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北杜夫さんの死とモルフォ蝶

北杜夫さんの死とモルフォ蝶
モルフォ

昨10月、作家の北杜夫さんが鬼籍入りした。
 私にとって北さんの作品といえばなりより『どくとるマンボウ昆虫記』である。
 昆虫採集を語りながら少年の日々を綴った、甘酸っぱいリリシズムに満ちた自伝。当時の東京の後景、戦前・戦中の様子も語られ、ている。
その終章で、中米熱帯雨林に住むモルフォ蝶への憧れを語り、「いつか訪れてみたい」が、叶(かな)えそうもない夢だ、と書いていた。モルフォ蝶とは昆虫好きなら羨望をもって語らずにはいられない舞う宝石である。蝶の女神、と喩(たと)えよう。
 『昆虫記』は1961年の刊行。その当時、日本は貧しかった。外遊するにも持ち出せる外貨に限度があった。中米の密林で蝶を追うなど極めつきの贅沢、それこそ王侯貴族の趣味道楽の領域であった。
 しかし、時代は劇的に変わってしまった。日本人の勤勉と努力。日本は豊かになった。北さんだって、ひそかに中米入り、コスタリカを訪ね、あこがれのモルフォ蝶と対面しているのかも知れない。
 私の少年時代だってコスタリカといえばとてつもなく遠い、はるか彼方に位置する夢のまた夢のなかの秘境であった。否、いまでも距離の絶対的な隔たりは不変だが、飛行機はより便利に早く、廉価となったという意味では、もはや秘境とはいえない。
 世の蝶好きさんたちをあえて羨ましく思わせるために書いてしまう。
 コスタリカで舞うモルフォを観ている、幾度も。ついでに申し添えれば、ペルー・アマゾン産のモルフォの標本と、もう一翅、出所不明のものを持っている。ガラスケースに密封された蝶は、いささかも退色せずメタリック・ブルーに輝きつづけている。メラウスモルフォという種。
 北さんも後年、モルフォ蝶の標本ぐらい手にいれたのではないか? 北さんの遺品のなかにひっそりと埋もれているかも知れない。
 で、ふと思わずにはいられない。北さんが亡くなった昨年、東北の被災地で、おびただしい昆虫標本が津波に流されただろう、ということ。そんなこと、数など誰も記しやしない。小学校が流され、中学校が崩壊し、多くの図書館が流されたとき、おびただしい本ともに学習用標本も失われたろう。そのなかにはモルフォの標本もあったと思う。
 杜夫少年が採集したおびただしい標本は1945年3月、米軍機による空襲であっという間に灰燼と化した。『昆虫記』の終章で、そう記していた。大戦末期、全国で無数の標本がB29の焼夷弾で灰になったはずだ。昆虫少年の努力をアッという間に無にしただろう。そういう記録も残らない。
 そして、考える。……「無」で終わればいい、と。
 「無」はある意味、解放だが、福島の原発事故は過酷な呪縛だ。生きる昆虫を冒しつづける。昆虫は汚染地域から外に出る。誰も止められない。鳥たちはとんでもない場所にセシウムまみれの糞を蒔く。チェルノブイリの汚染を鳥はユーラシア大陸の四方八方に撒き散らしている。・・・いた、と過去形で書けない。いま現在もチェルノブイリは放射能を放散している。事故から数年して原発を覆った“石棺”は内部から冒され、再建築されることに決まった。鳥のことを書いたが、スラブの蝶だってむろん汚染されているのだ。
   
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映画『灼熱の魂』 ドゥニ・ヴィルヌーブ監督 

映画『灼熱の魂』 ドゥニ・ヴィルヌーブ監督 
灼熱の魂

 筆者がメキシコ市に暮らしていた頃、家から市中の市場に出かけた時の足掛かり休息の場としてレバノン出身の青年が経営する小さな喫茶店に寄っていた。店の雰囲気もコーヒーの味もいまひとつだったが、くだんの青年と話し込んだことがきっかけで、なんとなく親交が芽ばえ、通うようになった。しかし、メキシコではよくあることだが、あるとき突然、店が閉まり、それきりの関係に終わった。
 青年は幼い頃、両親ともにメキシコにやってきた。内戦で疲弊した祖国から家族とともに亡命したのだ。
 「シャキーラの親父もレバノ難民だろう、フリーダ・カーロをやったサルマ・ハエックの両親もそうだろう。メキシコだけじゃない、この大陸にはレバノン人が多いんだよ」と青年はいった。
 映画『灼熱の魂』はレバノンと特定されているわけではないが、この国の内戦しか考えられない。もともと舞台劇であったが、その原作者ワジディ・ムアワッドも内戦下のレバノンの物語であったことを否定していない。しかし、敢えて匿名性にこだわるのは、内戦という閉じられた空間で起こりうる普遍的な悲劇を象徴させようとしたからだ。隣人同士が残虐な行為に走ってしまう荒涼たる心象光景を皮膚を裂くように描く。映画は歴史的真実を背景にしないと作り話めいて軽くなる。悲劇のリアリティに真実ほど滋養となるものはない。
 青年に内戦下のレバノンはどのようなものであったのか? と問うと、「大変な時代だったさ」と言い切り、話を逸らすか、手仕事に視線を落とす。それ以上、立ち入るなとけん制した。
 その頑なさはけっして陰性のものではなかったが、胸のなかに厚い壁をつくっていたように思う。そんな心の壁も親しくなるほどに溶解するのではないかと思った。だから、青年が自ら語ることを期待して、ジャーナリストのいじましい好奇心を抱えて筆者は喫茶店に通った。しかし、店は予告なしに閉じられた。
 本作の主人公でレバノンからカナダ・ケベック州のフランス語圏の町に亡命した女性ナワル・マルサン(ルブナ・アザバル)は双子の姉弟の母だが、母性の希薄な人だった、と描かれる。子を前にして残酷ともいえる頑なさを持ちつづけたまま、ある日、なんの前触れもなく自死した。不可解な遺書を遺して。
 物語は、その遺書にしたがって長女ジャンヌ(メリッサ・デゾルモー・ブーラン)がレバノンに渡り、母の足跡を追いはじめることで動き出す。母親の冷たさを解くカギがレバノンにあるだろうとジャンヌは思った。
 母親の青春時代のナゾを紐解くという一種のサスペンス・ドラマ。内戦の背景をよく知らない人でも筋運びの巧みさ、ミステリアスなナゾ解きのおもしろさに引き込まれるはずだ。
 ジャンヌはレバノン内戦の過酷、悲惨を母親の生きた軌跡を通して学ぶことになる。実相を知るにしたがって独りでは手に負えないことを知り、カナダから双子の弟であるシモン(マキシム・ゴーデット)をレバノンに呼びつける。イスラム社会だ若い女な踏み込む領域は狭い。そして、ナゾ解き行脚は複数の眼をもつことで内戦下の実相は明らかになってゆく。内戦をもたらした政治家たちの無能、私利私欲、宗教の不寛容、テロ、市街戦の荒廃、人心の惑乱・寂寥……そうしたものが「母探し」の過程でいやおなくあぶり出される。
 内戦下、母の恋人は親族の宗教的不寛容、因習のなかで射殺される。それも大いなる悲劇であるはずだが、それも小事と思わせるぐらい、母が待ち受けるのは地獄そのものだった。殺された恋人の子を身ごもっていた母は密かに男児を出産後、他人の手にわが子を託し、大学生生活に戻る。その男児が双子の義兄だ。しかし、内戦下、義兄の消息は分からなくなる。その義兄は長じて兵士となり、やがて政治犯として捉えられていた実母を拷問するという数奇な巡り合わせとなる。その先を具体的に書くのは止めよう。これから観るだろう読者に対する礼儀として。
 しかし、この物語がギリシャ悲劇のオイディプス王の煉獄通じていることだけは言っておきたい。神話ではなく、この世界のリアリティとして語られていることだ。
 21世紀を迎えてもなお人間は、古代ギリシャ時代の人性とすこしも変わっていないことを教えてくれる。
           

アルゼンチン映画『瞳は静かに』ダニエル・ブスタマンテ監督

映画『瞳は静かに』
   ダニエル・ブスタマンテ監督14.jpg


 子どもは両親の意思によって生まれてくるのかも知れないが、子はその両親を選べない。ましてや時代も国も選べない。子どもは出生から不条理な存在として、この世界に投げ出される。けれど、そんな不条理に子ども自身が気づくのは言語を習得し、抽象的思考が熟成されなければいけない。
 社会の仕組みの骨格を知るにはさらに時間がかかるし、その仕組みの裏オモテを知るにはより知的な作業を必要とする。両親をふくめて大人の醜さ、キレイ事ばかりでは生活が維持できない世知や機微を知るのは成長ということであり、社会の成員となる一里塚である。
 物語は1977年、アルゼンチン北東部の州都サンタ・フェが舞台。8歳のアンドレス少年の母が事故死する。それから約1年、日常生活のなかで遭遇するさまざまなできごとを描きながら、少年が手探りでいま自分が生きている時代の息苦しさ、残酷さを学んでいく物語だ。
 母の事故死も、ソレとはっきり明示されているわけではないが、政治的な死とも読みとれる……と曖昧な書き方になるかといえば、この時代、アルゼンチンは軍事独裁下にあった。ひとことで軍政といっても、その〈独裁〉ぶりは相当な軽重の差がある。なかでも、この時代のアルゼンチンの軍政は今日まで罪を問われるほど残酷なものだった。軍政反対派の活動家を徹底的に弾圧した軍人たちの政府は、逮捕した女性が妊娠していれば、刑務所内で出産させ、その後、拷問死させると、親を失った乳幼児を、子のいない軍政支持派の家庭に斡旋し養子縁組をさせるということを繰り返した。反軍政に抵抗した活動家だけでなく、そのシンパたちも闇から闇へ葬ったアルゼンチンの軍政であった。そういう時代の物語である。この時代の白色テロを称してアルゼンチン、あるいはラテンアメリカでは「汚い戦争」という。
 アンドレス少年はある夜、窓外の物音で目が覚め、カーテン越しに、数人の秘密警察の男たちが(と少年は認識しているわけではない)、反政府活動家の男女(と、これも少年がそう認識しているわけではない)を路上に倒し強打している場面を目撃する。固唾を呑んで成り行きを見守る少年の口を、祖母オルガが背後からいきなりふさぎ、ベッドに押し込める。翌朝、少年は昨夜ので、できごとの説明を祖母に求めると、「夢でもみたのでしょう。私はなにもしらないよ」とごまかされてしまう。母の死、遺品にまぎれた軍政を批判するビラの束、父は神経質に脅え、親族の会話も空々しい。
 不可解な大人たちの立ち振る舞い。少年を時代の過酷さから守るための大人の愛情行為だったとしても、少年は大人に不信感を募らせてしまう。そういうことがディティールのしっかりしたシナリオと演出で描かれてゆく。
 アルゼンチン及び政治的な関心の強い読者には、軍政下の地方都市で起きたことの“事件”の一こま一齣が日常生活のレベルにまで浸透して、さざなみを起こすことの社会的考現学に興味を募らすだろうし、この国の現代史をまったく知らない読者には、また幸いである。なぜなら少年の視点に立って感情移入が容易だろうし、少年をめぐる大人たちの行動の不可解さを「非政治的」立場から眺められる。本作がアルゼンチン国内に留まらず、諸外国の映画祭で評価された美点だろう。
 アルゼンチン軍政が崩壊し民主化が達成されてから、すでに28年が経った。南米ではブラジルに次ぐ制作本数を誇るアルゼンチン映画だから、当然、軍政時代そのものを描いた作品、軍政の後遺症を引きずる人びとを描いたドラマが数多く撮られている。
 祖母オルガを演じたノルマ・アレアンドロは、そうした映画中、これまで最大の評価を得た『オフィシャル・ストーリー』(1986)に主演し、アカデミー外国語賞を受けるのに貢献した名優。その映画では、軍政下で拷問死した若い女性活動家の子を、それとは知らずに養子として迎え入れる右派の軍政支持派の夫をもつノンポリの妻役という難役をこなしていた。日本でも公開され、映画によって日本人は……いや世界は軍政時代のアルゼンチンの真実を知った。
 アルゼンチンではその時代、約3万といわれる若い活動家が行方不明となった。現在に至っても大半の犠牲者は行方知らずのままだ。日系アルゼンチン人の活動家も行方不明になっている。その日系家族たちがブエノスアイレスの日本大使館を通じて、わが子を救い出すために尽力を、と要請したが、日本政府はこれをまったく無視した。当時の自民党政府は米国に追従して軍政を支持していたからだ。
 本作は、非政治的な存在としての子どもの視点から当時の市民生活を描くことで、軍政時代の過酷さをより深く彫り込むことに成功している。 上野清士
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上野清士

Author:上野清士
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