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莫言氏のノーベル文学賞受賞によせて

莫言氏のノーベル文学賞受賞によせて


 いまほど中国映画が世界の市場に出ていない当時、北京と上海で映画監督3人にインタビューしたことがある。
 1980年代後半のことで、当時、“第5世代”と呼ばれる若い映画人が地方の映画撮影所で意欲的な作品を撮っていた。撮ってはいたが国内では広く注目されることのない仕事であった。そんな若き才能の一人が、今年のノーベル文学賞を受賞した莫言(モー・イエン)氏の初期の代表作「赤いコーリャン」を原作とし、鮮やかな色彩感覚あふれる土俗的な映像を提出した張芸謀(チャン・イーモウ)監督だった。その張監督をはじめとする“第5世代”の監督への取材を北京の『人民日報』本社へ出し、その人選を待つ間もなく北京に飛んだことがあった。
 中国で3人の監督とのインタビューが実現した。
 張監督とのインタビューは実現しなかったが、“第5世代”のひとりでまだ30代だった田壮々監督とは新作の試写が行われた『人民日報』本社で、若い女性監督と北京の映像学院の一室で、そして、撮影所のなかに市電も走る広大なセットをもつ東洋一の上海映画撮影所で当時、中国映画界を代表する巨匠であった謝晋監督と撮影所で会えたことは収穫だった。
 当時、“第5世代”の映画は中国国内では広く公開されることはなく、短期間、「表現の自由」のアリバイづくりといったふうに少数の映画館で公開されて終わりというケースが多かった。外国で公開されても国内で上映の機会もないままお蔵入りしてしまう映画も多かった。映画『赤いコーリャン』もそういう映画だった。映画人は知っていても一般の認知度は無きに等しかった。当然、原作者の莫言氏に至っては誰が知る、という状況だった。そんな莫言氏がノーベル文学賞を獲得し、中国国内メディアでは、はじめて国民的に歓迎される中国国籍の受賞者としてフロント・ページで大きく報道された。隔世の感がある。
 北京五輪の開・閉会会式を華麗壮大に演出したのが張監督だった。
 かつて当局に、「中国の暗い側面、遅れた農村の暗部を描く監督」として睨まれていた若き才能も、オリンピックで国家公認の芸術家になった。張監督はミュージカルの演出もすれば、創作バレーも手掛ける。そして、『赤いコーリャン』を撮る前は撮影監督として評価を得ていた才能だった。
 張監督の映画は制作されるたびに各地の国際映画祭で受賞を繰り返し、政府も無視できなくなった。そうして、国内でも広く公開されるようになって大衆的な支持もえるようになった。その影響は映画に原作を提供していた文学界にも及んだ。中国の「表現の自由」の突破口は映画が切り拓いた。その後を、文学や美術が追った。そして、莫氏の存在も広く知られるようになり、やがて国家公認の作家へと押し上げたように思う。莫氏の「赤いコーリャン」で現在、日本でも文庫化されているが、この邦訳も映画のヒットのおかげだ。
 その莫氏が、「幻覚的なリアリズムによって民話、歴史、現代を融合させた」としてノーベル文学賞の授与されることが決まった後、内外記者団に応じた記者会見の席で、かつてほど言論・出版統制は著しく改善されたことを認めつつ、現在も反国家罪で収監されているノーベル平和賞を受賞し、現在「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年の刑に服している作家・劉暁波氏の「できるだけ早く自由を得ることを望んでいる」と語った。自身が中国作家協会副主席という要職にある身の発言として大きな意味を持つし、これまで作家として劉氏を擁護してこなかったことの悔恨も、受賞という援護を得て発言に至ったようにも思える。
 しかし、劉氏擁護の発言を流すインターネットから、中国当局はその部分を削除したようだ。
 中国はまだまだ「表現の自由」に遠い世界だ。そうした報道規制が行われているなかで大きな反日運動が、尖閣諸島問題を契機に起きた、ということを明記しておきたい。     上野清士

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