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早田英志さんとの邂逅 映画『エメラルド・カーボーイ』

早田英志さんとの邂逅
 映画『エメラルド・カウボーイ』を自ら監督・出演した破天荒なエメラルド王
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 昔、「海外雄飛」という言葉があった。
 誕生間もない明治政府は、欧米の先進文化・技術を吸収するために多くの青年学徒を送り出した。そうしたオフィシャルな渡航組、帰国すれば高級官僚の椅子がまっているエリートたちを尻目に、官にまったく頼らず、大いなる野望だけを胸に秘め、無手の身で海外に出て行った青年たちもいた。
 明治、大正、昭和、そして敗戦後と自分の可能性をためそうとした青年たちは“新天地”に渡った。アメリカ大陸は多くの青年を受け入れた。日本人が書いた中南米近現代史の挿話に、青年たちの成功と挫折の記録が書きとめられている。けれど、日本が豊かになるにつれて「海外雄飛」組は途絶しないまでも極端に少なくなった。
 わが早田英志は、まったくの後発組である。
彼早田は、日本にそのままとどまっても、そこそこの成功を収めた男だろう。しかし、彼はぬくぬくとした安定に背を向け、あろうことか南米でももっとも治安の悪いコロンビアに乗り込み見事、腕一本で一旗上げてしまったのだ。
 「エメラルド・ゾーンと呼ばれるコロンビアの山地は利権を求める男たちが仁義なき抗争をつづけていた。それが私が同国入りした頃の状況だった。かつて米国に存在した“西部劇”の世界そのものだと思った。強い男が発言力をもつ世界、そして銃が雄弁な効力を発揮する無法地帯。いまの時代、一攫千金のチャンスなんて危険と引き換えにしか手にできないと覚悟を決めて乗り込んだ」
 スペイン征服時代から黄金郷エル・ドラドと呼ばれ、幾多の冒険者の命を奪ってきたコロンビア。今日もその伝説が生きる。黄金の代わりに良質のエメラルドが命知らずの男たちを誘っている。数百年に渡って、夢みる男たちの生き血を吸う大地である。
 映画は、エメラルドが吸い寄せる人間の欲望を根底に、早田の半生を劇化したものだ。疾風怒濤の生々しい成功の物語をドキュメント風に追った“魁作”。一粒の原石を探すしがないバイヤーから出発して、20年足らずでエメラルド・ビジネス界のドンに上り詰めた濃密な歳月を切り取った映画だ。中身が濃すぎる。
 「映画は私の発意ではない。ロス・アンジェルスの若い映画人たちが私を知り、是非、映画化したいと言ってきた。それでシナリオ作りを手伝った。彼らなりに準備をしていたけれど、資金がなかなか調達できないと言っていたから、では私が出資しようということになってプロジェクトが動き出した。コロンビアには、早田は映画を自己宣伝の道具にした、と批判する者がいる。しかし、最初の経緯を知ればその批判は当たらないはずだ。第一、映画を制作して私にはなんのメリットもない。むしろデメリットばかりだ。映画はコロンビアで大ヒットした。お陰で身代金目当ての誘拐の危険が増してしまった。高すぎる“有名税”ですよ」
 ちなみに早田氏は、日本での滞在先は映画宣伝会社にも通告していない。携帯電話だけでつながっている。
 コロンビアはご存知のように身代金目当ての誘拐が日常茶飯事の国だ。ビジネスとして誘拐を行う者、政治宣伝と資金を得るために誘拐を常態化した反政府武装組織。左翼ゲリラは政府軍と拮抗した戦いをつづけている。はっきり言って現在、日本人が一番行きたがらない国の最右翼である。
 「エメラルド鉱山地帯は中央政府の意思が届かない無法地帯ようなものです。だから撮影隊自ら防衛しなければいけない。映画で使用された銃器はみな撮影隊の防衛のために携えた実物です。実際に使用した弾丸も実弾です。法律では禁止されているのですが、ハリウッド映画のようにフェイク・ブレット(偽弾)を使うのは効率が悪い。コロンビアではまったくフェイクは生産されていないから輸入するしかなく高価、それに手続きが面倒で、実弾の方がはるかに安い。だから、実弾をそのまま使用した。その分、迫力のあるシーンを撮れた」ということになる。
 映画はハリウッドから連れてきた監督、俳優を配してはじまった。しかし、早田の言葉を信じるなら、「あまりの治安の悪さに恐れをなし仕事を投げ出して帰国してしまった」という。だから、撮影や録音など一部のスタッフを除けば、素人集団の仕事となった。それを見事に束ねたのはセニョール早田の豪腕である。
 「ふだんやっている通りにやれ! と怒鳴りながら撮影をつづけた。実弾の実射もそうなら、重武装のボディーガードたちもプロだし、鉱山夫たちも皆、うちの会社、鉱山で働く労働者です」
 おそらく紛争地で起業し成功した早川は、一代で財を成した企業家の多くがそうであるように相当のワンマンであると思う。そして、人情にすこぶるもろい男だろう。そのパーソナリティは米国人監督が辞退し、「では俺が撮る」となった時、すこぶる有効に作用したと思う。その気配をありていに言えば、やくざ渡世の親分子分の運命共同体のような関係ではないだろうか。子分は、映画を親分の「道楽」と思ったかも知れないが、そこはだまって呑み込んで一肌脱いでやろうと思ったにちがいない。
 映画は実に多くの人間が登場する。その意味では贅沢な映画である。群集シーンは圧倒的だ。それも映画の活力になっている。その素人俳優たちを適宜動かした早田の腕は、映画監督ではなく敏腕な企業家のそれである。クレジットを仔細に眺めれば、若き早田(ルイス・ベラスコ)に好意を抱く美女を、早田の実娘パトリシア・ハヤカワが演じている。彼女自身、出演するばかりでなく、共同プロデューサー、美術・音楽監督として参加している。あまりにも早田英志本人が突出しているので、パトリシアの仕事は目立たないがその多彩な才能は注視されるべきだろう。……というわけで、この映画はまったく早田ファミリー作品なのである。
 「もっとも、米国人スタッフ、キャストが逃げ出し後、火事場のなんとかで監督まで引き受けることになったら、こんどは映画を日本の若者に見せたいと思いが強くなりました。もっと元気を出せ! 生き方を見直せ! それが私がメッセージだ。しょうもない若い男が多すぎる」
 早田と筆者の対話は約2時間に及んだ。そのなかで早田は日本の若者の目、視線の弱さを語っていた。そして、自殺する若者たちの多さに憤っていた。
 「職なく、社会保障もないのが常態のようなコロンビア、ラテンアメリカの若者だって自殺したりしない。人生とは闘いなのだから、死ぬなら闘って死ぬことを選ぶ」という発言には通算13年、彼の地に暮らした筆者も大いに共感するものだ。
 「コロンビアでこの映画を支持しているのは貧しい民衆だ。映画からなにかエネルギーを吸収しているはずだ。私は最初から芸術性なんてまったく無視した。アクション映画だけど、私という生身の人間を通した真実のアクション映画だ。それには成功したと思う」と言い切る早田の瞳は熱帯の爬虫類の輝きだ。
 エメラルド王と呼ばれるほどの富を築きながら、まだ新しいことに挑戦しようと前傾姿勢を維持している。エメラルドには可能性を広げるパワーが秘められていると言われるが、日々、原石に触れている早田だから死ぬまで直進しつづけるのだろう。
 「はやく帰りたいね。私の故郷はコロンビアだ。骨を埋める地だ。いつまで生きるか分からない。いつもヒットマンに狙われている身だからね。それまで、まぁ死ぬまで闘いを止めるわけにはいかない」
 そんなふうに考える男がつくった映画だ。

 そうそう、本誌の読者のために追記する。コロンビア深部の濃密なバジェナートがたっぷり聴ける。その意味でも本誌の読者は見逃せない映画だ。映画公開とほぼ同時に発売されたサントラ盤は土俗的雰囲気はすっかり濾過され、インストメンタル中心の編成となっているのが惜しまれる。バジェナートに触れたい者はスクリーンから汗と埃りを吸え! 



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