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映画『東ベルリンから来た女』を撮ったクリスティアン・ペッツォルト監督に聞く

映画『東ベルリンから来た女』を撮ったクリスティアン・ペッツォルト監督に聞く

 1989年、「ベルリンの壁」が崩壊し後、一党独裁下の東独(ドイツ民主共和国)の非人権的状況が白日のもとに晒された。「壁」に東独の抑圧が象徴されていたが、市民が日常ふだんに強いられていた精神的な痛みまでは分からなかった。本作はその痛みの内実に迫った秀作である。
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 冷戦時代の閉ざされた社会を舞台に映画を作ることに駆り立てたものは?
「‘80年夏、東独へ行った。その時、この国はもう生き残る力がないだろうと思いました。そして、消えてしまう体制の中で、人はどうやって生き残っていくのだろうか、と大きな関心を持ちました。東独の崩壊は欧米でネオリベラリズムが台頭し、金融界が力を持ちはじめた時期でした。私の関心は常に人間にあります。そういう時代の激変期、崩れゆく体制のなかでも生き残っていく人たちの愛、恋人たちの生活に注目したいと思った。それが制作の動機です」
 映画は1980年、「壁」が崩壊する9年前の東独の田舎町が舞台だ。東ベルリンから地方の町に左遷された有能な女性医師バルバラを主人公にしています。周囲の医師よりぬきんでた知識と経験もあるように描かれています。医師としては多分、エリートといえる人材と描かれている。けれど、恋人が待つ西独へ出国申請したために左遷された。そればかりではない。市民を監視する抑圧機関シュタージの視線を絶えず意識した生活を強いられている。こうしたこと「左遷」は多かったのですか?
「東独では専門職の人材不足が深刻でした。医者やエンジニアが西側へ逃げたからです。“壁”はその防止のために作られたといえます。特に医師の出国申請は認めなられなかった。医師や技術者を促成では育てられません。そこで、政府は“反動分子”といえど医師を刑務所送りすることがなかなかできなかったのです。それで、男性は軍医、女性は地方の病院に送り込まれました」
 西独にいる恋人はときどき東独に仕事をつくって彼女に会いにきては、しばしの逢瀬を愉しんでいる。ある時、彼女に、
 「西にくれば働く必要はない、僕が稼ぐから。一日中家にいて寝坊もできる」と提案し、亡命する手はずを整える。しかし、彼女はそれを拒否し、自由のない東独に留まることを決意する。
「彼女は恋人の言葉に解放された女としての存在が否定されたのです。西に行けば女としての自由が消えるからです。だから、東に残り、抑圧されてはいても、少しでも状況を良くしようと闘う必要をおぼえた。無論、田舎町で献身的に働いている青年医師の誠実さに心惹かれはじめていたからだった」
 細い糸をたんねんに織り込むようにして描かれてゆくバルバラの心の機微に、監督の人への信頼、真実の愛を求めてやまない人の真実が象徴させていると思った。2012年、ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)受賞。

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