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高野悦子さんのお別れの会

高野悦子さんのお別れの会
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 2月9日、永眠された岩波ホール総支配人・高野悦子さんのお別れの会が6月3日、東京日比谷の帝国ホテルで行なわれた。会場は故人を追慕する参列者であふれた。
 高野さんに当たり障りのない追悼記事など似合わない。還暦、岩波ホールのスタッフに計らいで“シネマ君”と結婚した高野さん、やはり「映画」の思い出を語って故人を偲びたいと思う。
 高野さんがパリの高等映画学院監督科で学んでいた当時の同級生に後年、ポルトガルを代表する監督になるパウロ・ローシャがいた。
 そのローシャ監督が日本で『恋の浮島』を撮影した。1899年に来日しポルトガル総領事を務めた後、公職を退き、母国に帰ることなく徳島で著述生活を送り、当地で没した作家モラエスの後半生を描いた作品だった。撮影は1983年、と記憶する。その徳島ロケに付き合った。
 高野さんも製作者としてロケに同伴されていた。夕方、浜の松林の撮影を終えバスで宿舎へ向う帰路、筆者は高野さんのフランス語通訳で監督にインタビューをはじめた。どれくらい経ったか高野さんは突然、沈黙した。監督は話しつづける、通訳がはじまらないからだ。しばらくして寝息が聞えた。監督と筆者は、唖然! 監督はにこやかに日本語に切り替え、言葉を捜しながら行きつ戻りつしながら話しつづけた。「いつかモラエスを撮ろうと思い日本語を勉強したのです」。演出も日本人スタッフ、キャストには日本語で指示を出していた。
「ポルトガル文学の最良はすべて国外、海の向こうで書かれたのです。ポルトガル人の歴史を謳った叙事詩『ウズ・ルジアダス』は航海をつづけながらルイス・デ・カモンイスが書きあげたものです。私はモラエスの生涯を通して、そうしたポルトガル人のなかにある海の向こうに求めるなにかを描きたいと思ったのです。ずいぶん前、パリで学生だった頃に高野さんにそんな話をしたことがありました。『恋の浮島』の企画が実現したのも高野さんのおかげです」
ローシャ監督の作品がはじめて日本で公開された際、スクリーンを岩波ホールに用意したのも高野さんだった。確か、ポルトガルの旧植民地アンゴラの独立戦争から復員してきた貧しい青年の話だったと思う。そのスクリーンにはいつもユーラシア大陸の西の果ての浜を洗う憂鬱な大西洋が眺望されていた。
 「あっごめんなさい。でも、たくさんお話できたでしょう」
 宿舎に着いた時、高野さんは悪びれず言った。それから約30年……も経ったか……まさか高野さんの追悼記事を書くことになろうとは……。合掌。  

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