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明るくまばゆいニッポン*計画停電

明るくまばゆいニッポン
   *2年ほど前に某市民組織の機関誌に掲載された者。「計画停電」ということで、ふと思い出した。

 13年間、ラテンアメリカに暮らしていた。
 日本での暮らしを再開したのは6年前のことで、もうすっかり在日ニホン人化したようだ。そして、日本の夜の明るさにも慣れてしまった。
 なにごとも慣れは怖い。慣れは惰性であり、だいじな批判精神のしずかな漸減現象を意味する。これはなかなか手ごわい。慣れはまったく手ごわいのである。
 夜は暗いものなのだ。そして、人口的にはけっして影は消せない。自然が人間に与えた真理でもあり、また試練とも慰安ともいえる配分の妙だ。人間は恥多き存在だから、夜の闇にそれを溶かしこめるように神は配慮したと思いたい。
 都会に住む者はときどき田舎で呼吸するときが必要だ。
 緑のシャワーを浴びるのも良いが、漆黒の闇に身を晒す必要もある。あるいは、発展途上国とはいわないまでも中進国ぐらいには数年に一度くらい行ってみる必要がある。円高ドル安の影響で、ちょっと遠出の国外旅行より飛行機で国境を越えたほうがずっと安かったりする昨今である。ドンドン出て行く必要があるし、貧しい先住民から手工芸品でも買って、金を落としてきて欲しいものだ。そこがたとえ西欧化した近代都市であっても、その町をとりかこむ自然はまだ大きく深い。手つかずの奥深い闇が広がっている。そこは白昼あかるく夜は暗いというあたりまえの息づかいがある。3000万の人口を数えるメキシコ首都圏はとてつもなく巨大な原始に取り囲まれていた。メキシコ市はとてつもなく巨大な盆地のなかにある。囲む山は5000メートル級である。いくら高速道路を延ばし、地下鉄を延長しようとも自然はまだまだ途方もなく広がっている。
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メキシコ市の夜には、光がとどかない闇がたくさんある。街路も暗い。そして、暗い夜道はやはり危険なのである。明りがないから危険なのではなく、人の気配が途絶えた夜道が時に犯罪の舞台となるから怖いのである。社会問題である。街灯の明度の問題ではないのだ。
 盛夏である。クールビズという。省エネと叫ばれる。けっこう毛だらけ猫灰だらけだからけ~なのだから、大いに督励すればいい。しかし、ニホンの都市の暑さは格別だ。湿度が高いから体感温度を引き上げる。わが熱帯のラテンアメリカに暮らしているあいだ、日本人がいうところの“熱帯夜”というのを一度も体験しなかった。快適な熱帯の夜をいつも送っていた。涼しいから夜遊びには薄手のセーターを着用していた。
 ともかく日本の夏は異様に暑いのだ、都会では。生理の限度を越えている。だから、クールビズもいいがクーラーはも欠かせない。その分、明るすぎる都会の夜そのものを省エネ化しろと声を高くして叫びたい。暗い安全な夜を演出して省エネ化し、照明を落として蓄えた電力で大気まで冷やしてくれと叫びたい。
 オバマ大統領になってからやっと本格的に省エネが政府方針となった米国の都市だって東京ほど明るくない。犯罪都市とかいわれるマイアミやロス・アンジェルスだって薄くらい場所はいくらでもある。その分、星は綺麗だ。夜は暗くて当たり前。それが自然ではないか。カリブ海上から天頂を眺めれば幾百万の星が雪崩をうって落ちてきそうだ。ついでに人口衛星の軌道まで肉眼で観察できてしまう。
 月光浴である。天体からの光だけで写真が撮れる。
 社会の治安は夜の白昼化では防げない。人の心に棲む“闇”の手わざだ。その“闇”の半分は政治が解決する領域である。残りは人間の本性としかいいようがない原罪がもたらすもので哲学と宗教が解消すべき領域だろう。それは白夜の街路でもためらわないものだ。

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