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美浜原発の「事故」が描かれた映画『生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』

美浜原発の「事故」が描かれた映画『生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』
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 先ごろ、亡くなられた原田芳雄さんがいかにもといった風情でチンピラ役から原発ジプシーへと流れてゆく役をこなしている。原田さんの遺作となった『大鹿村騒動記』の試写を観た後、どこかに批評を書くつもりだったが、躊躇していううちに原田さんは鬼籍に入ってしまった。新作の批評を書き澱んでいると、すぐ鮮度を落ちて、別の視覚が必要となってくる。おそらく原田さんが原発ジプシー役をしていたことはあまり知られていないと思うので、本作『生きているうちが花なのよ~』で供養したいと思った。
 しかし、ながいタイトルである。筆者の記憶では、ペーター・ヴァイスの獄中劇、いわゆる「マラー/サド」という略称で知られる映画のタイトルがもっとも長いと思っているが、サブタイトルを含まない表題としては本作が、少なくとも日本映画でもっとも長いものではないかと思う。ギネス級だ。
 全国の温泉、場末のストップ小屋を転々として流浪して歩くムードダンサー・バーバラ役を倍賞美津子。バーバラの愛人役が原田、当時、売り出し中の平田満がドロップアウトする高校教師、これに不良高校生、管理売春させられているフィリピン少女、地元ボスと結託する刑事、防具マスクのなかに出自を隠したひ孫請けあたりの原発労働者(いわゆる原発ジプシー)……当時の日本の底辺を支える名もなき民衆たち、ということになるだろうか。
 1985年の公開映画だから、世相はバブルといわれた時代であったはずだ。しかし、こうした映画も制作されていて、バブルの薄皮一枚めくりあげれば地を這いつくばっても生きる生きようという赤裸々な民衆がいるんだ、という主張がある。原発ジプシーの仕事、ピンハネされていることを知りつつ、生命を削る仕事を求めて全国の原発を渡り歩く名もなき労働者たちの姿。そんな民衆に仮託して、バブルに浮かれる世相をシニカルに批評したとも思える。
 監督の森崎東には反原発とか反核・非核化といったことを先行させる意図はもうとうなかっただろう。けれど、いま本作を見直すと、85年の段階でよく原発の事故隠し、そこで犠牲となっている孫請けひ孫請け労働者の非人権的な立場、被曝死した労働者はドラム缶にコンクリート詰めされて、どこかに持ち去られる、というようなシーンまで描かれている映画なのだ。舞台は若狭湾の原発銀座地帯の一角、美浜原発だ。
 生きる生きようと這いつくばる民衆を描いたと書いたが、考えてみれば、生きる生きようと這いつくばる民衆ほど追いつめられているわけで、もがけばもがくほど死に急ぐ愚行を重ねることにもなる。タイトルの「生きているうちが花なのよ~」、これはごまめの歯ぎしりともいえるフレーズであってみれば、どこか切なく捨て鉢でもあるのだ。その極北の象徴として原発ジプシーが描かれたのではないかと思った。登場人物たちはどこか好き勝手に生きているような印象を与える。けれど、それも小さな檻のなかでの蠢きに過ぎないことをしれば、モノ哀しさにうらぶれた生態である。
時はバブル時代の物語だったが、いま現在、貧困はこの国の常態になってしまった。政治の惨憺たる〈貧困〉を含めて……。

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