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バレエと映画 3 『pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』ヴィム・ヴェンダース監督

映画『pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』ヴィム・ヴェンダース監督
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 ヴェンダース監督は同時代のすぐれた創造者に対する畏敬の念が強い。
 監督自身も映像を手がかりに20世紀後期から現在進行形で「現在」を鋭敏に批評してきた時代の一大個性である。
 独自の世界観を映像として提出できる卓抜な技術と、それを支えるゆたかな感性は世界各地に信奉者をうんだ。そういう屹立する個性だ。
 優れた個性とは、自分になしえない仕事を尊重する謙虚さを同胎させている。ヴェンダース監督は、自らの手練になじまない表現手段で「現在」を語る才能を見出したとき、率直に畏敬してはばからない。しかし、それを見つめる視線はやさしいが。映像のなかに形象化するときの視覚は厳しく、その都度、手法を換えてきた。
 スペインのカルロス・サウラ監督はフランメンコとタンゴ、マーチン・スコセッシ監督はロックとR&Bを時代の生命力として賛美しつづける。ふたりは母語の言語圏内で最良の仕事をしているが、ヴェンダースは国境を超え、言語の壁を透り抜けドラマを創ってきた。『リスボン物語』を撮りファドを町に徘徊させ、『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』でキューバの老音楽家たちの生活
を語り、音楽をする質朴な人間の喜びを語りつくした。 
 ピナ・バウシュはドイツが生んだ20世紀後期を代表する振付家、というより舞踊と演劇の垣根を取り去って、あたらしい舞台芸術を創造した才能いえるだろうか。ダンサーには象徴的な演技力が求められる。音楽に乗っていてもダンサーは言葉を発しない。鍛えられた身体で五感を放つ。ピナはそこに20世紀後期を生きるあたらし話法を加えっていった。
 テーマは愛、そして孤独だろう。ピナの舞踊をみていると、モーツァルトの美しく軽やかな音楽の底に潜んでいる孤独、寂寥の気配、あるいは諦観といったものまで感じてしまう。そこには単純な愉悦や高揚といったものはない。観る者の肺腑を抉るような痛苦まで感じさせる激しい批評性が秘められている。監督は、そんなピナの批評性を映像の力で瞬間芸術を定着させた。
 一地方都市の舞踊団に過ぎなかったヴァパタールを世界でもっとも刺激的なモダン・バレエ集団と育てたピナ、その活動はドイツを中心に拡張していった。その道のりのなかで国籍に囚われることなく個性的な才能を国境を超えて取り込み充実させた。
 団員たちのモノローグが随所に挿入されているが、すべてダンサーたちの母語で語られる。ヴェンダースはピナの個性を描きながら、彼女の才能にあこがれて入団した多国籍のダンサーたちを育んだ母国の文化である言語で語らせることによって映画は国境を溶解させる。すぐれた芸術表現の前に国境は不在となるという監督の密かなテーゼはこの新作でもいきてる。
 本作は3D映画ということでも話題を集めるだろう。
 ハリウッドの娯楽映画『アバター』の見世物的要素の濃い作品では3Dは確かに雄弁な効果を上げることは確かだけど、舞踊映画でもかくも雄弁な効果を上げることを証明した作品として、本作は映画史上にまちがいなく遺こる。しかし、ピナは本作の完成をみずに他界した。遺作となった。
瞬間と空間の芸術である舞踊は同時体験者としての観客の数は限られる。万人が平等に感受できる芸ではない。それが音楽や文学、複製できる芸術との徹底的な差異であり宿命である。そこに複製芸術としての映画の効用、出番がある。ヴェンダースはそれを第一義に目指したのだろう、3Dの効用を識って。舞踊の臨場感を表現できる最良の手段として採用した。娯楽映画に傾斜していた3Dを芸術表現の領域まで高めた。
 臨場感ということなら、いわゆるかぶりつき、相撲でいえば砂かぶりの特等席を与えてくれた。汗を飛ばし飛翔するダンサーは3Dの空間を飛翔する。懊悩し、突き出された両腕は観客の目の前をよぎる。
 野心的な秀作である。 

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