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書評『放浪の画家ニコ・ピロスマニ』

書評
 『放浪の画家ニコ・ピロスマニ』
       はらだ・たけひで箸

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 一編の詩が、数小節の音楽が、あるいは一枚の絵がその人の人生を決めてしまうことがある。映画もまた同じようなことが起こる。著者は冒頭で、ピロスマニとの運命的な出会いを絵と映画からどうじに体験した、と語る。
 コーカサスの小国グルジアの画家ピロスマニの生涯を描いた叙事詩的な映画『ピロスマニ』との出会い。それから33年後、日本ではじめてのピロスマニ伝を上梓した。評者もまた映画によって、その画家を知り、数年後、グルジアまで出かけ、画家が歩いたトリビシの町を散策している。その後、評者の視線はコーカサスから中米に移り、画家の絵もトリビシの思い出に埋没した。しかし、著者はそれからコツコツと資料集めを怠ることなく、素敵な本を書いてしまった。
 1862年にグルジアの農村に生まれたピロスマニは独学で絵を学び生涯千点とも二千点ともいわれる絵を描いた。しかし、今日まで現存している作品はわずか217点に過ぎない。推定制作数と現存数との極端な差はピロスマニの絵画が、画家の生前、どのような扱いを受けたか、死後もながいこと正当な評価を受けなかったことを示すものだ。
 アカデミックな場で学ぶことのなかった画家に遠近法の習熟はない。距離感は心象光景のなかで自在に変貌した。19世紀後半、芸術運動の前衛となったパリ、そしてモスクワからあまりにも遠く離れたコーカサスには彼の独創、芸術的価値を見い出す見識は存在しなかった。けれど、彼は描きつづけることができた。絵の価値なんてどうでもいい。そこにグルジアが描かれている。おれたちの日常、喜怒哀楽があり、癒しの祭がある。祖先を敬う歴史も描き込まれている。店に飾ろうではないか、看板にしようという民衆が彼を愛し生活を支えた。
 著者は画家との出会いから今日にいたる現代の激変を思わずにはいられない。
 ソ連邦は崩壊し、「80年代に訪れたグルジアはロシアより豊かだった。肉はあったし美味しいワインも飲めた」が独立して20年足らずで、「貧しくなった。ロシアとの戦争で荒廃したせいもあるが経済は疲弊してしまった」。北部の領土をロシアに奪われ、多くの難民が首都に流れ込んだ。けれどピロスマニだけは輝きを失わずグルジア人の心に生きている。 独立後、ピロスマ二の肖像は同国の紙幣や硬貨に刻印された。
 だが独立後、グルジアでは一冊のピロスマニ関係書も出ていないという。薄い小冊子がひとつ出ただけだという。ロシアと戦争したことで定期便もなくなりモスクワへの距離も遠くなった。ロシアから経済制裁を受けている。モスクワの美術館にあるピロスマニの絵にグルジア人はアクセスできない。
 しかし、グルジア人は今更、ピロスマニの生涯を掘り下げ、詳細な評伝を書こうとは思っていないようだ。みな自分たちの画家像を持っている。民衆の数だけピロスマニ像がある。それでいいじゃないか、と。
 簡便で淀みない文章は著者と画家とのつき合いの長さを感じさせる。「kれど、これも所詮。僕だけのピロスマニでしかないでしょう」と謙遜するが、入手できる限りの資料は網羅した、との自負もある。
 フツーに仕事も商売もできず家庭を営むすべもなく、けっきょく生涯、独身で過ごさなければならなかった画家は生活者として落第であっただろう。好きな絵を描くために貧しい画家は苦難に耐えた。けれど絵の具には、収入に見合わない高価な良質のものを使っていたことが判明している。そして、その絵の具は画家に親しい知人・友人が無償で与えていたことも分かった。押さえるところは遺漏なく書き留めている。
▼冨山房インターナショナル刊。2200円。
*余談だが、筆者(上野清士)の拙著『ソビエト新事情~ペレストロイカとリーボック』(旧題「国境の神々」)の第2部でピロスマニを訪ねたグルジア紀行を書いている。

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