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黒澤の核認識、原発批判を知る映画『生きものの記録』

黒澤の核認識、原発批判を知る
映画『生きものの記録』(1955年) 黒澤明監督
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 誇大妄想狂というのは想像力の極北というものだろう。
 全盛期の俳優というのは難役をかくも柔軟に克服するものだとつくづく思う。三十五歳の三船敏郎が70歳の老人役で主役を張った映画だ。
 冷戦下、核実験が繰り返されている。いつ核戦争が起きてもおかしくない状況。実際にこの映画の6年後、核戦争の瀬戸際までいったことが歴史的検証を通して明らかになっている「キューバ危機」を迎えている。こうした時代に鋳物工場の社長であり、家族の長たる中島喜一(三船敏郎)は核戦争の恐れのない南米のブラジルに工場を処分して一族郎党、移民しようと家族に持ちかける。これに“常識的”に反対する家族一同の反発をかう。そして、とんでもない誇大妄想狂として準禁治産者とするよう家族は家庭裁判所に申し立てをする。その調停員の歯科医(志村喬)が語り部となり、監督の黒子的に中島像を批評するという役割を演じる。
 映画は戦後10年という時点で撮られている。まだまだ戦災の傷跡が克服されたわけではないし、当時の日本人の多くが戦渦というものを皮膚感覚でおぼえている時代だ。しかし、ここは日本人として誇らしく思うところだが、勤勉な日本人はかくまで復興させたといいうるほど目覚ましい。それが昭和30年という年である。
中島の経営する鋳物工場にしても戦時中にB29によって一度、破壊されたことだろう。それでも見事に再興させ、中小規模の工場のひとつとして日本の戦後経済を下支えしているのだ。筆者は鋳物の町・川口で生まれ育ったから、中島の工場の雰囲気をとても懐かしく感じながらみた。こういう感じの工場はもう日本には存在しない。   
 中島はおそらく一代で工場を興し、家族を育て守り、幾十人かの工員さんとその家族の暮らしも支えている。その責任感は叩き上げの苦労人として人一倍強いだろう。そんな老人がいままで地球のどこに位置するかも考えてもみなかったブラジルへ突然、移転しようとする。その発想は、心に準備にない家族はとまどうのは当然だ。
家族は、核戦争が起これば地球のどこに行こうが放射能の汚染を免れるわけはないのだから、ブラジル行きなど無駄だ、と説得したりする。それは諦観というもので、中島の心根はたぶん、そういうところにあるのではないだろう。たぶん放射能の汚染は拡大するばかりだということも認識されているのだ。すでに絶望の橋を渡ってしまっているのだ。だから“常識”的で健全な精神を保つ家族は中島を誇大妄想狂と謗(そし)る。
その家族の位置は当時、この映画を見る日本人のものだろうし、いま現在もたぶんそうに違いない。黒澤はそうした“常識”に挑んだ、ということになるだろうし、想像力の効用を反核、平和というものに応用しようというメッセージだと思う。
 この映画が公開された前年の1954年、当時の改進党に属していた中曽根康弘など3議員が国会に提出した原子力研究開発予算が国会を通過した。そして映画が公開された55年12月、「原子力基本法」が成立した。黒澤監督がこの映画を構想した当時、国会でのそうした動きは十分、把握されていたものと思う。映画は原子力発電所についてはいっさい発言されているわけではないが、時代はそういうものだった。
 『生きものの記録』から35年後、黒澤は『夢』(1990)の「赤富士」編で、悲惨な原発事故で逃げ惑う人たちの姿を地獄絵図のように描いている。
 黒澤 夢
黒澤はチェルノブイリ事故をみた後で『夢』を制作したわけだが、そこには日本列島の各所で稼働する原発の存在、そして推進される原子力依存のエネルギー政策をどう考えたかが反映されている。いま、福島第1事故を知るなら黒澤はどのような批評をおこなっただろうか?

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