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夏と冬の「第9」交響曲

夏と冬の第9交響曲

 12月、今年は衆議院解散、総選挙という気ぜわしい世相のなかで「第9」の季節を迎えた。
 ベートーヴェンの〈歓びの歌〉である。
 歳時記のような「第9」だから通年なら、あぁまたやっているなとポスターにチラリと目をやるだけだが、最近、資料として読んだ逢坂剛の長篇小説『幻の祭典』のなかに感動的な「第9」が登場したので、なんとなく徒然に「第9」にまつわる話を書きたくなった。人民オリンピック・ポスター

 『幻の祭典』とは1936年、ナチ五輪、ヒトラーの五輪といわれたベルリン大会に対抗して、バルセロナの人民政府が主催して開かれる予定だった人民オリンピックのことだ。フランコ将軍の反乱軍による武装蜂起によって開会直前に中止になった。故に〈幻の祭典〉。
 この開会式で伝説的なチェロリスト、パブロ・カザルスの指揮で「第9」が演奏される予定だった。そのためのリハーサルも行なわれていた。その最後の練習、ゲネプロといった段階で、武装蜂起の一報が入り、練習中止、即時解散の指令をカザルスは受け取る。
 この時、カザルスは、「また何時、再会できるかわからない。最後まで演奏して解散しよう」と呼びかけ、渾身の演奏をする感動的なシーンだ。これは実話である。
 逢坂はこのゲネプロのシーンに、架空の若きギタリストを合唱団の一員として配置し、観客席にも共和派の架空の人物を巧みに配し、市民戦争下、最後の〈歓びの歌〉をクレシェンドさせた。もっともフランコ将軍にシンパシーを覚える読者には唾棄すべきシーンかも知れない。
 そのカザルス指揮「第9」のゲネプロは1936年7月18日のことだった。
 後年、カザルス自身が証言し書いていることだが、夏の「第9」であったという事実から、先年、わが家に短期間ホームスティしたスペイン北部州ナバロの学生でヴィオラ奏者の音大生のことを思い出した。埼玉県南各市との文化交流事業ということで「第9」の演奏会に参加するために来日した。演奏会にも招待された。それが7月下旬、夏の真っ只中であった。ナバロの音楽大学生の演奏は技術的にみれば未熟なものだったが、失敗を恐れない率直でケレン身のない演奏で、とてもさわやかな印象を与えてくれた。
 わが家に泊まることを割り当てられた学生は最初の晩、「お土産です」といって、「これが我々の旗だ」とバスクの“国旗”を広げたのだ。もうひとつの土産もあって、「最近、バスクでヒットしたものだ」とポップグループのCDだった。ホームスティを割り当てた交流事業担当の川口市役所の担当者は、「スペイン人」といったが、彼は「バスク人」と主張した。
 土産に国旗を持ってくることなど、マドリッド以南のスペイン人なら絶対、しないだろう。
 バスク州とその住民は、スペインからの自主独立を求め人民政府に参加していた。もしかしたら、ナバロの音楽大学の教師も学生も、人民オリンピックで演奏されることのなかった未完の「第9」を、日本の7月に完奏する象徴的な意味を見出していたのかも知れない。それは日本の交流事業を推進した人たちはまったく知らされていなかったということだろう。

 逢坂の『幻の祭典』を読んだ後、偶然は重なるもので、もう一篇、印象的な「第9」が登場する小説を読んだ。堀田善衛の長篇小説『記念碑』である。
 この小説の序章が「第9」の、しかし〈歓びの歌〉というにはほど遠い、陰々滅々たる演奏にのせて語られるのだ。
 それは敗色濃くなった日本の荒んだ精神的光景というものだった。演奏は、日比谷公会堂で行なわれた。これも史実で1944年12月のことだ。その前の月、当局の命令で、時局に不要ということで音楽学校はすべて廃校となっていた。
 堀田の描いた「第9」は、戦前・戦中における12月開催の最後の演奏会だった。戦時下、最後の「第9」の演奏会は45年6月、場所もおなじ日比谷公会堂で行なわれている。周囲は空襲で焼け野原、これ以上、焼くものはなく、もう空襲もないだろうということで夕方から行なわれたらしい。捨て鉢の演奏会という感じのような気がするが、みなそれなりに決死の覚悟で聴き、弾いていたのかも知れない。日比谷を巡る交通網は寸断、途絶、不便をきわめていた時だろうから、聴衆はどう足の便を確保したのだろう。満席であったという。
 『記念碑』中の演奏会も満席であった。
 堀田は、ステージの男性奏者たちは徴兵もされないような虚弱な者たちで演奏も青息吐息の「第9」であったと描写している。その演奏に耳傾ける聴衆の多くは誰しも、これが最後の「第9」、明日のわが身を誰が知ろう、そう万感の思いを胸に抱き聴いていたのだろう。
 その聴衆の心理を、長篇小説を動かしてゆくそれぞれの登場人物の立場相違のなかに描き込んでゆく。つまり、堀田はこの「第9」の旋律に託して、これから物語を織り成す登場人物を巧みに紹介していくのだ。練達な筆さばきである。

 日本における最初の「第9」の演奏は第1次大戦下、徳島で行なわれた。
 1918年6月でこれも夏の演奏だ。
 中国・青島に駐屯していたドイツ軍は連合軍として参戦した日本軍に降伏、日本各地に抑留された。そのひとつが徳島県鳴門市に設けられた板東俘虜収容所で、ここでドイツ人将兵たちが楽器を補修し、手作りし、さらに合唱の女声部を男声用に編曲して演奏したのだった。このエピソードは確か映画にもなっていると思う。
 「第9」は戦時下でなにやら輝くようである。
 戦中のドイツはベルリン、フェルトヴェングラーはヒトラーの誕生日を祝う「第9」演奏会で指揮を執った。この演奏会は世界初のテレビ録音ということになったいる。フェルトヴェングラーの名誉のために記しておくが、彼はユダヤ人音楽家への迫害や演奏会への迫害に対してナチ政権に抗議書を公けにしている。
 「第9」のエピソードはこれからも世界各地で限りなく綴られてゆくのだろう。

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