない政策もエレガントに英国紳士らしく手を汚さずに実行する。全面閉鎖された炭坑労働者や幾多の失業者、そうした低賃金労働者の無知につけ込んで使用済み核燃料は再処理されているのだ。
▼新宿書房刊・鮎川ゆりか・訳。

黒澤の核認識、原発批判を知る映画『生きものの記録』

黒澤の核認識、原発批判を知る
映画『生きものの記録』(1955年) 黒澤明監督
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 誇大妄想狂というのは想像力の極北というものだろう。
 全盛期の俳優というのは難役をかくも柔軟に克服するものだとつくづく思う。三十五歳の三船敏郎が70歳の老人役で主役を張った映画だ。
 冷戦下、核実験が繰り返されている。いつ核戦争が起きてもおかしくない状況。実際にこの映画の6年後、核戦争の瀬戸際までいったことが歴史的検証を通して明らかになっている「キューバ危機」を迎えている。こうした時代に鋳物工場の社長であり、家族の長たる中島喜一(三船敏郎)は核戦争の恐れのない南米のブラジルに工場を処分して一族郎党、移民しようと家族に持ちかける。これに“常識的”に反対する家族一同の反発をかう。そして、とんでもない誇大妄想狂として準禁治産者とするよう家族は家庭裁判所に申し立てをする。その調停員の歯科医(志村喬)が語り部となり、監督の黒子的に中島像を批評するという役割を演じる。
 映画は戦後10年という時点で撮られている。まだまだ戦災の傷跡が克服されたわけではないし、当時の日本人の多くが戦渦というものを皮膚感覚でおぼえている時代だ。しかし、ここは日本人として誇らしく思うところだが、勤勉な日本人はかくまで復興させたといいうるほど目覚ましい。それが昭和30年という年である。
中島の経営する鋳物工場にしても戦時中にB29によって一度、破壊されたことだろう。それでも見事に再興させ、中小規模の工場のひとつとして日本の戦後経済を下支えしているのだ。筆者は鋳物の町・川口で生まれ育ったから、中島の工場の雰囲気をとても懐かしく感じながらみた。こういう感じの工場はもう日本には存在しない。   
 中島はおそらく一代で工場を興し、家族を育て守り、幾十人かの工員さんとその家族の暮らしも支えている。その責任感は叩き上げの苦労人として人一倍強いだろう。そんな老人がいままで地球のどこに位置するかも考えてもみなかったブラジルへ突然、移転しようとする。その発想は、心に準備にない家族はとまどうのは当然だ。
家族は、核戦争が起これば地球のどこに行こうが放射能の汚染を免れるわけはないのだから、ブラジル行きなど無駄だ、と説得したりする。それは諦観というもので、中島の心根はたぶん、そういうところにあるのではないだろう。たぶん放射能の汚染は拡大するばかりだということも認識されているのだ。すでに絶望の橋を渡ってしまっているのだ。だから“常識”的で健全な精神を保つ家族は中島を誇大妄想狂と謗(そし)る。
その家族の位置は当時、この映画を見る日本人のものだろうし、いま現在もたぶんそうに違いない。黒澤はそうした“常識”に挑んだ、ということになるだろうし、想像力の効用を反核、平和というものに応用しようというメッセージだと思う。
 この映画が公開された前年の1954年、当時の改進党に属していた中曽根康弘など3議員が国会に提出した原子力研究開発予算が国会を通過した。そして映画が公開された55年12月、「原子力基本法」が成立した。黒澤監督がこの映画を構想した当時、国会でのそうした動きは十分、把握されていたものと思う。映画は原子力発電所についてはいっさい発言されているわけではないが、時代はそういうものだった。
 『生きものの記録』から35年後、黒澤は『夢』(1990)の「赤富士」編で、悲惨な原発事故で逃げ惑う人たちの姿を地獄絵図のように描いている。
 黒澤 夢
黒澤はチェルノブイリ事故をみた後で『夢』を制作したわけだが、そこには日本列島の各所で稼働する原発の存在、そして推進される原子力依存のエネルギー政策をどう考えたかが反映されている。いま、福島第1事故を知るなら黒澤はどのような批評をおこなっただろうか?

書評『ナマコを歩く』 赤嶺淳・著

書評『ナマコを歩く』 赤嶺淳・著
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 中国は昔もいまも世界一のナマコ消費国だ。特に開放経済の下、右肩上がりで経済力をつけるのと軌を一にして高級食材のナマコの輸入量が増えた。世界中の浅い海に棲むナマコは中国人の豊かな舌を目指して乱獲されるようになった。その弊害を論じながら、ナマコ漁をルポしたのが本書。
 ガラパゴス諸島(エクアドル)ではナマコ漁を巡って「ナマコ戦争」と呼ばれる紛争が起きた。1991年、同島でのナマコ漁がはじまった。当時、どれくらい漁獲高があったのか正確な数字はないが、たとえば乱獲が規制された94年の調査では、たった2カ月間で1千万尾が漁獲されたというから、規制のなかったときの漁獲高はそうとうなものであったはずだ。ナマコは同島で輸出向けに乾燥された。その間、漁民たちは自分たちの食を満たすため保護動物のゾウカメを捕獲して食べた。恐ろしい話だが、こういう話は世界中にいくらでもある。
大航海時代、西欧の船乗りたちは実に贅沢に未開地の動物を食して回った。大航海時代とは世界中の珍獣・珍鳥のなかで肉が美味だったために絶滅するか、絶滅種になった生態系激変した時代でもあった.
ガラパゴス諸島もそういう時代に〈発見〉され飲料水と食料の補給基地となった。その諸島で捕獲された動物たちの数を誰が知る・・・。
 そして今日のグローバリゼーションは生き物になくてはならない水、そして空気まで汚染して時代ということになるだろう。そしてこの時代、中国経済の肥大化は、中国人の舌をさらにどん欲させ、ついにダーウィンの島まで侵す、という話だ。
 ガラパゴスを国際的な観光地として外貨稼ぎのために整備したのは政府であり大手観光業者であった。ゆえに島は荒れた。ツーリズムに迎合して“自然保護”を旗頭にエクアドル政府は零細漁民を追い出すナマコ漁規制を制定した。それに対し漁民はゾウガメの殺戮も辞さないと抵抗したのが「ナマコ戦争」。結果、捕獲量を制限することによって漁民の生存権は守られた。
 ナマコを通して中国経済の肥大化が及ぼす世界の食糧事情の変遷を知る。と同時に環境保護派の訴える「保護」がときに地元住民の文化と相容れないドグマ的な「正論」である、と告発される。世界の現在を知る労作だ。    ▼新泉社刊。2600円。

セバスチャン・サルガド写真展『アフリカ』

セバスチャン・サルガド写真展『アフリカ』
    ~人間生命へのかぎりない讃歌
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 墨に五彩あり、とは東洋美学の審美を要約したような言葉だが、ブラジル出身のセバスチャン・サルガドの一群のモノクローム写真をみていていつも思うのは、美しい色彩感だ。色相ではなく、あくまで色彩である。フォト・ジャーナリストで色相と色彩の懸隔を感性的に詩にできる写真家はめずらしい。サルガドはそれを天性の美質として行き来させる。アーティストとしてのサルガドは後期印象主義の火照りを導入している。
 大きさの制限された写真集のなかのサルガド作品では残念ながら「墨に五彩あり」といった深さは反映されず、印象は半減する。それでもこの写真家の視線の哲学そのものは減じない。
 サルガドの写真が、ひとたびギャラリーの壁に掲げられたとき、モノクロームはざわめき立つ。壁、床、天井を通じて反響し合い、地球の蠢きのような震えを生じさせる。
モノクロームの美しさは圧倒的だ。
 この秋、東京・恵比寿の都写真美術館で開催された『アフリカ』展の私の印象はそんな言葉からはじまる。
 総数100点の〈アフリカ〉、それは無論、広大な大陸の一端を切り取ったに過ぎないわけだし、みなサハラ以南、つまりブラック・アフリカといわれる地域であり、動植物の多様性をはぐくむ豊かな自然の大地であるとどうじに人間社会の作り出した矛盾の汚濁としての紛争の地、おびただしい難民が彷徨する色調を欠く乾いた不毛の地、飢餓と貧窮にうち砕かれた民衆の懊悩の地でもある。それをサルガドは一歩もたじろぐことなく両脚を踏ん張って撮っている。撮りつづけた。飽くことなく……。
 『アフリカ』の圧倒的な自然を愛でるようなツーリストの視線など無論、そこにはないが、それでもサルガドをして自然を畏敬する心はゆたかに生きている。しかし、その前に、この現実をいかに写し取るか、貧窮した人々の吐息まで、はたして写し撮れるのかと、自ら問い批評し反芻している。
 苦悩するひとびとを哀れみの目でみてはいけない。哀れみの視線で撮れば写真はそのようにできあがってしまう。彼らの人間としての尊厳をいささかも毀損してはならない。
 そんなサルガドの思いが切々と伝わっていくる。
 たとえばナンビアで撮られた「カオコランド地方オルタンダに暮らすヒンバ族の女性」(2005)は女神像と比喩的な表題が与えられても納得できる作品だ。黒褐色のヴィーナス。部族の習俗がながい歳月を掛けそだてた審美眼に象徴されるヘアースタイル、半裸の着衣……その麻のような一枚の布で覆われた下半身、その布の襞はまるでビザンチンの聖像画で繰り返し描かれてきた様式美を思わせる。
 そういう美しい像は、入場券に刷りこまれた「カオコランド地方マリエンフルスのカタパティ川近くで暮らすヒンバ族」(2005)の豊かな乳房をおしげもなく晒す若い女を撮った作品(半裸はこの部族の習俗であって、写真のモデルとして乳房を露にしたものではない)も素晴らしい。そして「 ワド・シュリファイの難民家族(スーダン)」(1985)の三人の幼子を抱く若い母の像はアンドレイ・ルブリョフの聖性すら宿っている。赤子に授乳したばかりで母はやわかな微笑を浮かべ、赤子はたったいま安らかな眠りについたところだ。そんないっときの平安を切り取っている。家族の日常の時間のなかでもっとも充足した一瞬だろう。サルガドのシャッターはこの瞬間しかないという刻を捉える、永遠の像としてとどめたいと希求する。それは写真家なら誰でも思うものだろうが……しかし、その一瞬に写真家の哲学が問われる。その哲学の宇宙の質量はひとによってみな違うものだ。そこに広大なグラデーションの綾が生じてしまうのだ。
 表題にあるように「難民家族」である。
 暮らしは日々、困窮していゆく。母はいつまで授乳できるかわからないという絶望感を抱えているのかも知れない。悲惨な内戦がつづくスーダンの地を彷徨した母子である。その美しい若い母の像に惹きこまれて写真を批評的に検証していけばいろいろなことが一幅の写真からみえてくる。まず、この母の伴侶はいまどこにいるのか? 生きているのか死んでいるのか? 部屋の内壁はアドベ(土壁)のようで大きな剥落がみえる。背後の棚には押し潰され汚れもあらわな夜具がみえる。難民生活の困窮ぶりが否応なく知れる。
 難民を撮った美しい母子像には、「サヘルの干ばつで流民となった人たち(ニジェール、アガデス)」(1973)という作品もある。画像を上方左端角から下方の右端角まで斜めに仕切った写真だ。その左側に若い母と背の幼児の姿が写し取られ、右側には突き抜けるような空が広がっている構図だ。この母の顔は疲労困憊している。しかし、その顔面には、プライドを失うまいとする凍った微笑みがたたえられている。それがなんとも美しい。愁嘆美、という言葉があるなら、私はそう書いてみたい。
 そうサルガドの写真は難民や流民、飢えたる人々を描いてなお美しい。
 ながくたたずみ鑑賞することが少しも苦痛ではない。そんな写真なのだ。これが並みのフォト・ジャーナリストとの決定的な差である。一個の芸術として鑑賞できる写真……そうあるものではない。報道写真としての役割を十全に果たしながら、なおかつアートになっている。
 怠惰で気の弱い大衆はかいなでの報道写真で押し付けがましく強いてくる「悲惨」や「飢餓」には正直、うんざりしている。情報過多のなかで「アフリカ」の悲劇を伝える手段として写真はその限界を思い知らされている。われわれはそういう時代に生きている。
 報道写真はいつも一過性の消費物として忘却される。
 すでに天文学的な数の写真が「アフリカ」の悲惨を伝えてきたはずだ。しかし、それらの写真がキャプションの身の丈ほどの役割が終われば忘却されてしまう。そう、大半ほとんどが……。
 サルガドの多くの写真は「証言」ではなく「芸術」としての永遠性をもった。
 飢えた母への同情を喚起しよう……そんな姑息はサルガドの手法にはない。ときの政治や気候変動によって打撃をうけた母だが、彼女の人間性まで壊されてはいない。必死にきょうを生きようとしている姿は美しい。授乳する母の姿は人類普遍の命のはぐくみの光景として、無償の愛の光景の象徴として、畏敬しつつ撮っているのだ。
 カトリシズムがうんだ聖像画でもっとも美しい光景は聖母子像だと思う。ブラジルのカトリックの風土で育ったサルガドには、それは自明のこととして感得されているはずだ。

書評 『ラテンアメリカ十大小説』 木村榮一著

書評 『ラテンアメリカ十大小説』 木村榮一著
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 豊潤にして美味、物語の醍醐味を堪能させてくれる現代ラテンアメリカの小説の森、いや密林。これまで、この地域の現代文学に関して適切かつ簡潔に方向指示を出してくれる入門書のたぐいはなかった。わずかに植民地時代から現代の汀まで鳥瞰して解説してくれた文庫クセジュの一冊しかなかったと思う。クセジュだから当然、フランス人の嗜好を濾過しての提出であって、必ずしも日本の読者の嗜好とはすこし違う味つけ味わいで調理されていた。そこへ木村さんの本が出てきた。このメニューはいい。いうならば日本人好みの案内書が出てきた感じだ。こういう入門書を渇望していた読者は多いと思う。僕自身、なにか、やっと満たされた、という感じだ。
 著者は、これまでガルシア=マルケス、バルガス=リョサ、ボルヘス等々、現代ラテンアメリカ文学の代表作を幾多も翻訳してきた、いわば実践者の手になる指南書だから信用できる。水先案内人は熟練者にかぎる。木村氏は幾多の翻訳を通じて、その世界に深く分け入って、絡み合う蔦を払い、虫の攻撃を撃退しつつ、芳醇なる言葉を拾い選んできたラテン文学界の苦労人だが、まぁ苦労とはあまり思っていないだろう。先駆けて読んだという優越者だし。
 木村氏ならではと思わせる引用箇所が魅力的で、小説を知り尽くした人の説得力をもつ。そして、とりあげた十代小説の解説に行き着く前、限られたスペースのなかで、その作品にいたるそれぞれの作家たちの履歴や、同時代の母国の歴史なども語って周到に読者のイメージをふくらませ、と発酵させつつ、さてこういう魅力に富んだ作品だ、と提示する手法である。そして、その粗筋の紹介もまた一つの掌編小説を読んでいるような、それ自体が掌篇であるかのような面白さを味わうことができる。
 十代小説とは、ボルヘス『エル・アレフ』、カルペンティエル『失われた足跡』、アストゥリアス『大統領閣下』、コルタサル『石蹴り』、ガルシア=マルケス『百年の孤独』、フェンテス『我らの大地』、バルガス=リョサ『緑の家』、ドノソ『夜のみだらな鳥』、プイグ『蜘蛛女のキス』、イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』である。十代作家十代小説という選択である。
 熱心なラテンアメリカ文学愛好家ならすでに自分の嗜好を頑固な頑迷にねちっこく抱え込んでいるいるだろうから、木村腑分けに異論もあろうかと思うが、入門書であってみれば、その選択はじゅうぶん納得のいくものである。僕だって異論はあるけど、しかし、概ね了解という選択にはちがいない。
 現代ラテンアメリカ文学の特徴をひとつの網にかけるようにして括る比喩に「魔術的リアリズム」というのがある。著者もまた、それを肯定しているわけだが、それぞれの作家たちの「魔術的リアリズム」の表出の方法、表現はそれぞれ抜きがたい個性があるわけで作家と作品を語るなかで、その特徴を鮮やかに提示していく。
 木村氏自身が、「魔術的リアリズム」の魅力に遊弋して仕事をしてきた人だから、その入門書の文体も、いわゆる教科書的な無味乾燥としたものではなく、芳香が行間にただよって読ませる。これがいい。先にあげたクセジュはその点、すこぶる教科書的な文体であった。本書で、またラテンアメリカ文学愛好家がふえたら愉快、完爾!
▽岩波新書(2011年2月刊)
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Author:上野清士
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