スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画『再会の食卓』  ワン・チュエンアン監督

映画『再会の食卓』  ワン・チュエンアン監督
再会の食卓

 もう20年以上前の話になる。東洋一の規模といわれる上海映画撮影所を取材した。
 その所長にインタビューをしていたとき、どのような流れだったか忘れたが、中国映画は食卓を囲んでいるシーンが多い、目立つ、と筆者は指摘した。
 所長は言った、「中国人のせつじつな目標なのです。ああして家族揃って、たくさんの料理をわいわいいいながら箸を延ばし、飲み語らうことが」。いま、上海のような沿岸部に住む市民の食卓はゆたかという意味では「目標」は達せられたように思う。
 本作は文字通り、古い市街地の一角、まだ再開発の手の延びていない地域だ。そんなくすんだ界隈に佇む質素な家の食卓のシーンからはじまり、現代的な高層団地の一室での食卓で終わる。
 上海の疾風怒濤とでもいうべきスピーディな都市開発を象徴するように、映画の冒頭ではいまはたけなわと建築中の団地が、ラストのシーンでは広い窓をもつモダンな部屋の連なりとして完成している。中国の現在を食卓から眺めているような映画でもある。
 登場人物たちの半生は、さまざまな食卓を囲むかたちで語りつくされる。そこに描かれる時間、そのものは数日のものだが、登場人物たちの誰もかれもが生きがたかった20世紀中国史を抱えていることが了解できる。
 いま満腹できるほど平和になった。過ぎし歳月を振り返れば、人生色々あった。艱難辛苦をよく乗り越えてきた。しかし、過ぎてしまえば、苦労もまたきょうの日を活かすための捨て石だったと思えば納得がいく。涙も汗も、あるいは血も……それこそ胃の腑に落ちるように消化されるものらしい。おそらく、そんなふうに人生を回顧できるような年齢層に対し、もっとも説得力をもつ映画だと思う。その回顧の象徴として、40年を架橋す〈愛〉のドラマが縦軸となって流れている。
 ここ百年の中国は内憂外患の歴史だった。いや清朝末期からはじまり、現代まで流れる混乱そのものは中国大陸×台湾という領土問題の緊張に残っているし、内なる植民地としてのチベットやウイグル自治区の問題も抱えている。ここ上海の一隅に住む家族の来歴にもそうした現代史の澱が壁の染みのようになって日常を見張っている。気づかないふりをしていても、なにかのきっかけですぐ頭をもたげてきてしまうのだ。
 国共戦争……大戦後、中国の覇権を競って、毛沢東指導の共産党軍と、蒋介石主導の国民党軍は戦いつづけた。そして、蒋介石は破れ台湾に軍隊とともに逃避、ついでに故宮からおびただしい国宝級の文物を持ち出した。
 敗残の国民党関係者がみな台湾に逃げ延びたわけではない。国民党将兵の家族の多くが取り残され困難な生活を強いられた。それがどのようなものであったかも語られる。中国共産党政権は、毛沢東の言葉ではないが、「溺れた犬を打て」と煽動することを巨大なシステムとして行なってきた。
 歴史の教科書は、毛沢東軍の勝利を語り、つづいて朝鮮戦争、冷戦時代に移行していく。その共産党独裁下で、もと国民党軍の兵士やその家族が強いられた苦難は日本ではまったくうかがい知れないものだったが、映画で「語り」として明示されていた。その意味でも、この映画は筆者には記憶に残る。
 国民党兵士だった夫リゥ・イェンション(リン・フォン)は上海港から台湾に逃げ延びた。そのとき、幼子を抱えた妻ユィアー(リサ・ルー)も一緒につれていくはずだった。しかし、敗残の兵士と、その家族でごったがえす港で遭遇できなかった。
 爾来(じらい)、ふたりは生き別れとなってしまった。
 40数年……そのあいだに、妻は共産党軍兵士であったルー・シャンミン(シュー・ツァイゲン)に助けられるようにして同居をはじめ、やがて事実婚の夫婦となる。そして、経済開放の時代に入り、台湾の資本を呼び込むようになって、おたがいの消息が判明する。台湾に逃れたリゥもまた、その地で結婚をしていた。その妻が亡くなったとき、離別していた上海の〈妻〉との「再会」を求めて上海にやってくる。
 リゥはもっと早く上海を再訪したかったはずだが、現在の妻への気兼ねがある。人間、なかなか思ったとおりには行動できない、しがらみの動物なのだ。
 食卓の箸は、そのしがらみをほぐすように、人生の綾を紐解いてゆく。
 渥美清さんの「寅さん」映画の象徴的なシーンは、葛飾柴又のトラ屋さんの食卓だ。あそこには慰安そのものがあり、対話があり情報交換の場であった。
 寅さんの旅の起点であり、終着地でもあった。
 家族が囲む食卓はかけがえのないコミュニケーションの場である。
 それは人類社会の普遍的な姿であったはずだ。それが歪になっている。愛の破たん、経済的困窮、政治的波乱……思えば、人類の歴史とは「家族」という共同体をよりよきものと発見し、それを育てた歩みそのものだった。そして、それを脅かすものへの抵抗史でもあった。
 「再会」の食卓を“主催”するのは、幼子を抱いて路頭にまようユィアーを助けた元共産党軍兵士だったルーである。彼の位置は微妙だが、これが大人(たいじん)だ。
 国民党兵士の女を救い結婚したために、彼の輝ける履歴は傷つき職探しに苦労した。出世もままならずという貧困も強いられた。そして、子どもたちが成長し、これからというとき妻を取り戻したいという男が現われたのだ。このルーを演じたシュー・ツァイゲンの演技が自然体でとてもいい。こんなお人よしがいるものか、という疑念も払われる。結末は書かないが、しみじみと夫婦のあり方というものを考えさせてくることだけは確かだ。
 東アジアの食の文化の中心は中国にある。
 その国で食卓の団らんが脅かされつづけてきたのが20世紀の歴史そのものであった。そのことがよく反芻できる映画だ。中国の現在は食卓で象徴できる、そういうことなんだろう。撮影所々長の言葉が思い出されたのも当然であった。   

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。