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トリオ・ロス・パンチョス③ 黄金期のメンバー、エンリケ・カセレスの死

トリオ・ロス・パンチョス③ 黄金期のメンバー、エンリケ・カセレスの死

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人間、誰しも老いには勝てない。自然の摂理である。
 先々月、トリオ・ロス・パンチョスがもっとも世界に飛躍した黄金期のトップボイス、ジョニー・アルビーノ(5月7日死去)の訃報を記したばかりだが、そのアルビーノから1966年にトップボイスの座を引き継いだエンリケ・カセレスの訃報を書かねばならなくなった。
 8月29日、メキシコ市デルバジェ区の自宅にて、急性呼吸器不全のために亡くなった。享年75歳。
カセレスはロス・パンチョスのスタイルを決定的に作り、最盛期の歌唱を象徴することになったアルビーノ時代を引き継ぐという、もっとも困難な時代(1966~1971)にトップ・ボイスを担当したことで記憶される。
1936年、メキシコではもっともボレロ音楽の盛んな地方と知られるユカタン州に生まれたカセレスは、14歳のとき早くも地元でトリオ・モンテレィーに参加しプロとして歌いはじめ、数年後、自分自身のグループとしてロス・テコィネスを結成、その後、トリオ・ロス・ソンブラスで歌っていた時代にロス・パンチョスの目に止まった。各トリオで活動中、天性のテノールの美声で人気を獲得したようだ。その当時のカセレスの歌は、同じユカタン出身のボレロの大御所アルマンド・マンサネロの影響を強く受けていた、とメキシコの各紙は伝えている。 アルビーノの後任を探していた当時のロス・パンチョスのメンバー、アルフレッド・ヒルとホセ・デ・ヘスス・ナバロの目に止まり、カセレス以外に考えられないと請われ、パンチョスのトップボイスに座ったという。
 メキシコでの評価ではロス・パンチョスの音楽を生き返らせた再興者という位置のようだが、命脈を保つために尽力した才能というのが本当のところではないだろうか。
トリオ音楽の大衆的な人気が失われてゆく時代に踏ん張ることを求められた才能だった。トップボイスとしてCBSに幾多の名唱を遺した。彼が録音した歌はロス・パンチョス在籍時代も含めて200曲を越える。しかし、セールス的にはアルビーノ時代には遠く及ばなかった。
 彼の歌に魅力がなかったわけではない。時代が大衆の嗜好を変えはじめていた。そんな端境期での活動を強いられたに過ぎない。したがって日本でのカセレス版のロス・パンチョスの紹介も少ないということになってしまった。現在も復刻されて発売されているのは圧倒的にアルビーノ時代のものがほとんどだ。
カセレスはロス・パンチョス在籍中に、「デハメ・ケ・テ・アメ」「ソブレ・トダス・ラス・コサス」「アミーゴ・カンティネーロ」といった歌の作曲も手がけ、彼なりの時代を築こうとしていた。
 カセレスの死によってロス・パンチョスの創設期から黄金時代のメンバーが大半が天国に召されたことになる。  2011・9

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