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映画『サラエボの花』 ヤスミラ・ジュバニッチ監督 

映画『サラエボの花』 ヤスミラ・ジュバニッチ監督 
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 現在、日本で活動をつづけている歌手ヤドランカはサラエボ生れだ。たおやかな叙情性のなかに強い意志を感じさせるヤドランカの歌は国境を越えて親しまれている。
 ヤドランカが生まれた当時のサラエボは旧ユーゴスラビア連邦の一地方都市であった。その頃、ユーゴには民族差別も宗教対立もなかった。どこかに燻(くすぶ)りはあったのかも知れないが、邪視がともなって表出化することはなかった。
 ムスリムとキリスト教徒は通婚し、異教を認め合って交わる親近縁者たちがいた。そこには連邦を束ねるチトーというカリスマ的な大統領の重石があった、ということを後で思い知る。ナチ・ドイツ軍と戦ったパルチンザンの頭領チトーの名声は、民族の垣根を越えて新しい連邦人を創出することに成功したように思えた。東欧諸国のなかでも際立った経済発展を遂げたのも、英明なコスモポリタンイズムであっただろう。その象徴的成果が1984年のサラエボ冬季オリンピックの主催であった。このとき、オリンピックを実況中継して配信するユーゴの国営放送のテーマ音楽を担当したのがヤドランカだった。
 開催前にオリンピックへの関心を高めることと、資金稼ぎも兼ねて記念LPが制作された。日本では未発売だったが後年、メキシコの中古レコード店でそれをみつけて購入した。ジャケットには主催会場となった美しいスタジアムが映し出されていた。
 それから8年後、ユーゴ解体ともに始まった内戦によって、サラエボは戦場となり日々、死者が出て市内の墓地に余裕はなくなった。かつて万国旗が舞い、歓声に沸いたスタジアムは掘り返され巨大な墓地となり、死の空間となってしまった。
 サラエボはボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都となった。ユーゴスラビアは数代に渡ってつづくであろう民族間の憎悪を残して5つの国に分裂した。
 映画は、ボスニア紛争から10数年後のサラエボが舞台となっている。
 内戦の傷跡はまだそこかしこにあるものの復興もまた目覚しい。過渡期のサラエボ。しかし、内戦を生き抜いた人々の記憶はいまだ癒えることはない。
 政府から支給される生活補助金とナイトクラブのウェーターとして働きながら生活費を稼ぐ中年女性エスマ(ミリャナ・カラノヴィッチ)に、ひとり娘のサラがいる。12歳、多感な年頃だ。父親は、内戦で死んだ。しかし、サラは父のことを母から何も聞いていない。母は何も話さない。エスマはムスリム系ボスニア人である。内戦ではキリスト教徒のセルビア人の敵となった。サラエボはそのセルビア軍に包囲され連日、砲弾に晒された。その日常を描いた映画も幾つか制作され、秀作も少なくない。
 エスマは内戦のなかでセルビア人に捕らえられ犯され妊娠した。その子がサラであった。サラは「父はシャヒードだった」と学校で言い張っていた。キリスト教徒のセルビア人との戦いで斃れたムスリムの「殉教者」であった、と吹聴していた。シャヒードの子はボスニアでは現在、生活面でさまざな優遇措置を受けていることを映画で知った。
 サラは近づいた修学旅行の費用も、自分はシャヒードの遺児だから当然、免除になるはずだ、と思いこんでいた。父の死を証明する書類があればよかった。しかし、サラには証明書は発行されない。サラの父親はシャヒードではなく、ムスリムでもなかった。父はセルビア人の誰か、としかわからないのだ。というのは、セルビア軍に捕らえられたエスマは、拘留所で日常的に機械的に複数の男から犯されつづけたのだ。サラの父が誰と特定しようがないのだ。
 ボスニア内戦後、あちこちで起きた悲惨な親子問題の典型である。セルビア勢力は、それを見越して「快楽」より、民族憎悪の極北の行為として、ムスリムの女たちを“民族的義務感”から強姦しつづけた。子の感情まで引き裂こうという悪魔的行為だ。現に、内戦後、そうして生まれた子を殺したり、親子ともどもの無理心中、あるいは子を捨てた母親も多い。故郷にはいた溜まれず、国境を越えてヨーロッパ諸国のどこかで新しい生活をはじめた女たちもまた多い。
 「サラエボの花」は内戦が生んでしまった名状しがたい宿命的な親と子の絆を、涙と血で撚り合わせた糸で紡いで“和解”へと導く。エスマは出産直後を回想して語る。
 「妊娠を知って私は流産させなければいけないと思い、腹を叩きつづけた。石で叩きつけたり。けれどお腹は日々、大きくなった。出産した直後、そんなものをみたくもない、と言った。その途端、母乳があふれ出した。私は一度だけ、乳を含ませてあげるけど、それで終わりだ、と言って赤ん坊を抱き取った。小さな子だった、でも、なんて愛らしい子なんだ、と思ったとき、私はその子を抱きしめていた」
 ボスニアではそうした光景はあちこちで展開されたのだと思う。映画では、母子の抱擁図は描かれていない。だから、私たちは、そこで自由なイメージを描き込める。たとえば、清明な光のなかで、豊満な乳房にかぼそい唇を寄せる赤子の聖性図。そこに民族も宗教も、政治も経済も超越した絶対的な愛の肯定があるはずだ。  
  *2007年12月、岩波ホールにて上映。

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とても魅力的な記事でした。
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