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映画『無言歌』 ワン・ビン(王兵)監督

『無言歌』  ワン・ビン(王兵)監督
 無言歌

 1960年代、日本は高度経済成長期の真只中。ビートルズが世界を席巻し、文化の担い手は戦後世代に取って替わられた時代だ。しかし、隣の中国ではビートルズの歌はおろかロックも存在しない。革命歌が大手を振るう。そして、多くの若者が罪なく辺境の砂漠地帯に追いやられていた。再教育収容所という名の強制労働所のなかで、有為の若者たちが虫けらのように死んでいった。むろん若者だけではない。それぞれの世代から応分の犠牲者が出た。ほとんどが飢餓のなかで死んでいった。
 1949年、毛沢東を指導者とする共産党軍が、蒋介石の国民党軍を大陸から追い出して中国革命が成立した。それは中国民衆にとって希望の時代のはじまりのはずだった。しかし、権力の座に駈けのぼった革命軍は大衆の切なる希望より、権力内闘争を惹起していく。
 まず、毛沢東の地位を脅かしかねない革命英雄たちがひそかに粛清される。ロシア革命でも起きたことが、ここでも繰り返された。武力でチベット併合を終えた毛沢東の政府は1956年、自由な批判を歓迎すると言い放った。「百花斉放」「百家争鳴」といわれる言論の自由化だ。
 中国では「百」はおめでたい祝い事の印だ。無数の中国人が革命政府の言葉を信じ、祖国のよりよき発展を願って誠実に共産党批判をはじめた。ところが翌年、毛沢東は党機関紙『人民日報』に「右派分子が社会主義を攻撃している」との社説を掲載、政府方針は180度転回し、それまで党・政府を批判していた人びとを粛清しはじめた。いわゆる「反右派闘争」である。これによって100万以上の市民の名誉が棄損され、多くの有為の人材が強制労働所に送られ、飢えて死んだ。
 「水に落ちた犬を打て」とは毛沢東の言葉である。政府に批判的な知識人、大衆を洗いだす奇策として「百家争鳴」があったのではないかといわれる。真意は分からないが、毛沢東ならやりそうなことだ。
 事実は、おびただしい罪なき人が「政治犯」のレッテルを貼られて再教育収容所に送られた。ここでいう「再教育」とは可及的速やかに反党分子をせん滅するための過酷なシステムを意味する。ナチの強制収容所を思いだせばいい。そういうことが1960年代の中国で起きていた。映画は、その強制労働所で暮らす”明日なき人びと”、文字通り生き延びるための本能的な戦いの日々を描いている。
 砂漠にわずかに芽生える植物。その丈低い草からなんとか喰える部分を探そうと地を這いつくばる人、病人の吐しゃ物さえ拾い喰いする人、死んだばかりの獄窓の同僚の肉を喰らう人びと。人は飢えたらなんでもする。こんな状況に罪なく送り込んだ権力への恨みつらみが強ければ、生き抜いて恨みをはたせずにはおくものか、と思うだろう。その怒りが生命を繋ぐ強い意思となる。映画には、実際に収容所を生き抜いた人も登場する。
 なんとも名状しがたいデスペレートなシーンに満ちたリアリズム映画だ。
 監督は、「この映画は今後30年は中国で上映されることはないだろう」と言い放った。それほど共産党に対する批判精神に激しい。しかし、60年代と今日では中国共産党の在り方はまったく違うだろう。その意味では早晩、国内で公開されることも予想できる。
 一党独裁下の中国ではいまだ言論の自由はないということだ。そうした状況下で映画を撮った監督をはじめ制作スタッフ、俳優陣に不利益がないかと危惧するが、俳優に関していえばなんら支障なく他作への出演がつづいているようだ。中国政府にしてみれば、いまさら隠しようのない歴史的事実ということだろう。監督の思惑を超え、早晩、公開されると思われる。しかし、これを観映しようという客はそう多いとは思えない。中国人にとって今更、再確認してどうすると達観している人も多いだろう。自分の傷に塩を塗り込みにわざわざ入場料を払う者が多いと思えない。中国映画界は現在、民族史に材を得たスペクタルな娯楽映画に満ちあふれている。 

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