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大岩オスカール幸男の「廃墟」と、東日本大震災のイメージ

ブラジル出身の大岩オスカール幸男の廃墟のイメージ


黒い雪 送り用
 戦後移民としてブラジルに渡った両親の子として1965年にサンパウロに生を受け、1991年に東京に活動拠点を移し精力的な活動を展開し、12年後、米国ニューヨークに移動した画家に大岩オスカール幸男がいる。
 日本に12年滞在し繰り返し野心的な個展を開いたこともあって、日本にも熱狂的なファンがいる画家だ。最近、偶然なのだが1998年3月、東京・墨田区の現代美術制作所で開催された『VIA CRUCIS』展のカタログを開いて驚きとともに戸惑い、なにか肌がそば立つような衝撃を受けた。
〈3・11〉後、日本人は例外なく東日本大震災で惨酷な光景を眼底に焼き付けることになった。津波で次々と街が破壊され呑みこまれてゆく無惨至極な光景、波が退いた後の荒廃、そして廃墟と化し、死の沈黙におおわれた市街を眺望しつづけてきた。そればかりか福島第一原発が津波で被災し電源が失われたことから生じた災厄はいまも現在進行形で予断のならぬ事態と付き合わされている。
 原発の被災はとめどなく荒廃を広げているのだが、放射能の被害ということでは南関東の人間も等しく「被災者」のようなものだが、すでに慣れ、惰性が生じてきている観がある。原発に隣接していないし、放射能が目にみえないからどこか安穏としている。事態は深刻なのだが。必然、原発隣接地の荒廃はすさまじい。町や村から住民はいっせい避難し、町は無人となった。津波の被害を受けていない市街地に沈黙が固着した光景は不気味だ。そんな放射能が降りそそぐ町にもカメラが入り、住民の生活が中断凝結したシュールともいえる映像も繰り返し眺めてきた。それは、かつてチェルノブイリ原発事故後のウクライナやベラルーシの被災地を撮った写真や映像と重なるものであった。
 かつて、スラブの大地の悲惨は僻遠の彼方ともいえる場所で起きた惨事でしかなった……とそのようにしか、やはり見ていなかったことが、福島原発事故に遭遇して今更ながらに思う。福島原発事故の解釈にチェルノブイリの無惨さは大して役に立たなかった。そういう状況のなかで、大岩オスカール幸男の個展カタログを開いて衝撃を受けたのだ。

 大岩自身が東日本大震災や福島原発事故をどのようにみているか知らないし、かつて日本で描いた作品群があたかも〈3・11〉以後のニッポンの象徴的な光景を暗示・隠喩するような効果がある、とみてしまう私のような存在を意識しているかどうかも知らない。しかし、作品のいくつかを例示して大岩に指し示せば、彼自身がそれなりに首肯できるところがあるように思われる。
 たとえば『黒い雪』(1997)という作品がある。大岩自身「寒い国は白い雪、暑い国は黒い雪というイメージでサンパウロ郊外の家並を描きだした。その黒い雪は銃弾のイメージもあって、犯罪の多いサンパウロを象徴している」というふうに解説していた。
 日本人にとって、市街に降る「黒い雪」は、かつてヒロシマに被爆直後、降った「黒い雨」を連想させるものだ。寒い東北に降る雪は外見は白い雪でも、放射能に汚染された雪のイメージは灰色ないしは黒ではないか。『黒い雪』に限らず、個展に出品された多くの作品がいずれも廃墟、ないしは荒廃した現代光景を描いていて、一種の〈負〉の連環で成り立っているのだった。
 『赤いソファ』、『空気になる家』(いずれも1997)は無人となった家を描く。『赤いソファ』の光景はまるで原発事故で生活が突然中断された瞬間、その膠着そのものを描き出している、と説明されれば、そうだろうと思える絵だ。着の身着のままで避難した家人に放棄された家、散乱の光景がクライシスの象徴として定着されている。そういう絵はチェルノブイリで被災した子どもたちが「思い出」として描き、義援金を募るために制作された画集などに収録されている。
 大岩の絵は日本の家屋を描いているものがあるから、よりリアルに福島浜通りの無人の市街地のイメージに重なってしまうのだ。
 『ライト・ピット』(96)という絵。人気のない気配に、一部が壊れたまま放棄されている板塀をただ描いた作品。これもチェルノブイリの被災地でよくみられる光景であった。被災地から人の生活が遠退いて行き、福島のあちこちの市町村ではよくみられる光景となるように思われる。
 大岩が大震災、原発事故を予見して描いたわけではない、から「怖い」。明日を当たり前に迎えることを前提にきょうの営みがある……それが暮らしというものだ。そんな平凡さが呼吸しあい寄り添っているのが市街地であり村落だ。そんな暮らしの吐息が失われるとき、その廃墟は癒しがたいデスぺレートなものとなる。CGを巧みに使った近未来映画に描かれる廃墟は、かつての惨劇の敷衍である。そういうものとしてしか人は創造できない。そして、それは作り物だから安心してみられる。
 しかし、いま〈3・11〉を体験したあとでは、ドイツ・ロマン派たちが繰り返し描いた田園のなかの廃墟美すら胸に突き刺さってくるような痛みを味わってしまうものになった。
 さらに大岩の履歴に引きずられて書くのだが、2000年代前半に花の群生を繰り返し描き出す。その群生も『温室効果』(2001)であったり、放射能の影響かなにやら異形化した花の群生を思わせるものだったりするのだ(と見える)。色彩感ゆたかな絵なのだが、けっして居心地良く、素直に受け取れない。放射能を知らない印象派画家の花卉ではないのだ。
 広島・長崎が反核運動の世界的拡大のなかでヒロシマ・ナガサキとカタカナ表記されていったように、福島もまたフクシマとグロバール化してゆくなかで変質する土壌から芽ばえる花とも思えてくるのだった。
 やがて大岩の作品も虚心に眺めるときがくるだろう。
 そういう“慣れ”の季節もまた人間は確実に迎える。怠惰や忘却を嫌悪してはならない。悲惨を癒す精神作用としてそれもおだやかに受け入れべきだ。しかし、原発事故を視野に入れるとき〈3・11〉は根深く地に延び、しばらく日本人の胸奥を浸食しながら増殖しつづける。そして今日をいきる表現者は〈美〉の証言者として、その根を引き抜く作業をつづけていくはずだ。すでに仙台の若い作家たちが〈3・11〉と対峙しうる表現を模索しはじめているという報告もある。    

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