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2007 「国際民俗芸能フェスティバル」 オホーツクの両岸の芸能

2007 「国際民俗芸能フェスティバル」 オホーツクの両岸の芸能
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 昨年(2006年)4月、ユネスコにおいて「無形文化遺産の保護に関する条約」が発効した。世界各地で継承される無形の文化遺産の重要性を認識し、国際的な協力の下での保護を訴えたものだ。日本は同条約の舵取り役を担う政府間委員会の主要メンバーとなっている。その主導国の責務としても毎年2月、開催される「国際民俗芸能フェスティバル」は充実させていかねばならない。そして、今年もそのプログラムそは充実したものだった。
 第1部はオホーツク海を挟んで同族が暮らす北方民族の芸能。北海道の帯広カムイトウウポポ保存会による「アイヌ古式舞踏」から熊送り、弓の舞、鶴の舞などが披露された。 無文字文化のアイヌ族にとって自然災害を後世への知恵として語り継がせる方法に歌と踊りがあった。パッタキウポポ(バッタ踊り)などがそれにあたり興味深かった。虫害の教え教訓の伝承ということだろう。
 いつも思うのだが、北海道のアイヌ族はどうして楽器を発達させなかったのだろうか、という疑問である。簡単な打楽器の活用すら峻拒しているような芸能の世界は珍しい。その辺りは民族の心性を推察する大きなテーマだろう。アイヌ史の研究書では叙事詩「ユーカラ」、そして独自の意匠で知られる木綿衣アッツシの豊かな刺繍などを除くと、その文化は豊富とはいえないとする見方が通説のようだ。舞踊にしても高度なテクニックを求めてはいないし、打楽器の欠如はリズムの平板さを招いている。でも、そうした非技量的な段階で充足していたという事実をもって民族の文化度を貶めるものではなく、それはそれでは民族の心性としては尊重されなければいけない。
 対比的に3人のロシア国籍のアイヌ族も参加したロシア連邦ハバロフスク地方ウリチ地区ブラバという北辺の地で活動するウリチ民族芸能団ギワが招聘された。
 ギワの舞踏には打楽器の積極的な活用があり、リズムも潤沢であって華やかだ。北海道アイヌ族の静謐さが際立つ。もっともギワの舞踏構成には、ソ連時代に民俗舞踏を文化遺産として記録するために体系化し様式を与えたモイセーエフの影響がみられる。彼の天才は、旧ソ連だけでなく東欧諸国はもとより、メキシコの民族舞踏団も影響を与えた。ギワがモイセーエフの引力から自由でありえないのは当然だろう。それを思うと、演目に流暢な流れはなく節くれだっている北海道アイヌのプログラムこそ自然なのだ、と思えてくる。
 第2部では山岳国ブータンからクジュ・ルヤン民族歌舞団が舞踏と合唱、交互に織りなすステージで楽しませてくれた。といっても敬虔なチベット仏教国である、その仮面舞踏は宗教的舞踏(チャム)であり、儀礼の音楽(チョク)も仏教徒にふさわしい歌詞であった。女声による舞いを含んだ合唱は地声発声で織りなされ、ブルガリア・ボイスより軽やかで遊戯的であった。これは快く楽しめた。〈癒し〉の音楽ということでいえば注目して良いものだと思った。
 岩手県田野畑村の菅窪鹿踊り・剣舞でフェイスタ的気分を盛り上げた後、トリで大分県豊後大野市の御嶽神社に伝わる岩戸神楽が登場した。これは見応え、聴き応えがあった。
 天岩戸に隠れた天照大神を外に連れ出そうと諸神が舞い踊る「岩戸開」神話を演じるものだが、娯楽的要素を含む民衆芸としての劇的構成に感心した。年々歳々、繰り返されるごとに錬度が増す伝承芸能の力を思い知る。まず約40分ほど一糸乱れずに正確なリズムを刻みつづけるお囃子の力量は大変なものであった。気力の充実の上に技が乗っている。舞踏も国立劇場の広いステージを巧みに活用して飽かすことはなかった。充実の3時間30分に心が躍った。
▼平成19年(2007年)2月16日、東京・国立劇場大劇場にて。

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