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東日本大震災となでしこジャパン、そして人見絹枝

東日本大震災となでしこジャパン、そして人見絹枝
人見絹枝


 東日本大震災、そしていまも放射能を排出しつづける福島第1原発の終わりのみえない災厄。震災で職場を失った人たちの苦悩を含んだ失業率。新卒者の就職も厳しさを増している。それでも円は安心通貨だといいドル、ユーロ安はとどまるところを知らない。グローバル経済は矛盾に富んでいる。輸出産業は苦吟し中小企業すら人件費の安い近隣国に逃げてゆく。生き残りを賭ける企業にしてみれば、長年、苦楽をともにしてきた熟練工すら切り捨てざるえない苦渋の選択。さらなる空洞化がすすむ。今の日本、たとえてみれば空洞だらけの地下のうえに高層ビルが立ち並ぶ都市か。その都市のイルミネーションも節電で減光した。 
 そんな重苦しい世情を晴れやかにしてくれたのが女子サッカー、なでしこジャパンのW杯優勝であった。
 その活躍は予想以上のものだった。選手たちも被災した人たちの分まで頑張りたいという思いが強かったと語っている。福島第一原発に勤務していた選手もいた。彼女たちがW杯に賭ける思いは強かった。ホイッスルが鳴るまであきらめないという強い精神力を結集させた。むろん、大会まで弛まず鍛えあげてきた基礎があって発揮された強さだった。
 W杯優勝は日本の女子アスリートの底力を象徴するものだった。
 日本女子アスリートの歴史は陸上の人見絹枝選手からはじまる。
 一九二六(大正十五)年、スウェーデンで開かれた第二回女子オリンピックに人見選手は唯一の日本人アスリートとして出場。走り幅跳び、立ち幅跳びで優勝、円盤投げで二位、一〇〇ヤード走で三位、そして個人総合優勝という驚異的な成績を上げた。日本女子スポーツは人見選手の活躍から日本の土壌に芽を出すことができたといえる。それまで無視されていた日本国内の競技会から生まれた世界的記録も人見選手の“実績”によって認知されるようになった。
 なでしこジャパンは人見選手の直系の弟子のようなものだ。
 人見選手はヨーロッパにおける日本観も変えたといわれる。一般民衆の日本観といえば、大会の3年前の関東大震災によって、自然災害の多い国という認識だけを与えたようだ。浮世絵とかジャパニズムといった日本認識は大都市のインテリたちの趣味でしかなかった。日本はフジヤマ・ゲイシャの国であった。女子オリンピックでの人見選手の活躍は、地元スウェーデンの新聞に、「日本に関して我われは地震や洪水など天災地変のことしか知らなかった。ところが、今回のオリンピックによって、日本にかくの如き女性あり、スポーツのあることを目のあたりに見ることができた」と書いた。
 大震災の年、奇しくもなでしこジャパンも人見選手なみの活躍をした。    
 
 
 

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