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ノーベル賞詩人ネルーダの死は毒殺か?

 ノーベル賞詩人ネルーダの死は毒殺か?
 軍事独裁時代の犯罪究明のなかで・・・南米チリ
180px-Pablo_Neruda_(1966).jpg
 

 1973年9月11日、南米チリに選挙を通じて実現したアジェンデ人民連合政府はピノチェト将軍の軍事クーデターによって武力で倒された。そして17年に及ぶ軍事独裁政権下でおびただしい人権犯罪が行われた。
 民主化を迎えた90年代から行方不明になっていた犠牲者の探索と同時に人権犯罪の究明も開始された。しかし、司法当局の追究は約20年が経過してもまだ全貌を明らかにできないでいる。歳月の経過による証拠の消滅、あるいは隠滅、証言者の死、そして軍部から圧力などによって遅々として進まない。なかでもアジェンデ政権崩壊の数日後、急死したノーベル賞詩人パブロ・ネルーダの死因をめぐっての調査も終わっていない。
 ピノチェトのクーデターが成功した後、チリ民衆は相次いで世界的な影響力を持つふたつの大きな才能を失った。
 ひとりはラテンアメリカの「新しい歌」運動のリーダーのひとりであり人気歌手でもあったビクトル・ハラ。彼の歌は日本でも横井久美子さんらが積極的に紹介し持ち歌として録音もされた。彼はクーデター直後、逮捕されギターを持つ手を砕かれ虐殺された。
 そして、ネルーダ。クーデターの直後、生命の危機を覚えた詩人はメキシコへの亡命を計画していたが、持病の白血病を悪化させ急死した、とされてきた。ガルシア=マルケスの有名なルポ『戒厳令下チリ潜入記』もこの病死説を採り、人民政府の崩壊を「哀しむあまり持病の~」と書いていた。
 この5月、ネルーダの元運転手マヌエル・アラヤ氏が、「軍部から派遣された医師がネルーダに何らかの注射をした後、容態が急変し死に至った。前日まで問題になく歩き回れたのに不審におもっていた」と証言した。
 アジェンデ派のネルーダがもし亡命すれば、彼自身が持つ世界的な影響力を行使して、軍部批判を展開するのは明らかだった。それを軍部は恐れた。それを阻止するために暗殺された、という憶測は前からあった。今回、新たな証言が出たことによって新たな裁判が始まろうとしている。軍事独裁時代の傷は崩壊後20年が経過しても癒えない。  

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