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署名アラカルト №15 中村紘子 ピアニスト

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 日本のピアノ演奏の歴史は明治20年代に活動を開始した幸田延からはじまる。作家・幸田露伴の妹だ。ヴァイオリニストでもあった。日本の西欧音楽のプロ演奏家として幸田延は2楽器で劈頭の人だ。
 そして、時代はクラッシック音楽がレコードとステレオの普及にともなって大衆化していく。そんな時代の波にのり、美貌にも恵まれた紘子さんは語弊はあると思うが、ピアニストにおける最初のアイドルとなった。
 そして演奏家として、もっとも多忙であった活動の全盛期、作家の庄司薫さんと結婚した。『赤頭巾ちゃん気をつけて』で芥川賞を受賞した人である(とわざわざ書くのは、庄司氏、中村さんと結婚して間もなく、作家として沈黙しているからだ)。
 写真の署名は、中村さんの2冊目のエッセイ集『チャイコフスキー・コンクール』に記されているもの。コンサートを終え、会場フロアで開かれたサイン会で忙しくなく書かれたような速筆感があるのはやむおえない。で、そのエッセイ集を読んだとき、その達者な文章力、とくにユーモアある観察眼にいたく感心したものだ。刊行年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するが、当然と思える力量だ。このエッセイ集によってクラッシックファンなら世界三大ピアノコンクールのひとつの内幕を知りうることができたし、この本によってクラッシック音楽の扉を開いた読者も多かったはずだ。
 文章にユーモアがあるのは、これは天賦の才。感傷的に、シニカルに、深刻ぶってかくのは易い。しかし、ユーモア(もちろん品の好い快感)の響きが行間からただよわすことができるのは技術、テクニックでは為せない手技である。こうした才能の持ち主に、だいぶ前に早世されたロシア語通訳者・米原万理さんがいた。活動中の作家・萩野アンナさんもそのひとりだ。
 中村さんがエッセイを書き出した頃、伴侶となった庄司氏の代筆ではないかという声もあった。仲の良いご夫婦なら互いに影響しあうのは当然だし、旦那が作家でなくても、最初の読者に選んだりするのは少しも不自然なことではない。ピアニスト中村紘子しか知りえない芸術・技術上のこと、チャイコフスキー・コンクールの審査員と参加したことで知りうる内幕。中村さんのペンである。
 むしろ、庄司さんは中村さんと結婚して、わが妻の多彩な才能に兜を脱いで休筆し、主夫たることを選びとったのではないか? その庄司さんにみおくられて、26日(7月)中村さんはピアニストとして永遠の巡業の旅へと去った。享年 72歳。
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リオ五輪の懸念って?

 南米初のオリンピックとなったブラジル・リオデジャネイロ大会が始まる。懸念されていたスタジアムなどの建設工事はなんとか間に合いそうだし、水上競技会場の水質汚染やインフラ整備、スポンサー不足、宿泊施設不足等などもどうにかクリアされたようだ。 このリオ大会が決まってから今日まで、日本だけでなく欧米メディアを通じて流されたリオ五輪報道の行間から、先進国特有の上から目線をずっと感じてきた。東京大会のメインスタジオのデザインコンペ、エンブレム選考のぶざまともいえるゴタゴタ、都知事のプライドも品もないセコイ政治資金流用の問題を棚上げにして、ラテンアメリカへの冷ややかな視線をずっと感じてきた。
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 ブラジルは過去2回、オリンピックより熱狂的なファンがつめかけるサッカーW杯を二度、リオを本会場に主催した。いずれの大会も開催までさまざまな懸念があったが無事、成功させている。なるようになるのだ、と言い方は無責任のようだが、筆者の実感にもっとも近い。
 リオにはファヴェーラよ呼ばれるスラム街が約400地区ある。隣接する郊外地区を含めたリオ都市圏の人口は約1300万。そのリオ人の4人に1人はスラムで暮らすという町だ。
 リオ五輪が決まってから、スラムにある麻薬密売組織を封じ込めようと特殊警察部隊を創設したり、日本の援助で文民警察を配置する「交番」を各所に作るなど治安改善に力を注いできた。その間にも、たとえばブラジル映画はスラムを根城とする麻薬密売組織などをテーマに暴力的な映画を平然と制作していたし、そうした映画が国外で上映されることにさしたる疑念すらブラジル政府はみせなかった。そのあたりは独裁国家ロシアや中国の対応より、ずっと民主的だし表現の自由がある。
 スラム解消ということでは1940代、50年代、そして軍事独裁政権下での70年代にも強権で撤去するという計画もあったが挫折した。スラムの肥大化はブラジル経済・社会政策の反映であって五輪をきっかけに解消するような単純な問題ではない。したがって五輪会場周辺での犯罪は基本的になくならない、との前提に立ってリオ当局は 警備要員を増やして対策にあたるだろし、IOC(国際オリンピッ ク委員会)もW杯での実績も踏まえてリオ五輪を決定したのだ。
 過去、巨大スラムを後背地に抱えた大会として1968年のメキシコ大会があった。そして、そのメキシコのスラムは解消するどころか、現在も肥大しつづけている。五輪とスラムの解消はまったく別問題である。そうした自明の問題を、五輪開催不安に結びつけるところに、筆者は「上から目線」を感じてしまうのだ。

 リオ市民が五輪をどう見ているか、といえば、それはW杯と同じようなスタンスだろう。
 「五輪よりスラムのインフラを整備しろ」、「社会福祉に金を使え」という声が出るのが当然だし、またそういう声も確かにある。しかし、庶民の目は醒めている。スラムの形成は、リオ一市で解消できる問題ではないことは誰でもしっている。また、リオっ子の文化的な心性を見逃すこともできない。
 たとえば、リオのカーニバルは豪奢なフィエスタとして世界の耳目を集める。そして、その祭りの主人公、あの華麗なパレードを繰り出すチームの大半は各地区のスラムから出ている。彼らは一年の貯金を豪奢な衣装や 練習のため、数日のハレのために消費することを厭わない。そういう市民の心性を理解しないと五輪に対する思いは理解できない。

 また、リオ五輪開催の懸念材料のひとつにルラ前大統領の国営石油会社ペトロブラスなどでの汚職事件があった。警察の事情聴取も行なわれ、逮捕の可能性も出てきたところで、同前大統領の腹心の部下であったルセフ現大統領は職権で官房長官に任命、警察の追及をかわそうとした。これに怒った国民は各地で抗議行動を展開、国会でルセフ大統領の職務を停止する弾劾採決が行われ、現在、副大統領が職務を代行中だ。国政の混乱が五輪開催に影響を与えるのではという危惧もあったが、五輪は都市開催の競技会。リオ当局にブレも変化もない。

 聖火が灯されるとともに世界の視線は競技の行方に集約される。世界でもっとも日系人の多い国。サッカーW杯とどうよう日系社会は選手のサポートはもとより、日本人観光客のために便宜をはかろうとさまざまなプランを練っている。むしろ、リオ五輪での心配は外からの懸念だろう。
 21日、IS(イスラム国)に共感しテロ活動を計画していたとされるブラジル人10名を拘束したというニュースが入った(日系人が一名いるらしい)。
 多民族国家のブラジルは世界最大のカトリック信徒を抱える国だが、信仰の自由は保障されている。広大な国境をもつ同国に「悪意」を持って入国しようと思えば越境は容易だ。最近のISはソフトターゲットを標的とするテロ活動を展開していることは周知の通り。五輪はISにとって格好のステージとなるということで警戒レベルを上げていたなかでテロ活動計画を発見したのだ。リオ五輪への懸念はリオ市民の生活にどう影響するかという問題はすでに後退しているのが現状だ。
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 その市民目線でみれば、スポーツ大国ロシアがドーピング問題で不参加になる可能性が出てきたことで盛り上がりに欠けるのではという話題のほうが大きいと思う。しかし、サッカー国ブラジル、同国代表チームに現在のヒーロー、ネイマールがオーバーエージ枠で参加したことで大いに活気づくだろう。リオ市民は、五輪予算を俺たちに回せ、いう声は最初から民意となっていない。それをあたかも「民意」として報道していたのは海外メディアの上から目線ではなかったか。スラム住民にとっては大会期間中、警察などの締め付けはきつくなるかも知れないが、W杯で体験済みと庶民の知恵でやり過ごすだろう。 

EUフィルムデーズ2016 『提督の艦隊』・『日本からの贈り物』

EUフィルムデーズ2016

 今年、14回目を迎えた「EUフィルムデーズ」。東京地区は京橋の東京国立近代美術館フィルムセンターで約3週間にわたって開催される。毎回、欧州の最新作、とくに一般公開される機会の少ない旧東欧諸国、旧ソ連邦諸国の作品が観られるので、時間を見つけては通っている。今年もまた26ヵ国31作品が公開される。そのなかから印象にのこった2作をとりあえず紹介しておきたい。

*オランダ映画『提督の艦隊』 ロエル・レイネ監督 2015年
 提督の艦隊
 初日(6月18日)、今回の参加作品のなかでもっとも大作となるオランダ映画『提督の艦隊』を早速、観た。大きなスクリーンに17世紀、帆船時代の海戦が見事に描かれた歴史巨編。主人公は、EU紙幣採用前のオランダ100ギー紙幣に肖像が描かれていたことで了解できるようにオランダの海の英雄ミヒール・デ・ロイテル。当時の覇権国家英国、フランス、そしてオランダの経済的な利害関係、政治的な思惑、議会を飛び越えたところで裏取引される王室(貴族)たちの権謀まで描かれた、なかなか見ごたえのある作品で、いろいろと歴史のおさらいができて私には益とするところの大きな映画だった。
 繰り返し描かれる海戦シーンは見事。俯瞰、遠望などで巨大艦隊を描くシーンはむろんCGでの処理だし、激戦シーンもまたCGが多用されているが、その技術はなかなかのものだし、実写との融合も自然だ。潤沢な資金も用意されたのだろうセットもなかなか豪奢だ。ミヒール・デ・ロイテル提督は、海を熟知し、海底の深さ、気象条件も味方にして、常に海戦を勝利に導いた救国の英雄として描かれる。
 監督はこれまでハリウッドで手堅く小規模アクション映画でCDと実写との融合を学び、本作に取り掛かったという意欲がみえる労作となろうか。
 同時代に描かれたロイテル提督の肖像がたくさん残っているので、映画でもそれを逸脱して美男スターに主役を勤めさせるのはリアリティーを欠くだろう。本作では少々、粗野で、いかにも成り上がりの無骨な容貌、メタボな中年男優を起用している。その姿がロココ趣味が濃厚な貴族階級との差異を象徴する。日本ではなじみのない第一、第二、第三次英蘭戦争の背景なども理解できて面白い。また、英・仏両国から挟撃される“国難”を前にしてのオランダ議会の党派主義、共和派の首相兄弟を惨殺する貴族の暗躍、それに扇動される烏合の衆といった当時の暗部も描き出される。
 長崎・平戸にオランダ商館が開かれた時期の史劇として、当時の日本の状況を思いながら読み解いていくとなかなか興味深い。

*ルーマニア映画『日本からの贈り物』トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ監督
 日本からの贈り物
 2013年9月、ルーマニア東部・モルダビア共和国と国境を接する広範囲な地域が約6時間、未曾有の豪雨にさらされた。同国の平均雨量の約2ヵ月分が降るという破壊的なものだった。このニュースは日本ではほとんど無視されただろう。寒村地帯であったため人的被害が「数」という集積では小さくみられたからだろうし、隣国がモルダビア、つまり旧ソ連邦に隣接する僻地ということもあって報道が遅れたこともある。
 映画の物語はこの大洪水に破壊された村に住む老農夫コスタチェを中心に動く。洪水で長年連れ添った老妻を家ごと奪われ、いまは政府から与えられた空き家でひっそりと暮らす。わずかな年金と、洪水の罹災者に与えらる給付金が頼りのようだ。
 映画の冒頭で泥水を被った被災地帯が俯瞰される。人馬が泥海のなかをはいずり回っているようにしか見えない。日本や先進国の被災地なら機能的な重機が動き回っているのだろうが、この国では人馬だ。おそらく、洪水の大きさを象徴するのに、たとえばニュース・フィルムあたりを使えば容易だろう。しかし、この映画の監督はあえて、そうしたシーンを制作した。ルーマニア農村の現実をそうやって象徴したかったのだろう。
 老農夫が持つ土地はかなり広いようだ。売れば相当な収入になる。よそ者の企業家が村に掛け合って、そうした被災地の土地を買いあさっているようだ。けれど、老農夫は売り渋っている。
 映画はこの老農夫の歩く速度にあわせたリズムで進む。洪水も運命、と慫慂と受け入れたようにみえる老農夫の背が印象にのこる。味わい深い名優の背での演技だ。その農夫を演じたのはヴィクター・レペンギウツという同国でよく知られているらしい男優ということだ。
 そんな老農夫のもとに、長年、日本に行ったきりとなって頼りも途絶えがちだった息子が洪水被害を知って、日本人の妻と8歳の長男をつれて帰郷する。そして、数日後に日本にもどるまでの静かな交流を描いただけの話だ。
 建築技師の息子は最初はなにもかも風習の違う日本でそうとう苦労したらしいが、現在は妻子とともに平穏に暮し、母国へ帰る気はないようだ。数年ぶりで再会した息子と父の気まずい対話、それをなごませるように動き回る孫、義父と夫の冷淡な雰囲気に大人の対応で和ませようとする日本人妻。それだけの話。まるで小津安二郎あたりが制作するような家族の諦観の物語で、人間の物語として普遍性をもつ。よい映画をみたと思った。
 日本人妻を演じたカナ・ハシモトはルーマニアで活動する女優さんとのこと。8歳の少年を演じた子役はルーマニア語と日本語のバイリンガル、貴重な存在だ。ふたりともどういう来歴の人かしらないが、日本とルーマニアの人的交流を象徴する存在であることは間違いないだろう。
 筆者自身、いきつけの髪切り屋さんでルーマニア人夫婦を知った。幼い娘さんは地元の幼稚園に通っていて、昨年だったか盆踊りのための浴衣の着付けを教えてくれないか、とお店に入ってきたことがある。また、ルーマニア人の大半が東方正教会の信徒だが、首都圏での精神的求心地は御茶ノ水駅近くのニコライ堂だ。クリスマス前、その教会内庭で毎年、バザールが開かれている。それぞれの出身国でブースを分けているよう で数年前、ルーマニアで制作された小さな聖母子像のイコンを購入したことがあった。
 在日ルーマニア人のことをいろいろ調べていると、2004年ごろには4000人を数えていたようで、その半数が飲食店などで働く女性だったらしい。現在は日本政府の興行ビザの制限などがあって2000人前後で推移しているようだが、日本人と結婚してルーマニア国籍を失った人も多いので、ルーマニア語族としては東欧系日本人として最大のコミニティーとなっているらしい。そんなことも映画に反映しているようだ。

書評 映画『三分間の詐欺師〜予告篇人生』 佐々木徹夫著

『三分間の詐欺師〜予告篇人生』 佐々木徹夫著
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 帯にこうある〈豊かだった映画の時代/封切り館には長蛇の列が! 御期待を乞う!!〉と。その長蛇の列の尻っぽに親父の足にまとわりついて並んだ体験を幾度ももっている。
 テレビが家にやってくる前の昭和の三十年代の話。何故か、親父に連れられてみた映画の記憶に日本映画はほとんどなくて、いわゆる洋画ばかりだった。で、本書を読みながら思った。日曜日、親父がいそいそと洋画を観に出向いた、その選択基準のひとつに予告篇があったに違いないと。何故なら職人上がりの技術者だった父には新聞を熱心に読むといった習慣がなかったからで、彼の情報源といえばラジオと職場での座談が中心だったと思うからだ。活字媒体に関心の薄い父であった。そんな父が当時、映画の宣伝媒体といえば新聞と雑誌、割引き券付きの折込み広告ぐらいで今と比べると露出度は極めて小さかったから、予告編は重要な情報源であったと思うのだ。そう、そんな時代の予告篇の効用は絶大なものであったろう。予告篇制作者が思う以上に映画ファンに深甚な影響を与えていたと思う。

 そう本書は、映画が庶民の“娯楽の王様”であった当時、予告篇づくりに専心していた人の回顧録である。
 長蛇の列をわが社、配給作品を上映する映画館前に引率すべく、奮闘努力した宣伝屋さんの苦心談である。作品論、監督と俳優さんを語ることで成立している大半の映画史では絶対に顧みられない裏方さんの半生記。業界で「三分間の詐欺師」と呼ばれたということだ。とすれば、親父は著者の“詐欺”に繰り返しあっていたカモであったに違いない。ふと、そんなふうに思った。

 予告篇制作とは、本編を針小棒大に宣伝する行為であるだろう。愚作も“珠玉の名編”とみせる詐欺行為だ。いかがわしい。けれど、映画館の観客は「予告篇」の大言壮語をいつだって割引いてみているはずだ。それは昔も今も変わらないと思う。ただ昔はよりイベント性が高く、日常から切り離された異空間は独特の華やぎがあったはずだ。私だって、「おせんにキャラメル」と休息時間に通路を練り歩く売り子さんの呼び声を覚えている。そんな時代には、予告篇のウソは縁日の見世物小屋のろくろ首みたいなもんだ。ウソも呑み込む観客に余裕があった。本編フィルムの上にデカデカと「空前のスケール!」とか、「運命に翻弄される若き二人の愛は如何に!」といった邦文が踊れば踊るほどウソは爽快感に転調する。ウソは大きくつくほど悪意はなくなる。怒髪天を衝く、のたぐいである。
 しかし、本書を読んであらためて一編の映画が抱えこんだ専門技術、その職人さんたちはいったい幾つあるのかと思った。予告篇制作などは影の仕事であって、本編ではけっして制作者の名などクレジットされない。今日でこそ、本編終了後にながながとスタッフ・キャストの名が連綿と記されていて、筆者などはうんざりしてたいてい席を立つが、かつて、そう映画全盛期にはあんな資源の無駄遣いはなかったものだ。なにか深甚な理由があるのかも知れないが、私はあんな悪習を止めてしまえとせつに思う。全世界の映画制作者は地球環境にもっと留意すべきだ。みんながジ・エンド、フィン、終、完……とフェールドアウトすれば膨大なフィルムとエネルギーが節約できる。慢性的な電力不足、電気そのものが高価な途上国の映画館はたいてい本編終了すると投写をやめてしまう。米国資本のシネコンがラテンアメリカの各都市に進出していて、そこでは本編終了後も律儀に投写をつづけるけど観客の方はさっさと席を立ってしまう。ラテン暮らしの長かった筆者であるから、その習慣は今でもつづいていて、涙腺でもゆるめていない限り席を立つ。俄然、少数派。だから、いつも可能な限り通路沿いに席を取る。そうでもしないと、律儀に電話帳のような人名リストを眺めつづける観客の前を、「ごめんなすって」と通らなければいけない。
 しかし、マスコミ向けの試写室での観映、これはいけない。そそくさと立ってロビーに出たりすると配給会社や宣伝会社のスタッフが怪訝な顔をする。「お気に召さなかったのかな」といういぶかしげな視線を感じてとても痛い。これはいけないと試写室に限り日本的慣習に従うことにしているが業腹である。とせめてパンドラ(本書の版元)のスタッフには言っておこう。

 閑話休題……要するに、著者が予告篇づくりを天職と入れ込んでいた時期、本編はたいていジ・エンドで緞帳が降りたのだ。エンド・ロールの“ロール”はなかった。ジ・エンド、潔く幕、である。観客一人ひとりの胸のなかでしか残影がないというものであった。本編が残影をつくるなら、予告篇は“予影”を与える仕事だ。いわば三分のフレームで観客を“口説き落とす”事師である。観客に秋波をおくる仕事である。

 1950年、フランス映画『モンパルナスの夜』が公開された。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、1933年の名作だが戦前、輸入されるも戦争となり連合国の映画ということで上映の機会もないままお蔵入りしていた。戦後、その予告篇を著者は制作した。当時、配給先の宣伝マンだった著者が好奇心から関わったらしい、本人のみ碑銘する“処女作”である。 以後、半世紀、本編のエッセンスを凝縮する作業をひたすら、といいたいところだが、客が入ってナンボの世界、独りよがりの芸術批評は禁じ手の切り貼り三昧、許容三分のフレームに心血をそそぐ。そこに創意工夫があり、詐欺まがいの手法もあったのだろう。 しかし、手業(てわざ)に秀でた職人さんは、自分の作品のできふでき自慢めいた話を語らないものだ。職人さんは批評しない。まず謙虚である。七面倒な作文など時間の空費と思う。著者は、たぶん「佐々木さんは映画の生き証人なんだから」とか何とか煽(おだ)てられ、本書に関わることになったのだろう。

 淡々と語っている。
 歳月と仕事の堆積が築きあげてきた技を、そこをそれだけ取り出して書くのは至難であるから、そんなふうには書いていない。著者にとってたんなる回想も貴重な証言となっているところがいいのだ。なにげなく差し出される挿話が面白い。たとえば本書の表紙、米国の映画会社のロゴが一堂に会したビル屋上の宣伝用イルミネーションである。これは戦後間もなく連合軍の民間情報教育局が創設した組織セントラル・モーション・ピクチュア・エクスチェンジのものだ。コロンビアも20世紀フォックス、ワーナーブラザースもMGMもみんなたった一組織が掌握していた時代があった。その象徴的光景である。焼け跡いたるところに放置されている都内の一角に誕生した映画配給組織のことなどを著者は淡々と語っているわけだが、編集者はこれは面白いと感じ入り、表紙にまで活用したわけだ。
 職人さんの話とはそういうものだ。プロの物書きに掛かると、読者の興味の引きそうなところにサジ加減を加えるからいけない。本書は、そんな作為はまったくなく生のまま貴重な証言が語られている。本人が「貴重」さを認識しないまま話をしているので、こっちもうっかり読み過ごしてしまうリズムがある。ということで、予告篇の話より昭和映画外史といった趣きが強い本である。「御期待を乞う!!」……著者が予告篇『第三の男』などで使ったおなじみのフレーズだが、そのまま本書を手にしようという読者へ、「御期待を乞う!!」。

署名アラカルト №14 安藤忠雄

署名アラカルト №14 安藤忠雄
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 いわずとしれた日本を代表する建築家・安藤忠雄氏。最近は、国立競技場のデザイン・コンペの審査員として、ミソをつけてから、めっきりマスコミへの登場が少なくなってしまったし、著作活動も減っている。この署名は、1998年秋、東京大学大学院で行なわれた連続講座をまとめた『建築を語る』に記されたものだが、この時期の安藤氏は発信力はじつに旺盛であった。そして、さぞ多忙であったろう。それはこの署名にも反映されていると思う。
 署名はローマ字筆記体。字画の多い漢字より早書きできるし、しかし、雅印代りと書き込む「田」型の記しに安藤さんのサービス精神がにじみ出ているように思う。署名でじゅうぶんなところをわざわざ、それを書き込む安藤さんの意思を尊重したいと思う。
 建築家だから「田」は、ビルの象徴しているとも見えるし、窓ともいえる。安藤さんだから世界に開かれた窓か? 農民作家といわれるような著作家が署名に「田」を添えれば田んぼとなるだろうが、安藤氏のものだから、建造物とみるのが妥当だろう。(今日、農民作家といわれる人材は絶滅種になってしまったようだ。かつては家の光協会が「農民文学全集」という重厚なシリーズを出した時代もあった。佐賀の山下惣一さん以降、農民作家と呼べるような才能がでていない=余談)。
 
 

書評 『字幕仕掛人一代記‐神島きみ自伝‐』神島きみ・著

『字幕仕掛人一代記‐神島きみ自伝‐』神島きみ・著
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 こういうのを痛快な生き様とでもいうのだろう。生きたいように気ままに生きたわけではない。それなりの蹉跌(さてつ)もあり、女としての懊悩、母としての葛藤もあった。振り返れば紆余曲折もあったけど、それでも越して来た歳月の軌跡はあざやかな足跡が深く刻まれている。そんな女一代の物語を読んだ思いだ。
 もっとも本書を手にしたときは、外国語映画の属性としての「字幕」というものがどんなふうに作られているのか、現場の声に接してみようという好奇心だけだった。神島さんは、外国語映画のフィルムにスーパー字幕=文字を打ち込む技術者であり、その仕事に特化した会社を日本ではじめて興した経営者でもある。神島さんが字幕を手がけた名作は数知れない。
 どんな仕事にも、その領域のみに特化する技術がある。零細企業のなかにも多くの特有の技術があって、それはみな個別化され符牒としてのことばをもつ。いわゆる業界語。そうした企業文化の総体が日本経済の成長を支えてきたのだ。そこには無数の名もない匠(たくみ)が生きていた。神島きみも字幕制作の匠である。
 映画においては黒子的存在である。そんな黒子がこうして一冊を著すのは、映画という巨きな大衆文化に関わったからである。私たちが忘れてならないのは、こうした名匠がわれわれの隣近所にも暮らしているという事実だ。その名匠の技が、映画のような華やかさを持っていないだけで、日本の工業技術を下支えしているということに気が付かねばいけない。
 
 本書には何故、ああした〈字幕〉文字としか言いようのない特有のカタチが生まれたか? 一行の字数が決まっていて、スタンダード、ヴィスタサイズ、シネマスコープ、70ミリ映画、さらにシネラマのスクリーンに合わせて字幕を打ち込む場所や字数が違ってくる、という理由なども開陳されている。字幕打ち込みの道具とか、納期とか、著者が熟知した知識が惜しみなく提供されている。そして、著者が起こした会社から技術が伝播し、子会社、孫会社が族生していったことなども承知できる。
 そうした日本の映画文化に多大な貢献をした著者もひとりの女であって、その生き様は仕事と切り離せない。

 大正6年生まれというから往年の名女優・山田五十鈴さんと同じ年、トニー谷、芦田伸介、多々良純といったクセのあるアルチザンたちも大正デモクラシーの華やぎのなかで生を享けている。
 神島さんは東京・神田の生まれだ。筆者の祖母も神田の生まれで、その発音の歯切れの良さは、たわいない世間話を聴いているだけで、何か〈話芸〉を堪能しているような趣きがあった。母は、祖母から下町ことばをそのまま受け継ぐが、神田から尾久に転居してから幼少時代をすごしたせいか、気風は希薄化されヒ音とシ音の発音が曖昧な東京弁だけが血肉化した。それを筆者は受け継いで、無意識に「シャク(百)円」と言っているらしい。
 さて、神島さんの話ぶりはどのようなものだったのだろうか? 行間から立ち上がってくるのは、祖母の気風の良さのように思う。
 人は誰でも時代の制約のなかでしか生きられない。神島さんも戦前・戦中・戦後のなかを生き抜いた。戦後は字幕制作の技術者として、経営者として。けれど戦前は、銀座のホステス稼業でオンナを磨いたのだ。ありていに言って色々あった、と書いて躊躇しない。天晴れであるし、戦中の息苦しさも商才と生活者の知恵で颯爽と生き抜いた、と思わせる性根の座りようも豪胆だ。だから、一作毎にノーハウを蓄積していく字幕制作に関わる事業も、書く人が書けば、涙ぐましい奮闘努力の一巻になるはずだが、神島さんの手にかかると、どこかゲーム感覚の心地よさがある。無論、数夜に及ぶ不眠の作業とか、難題に取り組む労苦は字面でわかるが、それでもなお風通しの良さを感じてしまう。字幕制作という仕事に対する関心から発し、大正生まれの天晴れなオンナの生き様を知って閉じる著書ということになるか。
 1993年、神島さんには、半世紀の長い間、映画のスーパー字幕の打ち込み事業一筋に献身した労苦に報いて、と日本映画ペンクラブ賞が贈られている。文科省も監督や俳優ばかりでなく、こうした神島さんのような仕事にも目配りすべきだろう。

英国、EU離脱 民主的手続きを経た排他性の承認 ~トランプ米大統領候補の同調

英国、EU離脱 民主的手続きを経た排他性の承認 
 とトランプ米大統領候補の同調

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 EU離脱に賛成票を投じた英国の有権者を煽った重要なファクターは移民問題。離脱が決定した直後、スコットランドを訪問中だったドナルド・トランプ米大統領候補は記者会見で、いみじくも「英国民は国境を越えて侵入する移民に怒っている」と語り、離脱はそうした英国人の民意だと断言した。メキシコ国境に高い壁をつくって“犯罪者”の侵入を阻止し、イスラム教徒の入国を禁ずると主張し、「米国を再び偉大な国にする」と語った排他的民族主義と、英国の“民意”は通じると認めるのだ。英国のEU離脱派は、「大英帝国」の誇りを取り戻すと謳っていた。

 英国のEU離脱が決まったことで、欧州各国の右派政党も「国民投票」を求めるだろう。無論、彼らの主張の根底にあるのは排外主義だ。つける加えるなら自分たちに都合の悪い歴史を検証せず、反省しない偏頗な民族主義だ。
 いまEU諸国を揺るがせている移民問題の発端は内戦がつづくシリアからの難民に象徴されるが、それ以前から中東や東欧諸国からの難民流入に悩んでいたことは確かだ。英国をはじめ欧州各国の労働者は移民に「職を奪われる」「彼らは無料の医療や生活保護など社会保障にただ乗りしている」という不満、そして治安の悪化に対する危機感が強かった。米国でトランプ候補を支持した層もまたヒスパニック移民などに職を奪われるという危機感や、共和党の党是によって銃が野放しになっているにも関わらず治安の悪化を不法越境者に負わせる詭弁(きべん)に通じる。

 EUの発足理念は、大戦を繰り返してきた悲劇に終止符を打つという高邁な思想だ。
 ドイツでヒトラーが政権を握ったのは、いうまでもなくドイツ人(及び欧州全域)に燻るユダヤ人に対する偏見を沸騰させたところにあった。抽象的な政治理念より、大衆はみえる“敵”を与えられたとき具体的に行動する。ヒトラー政権の誕生は、当時の世界にあってもっとも進歩的で民主的といわれたワイマール憲法下での選挙を通じて行なわれたのだ。今回の英国の国民投票もまた、民主主義の反映として行なわれた。

 離脱を支持した英国人は「大英帝国」の誇りを掲げる。
 かつて、その「帝国」は七つの海を支配した。世界各地に植民都市を築き、広大な地域から富を奪って英国は繁栄した。石油と地政学的に重要だった中近東諸国を支配したのも英国とフランス、南の海の出口をもとめて南侵をつづけたロシア帝国であり、今日の中近東の“国境”はそこに生きる民族が求めたものではなく、当時の覇権国家の思惑から線引きされたものだ。それが今日の混乱の発端であり、シリア内戦の遠因である。

 米国へ南から多くの不法越境者が入って行くが、元をただせばメキシコ独立当時、同国北部州であった地域である。カリフォルニア、テキサス、ネバダなど西南部各州はすべてメキシコ領であった。現在のメキシコ国土にほぼ匹敵する広大な地域だ。この北部州を米国は、メキシコ独立期の混乱に乗じた侵略戦争によって事実上、強奪したのだ。メキシコの小中高の歴史教科書は繰り返し、民族の屈辱として、その史実を教えているし、首都メキシコには、侵略された歴史を中心に「メキシコ史」を展覧する博物館まである。米国へ越境するメキシコ人の多くは現在の法では確かに不法越境だと認識するも、罪の意識はない。もともと自分たちの土地だったという思いが強いからだ。

 トランプ候補は、米国史の暗部にあえて目を閉じる。EU離脱に賛成票を投じた英国人の多くも世界の海で海賊行為を繰り返した祖先の“犯罪”を正視しない。ビートルズ揺籃の地リバプールは、奴隷売買を中心に栄えた港湾都市であった。現在、タックスヘイブン(租税回避地)となっているカリブ島国の多くは英国の植民地であり、現在もケイマン諸島などを事実上支配している。

 EU離脱の決定を受け、スコットランドでは独立への機運がまた高まるだろうし、北アイルランドはアイルランドへの復帰を模索していくだろう。そうした動きは欧州各国で生まれても驚きに価いしない。
 一連の国民投票を巡る報道のなかで、英国に滞在する「移民」の声、生活、自分たちに投票権のない事態をどう見ていたのか、といったルポはなく、もっぱら市場の混乱という経済面に特化して報道されていたように思う。
 ポーランド移民の親睦団体の事務所が落書きされたり、イスラム系市民に向けたネット上の誹謗中傷など、国民投票で多数派というお墨付きをもらったことでヘイトクライムが急増した。
 大戦後、ドイツ人の多くは、ナチズム独裁下ではユダヤ人を排斥するしか方法がなかったと責任を回避しようとした。そのナチズムに政権を委ねた過去を忘れたように。
 
 英国のEU離脱に市場は多少、混乱するかも知れないが、それは持てる投資家や企業の問題であって、実際のところ庶民レベルにはさほどの影響はないはずだ。それより深刻なのは移民差別の是非が国民の手に委ねられ決定されたことだ。あるべき人権思想、倫理観が討議されず“民意”として象徴されたことだ。この結果は英国史に長く負の遺産となっていくのではないか・・・。 

書評のようなもの『解凍!ヘルツォーク』 編集:パンドラ

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 ヴェルナー・ヘルツォークの名はボクにとってまず、ナスターシャ・キンスキーの父君クラウス・キンスキーを戦闘的に起用した映画作家として記憶されている、と思う。クラウスのアノ悪魔的面構えの遺伝子が、精管を通して子宮に注入され天の配合によってナスターシャの肉体が創造された。ナスターシャの口元には明らかにクラウスの野卑が刻まれているのだけど、それが彼女にあってはサロメ的な淫蕩さをたたえる美となっている。『テス』に主演した頃の話だけど。
 その淫蕩は熱帯雨林の底で油照りの光沢をもつ昆虫たちを誘い込む花弁のものでもある。葉切りアリが地を這う密林のなかの花卉類は陰湿だ。旺盛な太陽も樹冠に閉ざされて地にとどかない。ルノアールの輝く色彩とはまったく無縁なところで生来の色相だけを頼りに生を育んでいる。

 熱帯雨林の花は生来の色相そのもので生きつづける。
 熱帯をときに原色の世界というが、その原色とは色相そのものを捕捉するときに正しい。蘭の淫蕩である。ヘルツォークの“熱帯美”はその原色を描き切った見事さにある。ターザンによって熱帯を消費しはじめたハリウッドの「熱帯」が物分り良く親密であったり、いきなりビックリ箱のようにオドロオドロしい裏切りを見せたりするのは精ぜい後期印象派の色彩でしかみていないからだ。ヘルツォークの意匠はドイツ表現主義派の錯綜した破調だ。

 ヘルツォークの『アギーレ』『フィツカラルド』、そして『コブラ・ヴェルデ』の主人公たちは……それは皆、クラウスによって演じられるのだが……熱帯を市場経済に組み込もうとしたヨーロッパ人のユダ的欲望が叩き潰される悲喜劇の体現者たちであった。大航海時代に〈新世界〉に乗り出したスペイン軍人たちは皆、一攫千金の野望を「カトリック布教」の衣で覆っていた。クリストバル・コロンの「新世界発見航海」もまたカトリシズムの十字架を重石にした市場開拓建白書「インディアス計画」がイサベラ女王によって認証されて行なわれたものだ。
 「発見500周年記念」映画としてコロンの伝記映画が2本撮られたが、その制作者にもっとも相応しいのはヘルツォークであったはずだし、クラウス=コロンで演じられるべきだった。けれど、慶祝行事の誉れから二人はほど遠い。
 ジェノバの商人コロンの野心は、カトリックの敬虔を装うことで出資者を獲得することができた。コロンの物語は、出港前の権謀の日々のほうが断じて面白い。「新世界」での冒険や征服譚なら、コロンからやや遅れて海を渡ったエルナン・コルテスやピサロの方がずっとスケールが大きく流した血の量は川面を満たすほどだ。コロンの偉大は当時、西欧の版図からイスラム勢力を駆逐して権勢を誇っていたカトリック両王を口先三寸で三艘の外航船を供出させたことにあったはずだ。その旗艦サンタ・マリア号の舳先に立たせる英姿こそクラウスのものだったに違いないし、それを使いこなすのはヘルツォークの蛮力であったはずだ。
 筆者に、熱帯生物の営みの豪奢と苛酷、神秘と淫蕩を教えてくれたのは中米ニカラグアの密林で地質調査をしていた鉱山技師にして博物学者のトマス・ベルトであった。かのダーウィンが繰り返し称賛したベルトの仕事だが、それも志なかばにして熱病に冒され中絶する。ヘルツォークが『フィツカラルド』に継いで熱帯を舞台にすべきは、『コブラ・ヴェルデ』の奴隷商人の挫折ではなく、フィツカラルドの足によって絶えず踏みしだかられていた虫の蠢きを観察したベルトの後ろ姿であるべきだった。熱帯生物の過剰こそ“地球の肺”アマゾンの営みを支える根幹であるからだ。
 『アギーレ』や『フィツカラルド』を撮った後、ヘルツォークは暴いてはいけない富のあり方を考える。黄金がそこに埋まっていても掘削してはいけない文化の叡智という反合理主義な視点から『緑のアリの夢見るところ』を撮る。
 『緑のアリの……』の主張はとてもわかり易い。明々白々である。舞台はオーストラリアのアボリジニ居住区。そのアボリジニが〈緑のアリの夢見るところ〉という聖域の地中にはウラン鉱脈があった。白人の開発会社は大規模開発を目論む。アボリジニはそれを拒む。開発断固阻止! といった肩肘張った姿勢ではなく、日々の祈りの感覚で座り込んでいる。会社に雇われているひとりの地質学者は、アボリジニを説得する合理主義者として登場する。……映画の結末がどのようなものであったか全く忘れている。本書読むと、「謎は謎のまま、映画は終わってしまう」とあったから、忘却して当然であった。
 ウランは、人間社会にとって諸刃の剣のような存在だ。生活を快適にする原子力エネルギーを作り出せば、チェルノブイリの破壊ももたらす。『緑のアリの……』は米国スリーマイル島原発事故の5年後、チェルノブイリ原発事故の2年前に公開された。もともと哲学思考に無縁な地質学者がアボリジニと関わるうちに、オレはどうすべきか、と煮え切らない憂鬱をみせてゆく。アボリジニンはきょうもまた気流と対話するようなプリミティブな音楽を演奏して神に祈っている。そんな音を聴いていると鉱山技師も癒されるようだ。といって、彼が開発の是非を問い詰め企業倫理を在り方を問うといった闘士になるわけではない。どっちつかずのまったく曖昧な存在のままでいるだけだ。それは、おそらく筆者自身もふくめて大方の北の人間の怠惰な姿勢そのものであるだろう。ヘルツォーク映画のなかで鉱山技師の存在はすこぶる曖昧な造形のようにみえる。しかし、それは周到に計算されたものだと象徴的存在だと思う。アギーレやフィツカラルドはいわば歴史の寓話のなかで神話化された像であって実態ではないが、鉱山技師は20世紀の実態であった。それこそ20世紀最晩期を生きる文明人の様相に輪郭を与えているのだ。そうヘルツォークからみれば、われわれは鉱山技師のように曖昧なボケた像でしかない、という喝破だった。

 そうしてヘルツォーク映画は投了となったはずだ。
 ふたたび『コブラ・ヴェルデ』のようにヒューマニズムの芽生えの時代に奴隷商人の挫折を描いても書割の物語となってしまう。以後、創作意欲は停滞し退化する。『キンスキー、我が最愛の敵』などは惰性の産物である。そんな仕事は批評家の手に任せおけばよいことなのだ。
 熱帯映画の最後となった『コブラ・ヴェルデ』も含め、ヘルツォークの熱帯はプレコロンビア期の文明から隔絶した場に求めている。欧米文明の地にとって僻遠の地というだけでなく、アステカやマヤ、インカ文明の地からも僻地であった。現在も来世紀もおそらく僻地であることが定められたような場所である。ヘルツォークにとっての熱帯はそれだけで一考するに価するのだが、『緑のアリの……』との関連で思い出したことがあった。
 熱帯低地マヤの権力の拠点は長いことティカル神殿都市にあった。その周囲には群小の遺跡が点在するのだが、そこは現在の行政区分ではグァテマラ共和国ペテン州となる。そこは油田が埋蔵される地としても知られる。本格的な採掘をはじめれば幾多の遺跡が破壊される。無論、マヤ系先住民がいまも生計を営んでいる地である。メキシコのマヤ圏チアパス州にも埋蔵量の豊富な油田が眠っているとされる。マヤ系先住民を主体とした反政府武装組織サパティスタはそのチアパス州高地を本拠地として武装蜂起した。地深く眠るマヤの油田は、メソアメリカの〈緑のアリの夢見るところ〉なのである。

 ……さて、賢明な読者ならお気づきのことと思うが、拙稿は「書評」として書きはじめたものではない。本書には随分、多くの方が原稿を寄せている。筆者がメキシコに在住していた頃に出た本だから、かなり遅い読者として読んだわけだ。もし、筆者が本書への寄稿を求められたら、徒然なるがままに書いたであろう、というのが本稿である。

改稿版 強いられる「無知」の悲劇 続*グァテマラ映画『火の山のマリア』

強いられる無知の悲劇
 ~グァテマラ『火の山のマリア』
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 昨年7月、本作がベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した直後、グァテマラ及びラテンアメリカ諸国での反応も読み、まずは速報、一報として某誌に書き、月遅れで、その原稿を本ブログに再録した。と同時に字数の関係で、内容まで言及するには至らなかったので再度、日をおいて書こうとおもったまま、いつの間にか失念してしまった。そこで、今回、再見しての感想として記しておきたいと思った。

 映画の9割がスペイン語ではなくカクチケル語で話される。私はその先住民言語に取り巻かれるように6年ほどグァテマラに暮らしていた。当然、言及すべき映画だと思った。
 といっても私がカクチケル語を話せるわけでも聞けるわけでもない。カクチケル文化圏のなかにある旧殖民都市アンティグアに暮していたということだ。大地震で崩壊する以前、アンティグアは現在の中米地峡諸国をスペインが制圧、統治するために拓いた町で、ここに総督府が置かれた。米大陸における4番目の大学もおかれた文教都市でもあった。そして、スペイン人たちが創建した当時の面影がよく遺されいる町としてユネスコの世界遺産に指定されている。信号一基もない石畳の歳月がワープしたような町だ。ここに暮らした。
 もともとこの地方に住むカクチケル族が神殿を設けた地であり、現在、町の中心にあるカテドラルはその先住民の神殿を解体し、その石材を活用して建てられたものだ。カテドラルの裏庭の廃墟となった一角、地下部に小さな先住民祀場が現在も遺されていて、カクチケル族がいまも詣でいる。
 映画は、このアンティグアも含む現在でも相当な広さをもつカクチケル文化圏のなかでももっとも辺境ともいえる地の話となる。ちなみにグァテマラ先住民の最大部族はキチェ族で、その民族語キチェ語は当然、最大の民族言語である。つづいて多いのが統計の取り方によって大きな誤差がでるはずだかが、カクチケル族とその言語、つづいてマム族のマム語となると思う。
 この国には正確な統計はまったく存在しない。国勢調査もない。役所に登記された出生届けあたりを根拠に数値化しているに過ぎず、僻遠の地までは調査は届いておらず、首都周辺のおおきなスラムなどにはほぼ放棄されたままだろう。
 映画でも白人女性がマリヤの家に家族調査に訪れるシーンがあるが、スペイン語を理解できない彼女たちは、農場の管理人のいい加減な通訳を通して、数値化されるだけだ。この管理人も先住民だが、カクチケル族ではない。映画ではそのあたりの説明はないが、幾つかのシーンでそれがわかる。管理人の男の彼の家族がマリアの家を訪問するシーンがあって、その家族の民族衣装からアティトラン湖地方に住む先住民である。その訪問は、妻を亡しやもめとなった管理人の後妻としてマリアを所望、そのかための挨拶として、遠路、押しかけてきたというシーンだ。カクチケル族とは近隣関係にある部族だが、厳格には違う。したがって、その管理人の男が農園のカクチケル族貧農に対する無慈悲な収奪ぶりも理解できる。本作をみたグァテマラ人ならその辺りの事情はたいてい理解できるだろう。カクチケル族はスペイン征服軍が侵入以前、アンティグアに近いチマルテナンゴというところの一角に王都築き繁栄していた部族だ。その広大な王都の廃墟はいま遺り、しばしばし首都グァテマラ・シティに近いマヤ文明の遺跡としてセレモニーの会場となっている。つまりカクチケル族はスペイン人侵入時代かた、もっとも頻繁にスペイン語の洗礼を受けてきた民族だ。
 
 映画は実話に基づいているものだが、むろん創作的ディフォルメは各処にあるわけで、映画に登場する先住民俳優たちはみな演技をしている。しかし、その自然さ、ナチュナルな佇まい、ドキュメントフィルムのように流れる時間のなかで展開される「悲劇」につくりものめいた構築性はまったくない。それはすばらしい演技であり演出であって、ゆったりとした大気のながれに人の営みを溶かし込んで描かれた叙事詩である。映画はやすでの涙も流さなければ絶叫もしない。マリアの家族が社会不正に憤怒するということもない。いわゆる安価なヒューマニズムのスタンスは完全に捨てられいる。ただ、ありのまま、あるべき姿のままという、それ自体、きわめて意志の強さを密めている。少女マリアさえ、悟りきった運命論者のように身の不幸を受け入れていく。

 米国へ不法越境を試みようと旅立ってしまった少年ぺぺとのたった一回の性交によってマリアは身ごもる。そのマリアは親の言いつけで性悪な管理人との結婚控える身であったから、母親は、子を堕ろうそ腐心する。それは無知なる迷信の類いの祈祷行為のようなもので、むろん、実効があるわけではない。マリアのお腹は人の目に隠すことはできなくなり、やがて、管理人に告げることになる。農場に雇用される貧農一家であったマリアの家族はそのため早晩、農場から追放される身となるはずであった。
 そんなある日、マリアは毒蛇に足をかまれ生命の危機にさらされる。
 意識をうしなったマリアは父母に抱えられ、管理人の男が運転する車で首都(と思える)病院に搬送され、一命を取り留める。しかし、お腹の子は死産だったと告げられる。そして、政府から入院費などが免除されるからと、一枚の書類にサイン代わりに、マリアは拇印を捺してしまう。女の子だったという赤子の葬儀も終わってしばくして、一度、マリヤの肉体に宿った母性のマグマ、収まりきらない疼きにでもうながされたように憑かれたように墓を暴き、小さな棺の蓋を開く。それは禁忌の行為であったから、映画はマリアを憑かれた状態になることを要請していたのだ。棺のなか、粗末な布に包まれていたのは一片のレンガであった。

 マリアと家族は、また管理人に頼って警察に訴えでる。そこで、あきらかになったのは、マリアの拇印が捺された書類は、新生児を放棄し、里子に出す、と認める承諾書であって、それは法的拘束力をもつものだった。警察は、本人が許可している以上、私たちはなにもできないと説明する。しかし、管理人は警察の言葉をそのまま通訳しない。通訳すれば、自分が新生児を売って得た金を着服したことがわかってしまうし、最悪、その場で警察に拘留される身になるかも知れないのだ。
 そう、グァテマラではこうした新生児が両親の無知に付け込んで欧米諸国に“密輸”されている。それは養子であったり、あるいは臓器移植のパーツの具として“輸出”されている。それはもう常態、システム化されているともいえる。

 映画はマリアの婚礼日の朝、装うシーンで終わる。管理人と結婚するためだ。その管理人がマリアの子を盗んだ男とはしらぬまま結婚することになる。とりあえず、それで家族の生活は安定する。しかし、マリア・・・「悲劇」はつづいていくだろう、と予感させてしまう。

 どこへ去ったかも知れない恋人ぺぺもスペイン語を理解できない少年だった。それでも“夢”の米国を目指し、パスポートを持たずに北へのの旅に出た。メキシコはグァテマラより大きな国だとはしっていても、比較する知識もないまま、スペイン語もしらず資金もないまま北上する。そんなグァテマラ人、ホンジュラス人、エルサルバドル人、そしてメキシコ人が無数に存在するといってよいだろう。そして、少なくない若者がメキシコの南と北の国境地帯で非業の死を遂げる。無事、米国に入国しても、ロス・アンジェルス周辺にあるグァテマラ人たちのコロニーにたどりつけるのはまた至難なのだ。そういうことはグァテマラ人や中米人ならたいていしっている。しかし、スペイン語をしらず、地図の読み方をしらない先住民は、そんな基本的知識ももっていない。彼らは、スペイン統治時代から、言語圏分断の植民地政策の遺制のなかで、そうとはしらず、気付かぬように生活圏を隔離されて暮らしてきた。貧困を運命論的に受け入れるしかない悲劇、それを紛らわしているのが男たちには安酒だ。映画のなかに登場する先住民少女のラベルがついた酒瓶は、グァテマラの搾取層が広く売りさばいている安酒の典型だ。その安酒を市価より高くツケで売るのが農場内に農場主が設けた暴利の販売所となる。映画でも繰り返し、その販売所でのシーンが繰り返されている。
 その安酒ケツァルテカ、というの銘柄で、ラベルにはキチェ族の娘が描かれている。おそらくグァテマラ第2の都市ケツァルテナンゴの地場産業として生まれた酒なのだろう。ともかく、その酒は先住民に愛飲され、また、先住民諸部族が彼らの祖先神をカトリックに奪われた後に出てきた奇態な土俗神マシモンに捧げる清めの酒として使っている。映画のなかでも葉巻を咥えた異様な男性像に祈る先住民の姿が描かれいるが、それが地方によって呼称が変わることがあるが、通称マシモンと呼ばれる神像だ。アンティグアの郊外に村にもマシモンを奉る聖堂がある。

 グァテマラ先住民の悲劇を終わらせるためにキチェの娘リゴベルタ・メンチュウさんがノーベル平和賞を受賞した。けっきょく、コロンブスによる「新世界発見」500周年を迎えた1992年の祝典へのアンチテーゼの象徴ぐらいの意味しか、グァテマラでは持たなかった。メンチュウさんはこの国では人権活動家として必要な“人徳”を剥ぎ取られたように過ごしていて、この国では受賞者にふさわしい敬意ははらわれていない。そこにはまた先住民分断の余波を受けている。メンチュウさんが受賞した当時、カクチケル族のなかにも優れた女性活動家はいた。それぞれの部族に献身的な活動家は存在していた。キチェ族の娘メンチュウさんに対する反感は他部族には当然ある。映画で描かれた管理人の男の存在は、先住民社会のなかに大きな格差があることを示している。そして、その先住民出身の管理人が、私益のために同胞たちを借金漬けにしている様子まで描いているのだ。
 

ニカラグアの「上を向いて歩こう」 ~永六輔さん追悼

ニカラグアの「上を向いて歩こう」

 外国で暮し、現地の人と親交深めるために座を盛り上げようとするなら、「上と向いて歩こう」を披露するがいい。まだ、名と顔がいっちしない人も、和してくれる可能性が高い歌、それは坂本九さんが歌った「スキヤキ」、上を向いて歩こう、しかない。

 永六輔さんが昨日、死去された、というニュースを聞いて私はたちまち1992年10月、日付けは忘れたが、マナグアのイエスズ会系の大学の講堂の一夜に引き戻された。中米地峡の小国ニカラグアの首都マナグア、10月とはいえ日中はTシャツ一枚でも汗ばむ暑気に包まれていた。中米諸国の首都のなかではパナマ・シティと並んで通年、暑さの厳しい町だ。
 その年、中米グァテマラの先住民活動家リゴベルタ・メンチュウさんにノーベル平和賞が贈られた。少女時代からマヤ系先住民の人権擁護に献身した功績が理由だった。彼女の受賞を念頭に計画されたものではなかったが、その日をはさむ数日、中米諸国の先住民活動家の代表たちがあつ まって国際会議が開かれた。平和賞受賞の決定の報道から数日後にその会議が開かれたのだ。その会議の最終日の夜、参加者の慰労を兼ねたパーティーが開かれた。その会場にカメ ラをもって参加した。当然、被写体はメンチュウ女史であった。
 会場には日本人はおろかアジア系の参加者は他にいなかったので、私の存在は、自分のあずかりしらないところで目線を引いたのだろう。突然、
 「セニョール、あなたは日本の方ですか?」と、日本でいえば小学校の4年生といった感じの女の子に呼び止められた。
 赤茶けた長い髪に熱帯の大ぶりの白い花を射し込んだ少女は私を見上げながら言ったのだ。浅黒い瓜実顔は若いラテン娘特有の化粧が施されていて、やたら瞳が大きく、白地の民俗衣裳を着ていた。
 「うん、いまは仕事でグァテマラに暮らしているけど、日本人だよ」
 「ほら、やっぱり、そうだよ」とパシッと両手を叩いて、そばにいた中年男性の腕を叩く。父親らしい。少女は、早口でなにか言い募っている。その男の胸か ら斜めに使い込んだアコーディオンが下がっている。その男のそ ばには少女のお姉さんといった感じの若い女性、それに微笑んでいる若い男性、みればみな白い民俗衣裳と着用していた。
 「セニョール、実は、」と中年男性が語り掛けてきた。
 「きょうは、このパーティーに招かれて歌うことになっているんですが、来月、私たちは日本に行くことになっています」という、よく意味がわからなかったが、日本のどこかの民間団体の招きで、日本で数回小さなコンサートを開くらしい。
 「そこで私たちは日本の歌を披露しようと練習しているところなんです。一曲だけですが、それでスキヤキ・ソングを練習しています。この子が、、」と少女に視線を移して、「あの人は絶対、日本から来た人だ、というので、確かめてみるかと、あなたに話しかけたわけです」と言う。少女はにこにこと私を見つめている。「この子が歌います 。差し支えなければ聞いて欲しいです。日本語が正しく伝わっているものかどうか確かめたいのですよ」
 そして、ニカラグア民俗音楽のアコーディオン、それはこの国の国民的歌手であるカルロス・メヒア・ゴドイとそのグループによって海外でも知られることになった哀調のある音色であった。
 少女はきれいな日本語で歌い出した。周囲に輪がたちまちできた。
 マナグアで「上を向いて歩こう」をこんなシュチエーションで聴くことになろうとは思わなかった。彼女たちのファミリーにとってはレッスンの一場であったかも知れないが、その場では期せずしてメンチュウ女史の受賞を祝う歌にもなったのだ。
 どうでしたか、と少女の瞳が感想を強要する。私は父親に、「ムイ・ビ エン」、全然、問題ありませんよ、そのままで大丈夫ですと言った。そして、少女には「エクセレンテ」、素晴らしい、そして、ムチシマス・グラシアス、と最上級の言葉でありがとう、と言った。難をいえばいえるけど、「上を向いて歩こう」なら日本人は誰でも知っている。少女が一生懸命、歌えば多少、発音がまずくても愛嬌というものだ。

 それから数年後、米国テキサス州を中心に活動を開始し、やがて全米のヒスパニック系米国人から圧倒的な支持を受けることになった女性歌手セレーナが非業の死を迎えた。
 その人気は“テハーノの女王”とまで言われた。テハーノとはテキサス州に住むメキシコ系米国人を指すヒスパニックたちの言葉だ。そのセレーナがキューバ系米国人歌手として成功 していたグロリア・エスティファンにつづく才能として、最初の英語版アルバムを準備中に、ファンクラブの会長という、いわば内輪の女性に射殺されてしまった。お腹に数ヶ月の赤ちゃんを宿したまま新婚間もない時期の悲劇だった。享年23歳。未完成に終わったアルバムは録音が完了した英語歌に、旧録のスペイン語歌を足して遺作として発売された。それは米国ではミリオンセラーとなり、日本でも発売された。そのアルバムには日本盤のみ収録された曲があった。「スキヤキ」、上を向いて歩こう、である。その「スキヤキ」はむろん、日本でのアルバム発売など念頭にない時期に録音されていたものだ。セレーナの唯一の日本の歌が「スキヤキ」であった。
 セレーナの葬儀には全米から万余の会衆が集まった。その光景は全米に報道され、非ヒスパニック系米国人ははじめて 、「セレーナって誰?」と驚いたのだ。当時、テキサス州知事であった。ジョージ・W・ブッシュはセレーナの誕生日を「セレーナの日」として敬慕することを州法で決めたのだった。

 永さんは、そんなことは露知らず、黄泉の国に旅立った。「スキヤキ」、上を向いて歩こう、をめぐるそうした挿話は世界中に無数にあるのだと思う。そういう歌を書いてくれた永さんには、日本人として素直に感謝したいと思う。「上を向いて歩こう」の世界的なヒットで、海外に生活する日本人はなごやかに現地の人と交流することができたのだ。こういうのを「国民歌」というのだろう。
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上野清士

Author:上野清士
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