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絵本『生きていたい! チェルノブイリの子どもたちの叫び』

12年後の福島は?
 絵本『生きていたい! チェルノブイリの子どもたちの叫び』を手にする
生きていたい! 新


 子どものキラキラした瞳は〈未来〉の輝き。子どもの好奇心の輝き、まだ何ものかを成さんとする渇望のエネルギーでもある。
 しかし、醜い現実社会はふいに子どもたちの瞳から輝きを奪ってしまう。光輝が失われた瞳に、絶望が宿るのに時間は掛からない。その絶望もまた生きている証しである。死は絶望からの解放である。絶望は生きようとする本能の意思の虚弱をあらわすものだ。子どもたちの瞳に、その絶望が宿るとき、そこには年不相応の思慮が宿り、社会をみつめる冷徹さまで加わってくる。そして、幼い子どもたちが、そのいたいけない瞳でなにを捉えていたのか、ということも知らされず、何ものかも成さなかった子どもたちは、ただ数として歴史の闇に消えてしまう。
 私たちは20世紀の災厄として、たとえばアウシュビッツ強制収容所で消却された無数の子どもたちの存在を知っている。そんな子どもたちが殺される前に描きとめた、生のつぶやきとしての「絵」が奇跡的に遺されたことを知る。その絵を通じて、子どもたちが最後に観た現実を知ることになる。描いた子どもたちに、その絵がやがて社会的有用性をもつことになるとは思っていない。ただ、いまその時の気もち心情、あるいは単なる好奇心を描き留めたものだろう。そこに、戦争の不条理を訴える力とか、平和を希求する幼な心とかいうものを見出すのは後知恵のようなものだ。
 そして、いわゆる平和主義者がアウシュビッツの子どもたちの絵を流用してプロバカンダしても、たちまち政治の不条理が無惨至極に善意など蹴散らしてしまう。
 あらたな悲劇が子どもたちを襲う。アウシュビッツを生き延びた子どもたちが長じて、パレスチナの子どもたちに銃口をむけ、老いた人の背を突き強制立ち退きを命じる。シオニストの手先……。それが人間社会の醜い現実社会なのだ。
 ここにウクライナ・チェルノブイリ原発事故で被害にあった75人の子どもたちが絵と詩でつづった生命の記録そのものとしての絵本がある。表紙の紅色の下地は子どもたちの健康な血潮とも思える。しかし、その血の健やかさを損なうものとしての原発が放出した放射能がある。事故で大気におびただしく流出した放射能は彼彼女たちをむしばみ、いまも悲惨を再生産している。
 チェルノブイリ原発事故の後遺症によって自らの生命の危機を予感した子どもたち。その絵には、すでに透徹した達観があらわれる。ことわっておくが、この絵本の企画・発行は事故の直後とか数年後というものではない。事故後、12年後の現実なのだ。
 子どもたちは天性の色彩主義者だ。悲劇を色彩で和らげようとする無意識の意思が宿っているように思う。単色淡彩の絵も少しある。そこには絶望しかない。取り返しのつかない永遠の沈黙。人気なく沈黙する村。生活の情景の寸断。置き去りにされた犬や猫。人間生活が突然、凍てつく光景には色相はあっても色彩はない。
 しかし、過酷な現実を批評し、原発事故の無惨を問いかけようとする子どもの強い意思もある。筆に訴求力の熱を注入しようと、色彩のエネルギーを借りる子どももいる。色相も豊かで、色彩感覚にあふれている絵もまた多い。
 絵本のなかでもっとも傷ましいと思うのは、「病気とのたたかい」と題された章におさめられた肖像画の“ギャラリー!”だ。自画像であり、友人や家族を描いたものだろう。甲状腺ガンに犯された子どもたちが多い。現在も子どもたちを襲っている。のどにメスを入れられる。無惨な傷後が残る。その傷跡を描きとめた自画像。なかにはネックレスとともに描き込むしゃれっ気をみせる子どももいるが、いくらけなげに笑い飛ばそうともガンの再発を抑えるために一生、薬を飲んでいかなければいけない。それが現実だ。
 約12年前、私はキューバの首都ハバナ郊外にある海浜学校を訪れた。そこにチェルノブイリの被災児童たちが治療を受けていた。手術痕のある子どもたちもいた。それから12年後、福島の原発事故でハバナのチェルノブイリの被災児童たちのことを思い出した。その後、確認事項は先に本ブログにも書いたので重複はさけよう。関心のある方は検索して欲しい。

 絵本という形式を執り、被災した子どもたちの医療費に役立てようという目的意識をもった「商品」でもあるから、そこには鑑賞に耐えるだけの力をもつ作品が選ばれる。当然だ。だから、みな年不相応ともいえる達者な技術をもっている。そして、ソ連時代の児童教育の水準の高さというものも感じられる。そういうものとして絵本を眺めていれば、それは率直に素晴らしいものだ。素晴らしく力強く「残酷」な絵本なのだ。
 この絵本は1998年4月に邦訳出版された。すでに絶版になって久しい。それから13年を経た現実としていま福島の子どもたちを襲いつつある、ということに慄然とする。 12歳のウクライナの少女オルガの詩「母なる大地のうめき」の結句は、
 
 放射能よ。いったい、おまえはどこへ行こうとするの?
  いったい、おまえはいつ歩みを止めてくれるの?

 ……と。チェルノブイリ原発はいまだ放射能を吹き出させている。そして、福島原発の終息はまだ何も分かっていない。放射能は、彼ら自身の意思として大気に彷徨う。彼ら自身には罪はない。彼らの力を制御できると思った人間の奢りが災厄を招いた。
 12年後の福島はいったいどうなっているだろうか?

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ブックトークで

勤務先主催の講習会で『ブックトーク』を体験した際に、アドバイザーの方から紹介して頂いてこの本の存在を知りました。
読んで辛いけど、周りの多くの人に読んで欲しいと思いました。

No title

この本をいま福島の子らに手にしてもらうには辛い気もしますが、少なくとも教育関係者や父母層には読んで欲しいですね。そして、東電関係者と原発推進派の国会議員たち。
先月末に被災地の三陸地方を回ってきました。この大震災を「文明論」的に語って欲しいという原稿の依頼があったのですが、現在、暗中模索中です。語るべきことは多々あるのですが・・・。
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