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花もつ女 №16 アンナ・パブロワ

アンナ・パブロワ
 (舞踊家*ロシア 1881~1931)

 ロシア革命(1917年)は世界の政治・思想界だけでなく、ジャンルを超越して多くの文化に多大な影響を与えた。それはソ連邦が崩壊するまで続いた。
 なかでも深甚な影響を受けたのがバレエ。革命によってロシアは幾多の才能を失った。しかし、失うたびに、それに代わる人材を育て、世界のステージに立たせた。ロシアのバレエは、マリウス・プティパをマリンスキー劇場にバレエ監督に就任して以来、人材の宝庫となった。
 
 ニジンスキー、ヌレエフ、バリシニコフ…20世紀を代表する男性舞踊手はみな自由な活動を求めてソ連から(時に命がけで)亡命し、ロシアバレエの影響は地球大に広がった。
 女性ではバブロワが唯一、ソ連邦下で活動しなかった舞踊家として孤高の輝きを放っている。祖国を失った彼女は英国を起点とし、日本も含め世界中で踊った。
 
 パブロワのパフォーマンスは言語を超越した真善美の造形といえようか。舞踊という象徴の世界言語で、民族・階層を問わず感動を与えた。名声からは考えられないような場末のステージにも、必要とされるなら立つことも厭わなかった。
 20世紀前半、西欧とロシアを除けばバレエの未開地だった。そこにバレエの魅力を知らしめたという功績はひとり彼女のものだ。
 パブロワの代名詞となった「瀕死の白鳥」。サン=サースンの旋律に乗せて舞い世界を魅了した。その「白鳥」をみてバレエを志した少女はいったい幾人だろうか。
 パブロワは50歳まで第一線で踊り続けた。第一次大戦、ロシア革命、世界恐慌、第二次大戦前夜という荒んだ世情を至高の〈美〉で慰安した。

 パブロワの命を奪ったのは過酷な巡業で肺炎を患ったからだ。自分のバレエ団を率い、その生活を保証するために彼女は休む間もなく働きつづけなければならなかった。もし、彼女が革命ロシアの思想をおとなしい羊となるなら、彼女に“国家英雄”の名とともに破格の待遇で応えただろうが、「自由」の栄光を手放そうとはしなかった。
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