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『野ばら』 高齢者の思い出と映画

高齢者の思い出と映画『野ばら』
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 先日、小生も理事を務める映画上映の市民サークルの定例会で、1957年制作の西ドイツ映画『野ばら』を上映した。
 何故、『野ばら』かといえば、2ヶ月に1度、16ミリ・フィルムを上映するのだが、その映写機を操作する方が、「昔、小学校の上映会でもっとも多く回した」という思い出話がきっかけだった。サークルの平均年齢は60代後半。若い会員もいるが絶対少数派で、運営委員の大半が年金生活者である。したがって運営や上映作品の選定などは平日の昼間に行なわれることが多く、仕事をもっている会員はなかなか参加できない。高齢者パワーに押し切られる。
 映写技師さんの話はたちまち「懐かしい」「また、観たい」と盛り上がり上映となった。フィルムは日比谷図書館の映像ライブラリーにあって無料で借りた。小生もたぶん40年ぶりの再見。記憶は、ウィーン少年合唱団の歌声だけだった。
 主人公の孤児トーニ少年はハンガリー動乱の最中に両親を失い。オーストリアに亡命した、という設定。動乱で、ふたおやを亡くすということは子にとって取り返しのつかない悲劇だ。たぶん政変のなかの凄惨な死であったろう。多感な少年は痛烈なトラウマをもっていてもおかしくない状況だが、その辺りはきわめてぞんざいにしか描かれていない。
 しかし、何故、この映画はアノ時代、ドイツで制作され世界性を獲得したのか、と考えた。ハンガリー動乱の被害者として少年が描かれているわけだから、もとより東側で公開されることはなかったはずだ。とすれば、これは一種のプロバカンダ映画として機能したのではないかと思う。
 トーニは金を盗んだと濡れ衣を着せられ、真相を究明しようという大人を避けて川に落ち瀕死の状態になる。そして、〈死〉を迎えたと暗示され、カトリックの典礼に添った祈りの場面があり、それを引き継ぐかたちで〈蘇生〉しメデタシとなる。あのシーンは〈復活〉なのだ。それはハンガリー動乱の惨劇を生んだ無神論の共産主義に対するアンチテーゼ、神の勝利とも読み取れる。健康を回復したトーニ少年はウィーン少年合唱団の一員として米国公演の旅にでる。それはひとり合唱団の友好親善という単純なものではなかったろう。新生ドイツの未来を、トーニ少年のように不幸を背負いながらも正直に生き、他人の犠牲にもなるという献身の証しが、当時〈民主主義〉の本家であった米国に詣でるという暗喩でもあったはずだ。
 この映画は児童映画のかたちを借りることによって、政治も容易に図式化できるという利点をしたたかに借りた西ドイツの〈再生〉劇なのだ。むろん、東ドイツの政体批判ともなる。ファシズムの〈死〉、民主主義の〈再生〉という願いを体現しようとする象徴性を、リアリズムへのこだわりを棚上げして描ける児童映画のカテゴリーのなかで実現させたのだと思った。もっとも、そんな感慨を持ったのは小生ひとりだったようで、会員の多くは「今度は『菩提樹』をみたい」となった。冥土の土産に……と茶々を入れたかったが、慌てて呑み込んだ。  
 

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