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金芙宣さん「映画で世界を知り、たくさんのことを学んだ」

インタビュー 金芙宣さん
「映画で世界を知り、たくさんのことを学んだ」
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 毎年、どれだけ多くの若者が東京に吸い寄せられるのだろう。
 東京でしか学べないことも多い、実現できない仕事も数多い。
 金芙宣(キム・プソン)さんも、「映画に関わる仕事がしたくて尼崎(兵庫県)
から単身上京した」人。「そのときウイウイしい24歳の私も31歳になりました」。
在日3世である。いま、映画の宣伝の一線で活躍している。
 いつもお会いするのは、少々うす暗いマスコミ用の小さな試写室の出入り口だが、
そこでの印象はいつも凛(りん)とした感じだが、あらため話をすると笑顔もこぼ
れ、ずっと柔和な感じとなる。おもわず李恢成さんの小説に描かれているチマチョ
ゴリの似合う美しい在日少女を想い出したりした。
「両親が朝鮮籍でしたから学校も朝鮮学校でした。学校では朝鮮語が必修で、在学
中はこんなに勉強する必要あるのかな、役に立つことあるの、という感じでした」
 人のウンは分からない。映画の仕事をはじめてから韓流ブームがやってきた。
「おかげで韓国へ行ったり。その韓国で、『あなたの話している言葉は軍人みたいだ』
と言われました。その時、はじめて北と南では言葉もが違うことも知りしました」。
 ところで映画の仕事に携わろうとした、きっかけは?
 「実家の1階が貸し店舗、2階が家という作りで、小学生の時、レンタルビデオ屋
さんが入ったんです。家主ということで家族全員、いくら借りてもタダというカード
を戴き中学、高校とビデオ漬け。映画で〈世界〉を知り、たくさんのことを学んだ。
それで映画に関わる仕事をしたい、と思うようになりました。大学も関西でしたが、
いざ就職というときになって京阪神では映画関係の仕事に就くことなんてまず無理。
二年ほど関西で映画の宣伝に関わっている広告代理店で働きましたが、やっぱり映画
の仕事は東京ということで、24歳で東京に出てきて今の会社に入ったのです」
 この仕事、長時間拘束、その割には報酬は少ない。好きでないとできない。
「その代わりといって良いのか、一本の映画を通じて、いろいろな分野の専門家と知
り合うことになるし、否応なく、いままで関心のなかった分野のことを勉強すること
になりますね。それが財産になると思わないとできない仕事ですよね」
6年、多忙のなかに身を置いてきて、それなりに充実していたが、両親の眼が厳しく
なった。気がついたら30を超え、ていた。「親が結婚をうるさくいうようになりま
したね」と苦笑。
「母はとても尊敬できる人ですが結婚となると『絶対、同胞』と妥協しないんです。
国籍より、私の仕事を理解できる人を求めているのに」と。そこで思わず、だったら
この仕事やってる限り独身を謳歌しつづける可能性は高いですね、と率直に言えば金
さん少々、自嘲気味に、「ホント長時間拘束で薄給。良くやってます……」と。しか
し、好きな仕事で食べていける、ということでは恵まれている。「はい、前向きに生
きていきます」。

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