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メトロポリタン美術館展

メトロポリタン美術館展 2012・秋
糸杉・別

ゴッホ「糸杉」、本展中の白眉。
 盛夏、自然の生命感がうねるような勢いで描き出された凄い絵。良く知られるように生前、まったく絵が売れなかった兄ゴッホのために画商の弟テオは、そうばん褪色すること承知で安物の絵具しか購入しなかった。
 愛する兄ではあっても、描きつづける絵に芸術的真価までは見出しはしなかった。安物の絵具はまず発色効果から減退した。あの「ひまわり」も、麦畑の光景も描かれた当時の色彩感とはだいぶ違うものだ。それでも類まれな勢いがある。
 「大地、海、空」が企画テーマ、自然そのもの。「糸杉」に温帯の夏が象徴される。
 133点の絵画、陶芸、金属細工、織物等で綴る人類4千年の芸術行為の営みは、人類が自然とどう対話し、感応し造形してきたかと検証する試みだ。
 鑑賞者はそれぞれ、思い思いに堪能しつつ、それを感知できる構成だ。それはそれで素晴らしい。北半球温帯の自然観。日本人には等しく理解容易なもの。その意味では心地よいし、難渋なところはいっさいないが、温帯での営みとはまったく違った豊かな日常生活のあった熱帯人が融和した自然観は丁重に退けられている。
 しかし、21世紀、こうした北半球の西欧造形の審美観にばかり象徴させる“古典的”企画はそろそろ再考すべきだと思った。
 ゴーギャンのタヒチの女があったが、それは西欧インテリの感傷だ。そうではなく熱帯を生命力を、と言いたい。
 ゴッホやゴーギャンが生きた時代の“熱帯”でも旺盛な表現活動は息づいていた。当たり前のことだ。ただ、ビジネス的流通システムは確立していなかっただけの話だ。そのあいだに、そうした“熱帯”芸術も北半球の商品たちに掠め取られていき、北からの文化的侵略のなかで減光していった。 
 メトロポリタン美術館は新興国USAの華となった。
 しかし、いくら背伸びしたところでルーブルやプラド、エルミタージュ美術館などからすれば後発の文化施設だ。収まるべき西欧美術の精華は“量”として欧州に蓄積され、米国は落穂ひろいのように、その経済力で貪欲に芸術を購入しなければならない立場だった。そういう事実を念頭に本展を鳥瞰してみれば、工芸品の優品が目立つことに気づくだろう。
 比較でいうのだが、絵画や彫刻よりも割安であった無名の匠たちが制作した工芸品を蒐集した美術館の見識はさすがだと思うし、優れた審美眼が蒐集作品に象徴されている。“用の具”として人間の手技と、時代の技術が象徴化されている工芸に「歴史」の刻印と、「時代」の息吹きもみようとしての蒐集であっただろう。鑑賞と装飾の絵画ではなく、実用の具ともなった工芸品を系統的に織り込むことによって本展における人類4千年の審美が眺望できる仕組みだ。
 筆者は絵画を堪能しつつ適宜、ギャラリーの流れにフォルテシモのように配置されるさまざまな工芸作品に目を奪われた。
 しかし、本展を鑑賞する人たちのいったい幾人が、日本人の東洋人としての自覚のうえにたって、たとえば、上野の国立博物館における瑞穂の国の「大地、海、空」を充実を知って、メトロポリタンの回廊を歩いているのだろうか、と思った。縄文からはじめる日本人審美眼の蓄えも知らないで印象派もないものだと思う。
 私がながいラテンアメリカ生活に見切りをつけて日本でふたたび生活をはじめてから数ヶ月後、国立博物館の年間館員になって日本人の「大地、海、空」観を堪能したものだった。(2012年11月記)
 

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