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映画『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』  マリー=ジャンヌ・セレロ監督

映画『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』  
マリー=ジャンヌ・セレロ監督
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 昨年の当欄で近年のフランス映画は女性の評伝映画に秀作が多いと書いた。その文脈の流れに、また1本の秀作が加わった。つくづく、フランスという国はロココ時代から〈女〉を描いて倦むところを知らないと思わせる。モーツァルトの実姉ナンネルの青春というにしては早熟、〈芸人〉であるがために強いらる成長、そして諦観までを慈愛をこめて描く。
 世界でいちばん演奏される機会が多いのがモーツァルトなら、評伝のたぐいもまたずば抜けた体積を示す。時代と国境を超えた“アイドル”はそれこそ小さな癖までほりつくされた観がある。その評伝の多くがモーツァルトの旅の日々を描く。彼にとって旅は生活そのものであった。特に1763年6月、ザルツブルグを出発し、西欧諸国を駆け巡りドーヴァー海峡も越えた3年5ヶ月に及ぶ大旅行は、モーツァルトの神童ぶりを王侯貴族の脳裏に焼き付けた旅としてよく知られる。
 この旅に4歳年上のナンネルが同行した。彼女にとって少女から大人になる、もっとも多感な日々だった。映画は、この旅路でのナンネルを描く。
 旅の様子はプロモートした父レオポルトが残したメモ、手紙などによってうかがい知れるが、ナンネルの内面までは分析してはいない。父親はふつう子どもの性格診断はしても、心理学的な解析はしないのは当然だ。この映画で描かれるのはあくまでセレロ監督のかくあるべきと夢想する映画的真実であって、創造のナンネルである。
 もし、モーツァルト一家にアマデウス少年の天才が誕生しなければ、ナンネルの名も今日まで伝わることはなかっただろう。旅の主役はあくまでアマデウスであって、ナンネルはその引き立て役に徹した。しかし、アマデウスの異常な早熟、天才を支える伴奏者であった、という役割を全うしたことを忘れてはならない。彼女の才能を女であるがために軽んじた父ではあったが、アマデウスが音楽的才能を開花させるまで、父はナンネルの才能を稀有(けう)なものとして愛し、厳しく仕込んでもいた事実がある。
 映画は、なりよりナンネルはけっして弟の伴奏者として恬淡(てんたん)と甘んじてはいなかった、という前提で彼女を描きだす。
 当時、女性禁制であった音楽大学に男装して学んだ積極的な少女だった、と語る。ふとバーブラ・ストライサンドが男装のユダヤ人神学生を演じた映画『愛のイエントル』を思い出した。バーブラが原作に惚れ込み製作から監督・脚本・主演、そして歌唱を担当した作品だった。小柄な女性であるが故、男装もまた腺病質な内気なたたずまいをみせてしまうイエントルのなかに、それでも男子学生と伍していこうという静かな熱意をにじませた好演だった。そのバーブラに比べると、ナンネルの男装にはしまりがない。このあたりはもっと締めて欲しかったところだ。
 ナンネルはアカデミーで内なる問いかけから作曲もした、と描かれている。作曲を手がけたことは事実だが、学校で学んだからというのは創作だろう。そういうナンネルが恋愛も体験し、そして、音楽家として立つか、ここでキャリアを捨てるかという岐路を迎える葛藤まで描く。当時の音楽界は女性に対して厳しかったことは事実だが、プロが存在しなかったわけではない。
 旅の3年5ヶ月のあいだに青春を謳歌し、燃え尽きた……ように描かれる。そのあたりは検証の余地があるが、成熟の早かった時代、あんがい、そんなふうに人生のとば口で、女として生まれたがゆえに陥る諦観を抱いたとしても不思議はない。女性ならおのずと時代が規範とする良妻賢母像に染まっていったかも知れない。
 モーツァルトの時代にも職業的な音楽家として男と伍した才能は存在した。モーツァルトの教え子にヨーゼーファ・アウエルンハンマーがいる。優れた女流ピアニストで、モーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ」の初演者であった。また、モーツァルトが「ピアノ協奏曲18番」を献呈したマリア・テレジア・フォン・パラディスも同時代の優れたピアニストだった。いまでも弦楽曲の小品として愛聴されている『シチリアーノ』の作曲家でもあった。しかもパレディスは失明者であった。そういう肉体的なハンディを背負っても音楽家として自立していた女性は存在した。その意味では、ナンネルの“挫折”はより内面的な出来事だったと思う。
 少女から恋を知る女と成長していくナンネルを演じたマリー・フェレの存在感は輝いている。柔和な顔(かんばせ)のなかにも視線をゆるがさないフェレの眼は、1963年作と伝えられる肖像画「大礼服のナンネル」の意思の強そうな視線を思い起こさせる。その肖像は旅の途上で描かれた。弟アマデウスに劣らぬ技量をもった神童としてナンネルも賞賛されていたのだ。
 しかし、長旅から帰郷したナンネルは二度と華やかなステージにあがることはなかった。その心の内実をナンネル自ら封印してしまった。マリー・フェレは、その封印までの青春の日々を内に向かう強さとして表現していた。   

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