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 ボブ・マーリィの没後記念イベントがハバナで

 ボブ・マーリィの没後記念イベントがハバナで

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 今年はレゲェをグローバルシーンに押し上げた最大の功労者ボブ・マーリー(1945~81)の没後30周年。36歳で脳腫瘍を悪化させ夭折した。脳腫瘍、天才らしい死だ。葬儀はジャマイカ国葬で行われた。
 自慢ではないが筆者はボブ・マーリィとウェラーズのステージに中野サンプラザホールで二度接している。その精力的で疲れ知らずといった圧倒的にパワフルなパフォーマンスに感嘆したことを昨日のことのように思い出す。
 日本で記念イベントがあるのかどうか知らないが、同じカリブ海の隣国キューバでは没後30周年記念コンサートが10月22日に開催される。しかも、イベント会場もハバナのベイジャス・アルテ劇場だ。
 ボブが健在だったジャマイカで、彼と拮抗した人気と実力を誇っていたのがジミー・クリフ。全盛期のジミーが主演した初のジャマイカリングともいうべきジャマイカ英語で貫徹させた映画『ハーダー・ゼイ・カム』(1972年)は印象的なシーンで終わる。ジミーが演じるのは首都キングストンのスラム街を根城とするストリート・ギャング、チンピラやくざ、か。瀕死の重傷を負ったチンピラは、ジャマイカには絶望しかないと海に泳ぎだし、たどり着けるはずもないキューバを目指すのだ。「自由を求めて」・・・。
 けれど、当時のキューバはジャマイカ生まれのカリプソの愛好者はいてもレゲェに親しむものはほとんどいなかったはずだ。冷戦時代の渦中にあったキューバではビートルズすら自由に聴ける雰囲気ではなかった(チェ・ゲバラがプラハ郊外の温泉で療養生活を送っていた頃、ビートルズを聴いていたという記録はある)。
 レゲェがジャマイカから旧宗主国のイギリスに出て、そこから世界制覇されたレゲェには冷ややかだった。そんなキューバも様変わりした。キューバでも若者を中心に隆盛を誇るレゲトンとの基層にレゲェがあることを知れば、アカデミシャンもボブに敬意を表さないわけにはいかないだろう。
 ハバナの記念イベントに先駆けて記念アルバムも制作された。
 キューバのロベルト・ガルシアがボブのヒット曲を編曲しソン、ルンバ、ヨルバ、チャチャチャなどのリズムを取り入れたいかにものキューバ・ブレンドで構成したものだ。むろん、キューバのアーティストが歌い演奏する。そのお披露目の機会ともなるのが10月22日の記念コンサートだ。このコンサートにはジャマイカ移民の多いカナダからもレゲェ・アーティストが数組参加するらしい。レゲェは米国を飛び越えてカナダに移植されている。米国ーキューバ間に定期便はないが、カナダーキューバ間に定期便が存在する。そのあたりの事情もあるようだし、カナダ人にとってキューバは避寒のリゾート地でもある。
 アルバムにはボブの大ヒット曲「ノーウーマン・ノークライ」「コンクリート・ジャングル」「アイ・ショット・ザ・シェリフ」などが収録されているという。
 キューバはカリブ圏の音楽を体系的に研究する土壌があり、その成果は出版されている。そうした著作ではレゲェをジャマイカ労働者階級、農民たちの民間宗教との関わりにも言及し、ラスタファリズムとの融合も説かれている。しかし、キューバの若者はボブたちの初期のレゲェを通り越して、レゲェを母体とするレゲトンへワープしてしまった。今回の記念イベントをきっかけにキューバでもボブやジミー・クリフなど“古典”レゲェの魅力に親しんで欲しいものだ。


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