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トリオ・ロス・パンチョス② アルビーノ死去。黄金時代のトップボイストリオ

トリオ・ロス・パンチョス② アルビーノ死去。黄金時代のトップボイストリオ

アルビーノ
 5月7日、ジョニー・アルビーノの訃報に接した。
その直後、アルゼンチンのRGSレーベルで近年シリーズ化されている往年のラテン音楽の名曲シーリズの最新盤ということで「トリオ・ロス・パンチョス」の名曲12曲をおさめたベスト盤が本編集部から送られてきた。サブタイトルに「con johnny albino」とあった。はからずも日本では「追悼盤」ということになった。
 RGSがロス・パンチョスの名曲盤を企画した時、多くの録音からアルビーノの時代を選んだのは、それは紛れもなくまだ彼の歌に商品価値があるとう評価だろう。そして、ロス・パンチョスの象徴としてアルビーノへ歴史的評価を下したものと思える。
 現在、ロス・パンチョスの歌として世界中のファンが記憶するのはアルビーノの美声を通してなのだ。日本でも本場のメキシコでもそうだ。それはトリオ音楽の音の要であったレキント・ギターの音色が名手アルフレッド・ヒルの演奏で思い出されるのとおなじ事情だろう。 
アルビーノはパンチョス第5代目のトップ・ボイスだった。1959年から66年の約7年だ。その時代、大戦の後遺症から欧州も日本も復興し、冷戦の桎梏がはじまった時期ではあったが世の中が緊張のなかでも平穏さが平常となっていた時代だった。航空網が整備され、音楽産業も拡張していった時代だった。アルビーノの美声はそんな時代の芳しいBGMでもあった。
 米国のポップス界にタムラ&モータウンの黒人ポップスが一世を風靡する直前、パット・ブーンの歌がおおいに人気があった頃だ。思えば、黒人のナット・キング・コールの人気は凄かったが、彼のヒット曲には多くのラテン曲があった。それはロス・パンチョスのボレロの影響もあったに違いない。
 ロス・パンチョスは幾度も日本で公演をおこなっているが、もっとも回数の多かったのはアルビーノをトップボイスとした時代であった。彼の在籍時がもっとも海外公演の多いロス・パンチョスの時代だった。
 アルゼンチンでも事情はおなじで同国で録音されたアルビーノのタンゴ名曲集があった。当時、名唱と評価された。これも確か、数年前に同国でCDに復刻され、評判を読んだ。アルビーノ時代のロス・パンチョスはそういう表現の拡張を目指していた。だから人気も世界大になれたのだと思う。
 日本の歌謡グループのなかに積極的にレキントが導入された時期があった。トリオ音楽で雄弁に弾き込まれているレキントの魅力に魅せられた演奏家が多くいた。
 アルビーノは死の床で、東日本大震災を知り、日本のファンを心配していた伝え聞く。日本公演や日本発売のレコードで日本の歌もレパートリーにくわえたアルビーノの最期の思いであったか。享年92歳、大往生であった。合掌。 

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