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マリオ・ディアス『キューバ 1980-2000“CUBA SI”』

キューバのストリート・フォト・グラファー
  マリオ・ディアス『キューバ 1980-2000“CUBA SI”』
20091103Mario.jpg

 おそらくハバナの旧市街、カリブの太陽がほぼ天頂にあり、光が旺盛にあふれ、その反動として陰がもっとも濃くなる時刻、車も人も行き交うのが絶えた道に架け渡された国旗の「星」印のむこうに光源がある。「星」陰に太陽があって。まるでその「星」だけが輝いている光景だ。マリオ・ディアスの1980年の写真『我が国旗』……。
 1980年というからモスクワ・オリンピックの年である。ソ連で初、そして最後となったオリンピックに米国をはじめ日本も含めた、いわゆる西側諸国の大半が参加をボイコットして変則大会となった。ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議するものだった。冷戦が“熱戦”たけなわであった時期から、ソ連そのものが崩壊し、キューバが未曾有の経済危機に陥り、やがてドル解禁と観光立国として生き延びる道を選んでから危機を脱する。と書いてくれば、疾風怒濤の20年間であったわけだが、マリオ・ディアスの写真には「政治」は希薄だ。
われわれが早朝、新聞のトップ記事から時の動きをあわただしく知っても、実際にはそれに何らコミットするわけではなく、そうかといって無関心ではないが生きがたい日常は刻々と変化する国際情勢をトコロテン式に押し出してしまうだけのことだ。
 キューバは、米国に接する社会主義国家であるため、たえず「政治」的存在として意識されてしまうわけだが、そこに住み生きる民衆まで皆、政治的人間ではありようはなく、また政治的人間である必要もまったくない。ということをディアスの写真はおだやかに語っていた。
80年代前半にキューバ文化省所属の写真家として活動し、90年代後半には国立写真センターの所長を勤めた人だから政治は避けて通れなかったはずだ。特に「写真」に関わるほとんどの資材を輸入に頼っているキューバでは、表現活動を円滑に維持する、という日本ではまったく意識されないことが、この国では大問題となる。その“大問題”に関わってきたというのだから、それは政治的経済闘争を実践してきたわけである。しかし、ディアスはストリートを徘徊する孤独な観察者としてのスタンスをまったくかえなかった。公職と私的な表現活動を見事に分離させ双方できちんと仕事をしてきた才能である。
 『我が国旗』からはじまり、2000年のハバナ・マレコン通りのスケッチにいたるモノクローム50作品で構成されたディアス世界は歴史の密やかな証言である。革命闘争、革命政権樹立とその後のまったなしの社会変革のなかで多くの写真家は“群衆”を取りつづけた。その写真家がフィデル・カストロやチェ・ゲバラを政治的光景から抜き出して撮り、画像に独り切りの存在として浮かび上がらせようとも、彼らの前に“群衆”が存在することを知らしめていた。ディアスの写真は、革命の熱狂から離れた“群衆”の日常を取りつづけた。プロバカンダは勇ましいが、プロバカンダでは腹の足しにもならないことを知る庶民の日常をみつめてきた。
 ディアスは写真を演出しない。
「私は創作したのではなく、幸運にもただそこに居合わせて見ることができ、映像に取り込んだだけだ」と謙虚に語るが、積極的な観察者であることは間違いない。
写真家とは、事物を裸眼ではなく、カメラのフレームに切り取って観ることを自ら強いた奇妙な人種でもある。画家もまた四角い画布というフレームのなかで自己表現する人種だが、絵は自由に実際の距離感をいくらでも操作できる。宇宙を小瓶のなかに取り込むことだってできる。もっとも写真だってコラージュやアッサンブラシュの手法を用いたりして数千年の時空を自在に飛翔はできるのだが、ストリート・フォトはフレーム設定という創造行為を除けばほとんど「演出」はしない。日常生活は途切れることのない実践である。ディアスの写真は、その実践の瞬間をレンズを通して定着させる。瞬間を定着することによって、そのモノクロームの映像は永遠性を与えられ、詩となってゆく。
 そんな写真詩に囲繞されたギャラリーの小さな空間で、ディアスの講演会が行なわれた。19世紀末葉、スペインからの独立を目指すホセ・マルティンらの戦争に関わる一連の写真が、「キューバ写真史」の劈頭を飾るという。作者名不明の写真による当時の黒人奴隷たちの悲惨な生活、植民軍に捕らえたキューバ人たちの写真。当時、写真技術は“権力”であった。20世紀に入るとハバナにスタジオが次々と設けられ、肖像写真の全盛時代を迎えるとともに、当時の風俗が歴史証言として転写されてゆく。そこには、独裁者バティスタの傲慢や、グアンタナモ米軍基地の様子もある。虚栄と貧困が混在する夜のハバナ、そして革命闘争の時代へ。写真は革命戦争の推移を語る手段となり、カストロ政権樹立後には国家システムの大改造への熱狂と昂揚を群衆とともに語りだす。そして、一連の政治的に季節の怒涛が過ぎ去った後、写真家はキューバ人の内面生活を撮りはじめた。ディアスの時代のはじまりである。
 「最近の若い写真家のほとんどが、絵画や映画といった他分野の表現について学んだ末に写真にたどり着いた、という者が多い」と語った。
その若い作家たちはほとんど公的援助を受けていない。カメラはいうに及ばず一本のフィルム、一枚の印画紙まで不足し、高価である。日本では想像もできない困難があって、写真家はまず現像液の確保といった雑事を克服することも自己表現のための必要不可欠の要素ですらある。そんな状況から生み出された写真に訴求力があるのは当然だろう。なけなしのドル紙幣をはたいても撮りたいものがある、というのは幸福な状況でもある。年賀状で「愛児」の笑顔を押し付けてくる馬鹿親どもばかりの日本は写真の節度のない国である。       
 

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