スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画『オレンジと太陽』 ジム・ローチ監督

映画『オレンジと太陽』 ジム・ローチ監督
オレンジと太陽

 オーストラリアの保守的な風土を指して「白豪主義」という言い方があって、いまはあまりに聞かれないが、移民問題などで人種差別的な政治主張が出てくるときに“白人のオーストラリア”を意味する、その言葉は日本のマスコミでも浮上してくる。
 本作は、英国とオーストラリア両政府が結託して進めた「白豪主義」という名の国家悪の一つを実在の女性マーガレット・エミリー(エミリー・ワトソン)の活動を通して暴き出したものだ。国家悪の最大の「悪」は、国の名において行われる侵略戦争だろう。
第二次世界大戦に英連邦の一国として参戦したオーストラリアは、対日戦争の体験から戦後、人口希薄な国土という安全保障上の弱点を見出す。それが、本作で問題としている英国からの「児童移民」を促進させた要因のひとつとなっている。
 問題の「児童移民」とは、英国で身寄りない孤児や、スラム街の貧困家庭の子どもらを対象とする児童保護としての社会福祉政策としてはじまったようだが、「慈善」がいつの間にか世界中に散在する英連邦諸国それぞれの内情に加担するような移民事業となっていった。
 英国の児童移民の歴史は古く、1618年まで遡り、実に1970年まで国家事業として取り組まれながら、国内にあってはほとんど知られていない事実であった。社会福祉事業ではなく、不当な移民政策であったことを政府が認識していたことが公にされ、政府は謝罪することになるのだが、その謝罪を引き出したのもマーガレットの地道な努力、献身な活動があったからだ。
 ソーシャルワーカーのマーガレットは偶然、知った女性から、「あたしが誰なのか調べて」と突然、突きつけられた課題を通して、「児童移民」が大きな国家事業であったことを知り、事実を求めて独自の調査に乗り出した。オーストラリアには中年となっている「児童移民」がおおぜい生活しているこも知る。そして、みな程度の差こそあれ、「いったい自分は誰なのか? どこで生まれ、父母はまだ生きているのか?」という懊悩を抑え込みながら生活していることを知るのだ。これは人間の基本的な人権問題だ。これを奪った国家悪への挑戦は当然、困難を極める。ときにマーガレットは宗教者の善意を誹謗するものとして脅迫も受ける。
 そうした活動を倦まず弛まず持続させることは大変なことだ。生半可なことでは持続しない。その役をエミリー・ワトソンはふつうの地味な主婦という出自をそのままに、内に秘めた剛直さで乗り切ってゆくという至難の役をこなした。彼女の名演といえば、筆者は、実在のエキセントリックなチェリストで、不治の病いに倒れる女性を演じた作品『ほんとうのジュクリーヌ・デュ・プレ』を思い出す。あの狂気すれすれの演技からすれば、本作マーガレット役はあまりにも寡黙だ。主役ながらセリフの量も少ない。無駄話をしない女性の真実がそこにあるように思える演技だ。
 マーガレットは数万人分の証言を英国とオーストラリアを行き来しながら取ることになる。その真実に対して国家は謝罪することになる。国が犯罪的であることを知りながらも推進しなければならない理由というものも追究されなければばらない。
 広大な領土をもった植民地帝国はその支配維持のためにも白い肌をもつ子どもを必要とした。戦後、植民地が次々と独立した後でも英連邦のとどまった新興独立国における白人人口の減少をくい止める意味でも「児童移民」はつづけられた。
 そこでは「児童」は員数でしかなかった。親元から無理矢理引き裂かれた子どもは、新しい名が与えられ、生母の存在は抹消され、誰のモノでもない天涯孤独の存在として故郷から遠く離れた異邦に送られ、ときに過酷な児童労働者と働きながら、おおくの人がふたたび英国にもどることもかなわず、異邦で土に還っていた。
 マーガレットの不退転の決意で組織化された「児童移民トラスト」は犠牲者を探索し、両親が生きていれば立ち会わせる場まで設ける、そんな地道な活動の根拠地となった。
 映画では英国市民は同「トラスト」の活動が話題になるまで「児童移民」の存在を知らなかった、と描かれている。ほんとうにそうなのか? 4世紀にも渡ってつづけられた国家事業がほんとうに国民の目を欺き通せるものだろうか? 自分に関わりないこと、触れたくない事実として、大戦中、ユダヤ人収容所の存在を知り、そこで行われている犯罪を知りながら、見て見ぬふりをしてきた人たちとおなじような立ち位置にいたとしか思えない。そうした社会的無関心を市民が装うことによってしか国家悪は成立するのだ。
 オーストラリア政府はかつて先住民アボリジニの子弟に対して過酷な政策を断行した。「白豪主義」の犯罪である。片親が白人であれば、その子はアボリジン共同体から隔離され、故郷から遠く離れた寄宿舎に隔離し、白人としての教育を強いた。その子弟はアボリジニとして誇りを奪われ、生得の言語は剥奪された。そうしたアボリジニに対する人種差別政策に対する視点は本作にはないのが残念だが、一方で「児童移民」があった事実を知るとき「白豪主義」の犯罪性は見事に連動していたのだ。
 

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。