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フェルメール、レンブラント、そして出島から「解体新書」へ

オランダは日本人の学問上の知的遺伝子
  フェルメール、レンブラント、そして出島から「解体新書」へ

 〈フェルメール〉と冠すれば、まずそのイベントは成功するのが日本のスノッブである。その『フェルメールとオランダ・フランドル絵画展』が小生の誕生日5月22日をもって東京展が終幕した。とほぼ同時期、現在も開催中の『レンブラント 光の探求/闇の誘惑』展があり、オランダ17世紀を代表する二大画家の展覧会が競演されたわけだ。
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フェルメール・ブームは映画『真珠の耳飾りの少女』のヒットで俄然、巷間に拡大したものだが、しかし、日本人は白樺派の昔からオランダの絵が好きなのだ。
 レンブラントは早くから紹介されてたし、贋作またはどこまでレンブラントの筆が入っているのかすこぶる疑わしいエルミタージュ美術館所蔵のレンブラント絵画展にも多くの(無批判な)鑑賞者を集めたことがある日本。しかし、なんといっても日本人好みのオランダ画家はゴッホであろう。
 小林秀雄の音楽論の代表作がモーツァルトなら、西洋絵画での単独批評はゴッホである。ベートーヴェンの「喜びの歌」をハミングしながら板を彫っていた棟方志功が目指したのも、「わたばゴッホ」であった。音楽ではほとんどみることのないオランダだが、こと美術における影響はあまりにも巨きい。
 フェルメールの絵でしばしば描かれる陽光射す西向きの窓、その向こうに広がっているはずの海、そのまたはるかな彼方、ユーラシア大陸から引きちぎられたように位置する日本に、オランダの絵は江戸時代から定着し、独自の絵画を生み出す。東北には「秋田蘭画」と称する一派まであらわれた。その蘭画は長崎出島から発した蘭学の支流である。
 そこで思うのだが、日本近代におけるアカデミズムをみるとき、オランダは日本にとって知的遺伝子ではなかったか、と思うのだ。そう据え置いてオランダ絵画好きな国民性をみてゆくと納得できるところもあるのではないか。新宿の高層ビルの最上階にある東郷青児美術館はゴッホの『ひまわり』を購入、展示してから集客率ははるかに高まったといわれる。
 東京駅前の八重洲。この地名はオランダ人の名から来ている。ヤン・ヨースチンで日本での通称は耶楊子。これが八重洲に転じた。
 ヤン・ヨースチンは航海士として来日する前、軍人として砲術の訓練を受けていた。一六〇〇年、関ヶ原の戦いに家康の要請で砲手として参戦。むろん、オランダは徳川への大筒砲の売り込むに成功していたのだ。関ヶ原に関する限り、徳川軍は日蘭連合軍であったわけだ。戦勝の報償で彼は江戸に屋敷を与られた。その場所がいまの八重洲なのだ。
 長崎の出島もそうだが日本にはオランダ縁りの地がたくさんある。それだけ日本の歴史に深甚な影響を与えた。
 ヤン・ヨースチンもフェルメールやレンブラントとおなじ17世紀人である。日本では狩野派が幕府御用達の画工として君臨する頃に、フェルメールやレンブラントは仕事をしていたわけだ。
 そういえば天草四郎の島原の乱でも、オランダ海軍は徳川幕府に加勢して「カトリック日本軍」の頭上に砲弾を撃ち込んでいる。プロテスタントのオランダからみれば島原の乱への参戦は、東アジアの端で戦われた「宗教戦争」のようなものだ。
 杉田玄白の『解体新書』のエピソードは日本人なら誰でも知る史実だが、オランダの医書『ターヘル・アナトミア』の実地検証の物語であった。日本の西洋医学史はそこから始まる。その原書が日本にあったのも江戸期に蘭学、オランダ語によるアカデミズムが根を張っていたからだ。出島を通して日本は西洋の学問を輸入できた。そういえばレンブラントにも肢体解剖用の検体を囲んだ医師ギルドの群像図があった。
 緒方洪庵の適塾は蘭学を基礎とした。ここから幕末から明治にかけて活躍する多くの才能が輩出する。その意味でもオランダという存在は近代日本の知性を磨いた研磨剤であった。オランダ語の基礎に継ぎ足すかたちで英語、仏語、独語への接近が試みられたのだ。筆者の専門分野からいえば、明治初期、中米グァテマラ入りし、たとえば米国で刊行されている南北アメリカ諸国の写真史の序章部で言及されているファン・ホセ・デ・ヘスス・ヤスは、現在の岩手県藤沢町で歴代、蘭方医であった家に生まれ、蘭学を学び医師となり、やがてオランダ語からフランス語を学び、スペイン語を学んでグァテマラに写真館を建てて成功した。日本名は屋須弘平である。
今回のレンブラント展も出島から送り出された和紙を使った約30点の版画が展覧されていた。同時代、狩野派、初期の浮世絵画家も使ったと思われる和紙をレンブラントも活用していたことを思うと、なんとなく歴史の芳醇を味わうような愉快な気持ちになる。
 フェルメールの『地理学者』にしても同時代、交易で黄金時代を築いていたオランダの時流、外航へ向かった気概を西日のなかで描いている作品である。その地理学者はオランダにあっては実益を優先することをためらわない実学の徒であったはずだ。その学者のモデル探しもあるようだが、〈彼〉の窓外をみる視線は、近い将来、その眼で外の世界をみようという意欲を表している。〈彼〉自身が出島まで来たかも知れない、と想像するのは楽しい。フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』から一編の小説が生まれたように、〈地理学者〉に出島まで旅させる冒険談が創作されても良いではないか。

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