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ハバナのチェルノブイリの子どもたち

ハバナのチェルノブイリの子どもたち

*本稿は、月刊誌『ラティーナ』2001年4月号に掲載された後、2004年11月に刊行された『南のポリティカ ~誇りと抵抗』に収載したもの。今回の福島原発事故で再度、掲載する意味があるかと思い、旧稿を掲示することにしました。ロシア経済は執筆した当時から比較すれば、石油・ガスの輸出、軍事・宇宙産業の整備・拡充によって著しく回復した。プーチン前大統領の任期が終了する頃には、BRICs(現在はBRICS)、そして上海協力機構の主導国になるまで回復しているが、当時の筆者の実感はそのまま訂正しないで掲載することにした。また、執筆当時、メキシコ市で暮らしていたので主たるニュース素材はスペイン語圏報道機関とCNNであった。        
( )内の記述はこのブログへの掲示に際して補記した箇所。(2011年4月15日記)
チェルノブイリの被災児童


 昨年(2000年)12月、米国大統領選挙の集計をめぐる混乱をしり目にロシアのプーチン大統領がキューバ行きを計画、国防相などを随行して訪問した。
 ロシアの尊厳を復権しようと試みるプーチン大統領にとって、ソ連邦時代に運命共同体であったキューバは対米国政策のうえで重要な国だ。ソ連邦解体後、氷が張りつめていたような関係を溶かし再構築することは緊急課題であった。なにより、ロシアはハバナ近郊に米国内の軍事情報を傍受するルルデス基地をいまでも維持している。かつて米国主要都市を射程に入れたミサイル基地をキューバに建設したソ連邦時代の遺産だ。
 経済では途上国並みに転落したロシアだが、軍事面においては唯一、米国を脅かす大国であることは現在も変わらない。キューバはロシアの対米国戦略上、最前衛に位置する浮沈空母のような存在だ。プーチン大統領はルルデス基地を視察士、施設の改善を求めたといわれる。同大統領に随行したセルゲーエフ国防相はハバナで、カストロ首相の実弟ラウル国家評議会第一副議長と軍事技術協力を強化する協定に調印している。
 キューバという島国は地政学的に世界の焦点になるようにできているらしい。この島がスペイン人に見いだされて以来、“新大陸”における植民地経営の要の存在であり、大陸が次々と独立してゆくなかでも最後まで手放さなかったのも地政学的な価値があったからだ。
 キューバ本土にはいまも米国が割譲する地グアンタナモがある。キューバの第二の国歌ともいうべき「グアンタナメラ」の故郷だが、ここに米軍基地がある。
 (〈9・11〉後の米国の一連の戦争で捕縛されたイスラム過激派(誤認も多かった)が収容された基地でもあった。)
 グアンタナモ基地で働くため日々、キューバ側から通勤するキューバ人がいる。一国の領土のなかに東西両陣営双方の基地が長年存続し、冷戦以降も維持されている。1903年、「独立」間もないキューバから米国がもぎ取った熱帯の果実のような地だ。
 
 プーチン大統領一行がハバナを離れた直後、筆者はハバナ近郊の湾岸地帯にある、チェルノブイリの被災児童を受け入れている施設を4歳の娘の手を引いて訪れた。
 治療施設は、もともとハバナ市内の子どもたちが利用するために設けられた野外教育施設だった。現在、ここで原発事故で被災したウクライナの子ども約200人が治療を受けている。起伏に富んだ広い敷地に病棟、学校、スポーツ施設や居住区が点在する自然環境に恵まれたところだ。
 1986年4月、爆発事故を起こし、国境を越えて被害が拡大したウクライナ共和国のチェルノブイリ原発。当時、ウクライナはソ連邦の構成国であった。連邦解体後、ロシアにとってウクライナは“外国”となったが、事故に関して道義的責任は末代までつづくはずだ。クレムリンの電力政策の一環としてチェルノブイリ原発があり、爆発直後から汚染土の除去まで多くのロシア兵士が徴兵され被爆していることでも、事故はいまもロシアが引き受けるものとなっている。しかし、プーチン大統領はルルデス基地を訪れても目と鼻の先にあるチェルノブイリの被災児童が暮らす施設を見舞う気はなかったらしい。まったく無視した。時間がなかったといえば、そういうことになるか。
 この施設が開設された直後はロシア、ベラルーシ、アルメニアなど旧ソ連邦各地の被爆児童を受け入れいたということだが現在はウクライナの子どもたちに限定されているということだ。施設を案内したキューバ人に、「何故、ウクライナの子どもたちに限定されたのか」という問いに関しては、明確な回答は得られなかった。
 施設の規模、医師の数、そして経済的負担を考慮すれば毎年3期に分け毎回約200名、年間600名もの児童を受け入れることは大変な事業だ。経済的困窮がつづくキューバにあって、こうした人道的活動を持続させる善意がまぶしい。少し突き放した言い方をすれば、キューバ医学は皮膚医療に関しては先進国だ。いや予防医学、薬物医療でも実績をあげている国でもある。チェルノブイリの被災児童の治療でえられたデータは皮膚医療だけでなく、放射能障害の医療分野でも貴重なサンプルとしてデータが蓄積されているはずだ。 とはいえ、そうした実利的な側面を認めつつ、それを割り引いてもなお賞賛されるべき活動だと思う。重度障害の児童には付き添いとしてやってくる母親などの生活もまかなっている。
 治療は障害を5段階に分け、重度障害者は母親ないしは家族とウクライナの担当医師もついてくる。軽度の障害者は施設に設けられた学校に通学しながら3ヶ月、治療を受けて帰国する。
 カリブの太陽のもとで元気に駆け回っているのはむろん軽度の子どもたちだが、治療の副作用か頭髪の失われた少女、火傷痕の痛々しい子どもたちも目につく。取材中の私に替わって、彼らが私の娘と遊んでくれた。子どもたちには言葉の壁はない。
 キューバ人女医が、「わが国の医療技術は優れた実績を持つ」と枕言葉からはじめて施設の概要を説明してくれた。そして、「世界各地でキューバ人医師たちは医療活動に専心している」とも。
 確かにキューバ医師団は、周辺諸国で大きな自然災害があれば直ちに救援活動に駆けつけられる人的資源と組織力がある。(昨年、ハイチで大震災があったとき真っ先に駆けつけたのはキューバ医師団だった)。現在もハリケーンの甚大な被害を受けた中米ホンジュラスや、地震で被災したコロンビアで活動を展開している。両国とも国交はないが、人道的援助として活動に当たっている。……ということを納得しても、この女医さんの説明のなかでキューバ産薬品の自画自賛が目に余るな、と思ったので、「それは副作用などの臨床実験を経て安全が確認されたものですか?」と質問した。むろん、答えは「安全です」としか返ってこない、と解っていながらも発しないわけにはいかなかった。
 実際、素人の私には、この施設内でどれほどの治療実績があるのか確認できない。治療後、祖国へ帰った子どもたちの、その後も気にかかる。「ここで治療を受けた子どもたちのデータはすべてコンピューターで管理されている」ともいう。しかし、被爆障害の完全な治療法は存在しないのだから、やたらと「成果」を強調されても鼻白むのだ。
 起伏に富んだ敷地内を歩く。カリブの紺碧の海が眺望できる。美しい光景だ。癒しの効果ということでは最良の環境かもしれない。

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