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コロンビア 「コレヒオ・デル・クエルポ」公演

コロンビア 「コレヒオ・デル・クエルポ」公演
コレヒオ・デル・クエルポ

 いまも事実上、内戦状態にあるコロンビア。豊潤なコーヒーの産地であると同時に、コカの精製地であり相変わらず麻薬密売は横行する。テレビも満足も買えない貧困層がいるかと思えば、メキシコとならぶテレノベラの制作拠点。豊かなエメラルド鉱脈に恵まれながら、その鉱脈のために命を落す貧しい鉱夫たち。幼い娼婦たちが敬虔なカトリック教徒でもある国……。
 「残酷なまでに価値観を喪失した国」とは、コレヒオ・デル・クエルポの来日公演を告知するチラシに書き込まれた惹句である。同国人自身が虚飾なく、無論そこには痛みをともなうジレンマがあるのだろうが母なる国をそう語る。かくも矛盾を屹立させている国だが豊かな芸術を育む地でもある。誰が言ったか、騒乱の地ほど文化は先鋭化し新しい地平を切り拓く、と。フランス革命しかりロシア革命しかり、明治維新の激動期もまたそうであったといえるだろう。
 コロンビアの現在がそうであるかも知れない。特に音楽、現在、世界市場でビッグとなったシャキーラやフワネスはこの国の人だ。ボテロをはじめとする一群の画家・彫刻家、そしてコロンビアの光と陰を濃密なマコンド伝説に塗り込めた作家ガルシア=マルケスもこの大地の暑気が生み出した。
 コロンビアには「物質的な“使い捨て”の身体があるのみだ」と語るのは本公演の振付家であり「コレヒオ・デル・クエルポ」の創始者アルバロ・レストレポ。彼が振り付けした「500年」の歳月を刻印するステージはカオスのなかの清純ともいうべき静と動の反復が幾筋のかの金属の糸となってきらめき、緊張感が走る象徴的な凝結であった。9人のカルタヘナの若い舞手に、7人の日本と韓国の若い舞手たちが加わり、国境を超えたコラボレーションを産み出し渾然一体となって、歴史を紡ぎ、暴力・信仰・愛・死などが血の亀裂のなかから摘出される。それは暴力的ともいえる正確無比な〈時〉の運行のなかの一こまにしか過ぎないとも主張しているように見えるし、それがコロンビアのなかんずくラテンアメリカの現実とも批評されているようにも思った。
 沈黙の語り部のような黄泉の国の司祭は、床に描かれた四角い線に沿ってゆっくりと周回しつづける。その両手には大きなコンパスが抱えられ、それは時にライフルのごとく見立てられる。コロンブスの「発見」航海は海図をコンパスで測りながら進路を整えた。そのコンパスは侵略の道具でもあったのだ。
 文明の器具をかかえて黄泉の司祭が〈時〉を刻むとき、西洋的合理主義の規範からはずれた地は桎梏(しっこく)される。そんなことがカオス状に謳われていたのだった。日本コロンビア修好100周年記念イベント。 ▼10月29日、東京・品川の六行会ホールにて。(2008)

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