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世界を席捲する若きギターリスト・・・朴葵姫嬢

チャーミングに世界を席巻するギターリスト
  ~韓国生まれ日本育ちの朴葵姫嬢
朴

 世界有数のギター・コンクールを行脚、ことごとく優勝、ないしは上位入賞を果たし、昨年には世界最高レベルといわれるアルハンブラ国際コンクール(スペイン)で第一位及び聴衆賞を獲得した。

「聴衆賞」というのは他のコンクールでもよくあることで、これは規定が明確にあるわけでないから即断できないけど、技術面では難があり優勝ないしは入賞は無理だが、聴衆にアピールした華があり、熱演だったと選ばれたりする。次点、ないしは3,4位のなかから選ばれることが多いように思う。
 しかし、優勝して聴衆賞も獲得したとなると話は別だ。実力も華もある、つまりステージ演奏家として金の取れると、認められたようなものだ。葵姫はアルハンブラのコンクールで技術、曲の解釈だけでなく、不特定多数の聴衆の心を打つインパクトを与えたということだ。スペインだから、それは「情熱」の強さと受け止められたかも知れないし、可憐な女性が優雅に弾きこなしてしまう超絶技巧にたいする驚嘆であったかも知れない。

 その葵姫のリサイタルが9月18日、東京築地の浜離宮朝日ホールで開かれた、コンサート・イマジンの招待を受け、歓んで参加した。
 スカルラッティの古典から現代曲までと約300年のギター曲の変遷を1時間半ほどで聴かせる構成だ。スペインとラテンアメリカのギター曲に特化したリサイタルだった。

 爪弾かれた瞬間から優美さが求められるスカルラッティのソナタを、まるでスペイン宮廷に仕える楽師のように軽々と弾きこなし、会場にたおやかな雰囲気で包み込むと、つづいてロマン派の曲、さらにヴァイオリンのパガニーニのような超絶技巧の難曲で、弦を押さえると同時に、その右指だけで弾くパートをもつリュベート(スペイン)「ソルの主題による変奏曲」(この曲に関しては、彼女ならさらに完成度が求められる)、そして現代ギター曲の古典といえるバリオス(パラグアイ)「大聖堂」(*この曲に関しては後日、別立てで書きたいことがある)、そして彼女の新作アルバムの表題曲になった、やはりバリオスの「最後のトレモロ」等など。清新な才能に魅了された時間だった。

 最近、クラシック業界の新進演奏家の女性陣はほんとうに美女、美少女が多い。ヴィジュアル面でも魅せてくれる。うすいピンク地のロングスカートにギターを抱えた葵姫だが、チマチョゴリで弾いても似合いそうだ。

 現在、日本、そして韓国を中心に活動する葵姫。昨今、日韓関係は竹島問題発生以来、ギクシャクしたままだ。友好親善であるべきサッカーの試合も、亀裂をさらに抉るだけの事態になっている。東京・新大久保の通称コレアンタウンでは、毎週のように「韓国人は死ね」、「出て行け」とヘイトスピーチを繰り返す「在特会」なる存在がある。東京五輪の誘致で、日本は「お・も・て・な・し」の心を訴えたが、それに水をさすような現実がある。
 
 葵姫の演奏を聴きながら、韓国で生まれ、日本で育ちギターを学び、対馬海峡を行き来して活動し、母国語も日本語も流暢に話すチャーミングな笑顔の美しい実力者こそ日韓友好使節としてふさわしい人材はいないだろうと思う。

 当日の浜離宮朝日ホールはほぼ満席、彼女と同世代の若手ギター演奏家たちも観客席に散見された。終演後、聴衆は惜しみない拍手を贈りつづけた。その拍手のなかに、ただ演奏に対する評価ではなく、「これからもあなたのことを一観衆として支持しますよ。音楽に国境なんかあるものですか」という理想の心があるように思う。芸術を愛する心に民族差別は生じない、と信じる愚直さを持つことこそ、いまの時代にふさわしいのではないかと思う。  
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チリ映画『ヴィオレータ、天国へ』(アン ドレス・ウッド監督)

チリ
 一般公開が望まれるチリ映画『ビオレッタ、天国へ』
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 今秋(2012)の「ラテンビート映画祭」で上映された切り一般上映も決まらずに事実上、お蔵入りしていたチリ映画『ヴィオレータ、天国へ』(アンドレス・ウッド監督)が先日、撮影を担当したミゲル・リッテン監督を
迎え、東京・市ヶ谷のセルバンテス文化センターで再映された。
 チリが生んだ偉大な歌手ヴィオレータ・パラの起伏に富んだ熱情的な生涯を語り下ろした秀作。年代記風に綴った凡庸な評伝ではない。たとえパラの歌、チリという国、ラテンアメリカの風土や文化、政治を知らなくても才能に満ちた女の愛と表現活動を冷徹に、しかし愛情をこめて映し出した映画として普遍的な力をもつ作品だ。そんな映画が現在、一般公開の目途がまったく立っていないのであらためて紹介したいと思った。
 チリの傑出した女性の名を上げようといえば、ラテンアメリカの文化を少しでも知る者なら誰でも第2次大戦後、初のノーベル文学賞受賞者となった詩人ガブリエラ・ミストラルを上げ、間髪を入れずヴィオレータを上げるだろ。
 南北にながい母国を旅し口承としてしか遺されていない民謡を無数に発掘、民族遺産として記録し研究し、そして歌ったヴィオレータを人は歌手と定義する。一方、その豊かな才能は手芸、刺繍、とくにタペストリー作家として著名で、パリ・ルーブル美術館にもその作品は収蔵されている。表現欲求の赴くまま、絵や彫刻にも手を染めた。まで表現活動を拡張していった。ということを知れば、歌手とだけ安住させることはできないだろう。しかし、いわゆる簡素なテントづくりの歌を聴かせる飲食堂ベーニャをつくり経営したヴィオレータはやはり音楽にもっとも愛情を注いだことはまちがない。
 しかし、ヴォレッタという偉大な才能も、愛の亀裂にはあまりにも脆かった。ピストルで自ら打ち抜いて、地から飛翔し、去った。

 リッテン氏によればのウッド監督とともに長年あたためてきた企画だったという。何より、主演女優の選定に苦労したようだ。
 主演のフランシスカ・ガヴィランを見い出したとき、そのカメラテストでヴィオレータが蘇生するさまをみて狂喜したと伝えられる。
 歌う場面では当初、ヴィオレータの歌をそのまま使うつもりだったという。ところが主演のフランシスかすべて歌い通すことになった。それが素晴らしい。あたらしいヴィオレータ解釈となっているが、スペイン語圏の映画賞では、その熱演が称賛され多くの賞を獲得した。ヴィオレータの乾いた少々、突き放したような歌唱を知るものには、フタンシスカの歌は穏やかで、そこにヴィオレタへの共感が滲みでている。

 ミゲル・リッテン監督は、日本でも公開されたニカラグア映画『アルシノとコンドル』や、ガルシア・マルケスのルポでも知られる『戒厳令チリ潜入記』を撮ったミゲル・リッテン監督の同姓同名の長子である。
 現在、本作に触手を伸ばす配給会社は皆無だという。是非、本誌『ラティーナ』を通じてあらためて本作を知らしめたいという義憤から、これを書いた。

チャべス大統領追悼コンサート*ベネズエラ・カラカス/2013

ベネズエラ
 チャべス大統領追悼コンサート
ベネズエラ*グスタボ・デュダメル (1)

 ベネズエラのウーゴ・チャべス大統領の急逝は世界的な波紋を呼んでいる。58歳の働き盛りだった。
 自ら牽引し推進してきたボリバル革命は、精神的な支柱をなくしたわけだが、1999年1月、大統領に就任して以来、国内に培った革命の道程は後継者によって、さらに踏み固められることとなるだろう。
 3月9日、チャべス大統領を追悼するコンサートがカラカスで行なわれた。
 このコンサートのために現在、米国ロス・アンジェルスの交響楽団の常任指揮者を勤めているベネズエラ出身のグスタボ・デュダメルが長足、カラカスに飛び指揮を執った。
 ラテンアメリカ諸国のクラシック音楽界についてはメキシコ、ブラジル、アルゼンチン、キューバといった国ぐらいしか紹介されてい ないので、この機会にチャべス主義者でもあったデュダメルという若き才能に触れておくべきだと思った。

 1981年1月生まれのデュダメルは現在、32歳という若き俊英。ヴァイオリン奏者として出発した後、指揮を学んだ才能だ。現在、ロス・アンジェルス交響楽団を中心に、故国カラカスのシモン・ボリバル交響楽団の指揮者も兼務し、ドイツを足がかりにヨーロッパ諸国からイスラエルまで世界大で活躍する超多忙な指揮者のひとりだ。そんな指揮者がチャべス大統領の追悼コンサートに駆けつけたのだ。

 チャべスが大統領に初就任した1999年にデュダメルはシモン・ボリバル交響楽団の指揮者に就任している。2007年、同交響楽団がヨーロッパ諸国を巡演した。チャべス大統領の意向で、文化面でのボリバール革命の成果を同交響楽団に象徴させようという意図があったのだろう。この指揮もデュダメルが執り、ローマ法王ヨハネ・パブロⅡ世の御前演奏でも指揮も担当した。

 デュダメルの才能が国際的に知られるようになったのは2004年、ドイツで行なわれたグスタヴォ・マーラー賞コンクールで最高賞を獲得してからのことだろう。その時、23歳。マーラーの指揮で評価されたように、デュダルは重厚で精密な構成力を必要とされる大曲の指揮を得意とするようだし、それで評価を得てきた。
 ベートーヴェン、チャイコフスキー、ラフマニノフの交響曲も彼の重要なレパートリーになった。チャべス大統領就任以降に開花した才能として、彼はベネズエラ文化を象徴する存在となった。チャべスの思想に共鳴して、故国で青少年の交響楽団の指導にも携わっている。2007年にはチャべス大 統領からベネズエラ独立時代の英雄の名を冠したフランシスコ・デ・ミランダ賞を授与されている。
 追悼コンサートに彼より他に指揮執る者はいなかっただろう。

花持つ女 №14 ジュディ・シカゴ (米国)画家・フェミニズム

ジュディ・シカゴ  (米国*1939~)
  「ディナーパーティー全景」
dinner-1 シカゴ

 本コラムの表題「花持つ女」は、実はジュディ・シカゴの同名の著作にインスパイアー、そして啓示を受けたものだ。
 1975年、米国で刊行されると若い女性創作家及びリブ系の活動家に圧倒的な支持を受け、邦訳は79年に出た。原題は「花をとおして」。卓抜な邦訳を成した小池一子は「花もつ女」との表題を記した。
 フェミニズム・アートの関わりを自伝的に記しながら、古今の女性美術家たちの存在を知らしめた歴史的な価値をもつ本だが、創作家としての彼女の作品は本書の挿画として広く知られることになった。
 起伏に富んだ活動を行なってきたシカゴの熱情的中間報告が写真で示したインスタレーション「ディナーパーティー」全景だ。
 西洋文明における女性の歴史的偉業を1辺13席、計39席の正三角形のテーブルに配し、39人のそれぞれの個性をシカゴ的解釈で象徴的なモノを絵皿に盛り付け立体的にクラフトする。先史時代から20世紀にいたる女性史の象徴的な祝祭空間。
 古代ギリシャの女性詩人サフォー、作家のヴァージニア・ウルフ、画家のジョージァ・オキーフといった著名な39人となる。そして、それぞれの生き様、仕事をねぎらうようにワイングラスを配す。
 絵皿上の象徴はシカゴが70年代に連作として制作していた女性器を装飾化した作品〈花もつ女〉の敷衍。
 今では信じられないが、こうした作品が70年代前半には米国でも“卑猥”“風俗紊乱”として忌避された。草間弥生がニューヨークで受けた“羞恥”とどうようだ。このディナーパーティーの形式は、日本女性史にもアジア女性史にも転用できる普遍性をもつだろう。
 「全景」は79年にはじめて発表された後、6カ国16会場でも公開され、2002年9月にも“前衛”として米国ブルックリン美術館で展示された。写真はその時のもの。「花もつ女」は21世紀も闘っている。

花持つ女 №13*人見絹江 日本女子アスリートの先駆者

人見絹枝(1907~1931)
  日本女子アスリートの先駆者

 サッカー・なでしこジャパンがW杯で優勝したとき、日本女子アスリートの草分けであった人見絹枝のことを思った。
 1926年、スエーデンで開催された女子オリンピックに日本から唯一の選手として派遣された。日本女子選手のはじめての海外遠征である。
 人見は同大会で三つの金メダル、銀・銅各一個という驚異的な成績をおさめた。
 当時、人見選手の活躍を伝えたスエーデンの新聞は、「地震や洪水など天災地変ぐらいしか日本に対する印象がなかったが、日本にかくの如き立派な女性がいることを発見した」と書いた。人見は、三年前の関東大震災に疲弊する日本というイメージを覆し、さらに「フジヤマ・ゲイシャ」といった卑俗な日本女性観も一時的に払拭したのだった。
 陸上競技の天才だった。
 短距離、投てき、そして跳躍競技に世界記録を出した。
 1928年、大阪で5m98の走り幅跳びの世界新記録は以後、11年の間、更新されることなかった。
 「女がふとももを晒すとはなにごとか」という女性観がまかり通っていた時代、いわゆる社会的常識を覆そうと人見は奮闘努力した。先駆者としての悲哀をなめながらの成績であった。
 ただ競技に参加するだけでなく、女子スポーツの普及のために講演し、海外遠征のために資金をつくることまで要請された。大阪毎日新聞の記者でもあった。
 10代後半から文字通り、東奔西走し、疾風怒濤、時代を駆け抜けた。そして体力の限界まで自分を追い込んだ結果、過労から肺炎を誘発、わずか25年を一期として還らぬ人となった。
 あまりにも短い生涯だがアスリートとしての活躍だけではなく、日本のスポーツ界に遺した功績はあまりにも大きい。
 2020年、東京でのオリンピック開催が決まった。いま、あらためて人見絹江の業績を思い出すときであるはずだ。   

メキシコの飛ぶ男たち=ボラドール

先住民祭事を世界遺産に
ボラドール

 エルナン・コルテスのアステカ帝国征服以前のメキシコ先住民祭事を、音楽・舞踊・衣装とともに良く伝えているといわれるベラクルス州パパントラのボラドール。
 いまもプレコロンビア期の神殿都市遺跡タヒンの祭儀場跡地で“生きた”祭事として披露されている貴重な文化遺産だ。2009年にはユネスコの世界遺産「無形文化遺産」候補にリストされ現在、指定を待つ。
 ここでいう無形文化遺産とは、民族文化財、フォークロア、口承伝統などを指す。
 ボラドールとは、空間の広がる広場の中心に、見上げるほど高く立てた(約20メートル)1本柱の頂点から4人の男たちが、一本の命綱を足首に巻き、楽器を奏でながら、綱がほぐれるほど旋回の幅を広げてゆき13回転する視覚的にもスペクタルなものだ。男たちの衣装は、鷲やケツァールなどメソアメリカに特徴的な鳥を象徴するものだ。
 13回転はおそらくプレコロンビア期の先住民の年間の月数だろう。メソアメリカの先住民は異常なほど数字にこだわった。西欧で現在のように1年365日、そして閏年がさだめられたのはグレゴリオ法王下のカトリック世界だったが、メソアメリカでそれよりはるか以前から、365日として制定し、閏年などをどう調整するかとマヤの天文学者たちが現在の中米ホンジュラスの神殿都市コパンで学術会議が行なわれていた。そのコパンのピラミッドの碑文石は、そうしたマヤ暦を象徴するものとして並べられていたといわれるが、これを修復したフランス考古学チームが配置を間違えて再建、意味がなさくなったといわれる。
 神殿遺跡タヒンの主祭殿ピラミッドは、365の凹状の四角い石棺のようなもので覆われている。

 メキシコ先住民文化のランドマークとして観光ポスターやフィルムなどにも頻繁に登場するし、巨大な壁画によって、メキシコイズムを高揚させたディエゴ・リベラもボラドールをシンボリックに描いている。
 メキシコ市最大の規模を誇るチャプルテペック公園、その公園の一角に世界的な考古学施設・メキシコ国立人類学博物館があるが、その正面広場では外国人観光客向けに日に数回、パパントラ出身のグループがボラドールを披露している。もっとも、これは街頭芸化していて、舞い降りたボラドールたちから広場の聴衆から“心付け”を集めてまわるが、メキシコ市中で確実に観られる先住民祭事の無形文化財ということになる。

 このパパントラのボラドール・グループ4人が7月24~26日にかけてポルトガルのアベイロ市で行われたユネスコの「世界遺産」の無形文化遺産候補の選定会議に参加し、妙技を披露した。
 今回、特に会議に参加し、選定委員の前でデモストレーションすることになったのは、ボラどーレス4人ともに参加したメキシコ国立先住民文化機関(CAI)のホセ・ルイス・ペレア代表の言葉に要約される。
 「先住民の文化は、彼らの共同体における特色のある経済、社会が維持されることによって生き延びることが可能だ。そのためには、先住民の象徴的文化が『世界遺産』に指定されることは、とても重要なことなのだ」と。
 メキシコばかりでなくラテンアメリカには指定を待つ多くの豊かな先住民文化が存在している。メキシコのボラドールはその推進役として特別参加したのだ。 
プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

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